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New York state of mind
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「今日から学校へ行ってくる」
唐突に圭が言った。ステラを交えて朝食を3人で食べていた4月の朝のことだ。
「そう、車に気をつけてね」
努めて平静を保ちながらステラが先に返事をした。圭司も一緒ににこりと微笑んで、それ以上は「何も気にしてない」という素振りでまたコーヒーをゆっくりと飲む。
「うん」と圭は一言だけ返事をして、早々に食事をすませると学校へ行く準備を始めた。
圭はこれからのことをどう考えているのか、まだ圭司とステラには何も言ってこないのだが、とにかく焦らすのだけはやめようと二人で話していた矢先のことだった。
その頃、圭にどんな心境の変化があったのかはわからない。だが、先日領事館から持って帰ってきた学校案内のパンフレットがボロボロに傷んでいる。きっと何度も取り出して読み直していたのだろう。
⌘
その日は案外と早くきた。
「圭司は——」
学校に行き出してしばらくしたある日の夕方のこと。ピアノの練習をしていた圭がすぐ近くで本を読んでいた圭司に話しかけようとしたが、すぐに口をつぐんだ。
「うん? 何?」
読みかけの本を下ろして圭を見ると、視線が所在なげに彷徨っている。
「圭、遠慮しなくていいから、考えてることを言ってごらん」——急かさないように。
「たとえば、たとえばなんだけどね、圭司は私が違う国——たとえば日本へ行ったら、寂しい?」圭はしばらく躊躇っていたが、意を決したように口を開いた。
——きたか。
「もちろん寂しいさ。それがどうかしたかい」
「ううん、なんでもないの。聞いてみただけ」
圭はそう言ってから視線を逸らし、指で鍵盤をひとつ「ポーン」と弾いた。
——踏み込んでみるか。
「だけどね、それ以上にワクワクするんだよな」
圭司がそう言うと、圭は「意味がわからない」という顔で再びこちらへ視線を向けた。
「寂しいのは本当さ。でもね、圭が自分で考えて新しい未来に歩み出そうとしてるんだ。寂しい以上に、想像するだけでうれしくてワクワクするよ」
圭司がそう言うと圭は大きく目を見開いた。
「じゃあさ、圭司は日本に帰りたいとか思わないの?」
「そうだな……。俺が今住むところはここだからね。これからもここで暮らすよ」
「帰らなくて寂しくない?」
「いや、全然寂しくはないよ。日本は俺にとって大事な場所だし、日本での思い出は俺の宝物だから、ずっと心の中にあって、それはいつまでも消えることはないんだよ」
「心の中……」
「そう。何年離れていても、どこに住んでいても、その人にとって一番大事なものはずっと心の中に深く刻み込まれて決してなくならないのさ。そしてな、今の俺にとってニューヨークのこの場所は、圭やステラとたくさんの大事な時間を過ごした大切な場所だ。もし圭が自分で選んだ人生を歩むためにここから遠くで暮らすことになったとしても、この場所が3人の心をずっと繋いでいてくれると信じてるんだよ。だから、寂しさよりも圭がどんな人生を歩き出すのか、楽しみの方が大きいんだ。圭はそうじゃないのかい?」
圭司がそう言うと、圭は立ち上がり黙って圭司の背中から首へ腕を絡め、左の肩へ顔を押しつけた。
「私、やっぱり高校に行きたい」
「うん」
「圭司が生まれた国へ行ってみたいって言ってもいい? あの学校へ行きたいって言ってもいい?」
「もちろんだ。喜んで応援するよ」圭太はそう言って圭の腕をそっと撫でると、圭は腕にギュッと力を込めて言った。
「ありがとう——I love you……ダディ」
その瞬間、圭司は胸がカッと熱くなるのを感じた。これはなんという不意打ちだ。「ダディ」という言葉に、まさか自分の心がこんな反応をするなんて——
行きたい希望があっても、試験か面接は必ず必要だろう。まずは、ちゃんと調べて進学の準備をしようと二人で話をしているところへ、裏口の扉が開く音がした。買い物に出ていたステラが帰ってきたようだ。すると圭が圭司の耳元で、囁くように、
「それから、ステラはまだマミィと呼んじゃダメ?」
