現代妖奇譚

束原ミヤコ

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昔々のおろかな話

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 「まず、登場人物は三人」と、尽は言った。

「滝の裏の岩屋に棲む大百足と、村の巫女である覡神楽。そして、術者――化け物に対抗できる、不思議な力を持つものと思ってくれ。その術者の漆間……名前はなんていったかな。まぁ、名前なんて記号だ。どうでも良い事だな」
「私の村の話?」

 琥珀が尋ねると、尽は頷いた。

「あぁ。今はもう忘れられた事柄だ。……まず最初に、覡に生まれた白い髪と紅い目の女は、十七歳を迎えたはじめの新月の夜、七宮の滝で贄となる。それは村を守るため遥か昔から繰り返されてきた忌まわしい風習だ。これはお前も知ってるな?」
「……神の嫁になる。そういわれている」

 それを行わなければ、神様が怒り村を滅ぼすのだと、琥珀は教えられてきた。

「そうだな。だが、繰り返すうちに本質は薄れ、誰も本当の意味を忘れてしまった。物事の始まりには必ず理由があるものだ」

 理由がある――と、心の中で琥珀は反芻する。
 そんなことは、考えたことがなかった。

「村が崇める神、岩屋の大百足の名前は、那智という」
「那智……?」

 那智。どこかで聞いたことのある、懐かしい名前だった。
 知らない筈だ。けれど、どうにもその名を呼ぶと、畏怖と切なさが胸を過る。

「千年前の話だ。那智はあるとき、道に迷った少女と出会った。少女は美しく聡明で、そして那智を恐れなかった。……逢瀬を重ねるうち、長い間孤独だった那智は恋に落ちた。少女もまた、那智を愛した」
「百足を?」
「大百足は、妖とも神とも言われている。百足の姿は本来のものだが、普段は青年の姿をしている」

 尽は一度そこで言葉を区切った。
 琥珀は目を伏せる。
 百足に恋した少女――。
 その話に、どことなく既視感を感じた。
 頭の中に、森の木々のざわめく音が、ざわざわと鳴っている気がした。

「……でも、物語はめでたしめでたしとはいかなかった。彼女……覡神楽は、村人たちや家族に、那智の嫁になると伝えた」
「反対された?」
「いや。滝の大百足は神聖な存在だからな。覡神楽は神の嫁だ。それはそれは、尊い事だと喜ばれた」

 神の嫁。
 それは、覡の贄と、同じだ。
 ――神の嫁になるのは、尊いこと。
 十歳の琥珀に巫女の役割を説明した父は、淡々とした口調でそう言っていた。


「――だが。そこに、一人の術者が口を挟んだ。神楽は妖に惑わされていると言ってな。術者は、村人たちに大層信頼されていた。皆、恐ろしい大百足よりも彼を信じた」
「那智は、神様だったのに?」
「敬う気持ちと恐れる気持ちは紙一重だ。大百足なんてそんな恐ろしいものは、いなければいない方が良い」
「何故、術者は神楽と那智の邪魔を?」
「術者は、神楽に惚れていたんだろうな」

 呆れたように尽は言う。
 まるで見てきたような口ぶりだと、琥珀は思う。
 惚れていた、とは。

(好きだった、ということ)

 術者は神楽が好きだった。
 その神楽が那智の嫁になるという。
 どうしても許せなかったのだろうか、琥珀にはよくわからない。
 たとえば琥珀が大切に思っている瑠璃が幸せになるのなら、琥珀は自分のことのように喜ぶだろう。
 そういうものではないのだろうか。
 琥珀の思案を他所に、尽は言葉を続けた。

「神楽を助ける。耳触りの良い言葉にすっかり皆騙されてしまった。神楽が何を言ってももう無駄だった。術者……漆間は、那智を封じる口実を得た訳だ」
「……那智を封じた所で、神楽が手に入るわけでもないのに?」

 そうだな、と、尽は頷く。そして、自嘲気味に嗤った。

「感情ってのは愚かな物だ。お嬢さんには、分からないだろうが」
「私にも、感情はある」
「お前のそれはとてもな綺麗なものだろうな。現実には、もっと薄汚れて、愚かで、おぞましいものが、愛だ恋だと言われるものだ。お嬢さんは知らない方が良い」
「漆間が那智を殺したいと願ったように?」
「あぁ、そうだ。那智を殺したら、神楽が自分の物になると信じたんだろうな」
「そう……」

 いつか、自分にもそれが分かる日がくるだろうか。
 そう思って、琥珀は自嘲した。
 いつかとは、いつだ。そんな日が自分に訪れる筈がないのに。
 ――でも。
 もしかして、もしかしたら。
 しきたりから解放されて、生きることができたのなら。

 尽の言葉の意味を、理解することができるのだろうか。
 誰かを不幸にしてまで、欲しいと思える人ができるのだろうか。

 ――そうして得た幸せに、意味はあるのだろうか。

「難しいことを考えているようだが、話を戻して良いか?」

 いつのまにか考え込んでいたのだろう。
 無言で食べかけのパンを見つめていた琥珀は、慌てて顔をあげると尽に視線を合わせる。
 
「……神楽は新月の夜、那智の嫁になるはずだった。神楽は十七歳、お前と同じだ。しかし、新月の夜。いつまで待っても、那智の元に神楽は現れなかった」
「どうして……」
「神楽は閉じ込められていたんだ。お前が閉じ込められていのと同じように、あの屋敷にな」

 
 ――出して。

 ―――ここから出して!

 あの人の元に行かなければ……!

