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7.結婚指輪紛失事件
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「あれ…ない」
休日の朝、目が覚めてリビングに向かうと、龍臣は自分の結婚指輪がないことに気付いた。
確か、昨日の夜、ゲームをする前に外して、このローテーブルの上に置いたはずなのに。それか、どこか別のタイミングで外したんだっけ?
とりあえず、テーブルの下の毛の長いラグの隙間に埋まっていないか、手で撫でて確認する。ソファの上や下に転がっていないか確認する。
…ない。ない!なーい!なんで!?
ソファとテーブルの周りをうろうろするが、やはり見当たらない。
やばい、あれ、一点物なのに。
数年前、結婚指輪を買うとなった時、龍臣は無難に適当なブランド物で良いと思っていた。
しかし、まつりはそもそもブランド物に全く興味がなく、それよりは職人が手作業で作る物をと考え、わざわざ店を探し出してオーダーしたのだった。
ブランド物だったら、最悪の最悪、また買いに行けばいいのに。
ブランド物に興味持っとけよ、まつりー!
それに、よりによって今日は結婚記念日だ。
夜、ちょっと良い焼肉を食べに行くのに。その時に指輪をしていないのは、さすがによろしくないということは、龍臣にも分かる。
くっ、これこそ、本当に事件だ…。
龍臣が慌ただしくテレビ台の下を覗こうとした時、まつりが目を擦りながら起きてきた。
「おはよー。何してんの?」
「ん?や、別にぃ。ちょっとゴミ拾ってた」
「ふーん?ありがとう」
そう言いながら、まつりは眠そうな顔で、冷蔵庫を開けて水をコップに注ぐ。
龍臣は自然な感じを装ってソファに座り、リモコンでテレビの電源を点けた。
「あれ、コーヒー飲まないの?」
ぼんやりした顔のまま、まつりが尋ねた。
龍臣は、毎朝コーヒーを自分で淹れて飲む。
まつりはコーヒーが苦手で、塩梅がよく分からないため、淹れてあげるという思考には至らない。
「あ、飲む飲む。忘れてた」
慌ただしく立ち上がり、龍臣がまつりの隣にやって来た。
キッチンの引き出しからジップロックに入ったコーヒー粉と紙のフィルターを取り出し、コーヒーメーカーにセットする。
まつりが冷蔵庫から出していたペットボトルの水をメモリより少し多めに入れる。
コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
少し待つと、コポコポと何かしらの準備を始める音が聞こえてくる。
その一部始終を、まつりは水をゆっくり飲みながらぼんやりと見つめていた。
え、めっちゃ見るじゃん。
普段はコーヒー作るとこなんて全く興味を示さないのに、今日、めっちゃ見てるじゃん。
つーか、まつり、おれの左手、見てるよね?これ、薬指、見てるよね?
