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告白
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人というのは不思議なもので、想定していたことからあまりにもかけ離れていると、理解に時間がかかるらしい。
案の定、菊池が圭の隣で言葉を失っていた。事前の打ち合わせでもそれは想定内の質問であり、それに対して圭の「いいえ。違います」という言葉を受けて、菊池がいかにそれが馬鹿げた記事であるか、ということを滔々と内容を否定する会見となるはずだったのだ。
どうやらそれは、マスコミ側も同じだったようで、質問の後にまさか圭がそれを肯定するなど思いもよらなかったのだろう、ほんの一瞬ではあるが会場がシンと静まり返ったほどだ。
ジーンズのポケットに入れた圭太のスマホが震えた。カメラに映らないようにしながら取り出してチラリと画面を見た。西川先生からだった。だが、今すぐに出ることはできなかった。
「それは、記事を認めるっていうことだよね?」
「——は、どうなんですか」
「施設の園長さんの言うことを聞かずに家出を繰り返したって本当ですか」
もう会社名を名乗ってから質問を行うという取り決めはなくなったも同然だった。それだけ最初に認めた圭の言葉が衝撃だったのだろう。誰が喋っているか全くわからない状況で、思うまま記者たちは競って質問を続けようとしていた。
「じゃあ、食べ物はいつも盗んで手に入れてたというのも本当?」
ほんの一瞬途切れた声の隙間で女性記者からの質問が、会場内にやけにはっきりと響いた。
「はい、本当です。そうです、全部、全部本当です。それでいいです。だから—— だから、もうこれでいいですか」
圭は伏し目がちにしていた顔を少し上げて、その質問が飛んできた方向に視線を送ると机の上のマイクに少し顔を近づけ、震える声で答えた。だが、本心はよほど悔しいのだろう、その目が真っ赤だった。
俺はなんて馬鹿なんだ——
あの時、俺たちが最初に圭に聞くべきは、「記事が本当かどうか」なんてことじゃなかった。圭がどうしたいか、まずはそこだったはずだ。俺たちは嘘っぱちの記事を潰すことばかりを考えて、不安なはずの圭の気持ちを全然考えていなかった。
もういても立ってもいられず、圭太は圭のところへ駆け寄ると、圭の耳元に口を寄せて小声で囁いた。
「圭、もういい。やめよう。もう相手にする必要はない。これで十分だ」
そう言って、圭の左腕に手をかけた。圭は振り向いて小さく頷くと、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
菊池は驚いた顔をしたが、圭太に「わかった。後は俺がなんとかするから」とだけ言って二人のために道を空けた。
収まらないのはマスコミだった。会場は騒然となり、「逃げるんですか」「ちゃんと説明を」などと口々に言って引き留めようとしていたときのことだ。会場内の後ろから、
「子供好きの大人の男が施設から金で買おうとしたらしいじゃないか。それも認めるんだよな」
と言う大声が響いた。
圭太が声の主の方を振り向くと、一人の男が卑屈な笑いを浮かべながら壁にもたれて立っており、さらに、
「君のいた施設の元管理人って人から俺が直接聞いたんだ。断ったら脅されて仕方なく引き渡したって言ってたぞ。いくら隠そうたって、そうはいかないぜ」
と追い討ちをかけた。
「君はどこの社だ。まず名乗れよ」
菊池がマイクを通して強い口調で嗜めると男は、
「あ、どうも。週刊日日でーす。はい、これは来週号のスクープなんで、皆さんお楽しみに」
と、ヘラヘラ笑っている。
会場内の誰もが男の言葉を固唾を呑んで聞いていた。
この野郎——
圭の腕を引くように退場しかけていた圭太は、踵を返して男の方へ足を踏み出そうとした時、圭太の腕を振り払うように圭がさっきまで座っていた席へ駆け寄ると、机の上に置いてあるマイクを手にとって強く握りしめながら、
「今の言葉は訂正して! 嘘でしたって、訂正して!」
と男を睨みながら叫んだ。
「へっ、偉そうに。俺はこの耳でちゃあんと聞いたんだ。あんた、散々世話になった管理人を裏切って、日本人の男のところへ逃げたんだろ? 隠したって全部知ってるんだよ」
