灰色の瞳に宿る想いに気づいた時、元騎士は静かに手を伸ばす

能登原あめ

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5 新生活

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「長旅、ご苦労様でした」
「……いや、そうでもない、です」
「…………」

 彼を前にすると言葉がすんなり出てこないのは、顔を見るのも不快だと思っているように感じてしまうからかもしれない。

 いっそ罵ってくれたら、言い訳の一つも出るかもしれないと、ロゼールは訳の分からないことを考える。

 彼が直接言葉には出さないからこそ萎縮しそうになった。
 平静を装って一番顔を合わせるであろうアントワーヌや、バベットを紹介してから、先を歩く。

「……あなたの部屋に案内するわ」

 階段を登り、扉を開ける。
 侯爵の部屋とされているけれど、使用するのは三年、いや四年ぶりかもしれない。

「どうぞ」

 彼が部屋の中へ進んだのをみて、ロゼールは扉を閉めて鍵をかけた。
 その音を聞きつけて、彼が怪訝な顔で振り返る。
 同じ空気を吸うのも嫌だと思っているみたいで。

「……少し、話をしても?」
「はい」

 廊下には誰もいないはずだけれど、ロゼールは彼に近づいた。
 眉間に皺を寄せて無言で拒む様子になんとなく胸が痛む。
 自分を嫌っている人間の近くにいると、想像以上に消耗した。

「浴室はこの隣で、使用方法は王都の設備と変わらないと思います」

 ロゼールが開けてみせると、僅かに頷いた。

「……あなたさえよければ、ひと休みしてから晩餐まで時間があるので屋敷の中と周辺を案内したいと思います」
「わかりました。よろしく、頼みます」

 ロゼールに対してぎこちない話し方をするのが、なんともやりづらい。

「普段の話し方で構いません。気にしませんので」

 拒まれるかと思ったけれど、彼はそれを受け入れてくれた。

「助かる……この領地の防備はどうなっているんだ? あまり機能していないようにみえる」

 マルスランから意外な質問をされて思わず瞬きを繰り返す。
 それから、こちらもかしこまったままじゃなくていいだろうとロゼールも言葉を崩した。

「実はあまり力を入れていないの。本当はいけないと思うけど、つい塩田の方に力を入れてしまっているわ」

 これまで特に問題を感じた事がなかった。
 海に面している西隣の領地は広く、塩田の規模も大きい。
 東隣の領地は貿易に力を入れている。
 どちらとも仲が悪いわけでもないし、北隣の領地の伯爵家とは婚約もしたし、結婚もした。

 今は疎遠になっているけれど、仲違いしたわけではない。    
 悲しい結末にお互い目を逸らしているだけ。
 
「……俺が兵を鍛えてもいいだろうか?」

 マルスランに問われて、ロゼールはひどく驚いた。
 彼が大人しく屋敷で過ごす姿は想像できなかったけれど、そんなことを言われるとは思わなかった。

 塩を盗みにやってくる者は今のところいないはずで、周りでも聞いたことはない。

「……負担では?」
「いや、暇なほうがつらい」
「わかりました、お願いします。……では、準備が整い次第ベルを鳴らして。時間はあるのでごゆっくりどうぞ」
「わかった」

 ロゼールが扉に手をかけたところで、不意に呼ばれた。

「領主殿」

 形だけの妻だから仕方ないのだけど、その呼び方はよそよそしすぎる。
 ため息を吐くのをこらえて、ロゼールは表情を崩さずに振り返った。

「……なにか?」 
「あなたのことはなんと呼べば?」
「……お好きに呼んでくださって、かまいませんわ。礼節を保った呼び方であれば」
 
 ロゼールはそんな言い方をしたことに舌を噛みたくなった。
 もともと可愛げなどないけれど、もっと他に言い方があったはずなのに。

「わかりました、領主殿」

 ほんの少し、歩み寄る事ができそうだったのに、ロゼールの発言のせいでマルスランの眉間に皺が寄った。

 ますます彼との距離を感じるけれど、これでいいのだと、結果的にこれが正しいのだとロゼールは自分自身を宥めた。
 





 
 
「ロゼール様、旦那様をお連れしました」

 テラスで本を片手にお茶を飲んでいると、さっぱりとした様子のマルスランがやって来た。

「座って……一杯いかが?」

 手ずからお茶を淹れ、向かいに腰を下ろした彼の前にそっとティーカップを置いた。

「…………」

 湯浴みの後で、喉が渇いていないのかと不思議に思う。
 あの部屋にはまだ水差しは置いてないのだから。

 ふと。
 警戒しているのではないかと、今さら気づいた。

 ロゼールの最初の夫は毒殺されている。
 そして二番目の夫も……。

「ただの薬草茶よ」

 ロゼールは飲みかけのティーカップに、お茶を足して一口飲んでみせた。

「……いただこう」

 マルスランが目の前のティーカップを口元に近づけ、匂いを嗅ぐ。
 何種類かハーブを合わせているから複雑な香りになっているはず。
 毒消しの作用を持つ薬草を加えているけど、彼は気づかないと思う。
 
 ロゼールは彼が飲む様子を意識しつつ、視線は自分の手元の薄く色づいたお茶をぼんやり眺め、ゆっくり飲んだ。

「もう一杯、いかがですか?」
「頼む」

 微笑みそうになって、きゅっと口元を引き締める。
 それから、ゆっくりとお茶を注いだ。

「ここにいる執事のアントワーヌと侍女のバベット、それから厨房で働くジャコブ……この後案内するけど、彼ら以外の用意したものは口にしないでくださいね」

 マルスランは何か考え込んでいる様子だったけれど、それについて一言も話すことはなかった。
 それから二人きりになり、屋敷内と庭先を案内する。

「……あの先に、屋根がみえる?」 

 ロゼールが林の向こうを指さす。
 マルスランがその先をじっと見つめる。
 屋根と骨組みはできているようだった。

「あぁ」
「今、離れを建てているのだけど、あなたがあちらの方がよければ、移っていただいて構いません」
「随分、準備がいいんだな」

 ほん少し皮肉の混じった声に、ロゼールは一度開いた口を閉じた。
 四人目の夫候補がいた話をしたら、ますます嫌われるだろうか。

 尚のこと、話してしまえばいいのに。
 なぜか、これ以上嫌われなくないと思っていて心が揺れた。

「……女侯爵なので、陛下が後継ぎを気にされるだろうと思ったので……」

 理由になっているようで、全くなっていない気がするけれど、彼はあっさり頷いた。

「そうか。……離れを楽しみにしている」
「はい」

 そう言われて、またしても胸が痛んだ。
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