贄の巫女と千年の呪い

束原ミヤコ

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見知らぬ自分

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 身支度を調えて、玄関の扉の前で待っている尽の横へと、琥珀は並んだ。
 改めて並ぶと、尽はとても背が高い。
 尽の鎖骨ぐらいまでしか、琥珀の身長はないようだ。
 そういえば、最初の日も琥珀の体を軽々と抱えあげていた。

 尽に連れられて、マンションの部屋からエレベーターを降りて、広いホールから外に出た。
 この建物は一体どういう作りなのかと、終始圧倒されてしまった。
 だが、琥珀に馴染みがないだけで、本当はこちらの世界が普通なのだろう。

 慣れなければと思う。
 知らない景色や、人の多さに戸惑いながら、それでも必死に尽に置いて行かれないように歩く。
 長い間歩く、ということも今までしたことがなかった。
 そのせいか、小さな飾りのついた光沢のある赤茶色の靴の中で、ずきりと足が痛む。

(ただ、歩いているだけなのに、情けない)

 この程度の事で迷惑はかけたくないので、痛みを表情には出さないように気を付けた。
 最初から尽は歩幅を合わせてできるだけゆっくり歩いてくれているらしく、痛みを我慢しながらでもなんとかついていくことができた。

 歩調が遅いのだろう。通りを歩く人々が、琥珀たちを次々と追い抜いていく。
 顔も知らない人々から、こちらをちらちらと見ている視線を感じた。

 もしかしたら、自分の白い髪が珍しいのかもしれない。
 それに、尽もそうだろう。
 見栄えの善し悪しはわからないが、背の高い尽は、多分目立つ。
 少し、居心地の悪さを感じた。
 尽はそれらの視線を気にすることもなく、より人の多い方へと進んでいく。

「漆間涼は、術者としての漆間の唯一生き残りだ。つまり、直系の当主になる」

 まるで世間話をするように気軽に、尽は言った。

「かつて、お前たち一族に呪いをかけた漆間は、罪を背負いきれなかったんだろう、村から姿を消した。それからは普通の人として暮らしていたようだな」

 だからみつけるのに時間がかかったと、彼は嘆息した。
 どうやってみつけたのだろうとか、どうしてそんなに知っているのだろうとか、疑問はいくらでもあったのだが、きっと答えては貰えないだろう。
 琥珀はそれらの言葉を飲み込んだ。
 それから、ふと思いついて彼に尋ねてみる。

「覡を助けようとは、考えてくれなかったんだろうか」

 漆間は神楽の事を愛していた。それなら、その家族にも情をかけてくれても良いのではないか。

「さてな。代替わりするうちに、忘れたのかもな」
「私たちは、続けなくてはいけなかったのに?」
「苦しんだのは覡で、漆間じゃないからな」

 そんなものだと、達観したように尽はいう。
 それなら、漆間涼も過去のことなど知らないはずだ。
 琥珀が村の昔話を知らなかったように、彼は覡の存在も知らないだろう。

 ――こんなに、苦しんだのに?

 琥珀は口元を手で押さえる。
 それはまぎれもない怨嗟の声だった。
 憎悪と激しい怒り。
 目眩がする。
 ――こんな感情は、知らない。

(漆間涼は、私に、覡に、何もしていないのに……)

 この感情は、この言葉は、琥珀の物ではない。

「大丈夫か?」

 人に酔ったかと、尽に問われた。
 いつのまにか立ち止まっていた。
 大丈夫だと言って謝ると、彼はするりと琥珀の手に指を絡ませる。
 琥珀の手をすっぽりと包む大きな手のひらと、骨ばった指の感触と、伝わってくる琥珀よりも低い体温に、どうしていいのか分からずに混乱する。
 思わず手を引っ込めようとしたが、力強く握り返されて逃げることはできなかった。

「昼時だから、人が多い。はぐれないよう、大人しくしてろ」
「……大丈夫、はぐれないから、離してほしい」
「自覚はないようだから言っておくが、お前のその見た目は人目をひく。一人でいると思われたら、ちょっとした厄介なことになりそうだから、残念だろうが離せない」
「髪の色や目の色が、皆と違うことぐらい私も知ってる」

 そんな事は随分昔から知っている。
 だから何を今更、という気持ちで尽を見上げると、彼は愚かな子供に諭すように目を細めて言う。

「俺が言っているのは、お前の見た目が綺麗だっていう話だよ。年頃の綺麗な女が一人でいたら、何かと危ない目にあう可能性がある。こうしていると、皆はお前を俺の所有物だと認識するから、その危険は薄れる訳だ」
「……手を繋ぐことは、特別だということ?」
「特別な関係だと思われるのが普通だな」
「……分かった。ありがとう」

 つまり、これは尽が外の世界に慣れない琥珀を守るためにしてくれている、義務のようなものなのだろう。
 そう思うと――慣れない体温に、少し安心することができた。

 大通りに入ると、尽は歩みを止めた。
 通りの端に身を寄せた尽の静かに指をさした方向をみつめると、仲の良さそうな三人の人間が一軒の店に入っていった。
 窓際の席に座るのを、目を凝らしてじっと眺める。「黒い髪の男が漆間だ」と、密やかに尽が言う。

(あのひとが、漆間涼……)

 漆間涼は、どことなく繊細そうな細身の男だった。
 店の中の席に座って、友人らしい二人が話しているのにあまり参加せずに、食事をしたり窓の外を眺めたりしいている。
 当たり前だが、初めて見る人間だ。
 しかし琥珀は強い既視感覚える。
 ――あの人を知っている。今すぐ駆け出して、彼の元にいきたい。
 そして、もう終わりにしてほしいと、縋りつきたい。
 ――――ごめんなさいと、謝りたい。

 違う。これは私じゃない。琥珀は震える手で、尽の服を掴んだ。
 指先がひやりとして少し落ち着く。

「あ……」

 唐突に、漆間涼が視線を此方に向けた。
 これだけ距離があるのに、視線がぶつかったような気がした。
 その途端に、燻り続けていた憎悪とも哀しみともつかない感情が、身の内で激しく燃え上がるのを感じる。
 覡の中に流れる、神楽の血のせい、なのだろうか。
 神楽が、悲しんでいるのだろうか。
 記憶は、ないのに。
 白い髪と赤い目の贄は――神楽の、うまれかわりだから。
 自分は琥珀ではなく、神楽だから。
 怒り、憎み、悲しみ、漆間涼の元へいきたいと、願っている。 

「琥珀」

 尽に窘められるように名前を呼ばれる。
 我に返り、琥珀は涼から無理矢理視線を逸らした。
 心臓の音がうるさい。この激しい感情は、なんなのだろう。

 琥珀は、経験したことのない感情の揺れに、疲れ怯えていた。
 見ず知らずの初めて会った人間に対して感じる様なものじゃない。

 琥珀は両親や世話人や監視人を憎んだ事など無かった。
 彼らとて仕方なく、自分の役割を全うしていたのだから。
 だから、こんな身を焼くような激しい憎しみは、濁流のような体を支配する悲しみは、知らない。

「……どこか、店に入って休むか」

 尽は、涼にはまるで関心がない様子で、琥珀の手を乱暴につかむと引きずる様にしてその場を立ち去った。


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