【新編】オン・ユア・マーク

笑里

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リスペクト

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 風花は、ミオや先輩たちが負けてもあまり悔しそうな態度を見せないことに、どうも釈然としなかった。負けたのは自分が勝てなかったからだ。それは自分でも痛いほどわかっている。でも、みんながそれほど悔しそうじゃないのは、上本先輩が負けた時点で、きっとみんなの気持ちの中では試合は終わってたんだ。
 もともと上本先輩が相手から狙い撃ちされることは想定内で、逆に海潮高は孝太か自分のどちらかが勝てれば準決勝に進出できたはず。そして、勝ちが期待できたのはC級を相手にしていた自分だったのに、みんなには自分は最初から期待されていなかったということ——
 でも、あのとき「ふ」の音はあきらかに相手より聞けてた。あの1枚を抜いてたら、試合はまだわからなかったんじゃないの? みんなをあっと言わせられたんじゃないの? 
 そんな悔しさだけが残って、その夜はあまり眠れなかった風花だった。

 次の日の朝、寝不足と前日広島まで遠征したこともあり、少し疲れが抜けていない気がした。一瞬は朝練は休もうかと思ったが、せっかく毎日続けてきたことを止めるのも後悔しそうだ。
 それに、今日もたぶん来てるはずだし——
 風花は孝太の顔がふとよぎって、しかたなくゴソゴソとベッドを抜け出していつものTシャツとトレーナーに着替え、少し短めの髪を後ろにゴムで縛った。

「あら、疲れてるんじゃないの? 試合のあった翌日ぐらい休めばいいのに」
 玄関でスニーカーの紐を結んでると、後ろから祖母に声をかけられた。
「大丈夫。軽く体を動かしてくるだけだから」
 心配しないで。風花は笑って軽く首を振った。
「あらそう? でも毎日熱心よね。まるでデートにでも行くみたい」
 ドキッとした。実はまだ孝太と待ち合わせてることは、祖母には言ってなかったのだ。
「そんなんじゃないよ。毎日だから、もう決まった時間に自然に目が覚めちゃってるだけだよ」
「朝が早いのはお年寄りって決まってるのよ。風花もおばあちゃんだ」
 祖母が笑う。
「やだあ。大人になったって言って。じゃ、いってきまーす」
 これ以上話してたら、孝太が待っているのがバレそう。やばいやばい。
「はい。楽しんでおいで」
 祖母の声を背中で聞きながら、ちょっと言葉に違和感を感じた。
 楽しんで……あれ? もしかして何かバレてる?

 いつもの坂道をとことこと下ると、いつものように孝太がいる。
「おはよ」右手を軽く上げると、孝太も「おっ」と右手を上げた。
 風花が軽くストレッチをしてアキレス腱を伸ばしながら孝太を見ると、昨日の敗戦は引きずってないのか、やけにさっぱりとしているように感じる。もしかして孝太も昨日の負けはしかたないと思ってるんだろうか。
 一方で、風花は昨日からまだ引きずっている。どうもスッキリしないのだ。小さい頃から取り組んだ水泳で、負けていいなんて思ったことがなかった。競技かるたの人たちは、そんなことはないんだろうか。
 じっと孝太を見る。孝太も風花の視線に気がついたようで、「なに?」という眉をちょっと上げた顔。
 孝太と視線が合い、不意にポロッと涙が風花の頬を伝った。
 ああ私は、それほど悔しかったんだ。あんなに一生懸命に練習をしたのに、誰からも期待されてなかったことに、昨日からとても悔しかった。今、こんな気持ちを素直に吐き出せるのは、きっと毎日一緒に練習をしてきた彼だけで——
「孝太君、私、悔しい——」
 それ以上は言葉にできなかった。両手で顔を覆い、風花は泣きながらその場にしゃがみ込んだ。
 すぐ横に孝太がしゃがんだ。しばらくなにも言わなかった。
 風花が泣きやむのを待っていたのか、孝太がポンと肩を叩いて「ちょっと座ろうか」という。風花たちがいる場所の道路脇にちょうど人が座れる大きさの石垣があった。
 この坂道の両脇に住んでいる人——主にお年寄り——たちが、坂の途中にある民家の石垣やブロックに腰掛けておしゃべりをしているのをよく見かける。しかも誰もそれを咎めるものもいない。この急坂周辺に住む人々の、互いに助け合うための知恵なのだろう。

 2人で並んで石に腰掛け、風花は昨日からずっと抱えてきた思いを孝太に打ち明けた。自分は戦力外だったことに気がついた、と。
「僕もな、昇華高校と練習試合をしたときに負けたのが悔しくてなあ」孝太が少し曇りがかった空を見上げた。「そしたら、家に帰ってミオからしこたま怒られた」
「えっ、なんで」
 なんで怒られることになるのか、風花にはわからない。
「あんたはまた相手をリスペクトしてないのかって」孝太は今度は地面に視線を落とした。「中学んときから、全然成長してないって」
 そう言って、孝太は頭を掻いた。
「競技やってたら、相手に負けたら悔しいのは当たり前じゃないの? 逆に悔しくない気持ちが私にはわかんない」
「実はさ、去年の全中の大会で簡単に予選で負けてさ。もう悔しくて悔しくて、誰にも会いたくなくて、違う競技会場に紛れ込んでがっつりと落ち込んだんだよ、僕は」ポツポツと話を続ける。
「尾道に帰ってきて、しばらく立ち直れなかったんだけど、そんときもミオが、かるたをやる人は、負けた後にちゃんと礼をするんだよ。陸上も一緒じゃないの、って」
 それはそうだけど、勝ち負けは自分の努力じゃん。
「僕たちがやってるのはさ、個人競技だろ? でも、ミオが言うんだ。個人競技だって、一緒に競う人がいて競技が成り立つんでしょ? 相手の努力は認めないの? 自分より努力した人がいるって認めないの?」
 孝太が少し裏声を使って、ミオの口調の真似をした。これが結構似てた。さすが幼馴染だ。
 風花は泣いていたことを忘れて、プッと吹き出してしまった。
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