明日の夜、婚約者に捨てられるから

能登原あめ

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 物語の世界に転生した私は、明日の夜に行われる舞踏会で捨てられる――。
 それは少し言葉が強すぎるかもしれないけれど、婚約解消を求められるのだ。

 婚約者のジュリアンはヒロインに正式に告白する前に、イヴェットとの関係にケジメをつけたいとバルコニーに呼び出す。
 イヴェットはいつもと変わらない公爵令嬢たる態度で笑みを浮かべて答える。

『政略結婚ですもの。気にしなくて結構よ。わたくし、隣国の王子を射止めてみせますわ』

 ヒロインが心配する必要もなくイヴェットはあっさり退場し、本当に隣国の王子から婚約者選びの招待状が届いて国を渡るところも書かれている――。
 
 小説の中の公爵令嬢はしたたかだったけど、今の私はそれほど強くない。
 彼らの物語が進んでいる中、私はジュリアンを好きになってしまい忘れることもできずに佳境を迎えるのだから。

 明日に備えて早めに休もうと侍女を下がらせた後、すぐに寝つけるわけもなく棚からシェリー酒を取り出した。
 コーヒーのように色の濃い極甘口のそれをグラスに注ぎ、ぼんやりながめる。

「好きになんてなりたくなかった。今さらどうにもならないけど」






 前世で読んだ小説の世界かもしれないと思い始めたのは多感な十三歳の頃で、私自身に違和感があった。
 公爵令嬢という仮面をつけて演じているようで毎日が息苦しい。

 自分が自分じゃないみたいで、外側から自分を眺めているよう。
 まるで思春期に自分探しをしているみたい……?
 それから少しずつ私は前世を思い出した。

 仕事の忙しさからまともに病院に行く時間も取れなくて、胃痛に悩まされていたある日、突然倒れた。
 まだ三十歳にもなっていなかったのに、私の記憶はそこで途切れている。

 この世界で私はヒーローの婚約者。
 十歳の時に私と婚約した彼は真面目で優しい。
 小説には描かれていなかったけれど、お互いの関係がうまくいくようにと顔を合わせることも多かったし毎年誕生日に彼が選んだものが届いた。
 とにかく私に対してとても誠実で。

 まさに理想の相手だから最初から好印象だったし、いつか婚約解消すると気づいて、頭ではダメだと思っても心が彼を好きになってしまったのは仕方ないと思う。

 しばらくの間、前世の記憶と今の置かれた立場に振り回されて自分を取り繕うのでせいいっぱいだった。
 
 そんな私のことをジュリアンは『僕の前では肩の力を抜いて』と言った。
 気を抜いた姿は見せられなかったけれど、その言葉がとても嬉しかったのを覚えている。

 公爵令嬢イヴェットの心情なんて描かれていなかったけれど、私とは違うかも。それとも胸の痛みを抑えて気丈に振る舞っていただけなのかな。

 ひとつ年上の私は先に学園生活に入り、翌年ジュリアンが入学した。
 そこでヒロインと出会い、たまに一緒にいるのを見かけたけれど私は見て見ぬ振り。

 学年も違うし、お互いに忙しくもあって同じ校舎にいるはずなのに顔を合わせることもどんどん減っていった。

 寂しい。でも仕方ない。

 順調に彼と彼女の物語が進んでいるようで、彼らが目立たないようにひっそりと図書館で過ごしているのを何度か見かけた。

 のぞきになど行かなければよかったと後悔するのに、私は小説と同じように二人がそこにいることを確かめずにいられなくて。

 先に学校を卒業してからはますます会う時間が減ったけれど、外せないパーティーにはちゃんとジュリアンがエスコートしてくれた。

 一曲目を踊った後は、彼が私を女友達の元へと送ってくれて別々に過ごす。
 端正な顔と落ち着いた立ち居振る舞い、侯爵令息のジュリアンは小説のヒーローらしくいつも完璧にみえた。
 私が公爵家の生まれじゃなかったら、各方面から妬みそねみを受けたかもしれない。
 
「ジュリアン様って、年下でしょう? そんなふうに見えないくらい穏やかで素敵ですわね」
「ええ、そうね」

 バルコニーに呼び出される舞踏会までに、私はあと何回彼と踊れるのだろう。
 あっという間に見上げるくらい大きくなって、いつの間にかダンスも上手になった。
 私じゃない、彼女とダンスをして長い時間を一緒に過ごしているのかも――。

 彼は私のものにはならない。
 彼はヒロインの相手だもの。

「……隣国の……殿下の婚約者の方が、病で……それで喪が明けるから、新しい婚約者を選ぶのですって。国内外、身分も問わないとか。……それって、どういうことなのかしら?」
「私達にもチャンスがあるということ? でも、身分を問わずだなんて、何か裏がありそうで……」

 友達の話に意識が戻る。

「アルセニオ殿下は悪い方ではないわよ?」

 夜会でお会いしたことも、話したこともある。

「そう言えば以前イヴェット様はダンスに誘われていらしたわね。どんな方でした?」

 興味津々に聞かれて考える。

「そうね……私達より五つほど歳が上だから、大人という印象だったけど。お話も上手で会話が途切れることもなかったし、心遣いが細やかでさりげなくて……一緒にいて安らげるというか。とても優しくて頼りになる方だと思ったわ」

「まぁ、イヴェット様がそこまで絶賛されるなんて、何としてでも招待状が欲しいですわね」
「ええ、本当に。私も行ってみたいですわ」

 二人が私の話に夢見るようにうっとりした表情を浮かべる。

「まあ……二人とも婚約者がいらっしゃるのにそのようなことを」
「あら! だって、政略結婚ですもの。愛などありませんわ。それならばさらに上の相手と結ばれたいもの。もしも彼を射止めることができたら一族も喜ぶでしょう? 父に話してみますわ」
「それはとてもいい考えね」

 二人の会話に困惑しつつ、あいまいにやり過ごす。
 私もジュリアンを愛していなかったらそう思っていたと思う。
 だって小説では婚約解消して隣国へと渡るのだから。

「イヴェット様はジュリアン様がいらっしゃるから参加されないでしょう?」
「そうね。いえ、どうかしら……?」

 私がにごして答えると鈴の音を鳴らすように二人が笑うから、私もつられて笑った。

「結婚相手は年上の方が頼りになりますものね。それに王族に連なるって魅力的ですわ」

 二人とも侯爵家の生まれなのにさらに上を目指すなんて野心家で驚く。婚約者も悪い相手ではないというのに。
 
「じゃあ、あちらの国でお会いしても驚きませんわ」
「まぁ、イヴェット様ったら……」
「うふふ……っ」

 軽口を叩いてから、ふとそれもいいのかもしれないと思った。
 この先ずっとこの苦しさを抱えて生きていくくらいなら、解消の話の前に次の行動に移しても。

 ジュリアンほど愛することができなくても、アルセニオ殿下みたいな人なら尊敬できる。
 別にこの国に残る必要もないし、あちらの国で別の誰かと縁を結んでもいい……そう考えて胸の痛みから目を背けた。
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