と言って、いたずらっ子のように笑ったのだった。
——相変わらずのマセガキめ。
唐突に圭が言った。ステラを交えて朝食を3人で食べていた4月の朝のことだ。
「そう、車に気をつけてね」
努めて平静を保ちながらステラが先に返事をした。圭司も一緒ににこりと微笑んで、それ以上は「何も気にしてない」という素振りでまたコーヒーをゆっくりと飲む。
「うん」と圭は一言だけ返事をして、早々に食事をすませると学校へ行く準備を始めた。
圭はこれからのことをどう考えているのか、まだ圭司とステラには何も言ってこないのだが、とにかく焦らすのだけはやめようと二人で話していた矢先のことだった。
その頃、圭にどんな心境の変化があったのかはわからない。だが、先日領事館から持って帰ってきた学校案内のパンフレットがボロボロに傷んでいる。きっと何度も取り出して読み直していたのだろう。
⌘
その日は案外と早くきた。
「圭司は——」
学校に行き出してしばらくしたある日の夕方のこと。ピアノの練習をしていた圭がすぐ近くで本を読んでいた圭司に話しかけようとしたが、すぐに口をつぐんだ。
「うん? 何?」
読みかけの本を下ろして圭を見ると、視線が所在なげに彷徨っている。
「圭、遠慮しなくていいから、考えてることを言ってごらん」——急かさないように。
「たとえば、たとえばなんだけどね、圭司は私が違う国——たとえば日本へ行ったら、寂しい?」圭はしばらく躊躇っていたが、意を決したように口を開いた。
——きたか。
「もちろん寂しいさ。それがどうかしたかい」
「ううん、なんでもないの。聞いてみただけ」
圭はそう言ってから視線を逸らし、指で鍵盤をひとつ「ポーン」と弾いた。
——踏み込んでみるか。
「だけどね、それ以上にワクワクするんだよな」
圭司がそう言うと、圭は「意味がわからない」という顔で再びこちらへ視線を向けた。
「寂しいのは本当さ。でもね、圭が自分で考えて新しい未来に歩み出そうとしてるんだ。寂しい以上に、想像するだけでうれしくてワクワクするよ」
圭司がそう言うと圭は大きく目を見開いた。
「じゃあさ、圭司は日本に帰りたいとか思わないの?」
「そうだな……。俺が今住むところはここだからね。これからもここで暮らすよ」
「帰らなくて寂しくない?」
「いや、全然寂しくはないよ。日本は俺にとって大事な場所だし、日本での思い出は俺の宝物だから、ずっと心の中にあって、それはいつまでも消えることはないんだよ」
「心の中……」
「そう。何年離れていても、どこに住んでいても、その人にとって一番大事なものはずっと心の中に深く刻み込まれて決してなくならないのさ。そしてな、今の俺にとってニューヨークのこの場所は、圭やステラとたくさんの大事な時間を過ごした大切な場所だ。もし圭が自分で選んだ人生を歩むためにここから遠くで暮らすことになったとしても、この場所が3人の心をずっと繋いでいてくれると信じてるんだよ。だから、寂しさよりも圭がどんな人生を歩き出すのか、楽しみの方が大きいんだ。圭はそうじゃないのかい?」
圭司がそう言うと、圭は立ち上がり黙って圭司の背中から首へ腕を絡め、左の肩へ顔を押しつけた。
「私、やっぱり高校に行きたい」
「うん」
「圭司が生まれた国へ行ってみたいって言ってもいい? あの学校へ行きたいって言ってもいい?」
「もちろんだ。喜んで応援するよ」圭太はそう言って圭の腕をそっと撫でると、圭は腕にギュッと力を込めて言った。
「ありがとう——I love you……ダディ」
その瞬間、圭司は胸がカッと熱くなるのを感じた。これはなんという不意打ちだ。「ダディ」という言葉に、まさか自分の心がこんな反応をするなんて——
行きたい希望があっても、試験か面接は必ず必要だろう。まずは、ちゃんと調べて進学の準備をしようと二人で話をしているところへ、裏口の扉が開く音がした。買い物に出ていたステラが帰ってきたようだ。すると圭が圭司の耳元で、囁くように、
「それから、ステラはまだマミィと呼んじゃダメ?」
と言って、いたずらっ子のように笑ったのだった。
——相変わらずのマセガキめ。
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