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8 わからない
しおりを挟むロゼール・シモンズという女は、男を手玉に取る冷酷な悪女とよばれているのではなかったか?
用済みの男は切り捨てる。
罪に問われていないのは、直接三人の夫の命を奪ったわけではないからと噂されていた。
少なくとも王都で見かける彼女は、冷笑を浮かべることはあっても表情を崩すところは見たことがない。
あの白金の髪と灰色の瞳が余計に冷たく見せているとは思う。
あれだけ美しいのであれば、あの冷たい態度を男達は溶かしてみたくなるのだろうか。
うまくいけば特別な領地も手に入るのだから。
『喜べ、マルスラン・フォスター。シモンズ女侯爵との婚姻を命じる。……特別な領地と若く美しい未亡人だ。放っておくわけにもいくまい』
マルスランの反応を愉しそうに探る王。
王妃からの執拗な誘いに内心うんざりしていたし、それによって王に疎まれているのは感じていた。
どこか辺境の地へと厄介払いされるのではないかと思っていたから、いきなり結婚と言われて驚いた。
あらかじめ呼び出されていたのか、ロゼールは間をおかずやって来た。
謁見の間ほど大きくなく、王族が私的に来客を寄せる閉ざされた部屋へ。
王にマルスランとの結婚を言い渡された時に、彼女は一度だけまっすぐ見つめてゆっくり瞬きをしただけ。
それ以上特別な感情を露わにすることはなかった。
見た目通りの冷たい、感情のない女なのだろうか。
誰と結婚しても同じと考えているのかもしれない。
二人きりになったら苛烈な態度で命令でもしてくるのかと思ったが、淡々としたロゼールから形だけの結婚で自由にしていいのだと、最初から相手にされていないのを感じた。
お前は取るに足りない男だと言われた気がしてなぜか腹が立つ。
無意識に、過去の震えていた彼女の面影を探してしまったからかもしれない。
彼女にまつわる噂の全てを鵜呑みにしたわけではないが、多少なりとも真実が含まれている気がした。
少しでもうまくやれないかと考えた自分が馬鹿馬鹿しい。
そもそも王宮に出入りする貴族の女でまともな人間など見たことがない。
あの世界にいるうちに、染まっていくように思える。
男を手玉に取り、いらなくなったら捨てる。
より高い地位の男を手に入れたいと画策している女や、夫を顧みず暇を持て余し身体の関係を求めてくる女にもうんざりしていた。
そんな女達と関わりたくなどない。
「結婚、か……」
マルスランの母親は平民だった。
物心ついた時には母と二人暮らしだったが、六歳の時に、父だというフォスター伯爵に引き取られた。
息子として迎えられたものの伯爵夫人は冷たく、その生活は馴染めない。
母は以前伯爵家で侍女として働いていて、伯爵に手を出されて妊娠に気づいて辞めたらしい。
俺に同情的な昔を知る使用人がいたのは少しだけ慰めになったが、三年後に彼女が息子を産んだことで俺は、伯爵家を出ることになった。
それからは騎士団に身を置き、どちらの家族とも縁が薄い。
母が幼馴染と結婚して二人の子をもうけた後は、遊びにおいでと優しく誘われても家族の中で疎外感があった。
伯爵に手を出されなければ、初めから幼馴染と結婚できたかもしれない。
フォスター家ともほとんどやりとりがなく、異母弟に子供が産まれて後継ぎにも困っていない。
保守的なフォスター伯爵家はシモンズ侯爵家に関わりたくないだろうし、このまま縁が途切れるのだろう。
もしも自ら結婚相手を選べたなら、平民の、喜怒哀楽がはっきりした明るい女がよかった。
例えば、食堂で働くような笑顔の可愛い元気な子が。
しかし、今、ロゼールの顔が浮かぶのはなぜだろう。
丁寧で他人行儀。
彼女からぞんざいな態度を取られたことは一度もない。
