カオルの家

内藤 亮

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 芳からの連絡が入ったのはつい先日だった。日常生活に支障はないそうで、来月から仕事も再開する、とのことだった。芳の言う通り、乳房の手術は案外と簡単にすんだのだろう。
 空気はまだ肌を刺すよような冷たさだが、太陽は日ごとに力強さを増している。冬と春があたかもせめぎ合っているかのようで、日の当たるところは根雪が解け始めていた。明るい太陽が芳の回復を象徴しているようだった。宥己は鼻歌を歌いながら、吉本の家に持っていく荷物を積み込んだ。
「窓、これでいいですか」
 宥己が持ってきたサッシを見た吉本の顔が輝いた。
「こんな立派な窓、本当にタダでいいのか?」
「はい。もう使わないので」
「孫たち、大喜びだった。これ、あいつらが帰ってきたときの写真だ」
 囲炉裏端で餅を焼く吉本を二人の子供とその母親と思しき女が覗き込んでいる。女は労働とは無縁のほっそりとした節のない指をしていた。子供たちは母親似らしく、黒目勝ちの大きな目が母親にそっくりだった。
「智子さんも、また来たい、だとよ」
 吉本は鼻をすすりながら、満更でもないような顔をした。
 休みごとに吉本の家に来て、作業をするのがこのところの日課になっている。母屋の手入れはあらかた終わって今日からは牛小屋の改築だ。
 孫の秘密基地みたいなもんだ、と吉本は言うのだが、それにしては注文が細かい。図面を引きながらいろいろ質問しているうちに、智子さんが着替える場所に不便しているから、とようやく白状した。囲炉裏のある部屋と隣室の和室を区切るのは襖だけだから吉本のほうが気兼ねなのだろう。年金暮らしの吉本に余計な金を使わせたくなかったから、建て替えで出た廃材から使えそうな資材を運ぶことにした。断熱材も譲って貰い、母屋にも牛小屋の壁にもたっぷりと詰めておいた。これでいくらかは快適な居住空間が出来るはずだ。奥村に訳を話して解体を丁寧にやってもらったから、断熱材は何処も破損していないし、サッシには傷も歪みもない。二人で洗ったら窓は見違えるようにきれいになった。
「木っ端を切ったり削ったりがそんなに面白いか?」
 宥己は作業の手を休めずに頷いた。
「はい!」
  工事の進行状況をチェックするために現場を回ることはあるが、実際に木を切ったり釘を打ったりするわけではない。自分の手で家が段々と形を成していく過程は新鮮な驚きに満ちていた。
「いっそのこと大工にでもなったらどうだ?」
「それもいいですね」
 身体を使う仕事の心地よさがすっかり身について、このところ机に張り付いて図面を引いているだけでは物足りない。いっそのこと奥村に弟子入りしようかと本気で思うくらいだった。
「暖房はどうしますか」
「うーん、そこだな問題は」
 牛小屋は狭いから炉を切るわけにもいかない。灯りは埃をかぶっていたランプを使えるようにした。水は近くを流れている谷川から引いて確保できたのだが、電気のない場所での熱源の確保は工夫がいる。
「薪ストーブは? 一万円くらいからありますよ。土間にストーブを置いて、このあたりに煙突の穴を開ければ」
 灯油ストーブの方が手軽だが、灯油代がかかる。薪なら打ち捨てられたような里山があるからいくらでも手に入るのだ。宥己は土間の隅を指さし、この辺りなら、どうです? と提案すると吉村は大きく頷いた。
「ストーブの周りは断熱の補強をしねえとだな」
「そうですね」
「レンガでいいか?」
「ええ。それで充分です」
「よっしゃ。これからホームセンターに行くぞ!」
 吉本の車は軽トラックだ。最初に来たときは埃だらけになって牛小屋の側に忘れ去られたように置かれていたのだが、今はワックスがかかってピカピカに磨かれている。いつの間にかタイヤも交換してあった。
 意気揚々と運転席に乗り込んだ吉本が言った。
「隣の滋も家を綺麗にしたいんだとよ。今年の正月、俺の家は庭先で餅をついたりして賑やかだったからな。あの頑固爺も羨ましくなったんだろう」
 吉本は鷹揚に笑った。
「リフォームは是非セレクトホーム市村にって伝えといてください」 
「おう。ちゃんと宣伝しといた。あいつはけっこう金を持ってるぞ。ふっかけてやれ」
 気持ちよさそうに冗談をいう吉本は最初に会ったころとは別人のようだった。
 レンガは一つ60円。薪ストーブは7000円。煉瓦もストーブも吉本の車に積めるから配送費はいらない。
 ストーブの使い方を熱心に聞いていた吉本は感じ入ったように嘆息した。
「こんなちっさいストーブで火力が調節できるなんて。便利なもんだなあ」
 薪ストーブを販売している隣のコーナーではアウトドア用品を売っていた。宥己はダッチオーブンを買い求め、吉本に渡した。
「これ、新築祝いです」
「いらねえよ。お前にはこっちが礼をしないとくらいなんだ。こういう鍋が欲しいのか? 俺が買ってやるぞ」
「薪ストーブにダッチオーブンは必須ですよ。この鍋でパンとかも焼けるんです。智子さん、きっと喜びますよ」
 智子さん、の一言が効いた。吉本ははっとしたような顔をして、おずおずと鍋を受け取り、ありがとうよ、と早口で言った。
 ホームセンターに隣には園芸コーナーが併設されていて、野菜や花卉の苗や種を販売している。近隣の農家から仕入れているとあって、どの苗も緑が濃くて生き生きしていた。値段も都市部のガーデニングセンターに比べたら破格の安さだ。いかにも別荘族といった雰囲気の熟年夫婦が花の苗を沢山買っていった。
「ちょっと寄っていいか」
 野菜の苗でも買うのだろうと思ったのだが、吉本が向かったのは花の苗のコーナーだった。苗を並べた平箱の前にしゃがみこんで苗を吟味している。無骨な吉本に花の苗は似合わないが、苗を選ぶ目は真剣な百姓の目そのものだった。宥己と目が合うと、吉本はばつが悪そうな顔をして苗を抱えたまま、ちょっと待ってろ、とレジに行ってしまった。
 吉本に倣ってパンジーとノースポールの苗を買うことにした。こんなに沢山の苗を見たら芳はきっと喜ぶに違いない。
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