 琥珀の脳裏に、聞いたことの無い女の悲痛な声が響いた。
 呼吸が乱れそうになるのを抑え、動揺を隠すために強く手を握りしめる。
 他者の記憶が無理やりに脳を侵食するような不快感に、軽い吐気を感じた。
 違う。
 今のはただの錯覚だ。
 きのせいだと、眉をひそめる。
 尽はそんな琥珀の様子に気づいているのか居ないのか、静かな瞳で此方を見据えながら話を続ける。

「漆間は、那智の岩屋に別の人間を向かわせた。それは、漆間に唆され姉を助ける為だと協力を申し出た、神楽の妹の華だった」
「神楽には妹がいたのか……」
「あぁ。漆間は、彼女が誰から見ても神楽に見えるように術を施した。華を神楽だと偽り、酒に混ぜた毒を飲ませて、那智が動けなくなった所で首を切り落とし封じる算段だった」

 酷いと、琥珀は呟く。

「那智を甘く見ていたんだろう。いくら見た目が神楽に見えても、それが神楽ではない事が那智にはすぐに分かった。酒に混ぜられた毒も、臭いで気づいた。……大百足は、華を殺した」

 何故だと、思っただろう。
 神楽は約束を破り、自分を騙そうとしたと。
 全ては、自分を殺す為だったのか――。

「もう、なにもかもが手遅れだった。正面から戦えば、漆間は大百足には勝てない。奴は華を見捨て村に逃げた。怒りと憎しみで華を殺した那智は、村を滅ぼす事に決めた」
「神楽は、愛する者に妹を殺された」
「そうだ。間抜けな話だろ。漆間を信じたばかりに起きた悲劇だな」
「それで、那智は……」
「那智は、孤独と疑心暗鬼と怒りで、冷静さを失った。村人たちは、最早神楽に頼る他なかったが、屋敷から出た彼女がいくら那智に声をかけても、彼は神楽さえも信じることができなかった」

 信じたばかりに、裏切られたのだ。
 誰も信じなければ、裏切られる事も無い。
 那智は頑なに、そう自分に言い聞かせたのだろうか。
 それは酷く悲しい事のような気がした。

「神楽は、漆間に申し出た。このままでは皆殺される。自分は那智にそんな罪を背負わせたくない。自分を贄とし、那智を岩屋に封じて欲しいと。……人を贄とする術は、禁呪とされていてな。膨大な力を持つが術者にとっては禁忌だ」
「……漆間は、禁忌を犯した」
「もう方法がなかったんだろ。奴も結局、惚れた女を殺したんだ。漆間は滝壺に神楽を落とし、その命を贄に岩屋に那智を封じた」
「でも、まだ、覡の呪いは続いている」
「そう、問題はそこだ。結局それでも、那智の力が強大過ぎて完全な封印には至らなかった。漆間は、神楽を贄にもうひとつの呪いをかけた」

 尽は一度そこで黙る。
 なんだか嫌な予感がした。

「それは、何?」

 先を促すと、彼は躊躇するように自分の指先を見つめ、それから口を開いた。

「転生の呪いだ。封印の力が弱まらない為に、覡は意図的に贄を産むように使命を課せられた。覡は、村の虜囚だ。神楽は贄として幾度も殺され、幾度も生まれている」
「……私は贄として産まれた。覡の巫は、白い髪と赤い目をしていると……」
「それは、神楽の姿だ。お前は神楽であり、琥珀でもある。これはそういう呪いだ」

 琥珀は目を見開くと首を振る。

「私は、神楽じゃない」

 狭い世界で生きてきた琥珀には、記憶に残るような思い出などほとんどなかった。
 毎日陰鬱な庭を眺め、日が暮れては夜が来るの繰り返し。
 松代が用意した本を読むこともあったが、琥珀という人格を作り上げる他者との関わりに、代用できるものではない。
 それでも。
 自分は、覡琥珀だと、思う。
 ぐらぐらと揺れそうになる自我を叱咤して、何とかそれだけを強く考える。

「心配するな、お前は琥珀だよ。神楽と見た目が似ているだけの、別の人間だ」

 琥珀を安心させるように、優しい声音で尽がいう。
 それだけで、全てを肯定されたように安堵して、琥珀はふと息をついた。

「ありがとう……。村の外で私を知っている人は、あなたの他に誰もいないから」
「まぁ、そうだな」
「だから、尽に呼んで貰えれば、私は自分を失わない気がする」

 それ程琥珀の自我は脆い。
 尽の語る昔話で、世界が揺らいでしまうほど、自分というものを持っていない事を知ってしまった。
 尽は驚いたように目を見開き、眉根を寄せる。

「俺の話が全て嘘かもしれない。俺がお嬢さんを連れ出して、騙しているとは思わないのか?」
「それでも良い。私にとって今は、短い夢のようなものだから」

 でも、と琥珀は続ける。

「尽は、どうしてそんな事を知っている?」

 本当は、あなたは何者なんだと、問いたかった。
 けれどそれを口にする勇気はなく、琥珀は小さな声でそれだけを尋ねた。

「さぁ。俺のことが気になるのか、お嬢さん」
「……恩人、だから」

 尽が何者かはわからないけれど、感謝はしている。
 死を待つより他に無かった琥珀に、最後の悪あがきをさせてくれたのだから。
 尽は立ち上がると、琥珀の頭を乱暴に撫でた。
 昨日は必死だったので意識していなかったけれど、他人にこんな風に触れられるのもはじめてだ。
 琥珀はびくりと体を震わせた。
 尽は琥珀から手を離すと、苦笑した。

「さあ、食事が済んだら出かけよう。呪いの元凶……漆間家の生き残り、漆間涼に会いにいく」

 ――――漆間涼。
 琥珀は小さく反芻した。
 知らない名前なのに、酷く懐かしいような気がした。



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