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サンドバッグ
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ガチャリとドアの開く音がして誰か入ってきたが、圭太は顔を上げず、じっと足元だけを見ていた。
週刊日日の記者を目掛けて飛び込んだ圭太は、後ろから幾人かに押さえ込まれて、駆けつけた警察に引き渡された。手錠こそされなかったが、両脇を屈強な警察官にホールドされながらパトカーに押し込まれたのだ。
——勝手にしやがれ
圭司としては、あの記者を思いっきりぶん殴る前に押さえ込まれたのが、やたらと悔やまれる。せめて一発だけでも——
「なんだよ。売れ始めたと思ったら、いきなり喧嘩で退場か?」
取調室のパイプ椅子に座らされ俯いている圭太に、入ってきた人物が開口一番にそう言った。
——うるせえ
まだ怒りが収まらない圭太が声がした方を睨むように顔を上げると、調室の入り口でドアを大きく開けたまま、笑いながらその人は立っていた。まだ圭と知り合ったばかりの頃、路上ライブのことで中目黒署に連行されたとき取調べを担当した中年の警察官だった。
「まさか、あんときの君らがこんなに有名になるなんてな」
「その節はすみませんでした」
知った顔を見て、幾分気持ちが落ち着いた圭太はペコリと頭だけ下げた。
「今年の夏ぐらいだったかな、テレビに出てる君らを見ながら、この子らの聴取を俺がやったんだ、なんて変な自慢を仲間にしてな。有名人の事情聴取なんて仕事、ありそうで案外そういうことってないもんでな、署のみんなが羨ましがってた」
警察官は、フン、と笑いながら、机を挟んだ向こうの椅子に座った。
「それによ、うちの娘があんたらのファンなんだとよ。仕事のことを家で喋るわけにはいかんから、そんなことがあったことなんて黙ってたけど、親としちゃ娘が好きなモンなら応援したいわけよ」
そう言うと彼は両肘を机について、圭太の顔を覗き込んだ。
「だからよ、俺の娘や大勢のファンを泣かすようなことをすんじゃねえよ」
「でも、どうしても許したくないことって、あるじゃないですか」
一言も喋ってやるもんか、好きにしろ。ここへ連れて来られる間、ずっとそう思っていた圭太であったが、彼の言葉につい口をついて出た。
「わかってるよ、そんなこと。わかってて言ってんだ」
彼が穏やかに言った。
「じゃあ、どうすればいいって言うんですか」
そんなの、机上の空論だろ。そんな思いから、つい強い口調で反論してしまう。
「理不尽だよな? 俺もテレビを見てたが、あの週刊誌の記者の物言いは腹たつわな」彼は小さく頷きながら言った。「言論の自由だかなんだか知らないけど、いくらなんでもあれは殴りたくなる気持ちはわかるよ」
「だったら——」殴ったっていいじゃないか。言葉は飲み込んだ。
「それでも手を出した方が負けなんだよ。いいか、この日本じゃ、やっぱり手を出した方が負けなんだ。さっきも言ったけど、理不尽だよな。腹たつよな。でもなあ、あいつが——嘘っぱちの記事を書いてることが、まあ許されるとは言わないが、そんな相手でも、手を出した方が負けなんだ。俺は警察官をもう三十五年やってるが、警察官なんて何があっても反論しねえだろ? 相手が刃物振り回して危険が差し迫った市民を守るために、やむにやまれず腰に下げた銃で撃ってみろ。もう俺らはモノも言えないサンドバッグさ。記者の奴らに好き勝手書かれて、まるで俺たちが犯人みたいな扱いを受けるんだ。それが誰かの命を守るためにやったとしてもなあ。しかも、銃を撃ったことのある警察官で出世したやつはいねえとよ。世間だけじゃなく、警察組織さえも守っちゃくれないらしい」
彼はそこで自虐的に笑いながら少し黙った。
「だけどよ、それでも俺らは黙って記者って奴らのペンに殴られても耐えるんだ。誰にも感謝されねえけど、自分だけは知ってる。あんとき自分は誰かを守ったことをな。警察官の矜持ってやつだけを自分の心に刻んで誇りにして、また次の現場に向かうんだ」彼と圭司はじっと目を合わせていた。「お前はさ、きっと彼女を守ろうとしたんだろ? あの子を守りたかったんだろ? その結果、彼女は喜んでるかね」
圭太は何も言えなかった。悔しいが、その通りだ。俺があんなことをしなけりゃ、圭はもっと反論できたのかもしれないに、世間にあの記事は嘘だらけだってわかってもらえたかもしれないのに、俺がその機会を奪ってしまった——
「もう帰っていいぞ。君が奴を殴ってないのはわかってる。だから今回は事件にはしない。だから、早く行ってやれ」
そう言って、彼が先に立ち上がって「ついて来い」と言った。
圭太が後をついて署のロビーに行くと、圭と姉と西川先生が待っており、圭太の姿を認めると圭が全力で駆け寄ってきて、泣きながら飛びついてきて。
「ごめんなさい、私のせいで。ごめんなさい——」
そうひたすら何度も何度も繰り返した。
違う、悪いのは俺だ。俺のせいで。そう思えば思うほど、言葉にならなかった。