「あ、指輪ー、あれだな、鞄の中に入れっぱだなー」
龍臣が、大きめの独り言のようにそう言うと、まつりは視線を龍臣の手元から顔に移した。
「…え?」
「昨日、仕事で設備点検あったから、無くさないように外したの忘れてたわ。ま、後ででいっか」
いそいそと後ろの棚からマグカップを用意する龍臣の横顔をまつりは目だけで追ったが、すぐにふっと笑った。
「へー、そうなんだ」
それだけ言うと、房のバナナから一本だけ千切って、冷蔵庫のヨーグルトと引出しのスプーンを取り出すと、すぐにソファの方へ去って行った。
あ、あぶねー。
龍臣の心臓は階段を一気に三階まで駆け上がったくらいに脈打っている。
これはまずい。なんとしても、夜出かける前に見つけなければ。
おれの心臓が致命傷を負うことになる。
まつりは、バナナを頬張りながらテレビを見て、わはは、と笑い声を上げた。
呑気な奴。こっちは事件解決に必死だというのに。
龍臣は恨めしそうな目をまつりに向けた。
目の前のコーヒーメーカーは、熱を帯びた水蒸気と共に芳ばしい香りを放ち始めた。
蒸らし時間も含めて出来上がりまではもう少し掛かりそうだ。
どうせリビングはまつりが陣取っていて下手な行動は出来ない。ひとまずこの間に他の場所を探しておこう。
龍臣はそう思い立った。
玄関の鍵置き場の辺り、スーツのポケットやカバンの中、トイレのペーパーホルダーの上、洗面台の横、寝室のヘッドボードの上など、無意識で置いたり入れたりしそうなところをしらみ潰しに探して行く。
それでも、やはり、あのシルバーの指輪は見当たらなかった。
肩を落としながらキッチンに戻ると、ソファに座るまつりが何の気無しに龍臣を見て微笑んだ。
龍臣は、怪しまれないように微笑み返して、出来上がったコーヒーをカップに注ぐ。
「今、パン焼いてるから。龍臣も食べるでしょ?」
まつりがソファから振り返って声を投げる。
「あ、うん。食べる」
龍臣は念のためキッチンの周りもチェックした後、マグカップを持ってソファに向かう。
まつりと一緒にテレビを眺めてコーヒーを飲みながらも、気が気でない龍臣はそわそわと辺りを横目で確認していた。
その間にまつりが何度か龍臣を見ては微笑み掛けるので、龍臣も、何?と言いながらも微笑み返した。
そのやり取りが何回か続くと、まつりが龍臣に尋ねた。
「ねぇ、もしかして、何か探してる?」
龍臣の心臓は、一瞬だけ冷たい外気に晒されたように危険を感じた。
かろうじて吹き出さずに済んだコーヒーをごっくんと飲み込んでから、龍臣は答えた。
「何が?」
「んー、違うならいいけど」
そう言って、まつりは目の前のテーブルの引き出しを徐に開ける。
そこには、シルバーに眩く光る指輪があった。
「あーー!!」
思わず、龍臣はそれを指差してから、咄嗟に口を抑える。
まつりはそれを見て吹き出した。笑うまつりに困惑しながらも、龍臣は問い詰めた。
「え、なんで?気づいてたの?」
「いや、気づくでしょ。たっつん、明らか挙動不審だったよ」
「…良かったー!えー、でも、おれ、こんなとこ入れたかな?」
肩の力が抜けるのを感じた後で、龍臣は首を傾げる。
「入れたのはわたしだよ?」
「え!?」
どうやら、まつりは昨日寝る前、テーブルの上に置いてあるこの指輪が偶然にも目についた。
手に取ってみるとちょっとくすんでいたので、軽く磨いて、無くさないようにこの引き出しに入れたのだと言う。
「わー、本当だー、綺麗になってる。え、じゃあ、なんでさっき、おれの薬指ガン見してたの?コーヒー淹れてる時」
「え?あー。指輪の跡くっきり付いてんなー、って思って」
「それだけ!?おれ、なくしたのバレたかと思ってめっちゃ焦ってたのに」
「ふっ。うん、見てて面白かった」
まつりは、思い出したようにまた笑い始めた。
「あ、だからなんかやたら笑ってたんだ!ひどーー!」
「ごめんごめん。でもさ、別に本当になくしちゃってても怒ったりしないよ」
「…え、でもまつり、この指輪気に入ってるでしょ?」
「まあ、そうだけど。でも、龍臣のこの薬指の跡があるだけで、そこに今まで一緒に過ごして来た時間があるんだなって思うと、まあいいかなって思った」
「まつり……」
龍臣は、まつりの横顔をじっと見つめた。そして、続ける。
「…何、良いこと言った感、出してんの?どや顔隠せてないから」
「あ、バレた?でも実際良いこと言ったよねっ」
両手を頬に当てて首を傾げ、まつりはにっこりと笑う。
「いや、そんなぶりっ子しても、おれの苦悩を笑ってた罪は消えないから!あと、おれの心臓をちょっと弄んだ罪!」
「はいはい、もー、パン食べよう」
二人の記念日は、普段と同じように過ぎて行く。
【事件レポート】
容疑者 :龍臣
今回の犯人:まつり
備考 :心の動揺は親しい人には空気で伝わる
休日の朝、目が覚めてリビングに向かうと、龍臣は自分の結婚指輪がないことに気付いた。
確か、昨日の夜、ゲームをする前に外して、このローテーブルの上に置いたはずなのに。それか、どこか別のタイミングで外したんだっけ?
