シング 神さまの指先

笑里

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消失

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 夕方のテレビで騒動を知り、慌てて史江は圭を車で迎えにきたが、中目黒に着いた時には圭太が警察に連行された後だったという。騒動に紛れて圭を連れて帰ろうとしたが、圭は圭太が警察から解放されるまでは帰らないと言い張ったらしい。
 会見中で電話に出られなかったことと、信頼されて圭を託されたにもかかわらず、結局こんなことになってすみませんと、圭太は史江に何度も頭を下げた。自分も何もできなかったんだから、あなた一人が気に病むなと史江は言ってくれたが、圭太の心が晴れることはなかった。

 よっぽど疲れたのだろう、圭は眠そうな顔で史江の車の助手席に滑り込み、「じゃあ、また」という圭太の声に力なく笑って小さく手を振った。

 それから、会見場に残ってマスコミ対応をしていた菊池と他のメンバーもやっと解放されたと連絡があり、これからのことを話し合うために中野の事務所へ恵と向かったのだった。

「すみませんでした」
 ここでも圭太はひたすら頭を下げた。圭太がかろうじて警察から解放されたのも、ムーさんたちが必死に圭太が相手を殴らないよう腕を取って抑えてくれたという。自分はすっかり頭に血が上り、そんなことにさえも気がついていなかった。恥ずかしい。

「それでな、相手を怪我させてないとはいえ、騒ぎを起こしたのは間違いないんだ。誰かが責任を取らねば世間——というか、マスコミは納得しねえんだ。それで、とりあえず圭太はしばらく謹慎、グループとしての活動も当面自粛することになった」
 菊池は「悪い。お前らだけの責任じゃないんだがな」そう言ってみんなに頭を下げた。
 日日のガセ記事に踊らされたマスコミも、振りあげた拳の納めどころが必要なんだよな。彼らとはこれからも仕事しなきゃいけないから、これで痛み分けにしてくれないか——
 そんなことらしい。圭太は「わかりました」と言うしかなかった。
「あの、社長。このこと、圭司さんに言わなくていいんですか」
 少し気になってそう聞いてみる。
「ちゃんと話さなきゃならんがな。まだ向こうは早朝だろ? しかも昨日向こうに帰り着いたばかりでこんな話聞いちまったら、心配するだけになると思ってな。まあ、明日まで考えてみるよ」
 そう言って菊池は大きなため息をついた。 

 ⌘

 そんなことがあった次の日の朝、史江がいつものようにラジオをつけて朝食の準備をしていると、トントントンと階段を降りてくる圭の足音がした。
「おはよう。でも、今日は休みなさいって言ったでしょ?」
 振り向くと、圭はもう制服を着ている。学校指定のベージュ色のリュックも手にして、ダイニングテーブルの椅子の脇に置いた。いつもの朝と同じだ。
「いいの。大丈夫だから」
 明らかに無理に笑っていると思う。だが、本人が行くというのを止めるのも躊躇われる。
「じゃあ、今日は私の車に乗って行ってもいいよ。ねっ、そうしなさいよ」
 同じ場所から同じ学校までであるが、入学以来、公私の区別をつけるために圭はいつもバスを利用しているが、それもすごく楽しいと言っていた。だから、これまで一度も史江の車で学校に行ったことはない。
 だが、今日はなんとなく心配になり、思わずそう言った。だが、圭は小さく首を横に振り、「バスがいいの」とだけ言って朝食を黙って食べた。

 昨日の騒動を圭司に言ったものか、史江もだいぶ悩んだ。だが、言ったところでやたら心配することになるだけだ。報道の行方など明日まで様子を見てから決めようと思った。


 学校に着くと、早速校長室に呼ばれた。どうやら学校にもマスコミから取材申し込みがあったらしいが、それは断ったという。
「昨日の件は一旦保留にしますが、今後どうなさるおつもりですか」
 記者会見の様子などから、週刊誌記事の信憑性が疑われているが、学校としては「騒動を起こした」こと自体が問題らしい。それは史江も想定内だった。
 史江は何も言わずバッグから封筒を取り出して応接テーブルに置いた。表書きに「辞職願い」と書いてある。昨日夜遅くまでかかって書いたものだ。
「これは——」校長も、まさかここまでいきなり動くとは思っていなかったらしく、逆に少し動揺している。
「もう少しお考えになったら」
「もちろん今日すぐに、というわけじゃありません。来年の3月いっぱいで辞めさせていただくことに決めました。引き継ぎはしっかりやりますので、よろしくお願いします」
 そう言うと、さっさと立ち上がって校長室を後にした。

 一時間目の授業を終えて、職員室へ戻る。さて、三月までに何をしておかなきゃならないか——
 妙にスッキリした気分でパソコンに向かった。
 一緒にこの学園で英語を教えている末包先生が席に帰ってきた。「すえかね」という珍しい苗字だ。
「西川先生、高橋さんはやっぱり今日は休ませたんですね。まあ、あんなことがあったばかりだから、仕方ないですね」
 帰ってくるなり、彼女がそういう。
「えっ、あの子、今日は学校に行くって、朝は家を出たんですけど?」
「いませんでしたよ? てっきり休ませたものだと……」
 彼女の言葉を最後まで聞かないで、史江は慌てて立ち上がって圭のいるはずの教室へ走った。
 確かに教室に圭の姿はなかった。
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