19歳

長月猛夫

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19歳

 ドイツ製の高級セダンが停まったとき、男の横にはギャル風の女が座っていた。その頭の中にはゴキブリ1匹存在しないであろう笑顔を浮かべ、ハイブランドのスーツを着込んだ男にしなだれかかっている。
 わたしは書類を片手にしばらく男のようすをながめていた。
 吹きすさぶ北風、鈍色の街角。コートに包まれたわたしの身体は、それでも急に発熱をし、ランジェリーの隙間を汗の粒が1滴肌を舐め下ろす。
 わたしは哄笑を浮かべながら男を見る。
 男はそんなわたしに気づくはずもなく、車を降りると豪奢なカフェの中に、バカな女を連れて消えていった。

 3年前、男は小さなカレー店を営んでいた。そして、わたしはバイトの女子大生。男は35、わたしは19。妹というには離れすぎ、親子というには近しい年の差だった。
「夢を見たんだ」
 閑散とした閉店前の店の中で男はいった。
「デートしてるんだ、けれど相手が」
「相手が?」
「女子校生」
「どうしてそれがわかるんですか?」
「制服を着ていたから」
「どんな?」
「セーラー服」
「いやらしい、マスター、願望があるんだ」
「そんなことあるもんか。若い女はきらいだ」
「そうなんですか?」
「うん、18歳未満はきらいだな。なんだか恐くて」
「19歳ならどうですか?」
「19歳?」
「そう」
 いきなり沈黙が流れる。わたしは自分が発した言葉に思わずどぎまぎしてしまった。
「好きだよ」
「え?」
「19歳のかわいい女の子は大好きだ」
 その日、店が終わるとわたしは初めてマスターとセックスをした。
 バージンではなかった。けれど、気持ちのいいセックスをしたのは初めてだった。
「やめて、奥さんに悪い」
「こんなときにそんな言葉を使うもんじゃない」
「でも……」
「いやなのか?」
 シャッターが閉じられ、狭い控え室に置かれたソファーの上で、わたしは全裸に剥かれていく。胸は大きいが、締りのない腰に太い手足。ぽっちゃりとした幼児体型をわたしは恥じた。
 けれどマスターは丹念に、丁寧に、まるですぐに壊れる高級なガラス細工を扱うようにわたしを愛撫し始める。
「恥ずかしい」
「恥ずかしいもんか、この世で一番キレイだよ」
「ウソ、だって、ダイエットだって何回も失敗してるし、下腹だって出てるし」
「ボクはトリガラのような女は嫌いだ」
「腕だって、首だって、脚だって……」
 自分の欠点を口にする。そうすることでわたしは何かから逃れようとしている。
(遊びなんだ、真剣になっちゃいけないんだ)
 クリスマスのときのダイヤのピアス、ホワイトデーのときのイタリアブランドの財布、誕生日のときのバラの花束。
 わたしは、今まで与えられたものを羅列することで、感情を押し殺そうとする。行為は代償にしか過ぎない。お礼のつもりだと考える。わたしの粗末な肉体が感謝の形となるのならば、それでいい。
「好きなんだ、ずっと」
「いわないで、お願い」
「好きになっちゃいけないの?」
「いけない、苦しむのはヤだ」
「苦しいのはお互いさまだ。ボクはきみが思ってるほどおとなじゃない」
 初めてじゃない、バージンじゃないといい聞かせても、相手は一人。その男と2回しか経験していない。貧乏で泣き虫で頼りなくて、それでも別れることのできない同い年の男との、性急で動物的で乱暴で、快楽を伴うことのないセックスを2度だけ。
「いや……」
 わたしは思わずつぶいてしまった。
「どうしたの?」
「いやなの、変になりそう」
「なればいい」
「なりたくない」
「ボクはなりたい、ムチャクチャになってもいい」
「わたし一人だけを愛してくれる?」
「今だってそうだ」
「だれにも触れないでくれる?」
「今だって」
「わたしはわがままで泣き虫で弱虫でアマノジャクで人見知りが強くて、それで……」
 言葉はマスターの唇でさえぎられた。

