贄の巫女と千年の呪い

束原ミヤコ

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ひとりよりもふたり

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 そういえば、尽も時折こうして触れてくれたことを思い出す。
 尽の手はごつごつして大きく冷たかったが、涼はほっそりとして繊細であたたかい。
 涼の手が、そっと離れていく。

「きっと、大丈夫」
「でも……」
「一人で考えても、良い方法はみつからないかもしれない。でも、二人なら……」

 涼はそう言うと、少し思案するように目を伏せた。

「……俺は自分を感情の薄い人間だと思ってた。父さんが死んだときもたいして悲しくなかったし、誰かのために何かをしたことだってない。何となく毎日が終わって、その繰り返しだった」

 琥珀にはその感覚が分かる気がした。
 琥珀も同じだったからだ。
 変わらない日々を終わりに向ってただ過ごしていた。

「今は、琥珀の命が奪われること、間違っていると思ってる。命が奪われなくても……那智の元にいくことは、同じことだろう」
「それでも……役に、立てる。妹を、覡の呪縛から救うことができるのなら、私は……」
「琥珀の妹は、琥珀の犠牲で自分が助かって――嬉しいと思う?」
 
 涼に問われて、気づけば膝の上で強く手を握りしめていた。

「少なくとも俺は……父の命を犠牲にした護符で、命を救われて、嬉しいとは感じていないよ」
「……他に、方法が無い」
「誰かのため、じゃない。琥珀は、琥珀自身は、どうしたい? 死にたいと、思っている?」

 ――私は、どうしたいのだろう。
 まるで自分が立っている場所にぽっかりと穴が開いてしまったようだ。

 皆のために贄になることが、生きる意味だった。
 尽に連れ出されてからは、瑠璃や家族のために呪いを終わらせることが生きる意味だった。
 神楽の記憶を思い出してからは、死ぬことではなく那智の元に行き身を捧げることが生きる意味となった。

 それは全て誰かのために、という大義名分が付きまとう想いだ。
 涼の質問にうまく答えられない。
 死にたいのかと問われると――そうではないと思う。
 けれど、生きていることに意味を見出せない。

「……ごめんなさい、どうしたいのか、自分でもよくわからない」
「そう。ちょっと、安心した」

 どうして――と尋ねようとした言葉は、文江の「そろそろお風呂に入って寝ちゃいなさい」という声が聞こえて、喉の奥に引っ込んだ。
 涼はするりと手を離すと、「母さんも、琥珀の事情は知ってるから心配しないで」と言う。
 涼に促されるまま、キッチンで明日の仕込みをしている文江に軽く挨拶をすると、琥珀は二階へと上がった。

 一階は店舗になっているから、必要なものは大抵二階にあるのだと涼は言う。

「服は、どうしよう。……俺ので良いかな、男物で悪いんだけど。明日になれば、洗濯したあとに今着ているのが渇いてるから、心配しなくて良いよ」
「……ありがとう」

 ここで遠慮をしても押し問答になるだけだろう。
 琥珀は素直に頷いた。
 涼が言うには、母親の部屋と父親の書斎、それから涼の部屋しか二階にはなく、父親の書斎は物が多くてとても寝られる環境ではないそうだ。

 風呂に入って着替えた琥珀は、細身に見えてもやはり男である涼のサイズが大きなシャツとパーカーに居心地の悪さを感じながら、涼のベッドに座っている。
 同じく風呂に入った涼の少しだけ長い髪は、邪魔だからと全て後ろに流しており、印象ががらりと変わっている。
 額に垂れている残った前髪から雫が落ちるのを、綺麗だと思う。

 涼の部屋は物が少ない。
 簡素なベッドと、勉強用の机と椅子だけが置かれている。
 涼は椅子に足を組んで座っていた。

「俺は一階で寝るから、心配しないで」
「心配は、していない。あなたは、良い人。もう少し、話したいと思う。……涼が、良ければ」
「……うん。そうだね、話そうか」

 涼は少しだけ困ったようにそう言った。

「……琥珀の知ってることがあれば、教えて欲しい」
「作り話に聞こえるかもしれない」
「俺は琥珀を信じるよ、それがどんな話だとしても」

 どことなく掴みどころがない涼だが、嘘がつけない誠実な人間だという事を感じていたので、信じるという言葉は嬉しかった。
 大丈夫だと頷く彼に安堵して、琥珀は話し始める。
 尽から聞いた話と、自分の記憶、それから覡家の繰り返してきた歴史などがごちゃまぜになり、とりとめのない話になってしまったが、涼は熱心に聞いてくれた。

