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エリート、壊れる。

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エレナが襲撃の犯人だった。

リンとモエにとって、それは受け入れ難い事実であった。2人はエレナと仲が良かった。自分たちに危害を加える理由が分からなかった。

エレナが犯人だったと正直学校には報告したくなかったが、隠蔽する訳にもいかず、結局事務的に報告することになってしまった。

報告を受けたローグ先生は、自分の教え子がまさかそんなことをするなんて…と、かなりショックを受けている様子だった。
後日、リンたちはローグ先生とミスティ先生からエレナに関するある続報を聞かされた。

「エレナさんの身柄を
 保護しようと教師たちが
 Sランクの宿舎に
 向かったのですが…。」

「彼女は自分の部屋から
 姿を消していました…。」

「……え?」

「もぬけの殻、だったねぇ。
 リン君に姿を見られて、
 もうここにはいられないと
 思ったんだろうねぇ…。」

「そ、そんな…。」

「エレナ先輩…
 どこ行っちゃったんすか…。」

ユキは、自分たちを傷付けた友人の身を案じる2人に、いたたまれなくなった。

だが、リンの目から光は消えていなかった。ひとつ希望があったのだ。

「フロウナさん…。
 おめでとうございます…。」

「Sランクです…!」

「おおおっ!!」と、教室に歓声が響く、リンは魔力鑑定を受けていた。ついにずっと目指していたSランクに到達することが出来たのだ。

「リンちゃん…!
 お、おめでとう…!」

ユキはエレナのことを気にして、おめでとうと言って良いのか悩みながら祝いの言葉を口にした。
自分を気遣うユキに、リンは笑顔で「ありがとう…!」と返すのだった。

授業が終わり、リンはローグ先生に声を掛けた。

「先生…!お話があります!」

「フロウナさん…。
 どうされたんですか?」

「あたしに、エレナの捜索を
 させてください…!」

Sランクに到達したリンは、自分ならばリンのことを連れ戻すことが出来るのではないかと思っていた。

「…私からもお話することが
 あったんです。」

「Sランクの生徒だけに
 話さなければならない…
 非常に重要な極秘のお話が…。」

「……え?」

リンはエレナのことしか考えていなかった。予想していなかった話を切り出され、リンに不安と緊張が走った。

「ここで話すのはちょっと…。
 Sランク専用の宿舎まで
 来ていただけますか…?」

「…え、えぇ…。」

「…リンちゃん?」

ユキは偶然近くを通り掛かり、宿舎へ向かう2人の背中を見ていた。リンとローグ先生からなんだか重い空気が漂っていたので、声を掛けるのは控えたのだった。

リンとローグ先生はSランク専用宿舎で話をしていた。…他の魔法学生には聞かせられない話を。

「…そ、そんな…。」

「あはは…せ、先生…?
 う、嘘ですよね…?」

「……。」

リンはあまりの衝撃に吐き気を催していた。早く嘘だと言って欲しかった。でないと、この場で吐瀉物を撒き散らしてしまいそうだった…。

だが、ローグ先生の顔は険しかった。

「魔物が生まれる
 成り立ちは知って
 いますよね…?」

「Sランクの学生は確かに
 強大な力を持っています…。」

「それ故に…リスクも
 持ち合わせているのです…。」

リンは知っている。魔物がどうやって生まれるのかを。

この世界には魔法の力が溢れている。その影響を受けやすい生物は、時として人間に危害を加える危険な魔物と化すことがあるのだ。

それは、人間も例外ではなかったのだ…。

「魔力鑑定は適切な魔物と
 戦うための力を測るという
 意味合いもありますが…、」

「魔物化するリスクが高い
 生徒をいち早く見つける
 ことが目的なのです…。」

「な、なんで今まで…か、
 隠して、いたんですか…?」

リンの声は震えている。自分が魔物化するかもしれない。そんな話をいきなり聞かされて平静を保てる訳がなかった。

「混乱を避けるためです…。」

「こんな話が広まれば、
 デマや憶測で騒ぎが
 大きくなってしまう…。」

「だから我々教師が、
 魔物化のリスクを背負った
 魔法学生一人一人を、
 しっかりケアしようと
 いうことになったのです…。」

リンは目の前が真っ白になった。このまま意識を失えればどんなに楽かと思えた。

「だけど安心してください…。」

「魔物化を回避する対策は
 用意してあります…!」

「え、え…?ほ、
 本当ですかっ…!?」

リンは魔物になることと、自ら命を断つこと、どちらの方がツラいだろうか…なんてことを考え始めていた。だが、対策がある。その言葉を聞いて藁にもすがる思いでローグ先生の顔を見た。