やっぱりあなたの言う通りでした——
ロビーで見送る彼に、圭太は深々と頭を下げた。
週刊日日の記者を目掛けて飛び込んだ圭太は、後ろから幾人かに押さえ込まれて、駆けつけた警察に引き渡された。手錠こそされなかったが、両脇を屈強な警察官にホールドされながらパトカーに押し込まれたのだ。
——勝手にしやがれ
圭司としては、あの記者を思いっきりぶん殴る前に押さえ込まれたのが、やたらと悔やまれる。せめて一発だけでも——
「なんだよ。売れ始めたと思ったら、いきなり喧嘩で退場か?」
取調室のパイプ椅子に座らされ俯いている圭太に、入ってきた人物が開口一番にそう言った。
——うるせえ
まだ怒りが収まらない圭太が声がした方を睨むように顔を上げると、調室の入り口でドアを大きく開けたまま、笑いながらその人は立っていた。まだ圭と知り合ったばかりの頃、路上ライブのことで中目黒署に連行されたとき取調べを担当した中年の警察官だった。
「まさか、あんときの君らがこんなに有名になるなんてな」
「その節はすみませんでした」
知った顔を見て、幾分気持ちが落ち着いた圭太はペコリと頭だけ下げた。
「今年の夏ぐらいだったかな、テレビに出てる君らを見ながら、この子らの聴取を俺がやったんだ、なんて変な自慢を仲間にしてな。有名人の事情聴取なんて仕事、ありそうで案外そういうことってないもんでな、署のみんなが羨ましがってた」
警察官は、フン、と笑いながら、机を挟んだ向こうの椅子に座った。
「それによ、うちの娘があんたらのファンなんだとよ。仕事のことを家で喋るわけにはいかんから、そんなことがあったことなんて黙ってたけど、親としちゃ娘が好きなモンなら応援したいわけよ」
そう言うと彼は両肘を机について、圭太の顔を覗き込んだ。
「だからよ、俺の娘や大勢のファンを泣かすようなことをすんじゃねえよ」
「でも、どうしても許したくないことって、あるじゃないですか」
一言も喋ってやるもんか、好きにしろ。ここへ連れて来られる間、ずっとそう思っていた圭太であったが、彼の言葉につい口をついて出た。
「わかってるよ、そんなこと。わかってて言ってんだ」
彼が穏やかに言った。
「じゃあ、どうすればいいって言うんですか」
そんなの、机上の空論だろ。そんな思いから、つい強い口調で反論してしまう。
「理不尽だよな? 俺もテレビを見てたが、あの週刊誌の記者の物言いは腹たつわな」彼は小さく頷きながら言った。「言論の自由だかなんだか知らないけど、いくらなんでもあれは殴りたくなる気持ちはわかるよ」
「だったら——」殴ったっていいじゃないか。言葉は飲み込んだ。
「それでも手を出した方が負けなんだよ。いいか、この日本じゃ、やっぱり手を出した方が負けなんだ。さっきも言ったけど、理不尽だよな。腹たつよな。でもなあ、あいつが——嘘っぱちの記事を書いてることが、まあ許されるとは言わないが、そんな相手でも、手を出した方が負けなんだ。俺は警察官をもう三十五年やってるが、警察官なんて何があっても反論しねえだろ? 相手が刃物振り回して危険が差し迫った市民を守るために、やむにやまれず腰に下げた銃で撃ってみろ。もう俺らはモノも言えないサンドバッグさ。記者の奴らに好き勝手書かれて、まるで俺たちが犯人みたいな扱いを受けるんだ。それが誰かの命を守るためにやったとしてもなあ。しかも、銃を撃ったことのある警察官で出世したやつはいねえとよ。世間だけじゃなく、警察組織さえも守っちゃくれないらしい」
彼はそこで自虐的に笑いながら少し黙った。
「だけどよ、それでも俺らは黙って記者って奴らのペンに殴られても耐えるんだ。誰にも感謝されねえけど、自分だけは知ってる。あんとき自分は誰かを守ったことをな。警察官の矜持ってやつだけを自分の心に刻んで誇りにして、また次の現場に向かうんだ」彼と圭司はじっと目を合わせていた。「お前はさ、きっと彼女を守ろうとしたんだろ? あの子を守りたかったんだろ? その結果、彼女は喜んでるかね」
圭太は何も言えなかった。悔しいが、その通りだ。俺があんなことをしなけりゃ、圭はもっと反論できたのかもしれないに、世間にあの記事は嘘だらけだってわかってもらえたかもしれないのに、俺がその機会を奪ってしまった——
「もう帰っていいぞ。君が奴を殴ってないのはわかってる。だから今回は事件にはしない。だから、早く行ってやれ」
そう言って、彼が先に立ち上がって「ついて来い」と言った。
圭太が後をついて署のロビーに行くと、圭と姉と西川先生が待っており、圭太の姿を認めると圭が全力で駆け寄ってきて、泣きながら飛びついてきて。
「ごめんなさい、私のせいで。ごめんなさい——」
そうひたすら何度も何度も繰り返した。
違う、悪いのは俺だ。俺のせいで。そう思えば思うほど、言葉にならなかった。
やっぱりあなたの言う通りでした——
ロビーで見送る彼に、圭太は深々と頭を下げた。
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