俺はなんでもお見通しだ。そんなふうに男は皮肉な笑みを浮かべていた。だが、圭は今度は怯まなかった。
「私のことは何を書かれてもいい。でも、圭司のことだけは、そんな嘘は絶対に私が許さない!」
圭が怒りで震えていた。
「お世話になった人って誰? 黒い髪の毛が嫌いだって私を毎晩テニスラケットで叩いたあの人のこと? そして夜中に私の部屋に入ってきて服を脱がそうとしたあの人?」
圭は一気に捲し立てた。男の顔が何か言おうとするように口を開けたまま固まっている。圭は言葉を緩めなかった。
「それとも、施設から逃げた私に、女の子がお金を稼ぐ方法をこれから教えてやるからって言って笑ってた、街にいたあの男の人たちのこと?」
そこまで喋って涙が一気に溢れたが、圭はそれを拭おうともせず唇を噛み締めた。ここにきて、会場内の記者たちも何か週刊日日の記事とは様子が違うことに勘づいたようだ。
「あの……、じゃあ施設の優しい管理人に聞いたっていう、あの記事は——」
どこかの記者がそっと声を出したが、圭は返事はしなかった。その代わり、
「私の背中には、まだあの人から毎日毎日ラケットで叩かれた傷が消えないで残ってる。それでも私は、あのとき私は逃げちゃいけなかったんですか」
と週刊日日の男を見据えながら言葉をぶつけた。男も自分が取材した相手の言い分とまったく違うことに、どうやら戸惑っているようだ。
「圭司は、そんな私のために泣いてくれた。それから私を学校に通わせてくれて、音楽を教えてくれて、日本語を教えてくれて、休みの日もずっと一緒にいてくれて。あなたにそんなことができるんですか」
圭は真っ直ぐに男を見つめた。
「圭司の悪口は、私は絶対許さない」
どうやら男は往生際が悪いらしい。
「ふ、ふん。どうだか。この間だってホテルでそいつと抱き合ってたくせに。証拠の写真だって持ってるんだぞ」
と、内ポケットから写真を取り出すと、ヒラヒラさせながら圭太を指差した。
圭太は土曜日のホテルのロビーで圭とハグをした時に、外から何かが光ったことを思い出した。
てめえ!
圭太は一気に頭に血が上った。誰かが「圭太、待て」と叫んだが、圭太は目の前の長机に飛び乗るように踏み越えると、そのまま走り寄って男へ身体ごと飛び込んだのだ。
もう記者会見どころではなくなっていた。
案の定、菊池が圭の隣で言葉を失っていた。事前の打ち合わせでもそれは想定内の質問であり、それに対して圭の「いいえ。違います」という言葉を受けて、菊池がいかにそれが馬鹿げた記事であるか、ということを滔々と内容を否定する会見となるはずだったのだ。
どうやらそれは、マスコミ側も同じだったようで、質問の後にまさか圭がそれを肯定するなど思いもよらなかったのだろう、ほんの一瞬ではあるが会場がシンと静まり返ったほどだ。
ジーンズのポケットに入れた圭太のスマホが震えた。カメラに映らないようにしながら取り出してチラリと画面を見た。西川先生からだった。だが、今すぐに出ることはできなかった。
「それは、記事を認めるっていうことだよね?」
「——は、どうなんですか」
「施設の園長さんの言うことを聞かずに家出を繰り返したって本当ですか」
もう会社名を名乗ってから質問を行うという取り決めはなくなったも同然だった。それだけ最初に認めた圭の言葉が衝撃だったのだろう。誰が喋っているか全くわからない状況で、思うまま記者たちは競って質問を続けようとしていた。
「じゃあ、食べ物はいつも盗んで手に入れてたというのも本当?」
ほんの一瞬途切れた声の隙間で女性記者からの質問が、会場内にやけにはっきりと響いた。
「はい、本当です。そうです、全部、全部本当です。それでいいです。だから—— だから、もうこれでいいですか」
圭は伏し目がちにしていた顔を少し上げて、その質問が飛んできた方向に視線を送ると机の上のマイクに少し顔を近づけ、震える声で答えた。だが、本心はよほど悔しいのだろう、その目が真っ赤だった。
俺はなんて馬鹿なんだ——
あの時、俺たちが最初に圭に聞くべきは、「記事が本当かどうか」なんてことじゃなかった。圭がどうしたいか、まずはそこだったはずだ。俺たちは嘘っぱちの記事を潰すことばかりを考えて、不安なはずの圭の気持ちを全然考えていなかった。
もういても立ってもいられず、圭太は圭のところへ駆け寄ると、圭の耳元に口を寄せて小声で囁いた。