「この薬を
 毎晩飲んでください…。」

「そうすれば、
 魔物化の進行を
 防ぐことが出来ます…!」

ローグ先生は数日分の薬をリンに手渡した。リンはそれを自分の命と同然だと思った。両手でしっかりと受け取る。

「よ…良かった…。
 本当に良かった…。
 あ、あたしもう…
 本当に怖くて…!」

「すみません…。
 怖がらせて
 しまいましたね…。」

「しっかりと真実を知って
 もらいたかったのです…。」

リンは薬を貰えて少し余裕が出てきたので、気になることをローグ先生に尋ねた。

「あ、あの…。ここ、
 Sランク専用の
 宿舎なんですよね…?」

「あ、あたしも
 ここに泊まらないと
 駄目なんでしょうか…?」

リンはユキとモエと離ればなれになることを恐れた。自分もエレナと同じになってしまうのではないか、そんな不安に襲われた。

「えぇ…。先程のお話通り、
 非常にデリケートな問題です。
 出来ればSランクの学生には、
 個別にしっかりとケアをして
 あげたいのです…。」

「だけど安心してください。
 ただ宿舎が違うだけです。
 離ればなれになる訳では
 ありません…!」

「魔物化の経過をしっかり
 観察するために少し
 入院するだけ。そう
 思っていただければ…。」

「……。」

リンは寂しい気持ちになっている自分をなんだか嬉しく思った。それだけ大事な友人と出会えたことに感謝していた。2人に迷惑を掛ける訳にはいかない。リンはそう思った。

「分かりました…。
 荷物をまとめて
 こちらに移ります…。」

「本当に申し訳ありません…。
 リンさんのことは
 私たちが絶対に魔物になんか
 させませんから…!」

「よろしくお願いします…。」

「…このことはくれぐれも
 他の学生たちには内密に
 しておいてください。」

「大騒ぎになってしまいますし、
 リンさんが差別やいじめを
 受ける恐れもあります…。」

「は、はい…。
 分かりました…。」

その日、リンは自分の荷物をまとめ、ユキとモエに寮から宿舎に移ることを告げた。
2人は心配そうにリンのことを見つめていた。リンの顔がとても疲れているように見えたのだ。

リンは2人に本当のことを話す訳にはいかないので、“Sランクの特別任務”で宿舎に移らなければならないと説明していたのだった。

「リ、リン先輩…。本当に
 行っちゃう、んすか…?」

ぐすぐすっと鼻をすすり、リンと離ればなれになる寂しさのあまり泣きじゃくるモエ。

モエが大切な先輩と離れることになるのはこれで2度目だった。モエには、これがリンと会える最後の時間のように思えてしまったのだ。

ユキはそんなモエの背中をさすっていた。少しでも気持ちを落ち着かせてあげたいと優しく撫で続ける。

「お、大袈裟なんだから…!
 寝る場所が違うだけよ!?
 会おうと思えばいつでも
 会えるわよ全く…!」

その様子を見て、もらい泣きしそうになるのを必死で堪えながら強がるリン…。泣き出してしまう前に宿舎に移動しようと思った。

「リンちゃん…!」

背を向けるリンにユキが声を掛けた。

「何か困ったことが
 あったら私たちに相談して!
 絶対に私たちがリンちゃんを
 助けてあげるから…!」

ユキはなんでそんなことを言ったのか自分でも分からなかったが、ここで伝えなければいけない。そう思っていた。…ユキは親友と永遠の別れを経験していたのだから。

リンはもう涙を堪えることが出来なかった。2人に泣いていることを気付かれないように、クールに手を振るフリをして、宿舎に向かった。


その夜、宿舎に移動したリンは、ローグ先生に言われた通り、魔物化を防ぐ薬をしっかりと飲んだ。

これで本当に魔物化を防げるのか不安だったが、信じるしかなかった。

リンはベッドに潜った。本当にいろんなことがあった。リンは心身共に疲れ果てていたので、すぐに眠りに落ちた。

「……ん。」

しばらくするとリンは夜中に目が覚めてしまった。まだ寝付いてからそんなに時間は経っていないようであった。あんなに疲れていたのに。そんなことを思いながらなんとなく自分の右手を見た。

「……え?」

…見たことのない右手だった。鱗のような物に覆われ鋭い爪が生えている。明らかに人間の少女の腕ではなくなっていた。

「あああああああッ!?」

飛び上がって驚愕するリン。全身から汗が吹き出す。

「ハァッ、ハァッ、
 ハァッ…!?」

過呼吸になりそうなのを必死で抑え、何かの間違いではないかと一度目を閉じて気持ちを落ち着かせようと思った。

…ゆっくりと目を開ける。ぼんやりと見える右手はまだ鱗に覆われていた。だが。

「……あっ。」

少しずつ爪が元に戻っていく。鱗も小さくなっていく。しばらく待つと元の綺麗な少女の腕に戻っていた。

「はぁ…はぁ…。」

心臓の鼓動がとてつもなく早くなっていた。リンは一人で寝ていて良かったと思った。こんな姿をユキとモエに見せる訳にはいかなかった。

先生の言った通りだ。魔物化を防ぐ薬が効いたのだった。この薬が無ければ、魔物の体になってしまう自分の運命に絶望しながら、リンはしばらく静かに涙を流した。


あれから数日が経過した。ユキとモエはしばらくリンと会えていなかった。きっとSランクの任務が忙しいのだろうと思ってはいたが、心配で心配で堪らなかった。

「リン先輩…。
 大丈夫っすかね…。」

「心配だよね…。
 少しくらい顔を見せて
 くれても良いのに…。」

そんなことを話していた時だった。偶然、遠くにリンの姿が見えた。Sランクの宿舎に向かう途中であるようだった。

2人は慌ててリンの元へ駆け出し声を掛けた。

「リ、リン先輩…!」

「リンちゃん…!
 今まで何してたの!?
 心配してたんだよ!?」

2人はリンに会えなかった寂しさを爆発させていたが…。

「……。」

リンは何も喋らない。光の無い目で2人のことをぼーっと眺めている。

「リン…ちゃん…?」

様子のおかしいリンに震えながら声を掛けるユキ。

「……ごめん。
 任務で忙しいから。」

感情のない声でそう告げると、宿舎の中に入っていってしまった。
固まるユキとモエ。そこにはもう、2人の知っているリンの姿はなかった…。
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