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別れ
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翌日の土曜日、圭司が目を覚ましたのは十時を過ぎた頃だった。ぼんやりとした頭でリビングへ降りると、ステラがソファでウトウトとしていたが、圭司に気がついて「おはよう」と微笑んだ。
「圭はもう仕事に行っちゃったよ」
ステラは日本に滞在する間、圭司の両親が横浜に帰ってきた時に使うダブルのベッドで圭と一緒に寝ていたので毎日遅くまで話をしていたようだ。
「なんか言ってなかったかい」とさりげなく水を向けてみる。
「なんかって?」
「いや、なんでもない」
圭の様子が気にならないわけがない。だが、気にしたからといって、今は何も変えることはできないことに気がついていた。
どうやら朝まで飲んでいたせいで、圭太も車は運転できる状態ではなかったらしい。姉だという事務所のマネージャーの恵さんが気を利かせて車の迎えを寄越してくれたということだ。
でも、圭司さんと圭って、なんか似てますよね——
昨夜、圭太はグラスを傾けながらそう言った。少しドキッとした。
「そうか? 長く一緒に暮らしてると似てくるのかもな」
そう答えてごまかした。
どうすかね——
何か言いたげな、だが涼しい顔で圭太がいう。なかなか感のいい奴め。
圭と紗英が似ているということは間違いない。おそらく二人を知っている人なら皆そういうだろう。だが、圭の顔しか知らない人間——例えば圭太などから見ると、圭司と圭はとても似て見えるらしい。ステラも圭に初めて会った時にそう言った。
だが、圭が紗英にも俺にも似てるなら、俺と紗英も似ているってことになりゃしないか。ロジックの答えがそこにたどり着いて、いやいや、それは流石にあり得ねえ——と心の中で全力で打ち消した。
そのとき圭太が何を感じていたのか知らない。だが、今の圭に、一番近くにいてくれるのはこの男だ。託すしかない。これからもよろしく頼む、別れ際にそう言って圭司は頭を下げた。
圭司とステラが日本にいるのもあと一日だった。だからこそもう一度、圭とはちゃんと話をするべきだと思っていた圭司だったが——結局その夜、圭は家に帰ってこず、後ろ髪を引かれる思いで日曜日に日本を離れることになったのだった。
⌘
「帰らなくていいのか」
土曜日の仕事が終わり、圭太がそういうと、圭は大きく首を横に振った。圭は事務所の近くのホテルをとっていた。だいぶ遅くはなったが、横浜だから今から帰っても、まだ圭司たちに会う時間は作れるはずだ。しかし今日は帰らないくていいというのでロビーまで送ってきたところだった。
「いいの、いいの。気にしないで」
「いや、だけどさ、またしばらく会えなくなるんだろう? 圭司さん、少し寂しそうだったぞ」
——よろしく頼む。
ふと昨日の圭司の言葉を思い出していた。
「だから、いいんだってば。あっ、それよりもね新しい曲を作ったの。少して直しして明日にはできてるから、最初に聴いてくれる?」
なぜだか、圭が話をはぐらかそうとしているようにも感じたが。
「そりゃあ、別に構わないが」
「結構自信作なの。楽しみにしてて」
圭はそういうと、圭太にハグをして「じゃあ、また明日」と左手を振った。その時、ホテルの道路に面した大きなガラスの向こう、圭太の視界の片隅で一瞬何かが光ったような気がして、光った方にじっと目を凝らしたが、それ以上特に変わった様子もなかった。
——気のせいか
気を取り直し、フロントで手続きをしている圭がエレベーターに乗り込むまで目で追って、ホテルを後にした。
飛行機の窓から日本が遠ざかって行く。圭とちゃんと話をできないままだったことを圭司は悔やんでいた。だが、それも仕方ないと納得しなければならないのだろう。
思い出して胸ポケットに入っているものを取り出した。紗英の使っていた薄い桜色のリップだ。DNA鑑定をするために紗英の母親にお願いして、紗英の部屋から持ち出したものだった。それを右手で摘んでクルクルと弄びながら、圭とのこれからのことで物思いに耽っている圭司を、何か言いたげにステラが見ていたことに全く気がついていなかった圭司だった。
日曜日の仕事は夕方に終わった。朝菊池から言われていたので、圭を横浜に送り届けてから事務所にバンドメンバーと一緒に圭太が顔を出すと、菊池が「ちょっとこっちに集まって」と呼ぶので、応接室のソファにテーブルを囲むように皆で座った。
「なんすか」
呼んでおきながら、なかなか話を切り出さない菊池に水を向けると、
「めぐちゃん、あれを——」
と傍にいる圭太の姉の恵に声をかけると、彼女は持っていたバッグから書類の束を取り出してテーブルに置いた。ムーさんがサッと手を出して最初の紙を捲ると、白黒の、週刊誌の見開きページのコピーのようだった。
暴かれたロック少女の闇——
白抜きの大きな文字が2ページ分打ち抜きで踊っていた。
「これは?」
テーブルに置いたままサッと記事に目を通したムーさんが、少し怒ったような顔で真っ先に口を開いた。圭太は少し自分に引き寄せて、頭から読み直してみる。
「明日発売の、週刊日日の特集記事だ。もちろん捏造ゴシップ記事さ」
菊池がぽつりと言った。
「これ、明らかに圭ちゃんのことですよね。なんでこんな……」
悪い、どうしても記事が出るのを止められなかったんだ。うちの事務所が力がないばかりに——