「圭、もういい。やめよう。もう相手にする必要はない。これで十分だ」
そう言って、圭の左腕に手をかけた。圭は振り向いて小さく頷くと、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
菊池は驚いた顔をしたが、圭太に「わかった。後は俺がなんとかするから」とだけ言って二人のために道を空けた。
収まらないのはマスコミだった。会場は騒然となり、「逃げるんですか」「ちゃんと説明を」などと口々に言って引き留めようとしていたときのことだ。会場内の後ろから、
「子供好きの大人の男が施設から金で買おうとしたらしいじゃないか。それも認めるんだよな」
と言う大声が響いた。
圭太が声の主の方を振り向くと、一人の男が卑屈な笑いを浮かべながら壁にもたれて立っており、さらに、
「君のいた施設の元管理人って人から俺が直接聞いたんだ。断ったら脅されて仕方なく引き渡したって言ってたぞ。いくら隠そうたって、そうはいかないぜ」
と追い討ちをかけた。
「君はどこの社だ。まず名乗れよ」
菊池がマイクを通して強い口調で嗜めると男は、
「あ、どうも。週刊日日でーす。はい、これは来週号のスクープなんで、皆さんお楽しみに」
と、ヘラヘラ笑っている。
会場内の誰もが男の言葉を固唾を呑んで聞いていた。
この野郎——
圭の腕を引くように退場しかけていた圭太は、踵を返して男の方へ足を踏み出そうとした時、圭太の腕を振り払うように圭がさっきまで座っていた席へ駆け寄ると、机の上に置いてあるマイクを手にとって強く握りしめながら、
「今の言葉は訂正して! 嘘でしたって、訂正して!」
と男を睨みながら叫んだ。
「へっ、偉そうに。俺はこの耳でちゃあんと聞いたんだ。あんた、散々世話になった管理人を裏切って、日本人の男のところへ逃げたんだろ? 隠したって全部知ってるんだよ」
俺はなんでもお見通しだ。そんなふうに男は皮肉な笑みを浮かべていた。だが、圭は今度は怯まなかった。
「私のことは何を書かれてもいい。でも、圭司のことだけは、そんな嘘は絶対に私が許さない!」
圭が怒りで震えていた。
「お世話になった人って誰? 黒い髪の毛が嫌いだって私を毎晩テニスラケットで叩いたあの人のこと? そして夜中に私の部屋に入ってきて服を脱がそうとしたあの人?」
圭は一気に捲し立てた。男の顔が何か言おうとするように口を開けたまま固まっている。圭は言葉を緩めなかった。
「それとも、施設から逃げた私に、女の子がお金を稼ぐ方法をこれから教えてやるからって言って笑ってた、街にいたあの男の人たちのこと?」
そこまで喋って涙が一気に溢れたが、圭はそれを拭おうともせず唇を噛み締めた。ここにきて、会場内の記者たちも何か週刊日日の記事とは様子が違うことに勘づいたようだ。
「あの……、じゃあ施設の優しい管理人に聞いたっていう、あの記事は——」
どこかの記者がそっと声を出したが、圭は返事はしなかった。その代わり、
「私の背中には、まだあの人から毎日毎日ラケットで叩かれた傷が消えないで残ってる。それでも私は、あのとき私は逃げちゃいけなかったんですか」
と週刊日日の男を見据えながら言葉をぶつけた。男も自分が取材した相手の言い分とまったく違うことに、どうやら戸惑っているようだ。
「圭司は、そんな私のために泣いてくれた。それから私を学校に通わせてくれて、音楽を教えてくれて、日本語を教えてくれて、休みの日もずっと一緒にいてくれて。あなたにそんなことができるんですか」
圭は真っ直ぐに男を見つめた。
「圭司の悪口は、私は絶対許さない」
どうやら男は往生際が悪いらしい。
「ふ、ふん。どうだか。この間だってホテルでそいつと抱き合ってたくせに。証拠の写真だって持ってるんだぞ」
と、内ポケットから写真を取り出すと、ヒラヒラさせながら圭太を指差した。
圭太は土曜日のホテルのロビーで圭とハグをした時に、外から何かが光ったことを思い出した。
てめえ!
圭太は一気に頭に血が上った。誰かが「圭太、待て」と叫んだが、圭太は目の前の長机に飛び乗るように踏み越えると、そのまま走り寄って男へ身体ごと飛び込んだのだ。
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