BL箸休め小話集

能登原あめ

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3 僕の恋が実った日[改稿版]

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「先輩、ずっと好きでした」

 夕暮れの薄暗い第三音楽室。
 普段は合唱部の練習に使われているこの場所は、活動日以外の火曜日と木曜日は先生に言えば借りることができる。

 下川先輩は週に一度ここへやって来て、ピアノを弾いていた。
 今日は合唱祭のための曲を練習した後、気の向くままにジャズを弾く。
 僕は木曜日の委員会議に出た後、ここに寄るのがこの頃のお決まりだ。

 最初は音に誘われて近づいて。
 気づいた先輩が、曲が終わったタイミングで僕に声をかけた。

「うえちゃん、入って来なよ」
「お邪魔じゃないですか?」
「誰も聞いていないとつまんないから」
「じゃあ、失礼します」

 うえちゃん、だなんて呼び方をするのは中学の時から知っている先輩だけ。
 大学附属の中高一貫校。
 大きな学校じゃないから、ちょっとゆるい。

 クラス委員をしている僕が、よほど真面目にみえるのか内部生だって上松と呼ぶけれど、先輩からそう呼ばれるのは特別な感じがして、くすぐったくてそのまま。

 いつも、友達に囲まれている明るい先輩がここでは一人、自然体でいる。
 そんな先輩自身も、先輩のピアノも僕が一人占めしていて、時々リクエストにも小さく笑って応えてくれた。

 みんなに囲まれている時には見せない、ちょっと大人っぽい笑い方で、うえちゃんの好みはちょっと渋いよね、ってポロポロと思い出しながら弾き始める。

 二人の間に流れる空気も穏やかで優しくて、だからつい心のうちを漏らしてしまった。

 ずっと、好きでした、と。
 とうとう恋心が溢れた。

「……うえちゃん、本当? それって、過去形なの?」

 先輩が手を止めて、僕をじっとみつめる。
 第一音楽室か、第二なのか、吹奏楽部のパート練習が何度も何度も繰り返し聞こえてきて、頭の中をぐるぐる回る。

 先輩に心の奥底までのぞかれている気分になって逃げ出したくなったけれど、気持ちにキリをつけようと、息を吐いてから口を開いた。

「先輩、好きです」

 先輩に嫌悪感丸出しの顔で見られるのが嫌ですぐに俯いた。

 気持ち悪い、とか。
 男が好きなのか、とか。
 もう顔見せるな、とか。
 きつい言葉で、はっきり振られるのを待った。

 黙ったまま近づいてくる先輩の軽い足音が、俺には死刑宣告のように重たく感じる。
 トン、と肩に手が乗った。

「それってさ。……その好きの意味って、友情? それとも……恋?」

 先輩はトドメを刺す気なのだろうか。
 顔をあげられないまま、僕は答える。
 心臓が苦しい。
 
「……下川先輩に恋しました」
「そっか……俺も好き」
「…………」

 聞こえて来た言葉が信じられない。
 揶揄うような人ではないと、そう思いたいけれど怖くてやっぱり顔が上げられない。

「うえちゃん、顔あげてよ」

 恐る恐る視線をあげる。
 ドキリとするくらい、きれいな笑顔がそこにあった。

「……っ!」
「俺、うえちゃんが大好きだよ」

 先輩の細くてきれいな指が俺の髪を撫でる。

「ずっとずっと好きで、一緒にいられるこの時間が幸せで……壊したくなくて言えなかった。……うえちゃん、男前だな。……すごく、かっこいい」

 何を言われているのか、よくわからない。
 かっこよくて、きれいなのは先輩のほうなのに。
 ずっとずっと憧れていた存在。
 
「……今、夢を見てるのでしょうか?」
「夢じゃないよ。夢になんてさせない。……俺とつき合って」

 ますます蕩けるような笑みを見せるから、僕は見惚れて頷いた。

「……はい」

 僕の恋が実った日、いつの間にか先輩より背が伸びていたことを知った。
 







 
 中学の合唱祭は面倒くさいと思っていた。
 一年生は二クラス。
 一クラス二十数名、声を出すなんてカッコ悪いと思っている奴に声変わりで声の出ない奴、真面目に歌う奴は少数派。

 僕はクラス委員で、指揮者を押しつけられたから、それがよくわかる。
 担任が金賞を目指そうだなんて言うから、厄介で。
 合唱祭当日は、一番に終わってほっとして席についた。