とりあえず、テーブルの下の毛の長いラグの隙間に埋まっていないか、手で撫でて確認する。ソファの上や下に転がっていないか確認する。
…ない。ない!なーい!なんで!?
ソファとテーブルの周りをうろうろするが、やはり見当たらない。
やばい、あれ、一点物なのに。
数年前、結婚指輪を買うとなった時、龍臣は無難に適当なブランド物で良いと思っていた。
しかし、まつりはそもそもブランド物に全く興味がなく、それよりは職人が手作業で作る物をと考え、わざわざ店を探し出してオーダーしたのだった。
ブランド物だったら、最悪の最悪、また買いに行けばいいのに。
ブランド物に興味持っとけよ、まつりー!
それに、よりによって今日は結婚記念日だ。
夜、ちょっと良い焼肉を食べに行くのに。その時に指輪をしていないのは、さすがによろしくないということは、龍臣にも分かる。
くっ、これこそ、本当に事件だ…。
龍臣が慌ただしくテレビ台の下を覗こうとした時、まつりが目を擦りながら起きてきた。
「おはよー。何してんの?」
「ん?や、別にぃ。ちょっとゴミ拾ってた」
「ふーん?ありがとう」
そう言いながら、まつりは眠そうな顔で、冷蔵庫を開けて水をコップに注ぐ。
龍臣は自然な感じを装ってソファに座り、リモコンでテレビの電源を点けた。
「あれ、コーヒー飲まないの?」
ぼんやりした顔のまま、まつりが尋ねた。
龍臣は、毎朝コーヒーを自分で淹れて飲む。
まつりはコーヒーが苦手で、塩梅がよく分からないため、淹れてあげるという思考には至らない。
「あ、飲む飲む。忘れてた」
慌ただしく立ち上がり、龍臣がまつりの隣にやって来た。
キッチンの引き出しからジップロックに入ったコーヒー粉と紙のフィルターを取り出し、コーヒーメーカーにセットする。
まつりが冷蔵庫から出していたペットボトルの水をメモリより少し多めに入れる。
コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
少し待つと、コポコポと何かしらの準備を始める音が聞こえてくる。
その一部始終を、まつりは水をゆっくり飲みながらぼんやりと見つめていた。
え、めっちゃ見るじゃん。
普段はコーヒー作るとこなんて全く興味を示さないのに、今日、めっちゃ見てるじゃん。
つーか、まつり、おれの左手、見てるよね?これ、薬指、見てるよね?