他に男がいるようにも見えないし、領民が働きすぎだと心配している始末。
強いて言えば、ロゼールと執事の距離が近い。
二人の関係を疑ってしまうほどに。
かなり年上の夫もいたはずだから、ないとは言い切れない……が、マルスランの勘は違うと思っている。
最初に出されたお茶には解毒作用のある薬草が入っていて、飲食に気をつけるように注意までされた。
薬草に詳しくなったのは前騎士団長の趣味のおかげで、森に入った時は当たり前のように摘み、具合の悪くなった団員の役に立った。
前騎士団長は、毒草を見つけると団員の舌に少量乗せ、吐き出させると毒下しを飲ませることがよくあった。
当時は意味のない苦行だと思ったが、こんなところで役に立つなんて皮肉だ。
伯爵家に挨拶をして、宿舎でわずかな荷物をまとめていた時は、この領地でこんなに穏やかに過ごせるとは思わないでいた。
早速、聞きつけた同僚が悪意も隠さずに部屋にやって来て笑ったのを思い出す。
『フォスター、お前長生きしろよ。……みんな早死にしているもんなぁ。俺、明日から王妃様につくことになったから』
王妃の護衛なんて気疲れするだけで、休日も呼び出されるからろくに休めたことがない。
とにかく若く見てくれのいい男を侍らすのが好きな方だ。
『そうか、……お前も頑張れよ』
むしろ王に目をつけられないようにするほうが大事だと思ったが、そこは伝えなかった。
マルスランの反応が予想外だったのか、同僚は拍子抜けした顔をしていたのを思い出す。
そう簡単に死ぬつもりはないし、王都を離れる前に森に入り、役立ちそうな薬草を摘むのは忘れなかった。
シモンズ侯爵家の治めている領地はフォスター伯爵家の領地より小さいが、海があってとても美しい。
領民も生き生きとしていて、楽しそうな笑顔を浮かべていた。
だが、防備が明らかにお粗末だ。
こんな杜撰な管理では、いつ何があってもおかしくない。
ここでやれることがあるかもしれない、どうせすることもないと腐るよりいい、そうマルスランは思ったのだった。
妻となったロゼールとは食事の時しか顔を合わせない。
会話もまるで仕事の業務連絡をしているようなやりとり。
マルスランにとっては一時的に屋敷に寝に帰っているような気分で、早く離れに移りたいと思う。
なんとも気が休まらない。
彼の部屋に置かれた葡萄酒には遅効性の毒が混ぜられていて、わずかに舌に苦味が残るのだ。
彼女が油断させようと用意したのか?
じわじわと毒に犯されて、病死を装うのを狙っているのだろうか。
気づかないふりをして半量を飲んだふりして捨てているが、毎晩新しく、同じものがそこにあった。
誰が用意しているのか、屋敷にいる時間が少ないためわからない。
では毎食、薬草茶が出される意味は一体なんだというのだろう。
銀器に盛りつけられた食事は大皿から執事が同じものを取り分けている。
食事中に出される食べ物や葡萄酒が無害なのは、領主夫妻が食べきれなかったものは全て使用人達が食すからだと思う。
執事とロゼールの侍女と、その夫の料理人から渡されたもののみ安全だと言いたいのだろうが、本当にそうなのだろうか。
誰一人信用などできない。
ただ、気づいたことがある。
あの灰色の瞳は近くで見ると、やや青みがかっていて、マルスランに気づかれないようにじっと祈るように見ている時があった。
視線が合う前に瞳を伏せることもあるが、視線が絡むとそらしたほうが負けとでもいうようにじっと見つめ返す。
ロゼールの瞳を見ていると落ち着かない。
彼女は一体何を考えているのだろう。
あの瞳に浮かぶのは……。
二人の部屋を繋ぐ扉に目を向ける。
誰もいないところで話がしたい。
マルスランは扉を叩いた。
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