 二年生も似たようなものだと、そう思ったけれど。
 二クラス目の、ピアノ奏者に僕は釘付けになった。

 薄茶色の髪は地毛で、校内でも目立つ。
 いつも派手な友達に囲まれて大騒ぎして、先生に叱られている姿を見かけたこともあるから、どちらかと言えば苦手な類い。
 それなのに真剣な顔をして、なめらかにピアノを弾く姿はそれまでの印象と全く違って引き込まれた。

 ただの合唱曲。
 声は大きいけど、バラバラでうまくもない。  
 そんな状況の中でピアノだけがものすごく心に響いて泣きそうになるなんて。
 ぐっと拳を握り、爪を立てる。
 痛みで涙がひっこむように。


 合唱祭が終われば、その時感じた気持ちもだんだん薄れていった。
 いつもの日常に戻り、たんたんと学校生活を過ごす。

 あの時感じたものはなんだったのだろう。
 気のせいだ。
  
 そう思えるようになった翌年の学園祭で、校門に立てる大きなアーチをあの先輩と一緒に作ることになった。
 全学年のクラスから数名ずつ、部活をやっていない生徒が集められるのは、この学校の伝統で、翌年誰も知らないなんてことがないように考えているらしい。

 木材を組み立てて作り、後夜祭に燃やす。
 アーチは正直地味だけど、燃やしてしまうのはやり切った感があってスッキリした。

 ここでようやく、しもと呼ばれるあの人が下川という名で、いかにも陽キャという雰囲気だけど誰にでも気さくで細やかな気配りができる人だと知った。
 きっと要領よく仕事をさぼるんだろうな、なんて勝手な思い込みをしていた僕にも、彼は助けてくれた。

『クラス委員の仕事もあるだろ? そんなに抱え込まなくても、ほかの暇そうなやつに任せちゃえよ』
『……はい、ありがとうございます』

 そう言いながら仕事を割り振り、人一倍働く。
 アーチの担当の責任者はべつにいて、しっかりしていたのだけど。
 
 案外真面目で、ピアノも弾けて。
 まじまじと先輩の手を見る。
 指が長くて細くてきれい、だけどそれほど大きな手じゃない。

「……ピアノ、ずっと習っているんですか?」
「んー。まぁね。今はクラシックはやめてポップスとか他をやらせてもらっているけど」
「そうなんですか……じゃあ、今年の合唱祭も……?」
「多分ね。歌わなくてすむし……音痴なわけじゃねぇよ」

 僕の中で浮かんだ疑問を先に答えて、笑った。

「うえちゃんさ。結構、顔に出るんだな」

 うえちゃん?
 馴れ馴れしいと感じてもおかしくないのに先輩が屈託なく笑うから、つられて笑った。

「なんだ、笑えるじゃん」
「……普通に、笑いますよ」
「……そっか。うえちゃんて、おもしろいな」

 それから学園祭が無事終わってからも、目が合えば挨拶するし、帰りにばったり会えば途中まで帰るくらいには仲良くなった。  

 先輩の中学最後の合唱祭のピアノは、周りは平然としているのに、僕はやっぱり心臓がぎゅっと掴まれるようなそんな音色に感じて、泣きたくなった。
 先輩のピアノは、特別だ。
 





「帰ろっか」

 先輩がそう言って、僕に背を向けた。
 柔らかそうな薄茶色の髪に無性に触れたくなったけれど、ぎゅっと拳を握る。
 
「窓、閉めますね」

 僕は大股で部屋の奥に向かい、わずかに開いた窓を閉め鍵をかけてカーテンを閉める。
 先輩はピアノ周辺を片づけた後、前から戸締りする。
 最後の窓を僕が閉じ先輩がカーテンを閉めた。
 二人の距離が近づいて、なんだか急に恥ずかしくなる。

「うえちゃん」
 
 その場に縫い止められたように動けなくなってしまった僕の名を、柔らかい声で呼ぶ。
 
 先輩の声が甘い。
 ゆっくりと顔を向けるとかすめるように唇が触れた。

「い、今のは……」

 一瞬で顔が熱くなる。
 至近距離に先輩の顔。
 薄暗い中でじっと見つめられて、どうしていいか、どんな顔をしていいのかわからない。
 体を逸らそうとした僕の腕をぎゅっと掴む。

