現代妖奇譚

束原ミヤコ

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影虎と蛟

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 ◆◆◆◆


 覡影虎が物心ついた時には、その声は自然と聞こえていた。
 きっかけは何だったのだろう。
 確か、あれは姉の存在を知った時だったような気がする。

 本家から少し離れたところにある古い屋敷に、陽詩は閉じ込められていた。
 隠家と呼ばれているその屋敷には近づくなと、普段から言われていた。
 けれど影虎は、そのときは何故か何かに誘われるように、本家の裏手にある禁忌の森へと入り、そこからあの屋敷の庭へと足を踏み入れたのだ。

 庭の縁側に、すらりとして小柄な真っ白い少女が座っていた。
 幽霊なのかと思った。
 この屋敷が不吉だと言われているのは、少女の幽霊が住んでいるからなのかと。
 勇気を振り絞り、お前はいったい誰なんだと尋ねようとした時、唐突に頭の中に声が響いたのを覚えている。

『馬鹿げたことを聞くんじゃない。それはお前の姉の陽詩じゃないか』

 人を小馬鹿にしたような、若い男の声だった。
 その時は驚いて、陽詩に話しかけもせず走って逃げた。
 頭の中で男が、愉快そうに笑っていた。

 それからというもの、若い男の声は時折話しかけてくるようになった。
 男の名前は蛟。
 幽世に棲む水妖だと教えてくれた。

 その時影虎は、妖の事も術者の事も、まして覡の隠している贄のしきたりすら知らなかった。
 蛟が自分の事は時が来るまで隠しておけというので、何食わぬ顔で毎日を過ごしていたが、唐突に蛟の声が頭に響くのだ、中々大変だったように思う。

 覡にかつて存在していたらしい術者は、もう死んでいる。
 覡には術者が存在するときと、しない時があるらしい。
 幽世から現世への蛟の呼び方を教えてくれたのも、蛟自身だった。

 時々覡に相性の良い相手が産まれるが、遊んでやるかどうかはその時の気分次第なのだと言っていた。

 蛟に言わせれば、影虎は『つかえない』そうだ。

『俺の本来の姿すら現世に呼び込めないなんて本当につかえない。でもまぁ、それも良い。馬鹿に真面目で無駄に慈悲深いお前は、苦しむ羽目になる。そこが良い』

 その言葉が真実になってしまったのは、それから数年後の事だった。

 影虎は陽詩を助けたかった。
 陽詩を助けたいのと同じように、琥珀を救いたいと思っている。
 琥珀を救いたいのと同じように、涼の命も守らなければと思っている。
 けれど、その力が自分にない事を、嫌というほど良く知っていた。

『影虎、逃げた方が良いぞ。この男は人じゃない。この前は気づかなかったが、どうにも百足の気配を感じる』

 八津房尽という名の男が、車の上から身軽に立ち上がった。
 彼は他の人間には興味がないとでも言いたげに、琥珀を熱心にみつめている。

 涼が琥珀を守ろうと、尽の視線から隠す様に琥珀の前に立つのを見て、不愉快そうに舌打ちをした。
 蛟は百足と言った。それは封印されている、那智の事だ。
 影虎は那智の姿かたちを実際に見たことはないが、蛟が百足の気配というのだから、尽は那智そのもの、という訳ではないのだろう。

「どうして、この場所が? 私たちの姿は見えなかった筈だ」
「あぁ、蛟の幻覚だな。殊勝な心掛けだが、残念だ。我が家の狗神は鼻がよくてな、後を追うのは容易い」

 尽には、今のところ敵意は無いようだった。
 影虎の問いに、久々の旧友にでも会ったような気軽さで答えた。

「琥珀様を連れ出した目的は?」

 影虎は尋ねる。
 尽が百足の一部だとしたら、琥珀を手に入れたいという事は理解できる。
 しかし、屋敷から連れ出した後、漆間涼の元へ連れていったというのが良くわからない。

 那智の封じられた岩屋に連れて行けば、それで良かった筈だ。
 尽の行動は、百足のために封印をときたいだけ――にしては、随分と遠回りなような気がする。

「さあ。お前に説明する義理はないな」

 肩をすくめて尽は言った。

「それでは、渡すわけにはいきません」
「殺すしか能がない癖に」
『痛いところを突かれたな、影虎。泣くんじゃないぞ』

 頭の中で蛟が嗤う。
 蛟は終始こんな様子で話しかけてくるので、小馬鹿にされるのももう慣れてしまった。

(私はどうしたら良い? あなたの力で勝ち目はあるだろうか)

 影虎は、頭の中で蛟に問う。
 彼はこちらを見ている時と、見ていない時があるが、見ている時は影虎の考えている事は全て筒抜けになっている。
 蛟は『無理だろうなぁ』と呆れた口調で言う。

『あれは、お前と違っていくつかの力を持っている。まぁ、絶好調の時の俺なら片手で足りるが、何せ現世ではお前の力量分しか、俺の力は使えない。潔く諦めろ』

 影虎は深く息を吐くと、着ていた黒いジャケットからいくつかの小さく綺麗な玉を取り出す。
 それは子供の玩具である、おはじきだ。

 妖というのは奇妙なもので、それぞれに気に入った触媒があるらしい。
 蛟の場合はきらきらして綺麗で沢山あるから、という理由で、おはじきに執着している。
 時々買い出しにいく此方の身にもなってほしいと常々思っている。