 ほどなくして、わたしは家の事情でバイトを辞め、マスターとの関係は終わりを告げた。大学を卒業して就職したのは、名の知れた銀行のセクレタリー部門。毎日を単調に過ごすわたしは、マスターの店がチェーン展開し、数多くのフランチャイズを持つまで成長したことを耳にしていた。
 その男が今、にやけた笑みを浮かべ、バカを煮詰めて型にはめ、人の形に整えて命を与えてしまった女と道路脇に席を取る。
 わたしは時計を見た。ブレスレットタイプの国産時計は、すこしだけの余裕を教えてくれる。
 道路を横切り、店に入る。そして、何食わぬ顔で男のまん前のテーブルに座り、脚を組んで頬づえをついた。
「やっぱりきみだ」
 バカがトイレにたったスキに、男はわたしに近づいてきた。
「お久しぶりです」
「最初、気づかなかったよ。ほんと、久しぶり」
 鼻にかかった低い声。身なりは変わっても、むかしのままだ。
「声、かけてくれればよかったのに」
「かわいい女の子ですね」
「そんなこと思ってないくせに」
「ううん、ほんと、かわいい。けど、それだけ」
「彼女はボクの姪なんだ」
「姪御さんが車の中でしなだれかかるの?」
「そんなところから見ていたのか」
「わたしのときは妹でしたよね」
 男はわたしをだれかに紹介するとき、妹だといっていた。それは、彼の実年齢を知り、彼に兄妹がいないと知っているものに対しても。
 わたしはそれを不快には思わなかった。事実、3人姉妹の末っ子という境遇で育ってきたわたしにとって、男のような存在が現われたことは、よろこびと表現しても差し支えなかった。
 たくましくて、頭がよくて、うんと年上のお兄さん。
 身体の歓びと心の喜びは、ときと場合によって切り離される。
「どう、仕事のほうは?」
 男は、いくぶんひきしまった笑顔でたずねる。
「無我夢中です」
「大銀行だもんな、ウチとは雲泥の差だ」 
「トップといちOLじゃあ、くらべものになりません」
「名刺持ってる?」
「はい」
 甘えん坊の女の子だった。19といえども、15、16の精神年齢しか持ち合わせていなかった。ボキャブラリーが貧困で、カワイイかカワイくないか、価値基準はそれしか持ち合わせていなかった。
 だから、世間や人間に思い悩んだ。周囲は年齢に応じて生長をとげる。わたし一人が置いてけぼり。
 男はそんなわたしに的確なサポートをしてくれた。わたしが今、こうやって生きているのも、生きる自信を持つことができたのも、男のおかげかもしれない。
「セクレタリーなら重役とも顔が利くだろうなぁ」
「融資ですか?」
「まあね。ところで、会えないかな、時間と場所を変えて」
「それはお仕事ですか、プライベート?」
「うーん、両方」
「いいですよ、わたしもそれがいいたかったのかも」
「疲れてるんだ、最近、一人に戻りたい」
「わたしと会うんなら一人じゃないでしょ」
「いや、きみと一緒なら、きみがいれば、一人でがんばっていたころに戻れる」
 カワイイだけの女の子が戻ってきた。男は名刺をしまい、もとの席に戻る。わたしは飲みかけのロイヤルミルクティーをすする。
 何を食べてもおいしそうに全部をたいらげるわたしを、彼はほめてくれた。
 そんなことを思い出しながら、にやけた顔で女と談笑する男を一瞥し、わたしは店をあとにした。

 ホテルのレストランで食事を済ませ、バーのカウンターに座る。わたしは何かを期待し、すこしだけ老けたであろう男の横顔を見る。
 髪の毛に、すこし白いものが混じっている。疲労が数本のシワになって、顔に刻まれている。
 どんなに疲れていても、前を見つめ続けている男はステキだ。結果、成功を手に入れた男はもっとステキだ。
 わたしはマスターとの関係を断ち切ったあと、サラリーマンと付き合った。さわやかな笑顔と、筋肉質な身体。両親と姉二人が口やかましい家から早く逃げ出したかったわたしは、結婚願望が強かった。この人となら、一緒に生きて行ってもいいと思っていた。けれど、会社人間として、足下だけを見つめていた彼との日々は、石橋をつくらずにセメントをこねくり回し続ける生活しか想像できなかった。
 安定は甘美な退屈を与えてくれるが、未来を堕落に書き換えてしまうことに気がついた。ゴールにたどり着いてしまった双六のコマを見つめながら、サイコロをだけを転がす人生なんかまっぴらだ。
 だからわたしは、その男と別れた。
「ボクと一緒に初めて飲んだのが」
「ホワイトレディ。白いドレスを着たわたしをエスコートして、オーダーしてくれました」
 きついカクテルをムリして飲んだ。酔いつぶれたわたしを介抱し、けれど男はわたしを求めなかった。
 彼がわたしを欲するときは、わたしが平常心なときだけ。酔いでごまかそうとした自分をわたしは恥じた。
「キレイになった」
「ありがとうございます」
「あの子はウチのアルバイトなんだ」
「いけないんだ、従業員に手を出して」
「ボクのクルマに乗りたいっていうもんだから、それだけなんだ。若い子は苦手だ」
「そういいながらわたしを」
「きみは、失礼な言いかただけど、若くなかった」
「いいえ、未成年でしたよ」
「実年齢のことをいってるんじゃない。きみはきちんとした価値観を持つ、立派なレディだった。ボクはそんなきみのことが好きになったんだ」
「わたしを抱いたのは?」
「感情表現だ」
「苦しみました」
「ボクだって。でも、何もしないでマスターベーションを繰り返すのはご免だ」
「するんだ」
「いまだってするさ。ボクには子どもがいる。人間として、オスとしての役目は終わったんだ。だから、終わったあとの虚無感はない」
「わたしは役目を終えていません。結婚だってまだだし」
「22だろ、あせることない」
「このごろ思うんです。子どもなんかいらない。セックスは気持ちよければいいって」
「そんなこと、いえるようになったんだ」
「もう、22ですから」
「気持ちいいだけのセックスってどんなのかな? ボクにはよく分からない」
「どうして? 奥さんとは?」
「きみと出会ってから、妻と一緒に寝たことはない。けして仲が悪いわけじゃないんだけど、したくない、できない」
「じゃあ」
「あ、チャンスがあれば、だれかと寝たことはある。誤解しないで欲しい。ボクはそこまでストイックじゃない」
「うん」
「でも、気持ちよくない。なんていうか、豪華な食事を一人で食べている気分なんだ。感動を分かち合える相手とは出会えなかった」
「わたしとは?」
「分からない。でも、きみが変わっていなければ」
 男はわたしを見つめる。わたしはとっくに決心がついている。
 わたしはおとなになっている。男はむかしからおとなだ。コミュニケーションが言葉だけでないことなど、とっくにわかっている。
 わたしはリザーブしている部屋のカギをカウンターに置いた。男はそれを見て、ちょっとだけ下品な笑みを浮かべた。