「……キス、いやだった?」
「嫌、じゃ、ないです……」

 一体何を言わされているのか。
 先輩の顔を見ていられなくて、視線を下げる。

「そう、ならよかった。……うえちゃん、好きだよ」

 先輩がそっとささやくように言って、小さく息を吐く。
 緊張しているのは、僕だけじゃないのかもしれない。
 ただ息を吸うだけのことが苦しくて満足にできなかった。

 先輩に好きです、ともっと伝えたいのに。
 そんな僕の両手をとって、握る。
 
「やばい……これ、現実だよな」
「下川先輩」
「……その呼び方、他人行儀過ぎ。しもでいいよ」
「……し、しも先輩」
「なに?」

 一度ぎゅっと目を閉じてから顔を上げる。
 薄暗闇の中で、視線が絡んだ。
 ほんの少し口角が上がるのが見えて、口から心臓が飛び出しそうになりながら、言葉にする。

「しも先輩、好きです」
「うん」

 もう一回、キスしよう?

 先輩のきれいな顔が近づいて、僕はそれをぼんやりとみつめる。
 お互いの吐息がかかるくらい近づいて、慌てて僕は目を閉じた。

「好きだよ」

 唇が重なる直前にピタリと動きを止めてそれだけ言うとさっきより確実に、長い時間とどまった。

「……ぷはっ、……しも、せんぱっ……!」

 息を止めていた僕は、苦しくなって頭を後ろに逸らす。

「……うえちゃん。可愛いな」
「先輩は経験が、あるんですか?」

 余裕のある様子に焼きもちを焼いてしまうのは仕方ない。

「キスはしたことある、エミと」

 エミ?元カノ?
 なんだか胸が痛い。

「うちの犬な。エミリーっていうの」

 揶揄われていることに気づいて、思わず睨んだ。

「うえちゃんは可愛い……もう一度」

 悔しくて先輩の肩に手をのせて自分から唇を押しつける。
 すると、勢いよく離れた先輩がくるりと背を向けて歩き出した。
 
「……帰るぞ」

 先輩が照れている。
 自分からするのはよくて、人からされるのは恥ずかしいということ?
 僕はなぜかたまらなくなって、後ろからぎゅっと抱きしめた。

 驚いた先輩がその場に立ち止まる。
 自分のか先輩のかわからない速い心音と、体温が伝わってきて離れたくない。 
 離したくない。

「…………」

 それに、無言でいられるとこの後どうしていいかわからない。
 まだしばらくこのままでいていいのだろうか。
 
「離せよ」

 先輩が僕の腕から抜け出した時、幸せも失った気がして胸が苦しい。
 僕の顔を見て、ほんの少し首を傾げた後、正面から抱きしめられた。

「……こっちのほうがいい」

 そう言って、ほっと息を吐く。
 先輩のほうが、可愛い。

「このほうが落ち着く。……お互い、心臓バクバク言ってっけど」

 ははっ、と短く笑う先輩の背中に腕を回して強く抱きしめ返した。

 僕の恋が実った日。
 幸せ過ぎて胸が痛い。
 キスもこうして抱き合うのも、その先も全て先輩がいい。
 たくさん想いを伝えたいのに、僕の口から飛び出したのはたった一言だけ。

「先輩、好きです」

 





 ***


 雨音が聞こえる。
 背中に先輩の体温を感じながら僕は目を覚ました。
 腰に回された腕の重みが心地いい。

 そうだ、さっき先輩と……。

「……うえちゃん、今夜泊まっていけば?」

 俺は恥ずかしくて目を閉じ、寝たフリをする。

「…………あれ?」

 マットレスに手をついて、多分僕をのぞき込んでいるのだと思う。
 僕の顔にかかった髪を後ろに撫でつけ、頬に息がかかったと思ったらキスされた。

「好き」

 嬉しいけどまだ恥ずかしくて、目を開けるタイミングを逃した。
 このままどうしたらいいんだろう。

 そのままでいると、剥き出しの肩にも先輩が口づけを落とし、がぶりと噛んだ。
 それも、強く。

「……っ!」
「うえちゃん。可愛い。まぶたがぷるぷるしてるよ」

 狸寝入りはあっさり見抜かれて、仰向けになった僕を上から抱きしめた。
 渋々目を開けると、嬉しそうに笑っている。

「今夜、泊まっていきなよ。父ちゃんも兄ちゃんも飲み会でいないし、母ちゃんからLI INEがあってピザでもとろうって。……雨も降っているし、俺は泊まっていって欲しい」