 尽は数枚の紙を取り出すと、手の中でぱらぱらと弄んだ。
 紙には文字が書いてある。尽の狗神や陽炎は、彼の文字が好きなようだ。

「戦うつもりか? やめておいた方が良い。琥珀が戻るなら、俺はお前たちに何かをするつもりはない」
「あんたは信用できない」

 怯えた様子もなく、はっきりと涼が言う。
 若さ故に怖いものがないのか、それとも元々の性格なのかはよくわからないが、大したものだと思う。

『ふふ、子供の方が気が強いじゃないか。泣くなよ、影虎』

 もう一度蛟が言う。
 いい加減うるさい。慣れたが、うるさいものはうるさい。

「何をしに来た、漆間涼。お前は部外者だ。家に帰ると良い」
「俺は、琥珀を守る。そう決めた」
「できないことをいう物じゃない。子供の強がりは見ていて虫唾が走る」

 影虎と話していた時とは違う、寒気がする程の怒気を孕んだ声で尽は言う。
 それでも一歩も引かず、涼は彼を睨み返していた。

 その後ろで琥珀が、白い頬を更に白くして、戸惑っている。
 琥珀は昔から、遠慮がちな子供だった。
 ともすれば、居ることを忘れてしまいそうになるほど、物静かな子供で、表情もろくに変わらず、人形のようだと思ったこともある。

 冬の寒い日に、ぼんやりと庭を眺めていた幼かった琥珀の体が、氷のように冷えていたことがある。松代が丁度、本家に用事があり出かけていた時の事だ。
 慌ててストーブに火を灯したら、「寒くて、死ぬんじゃないかと思ってた」となんでもない事のように言っていた。

 そういう時は頼めば良い、その為に大人がいるのだからと諭すと、「そんなことをして貰える程、私はあなたになにもしてあげてない」と困ったように答えた。
 琥珀は無償の愛というものを知らないで育った。
 そうしたのは周囲の大人たちだ。

 巫女は大切な存在なので、不自由のないように世話を焼き、敬意を払っていたのだが、その全てに申し訳なさを感じているようだった。

 そんな彼女が、誰かに守られるという状況に、居心地の悪さを感じていない筈がない。
 本当ならまだ大人にもなっていない少女なのだから、守られて当然だというのに。

 泣きそうな表情は、多分困り果てているからだろう。
 意を決したように、彼女は震える声で、けれどはっきりと言った。

「尽、私は、影虎と帰るよ。……そうしなきゃ、いけないと思うから」
「あぁ、分かった。なんて言うと思うか? 帰るぞ、琥珀。嫌だと言っても、連れていく」

 言っている内容は不穏だが、琥珀に対する尽の声は甘く優しい。
 琥珀に手を伸ばそうとした八津房に向けて、影虎はおはじきを投げる。「蛟」と小さく言うと、それは空中で光り、手の平に載るほどの小さく細長い蛇に似た竜の形へと変化した。

 ひらりと身をくねらせて、竜はその体の周囲に水の竜巻を作り上げる。
 水の奔流が尽に向かう。彼はちらりとそれを見ると、呪符を舞い上がらせる。

「黒、頼んだ」

 言葉とともに、呪符が黒い毛並みを持つ大きな狼の姿へと変化した。

「地霊、守れ」

 尽は再び短く言う。
 アスファルトがひとりでにぼこぼこと隆起して巨大な手の形を作り上げる。
 石と土でできた手は、蛟の水流を抱え込むようにして受け止めると、水分を多量に含んだためかどろりと溶けて崩れた。
 水の竜巻が消えたところで、狼が小さな竜へと襲い掛かる。

「蛟!」
『そう不安そうな声を出すな、情けない』

 影虎は自分以外の術者を見たことがなかったし、勿論戦ったこともない。
 狼は鋭い爪を持った前足で蛟の体を簡単に地面に抑え込む。

 影虎のせいで現世では小さな体しか保てない蛟は、容易く狼に引きちぎられそうに見える。
 蛟が死ぬと思うと、半身を千切られるような恐怖が身体中に広がる。

 影虎の心配をよそに、当の蛟は影虎の醜態が嬉しくて仕方なさそうな嬉々とした声音で、『ああ、情けない、情けない』と繰り返した。

『全く、お前が使えないせいで狗神ごときに負けるとは。俺は一度消えるぞ、だから諦めろと言っただろ』

 残念な子供を叱るような言葉が頭に響き、小さな竜は狼に食い殺される前にするりと消えた。
 ぱらぱらとおはじきが地面に落ちて、白く燃え上がる。
 空気のように軽く、狼が地面に降り立った。
 黒い狼は軽く首を振ると、一度くるりと身を翻し、蛟の後を追うように消えていく。

「陽炎、眠らせろ」

 尽は、こちらに危害を加える気はないようだ。
 影虎も涼も狗神ならば殺すことができただろう。それを還らせて、陽炎に頼むとは。
 影虎はがくりと地面に膝をつく。

 涼が「琥珀」と、苦し気に、悔しそうに呼んだ。
 視界の端に、八津房に抱えられて連れられて行く琥珀の姿が映ったが、意識を保っていられたのはそこまでだった。



 ◆◆◆◆

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