 わたしが先に部屋に入り、男は後ろからついてきた。ドアが閉まると、男は背後からわたしを抱きしめた。わたしは拒絶を示さない。
 ムリな姿勢で唇を重ねる。男はすぐに胸元を探る。
「香水、変えたんだね」
「おとなの匂い?」
「甘くてステキだ。いまのきみに似合ってる」
 男はわたしをベッドに押し倒し、服を脱がしにかかる。わたしはあお向けになり、男のなすがままとなる。
 わたしは簡単に裸になった。男も衣服を脱ぎ捨てる。
「いい匂いだ、きみの匂いはステキだ」
 わたしは、うなずくだけで何も答えない。
 男は乱暴にわたしをまさぐる。乳房を揉み、敏感な部分をさぐる。
「ダメ、まだ痛い」
「完璧だ、むかしのまま、いや、それ以上」
 おとなには遠慮が不要だと思っているのか。男の行為にはやさしさがない。
 わたしは瑣末な落胆を覚えながら、それでも巧みな指の動きに心地よさが打ち寄せてくる。
「いいよ、キレイだ……」
 男はわたしを舐め尽くす。わたしは準備を整えた。身体も心も彼を待ちうけていた。シャワーを浴びなくても嫌悪なんか感じない。清冽な肌よりも濁った湿り気が感情をたかぶらせてくれる。
「うん、どうしたの?」
 わたしをまさぐりながらも、男はなかなか次の行動に移らない。
「ごめん、こんなはずじゃ……」
 ベッドの上であぐらをかき、男はうなだれる。
「うんん、いいんです、疲れてるんですよ、きっと」
 わたしは全裸のまま、笑みを浮かべて立ち上がる。
「ひと休みすれば気分も落ち着くんじゃないですか? シャワー、浴びてくるから待っててくださいね」
 わたしはこれからに淡い期待を抱きながら、バスルームへ消えた。
 シャワーを浴びながら、わたしはこれからあの男に抱かれるんだと思うと、19の自分に戻っていく気分になる。かわいいだけの自分が歓声を上げ、飛び跳ねながら男に抱きつこうとしている。
 けれど、バスローブを身にまとったわたしが見たものは、だれもいないダブルの一室だった。
『すまない、やはりきみを抱けそうにない。ボクのことは永久に忘れてくれ。きみに迷惑はかけない。もう2度と会うことはない』
 そんな文面の走り書きだけがベッドに置かれていた。

 あれから男とは会っていない。連絡もない。みじめな自分をさらけ出してしまったことに恥を覚えたのだろうか。けれどわたしは、男を思うと少女のように胸がキュンとなることがある。
 季節は変わり、夏がきた。わたしは打ち合わせに出かける重役と、国産リムジンのシートにいた。
「あ……」
 横にシルバーのドイツ車が信号で止まる。中には男と、この前とは別の若い女が乗っていた。
 女はーー女の子は女子校生ふうの、これも頭をCTスキャンで切り開いてみれば、イモムシ1匹存在しないようなバカ面だった。
「ふふふ……」
「どうしたんだね?」
「いえ」
 信号が青に変わり、互いの車は走り出す。
 街はいつもと同じ顔をしている。変わったものは何もない。わたしも、そしてあの男も。
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