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しおりを挟む「私が陛下の側室……ですか?」
リサは先月十八歳になったばかりでこの世界では適齢期。
四年前にここに来てから、何の不自由なくお世話をしてくれたカレンベルク侯爵家の方たちに恩を返す時なのかもしれない。
この国の貴族令嬢はだいたい二十歳になるまでに結婚する。
日本の感覚だと結婚は早過ぎるし、側室……愛人だと思うとお腹が痛くなりそうだけど。
侯爵の説明では王妃様の提案らしい。
リサは一度深呼吸してから答えた。
「わかりました。本当に私でいいなら、お受けします」
十三歳の時に大切な家族を亡くして、親戚の家を彼らの都合でたらい回しにされた。
祖父母の元でのびのび暮らしていたリサの意見は端から折られ、色々なことを諦めた。
そんな元の世界に帰りたいとも思わないし、帰る方法もないらしい。
数十年ぶりに現れた異世界人ということでここでの待遇も悪くなかった。今のリサに特別な能力はないけれど、生まれてくる子孫は何か強い能力を持っている可能性が高いと文献に残っているらしく、期待されてるみたい。
まさか王族が相手とは思わなかったし、父が生きていたらちょうど同じくらいの三十八歳。
王様なだけあって威厳のある雰囲気だけど、話してみると面白くて楽しい。面会の時は毎回最初は緊張してしまうけど……。
「父上、さすがに年の差がありすぎますよ。六歳の殿下と婚約というわけにいかなかったのもわかりますが。……リザ、断っても問題ないよ」
侯爵家の長男マルクスがリサを気遣うように言った。彼はお酒より甘いものが好きだと言ってリサにこっそりお菓子をくれる、優しい人。見た目も色白で柔らかくておっとりしている。
「リザ、ゆっくり考えていいのよ。ただ、あなたには年上の男性のほうが合っているとは思うわ」
侯爵夫人は勧めているのかそうではないのかわかりづらいけど、強制するつもりはないみたい。
この世界のマナーや生活習慣を根気強く教えてくれた彼女は母代わりだった祖母とは違う優しさを持っている。見た目もふくよかでマルクスと似ていた。
侯爵夫人だから、時々傲慢で冷たそうな言動をとることもあるけれど、それは大切な人を守る時だけ。
リサのことは娘のように可愛がってくれた。その彼女がいうことはまあまあ当たっていると思う。
「今すぐ決めなくていいんだ。リザ」
妻を見つめて頷いた後、侯爵もそう言った。
リサの両親は幼い頃に交通事故で亡くなっているから、本当の父親というものがよくわからない。侯爵も素敵なおじ様だと思うし、年上の男性に憧れているとは思う。
父代わりだった祖父は大学教授で、偏屈でおしゃべりが止まらないおもしろい人だった。
祖父は祖父で、父ではなかったけれど。
「……王妃様が本当に嫌でなければ、私は」
王様のことは尊敬しているし、貴族の世界では政略結婚が当たり前で、恋愛は子どもを産んだ後なのだと聞いた。
この世界で生きていくなら合わせていかないと。
深く考えるよりまわりに流される方が楽だとも思う。
「まだ内々の話だし、軽々と決めることではないよ。リザは私にとって娘同然。まだここにいたらいい」
侯爵は損得勘定を優先する人ではある。
リサは祖父のおかげで向こうの世界の知識が多く、侯爵家やこの国にとって役立つと考えているから近くにいてほしいのだと思う。
でも娘と言われたのは本心じゃなくても嬉しかった。
「馬鹿馬鹿しい」
その言葉で和やかなムードが一変する。
次男で騎士団の第三隊長をしているローガーが吐き捨てるように言ったから。
侯爵家の中で一番たくましく、背が高い。ヘーゼル色の髪も瞳もほかのみんなと同じはずなのに、リサには違って見えた。
「リサを拾ったのは陛下の側室にするためじゃない。もっとちゃんと考えろ」
焼き焦がすような強い視線に、思わず身をすくめた。
視線が合うのは久しぶりで、一瞬嬉しく感じたけれど胸が締めつけられるように痛い。どうしてこんなに嫌われてしまったんだろう。
リサの言動すべてが彼の気に触るようだった。
「…………」
シンとして、誰も口を開かない。
リサも口を開きかけて言葉が出てこなかった。
その様子を見たローガーは短く息を吐き、立ち上がると何も言わずに部屋を出て行く。
きっとリサにこれ以上言葉をかける価値がないと思ったのかもしれない。
今では月に一度しか会えないローガーは、王立騎士団の寮に入っていて、また来月まで会えない。
晩餐の後の和やかな時間を過ごせるはずだったのに、この話題が出たことを恨みたくなる。
こちらに視線が向かなくても、彼と同じ空間に存在できたはずなのに。
彼だけがリサを正しい発音で呼ぶし、最初の頃は優しくて面倒見がよくて、とても良くしてくれた。
時間があればリサの話し相手になってくれたし、街にもつれて行ってくれて幸せな思い出がたくさんある。
そんな彼に惹かれて好きにならずにはいられなかった。
「リザが成人したから、私たちを通さずとも結婚できてしまう。これまで求婚者はこちらである程度はじいてきたが、今後手荒な真似をする者も現れるかもしれない。婚約者もいない今のままではよくない」
侯爵が眉間を揉みながら言う。
リサの誕生日のパーティーの終盤、物陰に連れ込まれそうになった。あの時侯爵夫人が通りかからなかったらどうなっていたのかと思うと恐ろしい。
安全なはずの侯爵家で起こったのだから。
「一人きりにならないよういつでも護衛がついていますわ。ローガーがあんなに頑なじゃなければね」
侯爵夫人がそう漏らすのは、リサが十六歳になった時、二十歳のローガーとの婚約話が出たことがあるから。
マルクスには歳の離れた婚約者がいてもうすぐ結婚するし、ローガーとリサは当時仲が良かったからうまくまとまると思ったらしい。
でも。
『俺がリサを見つけたから責任はあるが、結婚は別だ。彼女には身分の高い裕福な貴族じゃなきゃ暮らしていけないだろう』
ローガーは侯爵家の爵位は継げないけど、騎士団に所属していて経済的に問題ない。リサも向こうの世界でお嬢様でも貴族でもなかったのだけど。
お互いに少しは好意があると思っていたから、そんなことを言われて当時かなりショックを受けた。
ローガーはその後すぐ騎士団寮に入ってしまい、リサを完全に拒絶。彼のあまりの変わりようにしばらくの間一人で泣いて、混乱して嘆いたけれど、彼に恋人がいるとの噂も聞いて――。
淡い恋心は砕かれたけれど、いつまで経っても彼を想うことを諦めきれない。
それなら。
好きな人と結婚できないなら王様の側室でもいいと思ってしまった。
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