シング 神さまの指先

笑里

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青い瞳のステラ

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「ステラ、なんの冗談——」
「テネシーへ帰ることにしたの。ニューヨークはもういいかなって思って」
 圭司の言葉を遮るように、ステラが言った。あまりに突然のことで、圭司には理由が思い当たらなかった。
「あのさ、急過ぎて気持ちがざわついてる。一度ちゃんと話そうよ。とりあえず会いたい。会って話したい。今どこにいる? 俺がそこに行くから待ってくれ」
 だが、それにはステラは返事をしなかった。そして、
「覚えてる? お店で働き始めるとき、私が暮らしていけないと思ったら、黙って消えるからって、そういう約束だったでしょ?」
と言った。
 そうだ、覚えている。ステラは開店の前日に突然圭司の前に現れて、圭司の店で働き始めた。忘れるはずがない。
「それは、あの時は店がどうなるかわからないから、週給が出せないかもって話だったじゃないか。今頃になって、なんで急に……。意味がわからん」
 電話の向こうで、ステラがフッと口元が笑った気がした。
「だって、もう私がいる場所はそこにないでしょ。圭のママも見つかったし、それに——」
 ステラはそこで言葉を止めた。
「それに、なんだ? なあ、今どこにいるんだよ。ちゃんと会って話そう」
「だって。だってさ……」まだ鼻を啜り出した。
「だから、今更なぜだって聞いてるんだよ」
「だって、圭司はあの人のことが忘れられないんでしょ?」
「あの人?」言っている意味がわからない。「なあ、誰のことだ?」
「圭の——ママ」
 紗英か! 今までとは逆になぜかおかしい。
「何を馬鹿なことを。俺と彼女はとっくに別れてるさ。圭と出会うまで彼女のことを思い出すことさえもなかったんだ。君は何か誤解してる」
「だって彼女の口紅を大事そうに持ってたじゃない! 彼女の思い出に持ってきたんでしょ! だから、私なんかいなくてもいいってことじゃない!」
 ステラは泣きながら—— 
 その瞬間、フッと圭司の気持ちが緩んだ。そう言うことか。
 ステラの声の後ろで、聞き覚えのあるアナウンスが小さく流れたのを圭司は聞き逃さなかった。
「ステラ、そこにいて。今から俺がそこに行くから。いいね、少なくとも俺ともう一度話をするまでは、まだ勝手に行かないと約束して」
 そう言いながら、ダウンの上着を手に取り表へ飛び出した。ステラは小さな声で「うん」と返事をした。
 大通りに出てタクシーを止め「JFKへ。ぶっ飛ばしてくれ」と圭司が言うと、運転手はニヤリと笑い、「じゃあ、しっかりと掴まっときな」と言い、本当に「ぶっ飛ばし」て、予定よりずっと早くジョン・エフ・ケネディ空港へ圭司を運んでくれた。

 世界でも指折りの巨大空港の雑踏の中を、圭司はテネシー行きの出発ゲートを探しながら走った。
 ——確か、育ちはナッシュビルの郊外だと言ってたはずだ
 なかなか見つけられないのは、とにかく人が多いのだ。さまざまな人種が行き交う中、やっとナッシュビル行きの発着ロビーを見つけると、出発ゲートのロビーを挟んだ反対側に、ステラは所在なげに座っていた。昼前に別れた時とは違い、ジーンズと黒のダウンのジャンパーに着替えている。
「ステラ——」息を切らしながら、圭司はステラの前に立った。「ステラ、あの口紅のことだけど、君はとんでもない誤解をしているんだよ」
「誤解? あんなに大事そうに持ってたくせに」
「ああ。大事に持ってきたさ。だってあの口紅は、圭と彼女の遺伝子を調べるためにどうしても必要だったからな」
 一瞬、ステラはポカンと口を開けて圭司を見つめた。
「本当に?」
「ああ、本当だ。神に誓うよ。もちろん君にも」
 圭司はそう言うと、ステラの目の前に片膝をついた。そしてポケットをモゾモゾと探り何かを取り出し右手を握りしめた。
「今まで長い間、君には頼りっぱなしだった」
 そう言って圭司が右手を開くと小さな指輪が手のひらに乗っていた。
「日本に帰って、彼女——紗英とのことを思い出すほど、俺たちの関係は十七年前にとっくに終わっていたことを改めて思い出したんだ。そうさ、だから俺はアメリカに渡ったんだ。圭のことがなければ、二度と思い出すこともなかったはずだよ。そして、今の俺には君がどれほど大事な人なのかよくわかった。もっと早くこうするべきだったんだ。だから——俺は君よりだいぶ年寄りだけど、この指輪を受け取ってくれないか」
 ほろほろとステラの青い瞳から、涙がこぼれ出し、信じられないと言う表情で何度も頷いた。圭司は彼女の左の薬指に手にしていた指輪をはめてやる。
 その瞬間、二人の周りで大きな歓声が上がった。どうやら近くにいた人たちが、みんな息を潜めて二人の成り行きを見守っていたらしい。
「お幸せに!」「ブラボー!」「おめでとう!」
 いろいろな国の人が、それぞれの言葉で祝ってくれている。日本人の俺がこんな目立つプロポーズなどするつもりもなかったから多少照れ臭いが、まあ今日ぐらいはいいだろう。
 そう思いながら、二人は立ち上がってもう一度きつく抱き合った。
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