「……俺を殺そうとしてた琥珀は、今話してる琥珀とは違う人間みたいだった。つまり、あれは神楽だったって事かな」
「言い訳になってしまって嫌だけど、本当はあの時、私はあなたと話したいだけだった。でも、私は私としての意識を失ってしまったのだと思う。神楽はあなたを殺して、那智様を解放したいようだった」
「もう大丈夫?」
「今は、まだ、神楽だった過去を思い出しても、自分を保っていられる。でも、多分、那智様の元に行けば、私は神楽になる気がしてる。本当は、私の方が偽物なのかもしれない」
「……それは、違う。うまく言えないけど、違うと思う」

 涼は慰めてくれようとしているのだろう。
 余計なことを言ってしまったと、琥珀は思う。
 ありがとうと礼を言うと、涼は小さく頷いた。

「琥珀は、那智が未だに神楽を愛してて、神楽が那智の元にいけば全部終わると考えている。八津房が琥珀に俺を殺すように言ったのは、封印を解けば那智の怒りがおさまると考えたから、かな」
「……涼は、関係のない人。関係のない人でいられる筈だった。私が、巻き込んだ」
「俺は琥珀とこうして話すことが出来て、嬉しい。琥珀が会いに来てくれなかったら、何かを本気で悩んだり、考えたりすることなんて、一生なかったんじゃないかな。元々、あまり話さない方だし」

 なんせ自分から少し話しただけで、弘一と桜にはお赤飯まで炊かれそうになったんだと、涼は言って笑った。
 琥珀には良く意味が分からなかったけれど、涼がとても楽しそうだったのでつられて笑うと、彼は嬉しそうに微笑む。

「琥珀はずっと悲しそうだったけど、笑っていた方が良い。笑わなくても可愛いけど、笑うともっと可愛い」

 頬に熱が集まるのを感じる。
 面と向かってそんな風に褒められた経験などない。ただ恥ずかしくて、何も言えずに俯く。

「ありがとう……」

 ともかく褒められたのだから礼を言わないとと思いそう口にしたけれど、自分でも驚くほど小さな声しかでなかった。
 涼は微笑ましそうに笑って、それからふと真剣な表情に戻る。
 
「直系の当主なんて、親戚もないし母さんと二人きりの家族なのにおかしな話だけど、ともかく俺しか禁呪とかいう封印を解くことが出来ないって事が分かった」
「方法は、分かる?」
「さっぱり。だって俺には、透明なでかい犬を出す事なんてできないし、突然姿を消す事もできない」
「それは尽の話?」
「そう。そういうのができたら、もう少し役に立てたんだろうけど」
「尽は封印を解くことはできないって言っていた。その方法も知らないって」
「……明日、影虎さんに聞いてみよう。それでももし、分からないんだとしたら、俺も一緒に那智のところに行くよ。何ができるかわからないけど、琥珀一人で行くよりも、心強いと思う」

 琥珀は慌てて首を振る。
 手紙の中の文章を思い出す。確かそこには、漆間の血族を根絶やしにする、と書かれていた。

「駄目。今度は本当に、殺されてしまう」
「琥珀だって死にに行くようなものだよ。俺には、というか、漆間っていうこの体を流れる血なんだろうけど、責任があると思ってる。俺だけ関係ないふりをしてるなんて、不公平だ」
「そんなこと、ない。ごめんなさい、私はあなたのところに来なければよかった」

 自分の行動が誰かを不幸にしてしまう事が、こんなに苦しいとは思わなかった。
 これなら、何も知らず何も気づかないふりをして、一人で死んでいった方が良かった。
 多くを望まない方が、ずっと良かった。
 琥珀は胸を抑える。
 涼は自分に会えて良かったと言ってくれていたけど、涼にとって自分は彼を不幸にすることしかできない存在だ。

「何度も言うけど、俺は琥珀に会えて良かったよ」
「涼……」
「きっと大丈夫だから、心配しないで。疲れて寝不足だと、悪い事ばかり考えるようになるって、聞いたことがある。だから、もう休んだ方が良い」

 涼はそう言うと、立ち上がった。

「おやすみ、琥珀。また明日」

 ――また、明日。
 なんど明日を迎えられるのだろう。
 琥珀は「おやすみなさい」と言うと、できるかぎりの笑顔を浮かべてみせた。

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