菊池が消え入りそうな声で、テーブルに額をこすりつけんばかりに、メンバーに向かって頭を下げた。
「圭はもう仕事に行っちゃったよ」
ステラは日本に滞在する間、圭司の両親が横浜に帰ってきた時に使うダブルのベッドで圭と一緒に寝ていたので毎日遅くまで話をしていたようだ。
「なんか言ってなかったかい」とさりげなく水を向けてみる。
「なんかって?」
「いや、なんでもない」
圭の様子が気にならないわけがない。だが、気にしたからといって、今は何も変えることはできないことに気がついていた。
どうやら朝まで飲んでいたせいで、圭太も車は運転できる状態ではなかったらしい。姉だという事務所のマネージャーの恵さんが気を利かせて車の迎えを寄越してくれたということだ。
でも、圭司さんと圭って、なんか似てますよね——
昨夜、圭太はグラスを傾けながらそう言った。少しドキッとした。
「そうか? 長く一緒に暮らしてると似てくるのかもな」
そう答えてごまかした。
どうすかね——
何か言いたげな、だが涼しい顔で圭太がいう。なかなか感のいい奴め。
圭と紗英が似ているということは間違いない。おそらく二人を知っている人なら皆そういうだろう。だが、圭の顔しか知らない人間——例えば圭太などから見ると、圭司と圭はとても似て見えるらしい。ステラも圭に初めて会った時にそう言った。
だが、圭が紗英にも俺にも似てるなら、俺と紗英も似ているってことになりゃしないか。ロジックの答えがそこにたどり着いて、いやいや、それは流石にあり得ねえ——と心の中で全力で打ち消した。
そのとき圭太が何を感じていたのか知らない。だが、今の圭に、一番近くにいてくれるのはこの男だ。託すしかない。これからもよろしく頼む、別れ際にそう言って圭司は頭を下げた。
圭司とステラが日本にいるのもあと一日だった。だからこそもう一度、圭とはちゃんと話をするべきだと思っていた圭司だったが——結局その夜、圭は家に帰ってこず、後ろ髪を引かれる思いで日曜日に日本を離れることになったのだった。
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「帰らなくていいのか」
土曜日の仕事が終わり、圭太がそういうと、圭は大きく首を横に振った。圭は事務所の近くのホテルをとっていた。だいぶ遅くはなったが、横浜だから今から帰っても、まだ圭司たちに会う時間は作れるはずだ。しかし今日は帰らないくていいというのでロビーまで送ってきたところだった。
「いいの、いいの。気にしないで」
「いや、だけどさ、またしばらく会えなくなるんだろう? 圭司さん、少し寂しそうだったぞ」
——よろしく頼む。
ふと昨日の圭司の言葉を思い出していた。
「だから、いいんだってば。あっ、それよりもね新しい曲を作ったの。少して直しして明日にはできてるから、最初に聴いてくれる?」
なぜだか、圭が話をはぐらかそうとしているようにも感じたが。
「そりゃあ、別に構わないが」
「結構自信作なの。楽しみにしてて」
圭はそういうと、圭太にハグをして「じゃあ、また明日」と左手を振った。その時、ホテルの道路に面した大きなガラスの向こう、圭太の視界の片隅で一瞬何かが光ったような気がして、光った方にじっと目を凝らしたが、それ以上特に変わった様子もなかった。
——気のせいか
気を取り直し、フロントで手続きをしている圭がエレベーターに乗り込むまで目で追って、ホテルを後にした。
飛行機の窓から日本が遠ざかって行く。圭とちゃんと話をできないままだったことを圭司は悔やんでいた。だが、それも仕方ないと納得しなければならないのだろう。
思い出して胸ポケットに入っているものを取り出した。紗英の使っていた薄い桜色のリップだ。DNA鑑定をするために紗英の母親にお願いして、紗英の部屋から持ち出したものだった。それを右手で摘んでクルクルと弄びながら、圭とのこれからのことで物思いに耽っている圭司を、何か言いたげにステラが見ていたことに全く気がついていなかった圭司だった。
日曜日の仕事は夕方に終わった。朝菊池から言われていたので、圭を横浜に送り届けてから事務所にバンドメンバーと一緒に圭太が顔を出すと、菊池が「ちょっとこっちに集まって」と呼ぶので、応接室のソファにテーブルを囲むように皆で座った。
「なんすか」
呼んでおきながら、なかなか話を切り出さない菊池に水を向けると、
「めぐちゃん、あれを——」
と傍にいる圭太の姉の恵に声をかけると、彼女は持っていたバッグから書類の束を取り出してテーブルに置いた。ムーさんがサッと手を出して最初の紙を捲ると、白黒の、週刊誌の見開きページのコピーのようだった。
暴かれたロック少女の闇——
白抜きの大きな文字が2ページ分打ち抜きで踊っていた。
「これは?」
テーブルに置いたままサッと記事に目を通したムーさんが、少し怒ったような顔で真っ先に口を開いた。圭太は少し自分に引き寄せて、頭から読み直してみる。
「明日発売の、週刊日日の特集記事だ。もちろん捏造ゴシップ記事さ」
菊池がぽつりと言った。
「これ、明らかに圭ちゃんのことですよね。なんでこんな……」
悪い、どうしても記事が出るのを止められなかったんだ。うちの事務所が力がないばかりに——
菊池が消え入りそうな声で、テーブルに額をこすりつけんばかりに、メンバーに向かって頭を下げた。
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