「あ、指輪ー、あれだな、鞄の中に入れっぱだなー」
龍臣が、大きめの独り言のようにそう言うと、まつりは視線を龍臣の手元から顔に移した。
「…え?」
「昨日、仕事で設備点検あったから、無くさないように外したの忘れてたわ。ま、後ででいっか」
いそいそと後ろの棚からマグカップを用意する龍臣の横顔をまつりは目だけで追ったが、すぐにふっと笑った。
「へー、そうなんだ」
それだけ言うと、房のバナナから一本だけ千切って、冷蔵庫のヨーグルトと引出しのスプーンを取り出すと、すぐにソファの方へ去って行った。
あ、あぶねー。
龍臣の心臓は階段を一気に三階まで駆け上がったくらいに脈打っている。
これはまずい。なんとしても、夜出かける前に見つけなければ。
おれの心臓が致命傷を負うことになる。
まつりは、バナナを頬張りながらテレビを見て、わはは、と笑い声を上げた。
呑気な奴。こっちは事件解決に必死だというのに。
龍臣は恨めしそうな目をまつりに向けた。
目の前のコーヒーメーカーは、熱を帯びた水蒸気と共に芳ばしい香りを放ち始めた。
蒸らし時間も含めて出来上がりまではもう少し掛かりそうだ。
どうせリビングはまつりが陣取っていて下手な行動は出来ない。ひとまずこの間に他の場所を探しておこう。
龍臣はそう思い立った。
玄関の鍵置き場の辺り、スーツのポケットやカバンの中、トイレのペーパーホルダーの上、洗面台の横、寝室のヘッドボードの上など、無意識で置いたり入れたりしそうなところをしらみ潰しに探して行く。
それでも、やはり、あのシルバーの指輪は見当たらなかった。
肩を落としながらキッチンに戻ると、ソファに座るまつりが何の気無しに龍臣を見て微笑んだ。
龍臣は、怪しまれないように微笑み返して、出来上がったコーヒーをカップに注ぐ。
「今、パン焼いてるから。龍臣も食べるでしょ?」
まつりがソファから振り返って声を投げる。
「あ、うん。食べる」
龍臣は念のためキッチンの周りもチェックした後、マグカップを持ってソファに向かう。
まつりと一緒にテレビを眺めてコーヒーを飲みながらも、気が気でない龍臣はそわそわと辺りを横目で確認していた。
その間にまつりが何度か龍臣を見ては微笑み掛けるので、龍臣も、何?と言いながらも微笑み返した。
そのやり取りが何回か続くと、まつりが龍臣に尋ねた。
「ねぇ、もしかして、何か探してる?」
龍臣の心臓は、一瞬だけ冷たい外気に晒されたように危険を感じた。
かろうじて吹き出さずに済んだコーヒーをごっくんと飲み込んでから、龍臣は答えた。
「何が?」
「んー、違うならいいけど」
そう言って、まつりは目の前のテーブルの引き出しを徐に開ける。
そこには、シルバーに眩く光る指輪があった。
「あーー!!」
思わず、龍臣はそれを指差してから、咄嗟に口を抑える。
まつりはそれを見て吹き出した。笑うまつりに困惑しながらも、龍臣は問い詰めた。
「え、なんで?気づいてたの?」
「いや、気づくでしょ。たっつん、明らか挙動不審だったよ」
「…良かったー!えー、でも、おれ、こんなとこ入れたかな?」
肩の力が抜けるのを感じた後で、龍臣は首を傾げる。
「入れたのはわたしだよ?」
「え!?」
どうやら、まつりは昨日寝る前、テーブルの上に置いてあるこの指輪が偶然にも目についた。
手に取ってみるとちょっとくすんでいたので、軽く磨いて、無くさないようにこの引き出しに入れたのだと言う。
「わー、本当だー、綺麗になってる。え、じゃあ、なんでさっき、おれの薬指ガン見してたの?コーヒー淹れてる時」
「え?あー。指輪の跡くっきり付いてんなー、って思って」
「それだけ!?おれ、なくしたのバレたかと思ってめっちゃ焦ってたのに」
「ふっ。うん、見てて面白かった」
まつりは、思い出したようにまた笑い始めた。
「あ、だからなんかやたら笑ってたんだ!ひどーー!」
「ごめんごめん。でもさ、別に本当になくしちゃってても怒ったりしないよ」
「…え、でもまつり、この指輪気に入ってるでしょ?」
「まあ、そうだけど。でも、龍臣のこの薬指の跡があるだけで、そこに今まで一緒に過ごして来た時間があるんだなって思うと、まあいいかなって思った」
「まつり……」
龍臣は、まつりの横顔をじっと見つめた。そして、続ける。
「…何、良いこと言った感、出してんの?どや顔隠せてないから」
「あ、バレた?でも実際良いこと言ったよねっ」
両手を頬に当てて首を傾げ、まつりはにっこりと笑う。
「いや、そんなぶりっ子しても、おれの苦悩を笑ってた罪は消えないから!あと、おれの心臓をちょっと弄んだ罪!」
「はいはい、もー、パン食べよう」
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