 それは少し気まずい。
 何度か先輩の母親とは会ったことがあるけれど、今、後ろめたいのは二人きりで初めてベッドで過ごした後だからだと思う。

「母ちゃん、お前のこと気に入ってるしさ。……うえちゃん? 体ダルい?」

 心配そうな声に、僕は首を横に振った。

「大丈夫、です。先輩、は? 大丈夫、ですか?」
「ウン。風呂、一緒に入ろっか?」
「……ダメです、無理です、恥ずかしいです」

 恥ずかしいこと、したのに?

 そう言って笑うから布団から腕を出して先輩を抱きしめ、反転した。

「あれ? もう一回したい?」

 蕩けるような笑みに僕は先輩をきつく抱きしめて固まる。
 そういうつもりではなかったのだけど。

「ねぇ、うえちゃん。元気になっちゃった?」
「……違い、ますよ」
「そっか」

 にへらっと笑って、僕の後頭部を押さえて唇を重ねた。

「……!」
「やっぱりもう一回……母ちゃん、まだ帰ってこないから」
「もうダメです! 壊れちゃいます。大事にしないと」

 僕の言葉に先輩が真っ赤になる。

「うえちゃんの言いかたぁ……そうだけどさ。そうだよな」

 つられて赤くなってしまうのは仕方ない。
 お互いに初めてで、見せたことのないところまで晒して、感じたことのない気持ちを覚えて、最終的にお互いが大切だって気づいて、満たされて。
 結局名残惜しくて、僕は泊まらせてもらうことにした。
 
「じゃあ、さ。とりあえずうえちゃん先な? がんばったんだし。お客様が先! きっと母ちゃんもそう言うよ」
「……がんばった、って。……先輩こそ、言いかたが、ちょっと……その、ないです」
「ほら、先にどうぞ」






 僕が戻ると、気怠げにベッドに横になっていた先輩がスマホ片手に言った。

「母ちゃんが残業になっちゃったから、先に食べてって。明太子のピザと他のを一枚残してくれればいいってさ。だから、四種類のピザに決めちゃったよ」

 先輩の母親との顔を合わせがのびてほっとした。
 明日の朝には、多分まともな顔ができるはず。

「はい。ありがとうございます」
「いいって。カタいなー……そこもイイけど。じゃあ、風呂入ってくるからゆっくりしていて」

 先輩と入れ替わるようにベッドに転がる。
 先輩が小さく笑って僕の頭を撫でた。
 
「このまま、一緒にいられるのが嬉しい。俺のベッドにいるのも」

 色々と思い出して、恥ずかしい。
 欲に溺れてとんでもないことを口走った記憶もある。
 僕はうつ伏せになって顔を隠した。

「先輩、早く風呂に入って、ゆっくり浸かってきて下さい」
「うん。……待ってて」
「……はい」
 
 先輩の匂いのするベッド。
 横になっているうちに、うとうとして眠ってしまったらしい。
 気づいた時には先輩が隣にいて、僕の右手を握っていた。

「……しも、先輩」

 寝起きで掠れた、間抜けな声。
 きゅっと右手が握り込まれた。

「うえちゃん、これ飲んで」

 緩くなった麦茶。
 僕はどれだけ眠っていたのだろう。
 起こしてくれたらよかったのに。

「ありがとう、ございます」
「ん。ピザ、食べれる?」
「はい」
 
 ほんのり温かいピザを炭酸を飲みながら向かい合って食べる。
 こんな日が来るなんて中学生の頃は想像できなかった。
 
「さっき、寝ちゃったからしばらく眠れないよな?」
「はい」
「じゃあ、眠くなるまでつき合って」
「……はい、いくらでも。先輩の好きなだけ」

 そう言うと、先輩の顔が少し赤くなった。 
 そんな表情をさせるようなことは何も言っていないと思うのだけど。
 今日は先輩を深く知ることができて幸せだ。







******


 お読みくださりありがとうございました。
 大人になった二人を書きたかったのですが、攻受をはっきりさせることに迷い……とりあえずここまでとなってます。
(この先サラリーマンとなった二人は同棲の予定)
 
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