骨壺屋 

内藤 亮

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「やあ、久しぶり」
 振り返ると、ビックリするほど厚着をした島崎が立っていた。
「チビ達もすっかり大きくなったなあ」
 いま集めたばかりの落ち葉を蹴散らせながら、猫たちが島崎の足元に走ってきた。
「掃除の邪魔をしちゃったね」
「いつものことです。寒いから先に入っていてください」
 モコモコになるほど着込んでいるのに、島崎の顔は白くなって毛羽っている。
「手伝うよ。これ、どこに置いたらいい?」
 島崎が大きな重箱を掲げた。
「ありがとう。とりあえず、お店の方に置いといてください」
 勝手知ったる我が家だ。島崎は裏口から店に入ると、すぐに戻ってきた。
「焚火ができたらいいのにね」
 落ち葉をゴミ袋に詰めるのを手伝いながら島崎が言った。
「ですよね。お芋とか栗とか、焼けたら楽しいのに。ここ、焚火禁止ですよね?」
「うん。子供の頃は良かったんだけどね。周りにこんなに家が建っちゃったら仕方ないか。僕は芋だけじゃなくて、悪い点のテストも燃やしていたなぁ」
「そんなことをして、怒られないんですか」
「怒られないために、焼却するんだよ」
「あ、そっか。そうですよね」
「尚子さんって、学校の成績、よかったでしょ?」
 島崎がクスクスと笑いながら言った。
「はあ。まあ、悪くはなかったです」
 控えめに答えたが、小中高、大学まで成績はかなりよかった。
 祖母はたっぷりの愛情を注いでくれたが、何しろ貧乏でお金がなかった。着る物は従妹たちのお下がりばかりだったが、あの頃から着る物には無頓着だったし、祖母の作るものは料理もお菓子も美味しかったから、辛いと思ったことはない。ピアノだ塾だと友達はお稽古事で忙しそうだったが、帰宅部は帰宅部で忙しい。家に帰ったら、ケーキをいかに泡立てたら膨らむか、パンをふっくら焼くにはどうしたらいいか、祖母と一緒に研究しないとだし、漫画や本も読まないといけない。流行りの漫画は速やかに友達に返さないとだから、急いで読んだ。図書館の本も返却期限が決まっている。おかげで活字を集中して読む習慣がついた。
 勉強を頑張ったのは、おばあちゃんを喜ばせたかったからだ。最初はそういう素朴な理由で勉強をしていたのだが、熱心に勉強する私を見て、おばあちゃんが話してくれた。
「ユダヤ人、って知ってる」
 私が首を振ると、おばあちゃんはユダヤの人々の話をしてくれた。
 イスラエルを建国するまで、ユダヤの人々は放浪の民だった。何処の国に行ってもよそ者の扱いだ。受難の歴史はヒトラーの迫害だけではない。施政方針が変わって、家財産をはく奪され、国を追い出される、なんてこともしょっちゅうだった。そうした時、己を守るのは何か。身ぐるみ一つで追放されても、頭の中身まではとられない。そうユダヤの人々は考えた。だから、知識を蓄え、知恵を磨いて、どの国に行っても生き抜いてきたのだ。ハリウッドはそんなユダヤの人々の努力の象徴だ。
 あの、きらびやかなショウビスの町をユダヤの人が作った、と知った時は心底驚いた。それまで私は、ハリウッドはアメリカ人の金持ちが道楽で作った、と思いこんでいたのだ。
 何もなくても、頭一つで道を拓くことが出来る。そう思うと、目の前を覆っていた霧が晴れるようだった。それからというもの、とにかく勉強をした。問題集を親戚のお姉ちゃん、お兄ちゃんから譲ってもらって、バンバン問題を解いて、分からないところは学校の先生に教わった。塾と違ってもちろん無料《タダ》だ。
 この勉強方法は、受験のときも役にたった。熱心な生徒を無下にする教師はいない。我ながら充実した生活&効率のいい勉強をしていたと思う。
 とにかくいい成績をとって、大きい会社に就職して、あのぼろ屋を何とかしてあげたい、と思っているうちに、祖母は亡くなった。大学二年の時だった。
「おばあちゃんに楽をしてほしいなって、思って。それで勉強しました」
 学歴イコール年収ではないけれど、ある程度のラインは保証されるのだ。学歴社会のいい面ではある。
「偉いなあ。いい加減な居酒屋をやっていた僕とは大違いだ」
「菊水庵がなくなっちゃって、悲しんでいるお客さんが沢山いますよ。先日も戸締まりをしていたら、これから開店するんじゃないの、ですって。今は陶器の店ですって言ったら、呆然としちゃって。そのまんま、優に三分間は固まってましたね」
 旧菊水庵のファンがいかに嘆いているか力説したが、島崎はお道化たように目をクルリ、と回しただけで何も言わなかった。
「夜は骨壺屋は閉めるんですから。居酒屋を再開したらいいのに」
「夜の仕事はもういいよ。最近はすっかり早寝早起きになっちゃって、夜はもう眠くて眠くて。それにさ、お酒は百害あって一利なしって、最近の研究で証明されたんだよ。飲みすぎると脳が縮小するそうだ。スカスカの脳ミソのレントゲン写真を見たらぞっとしたよ」
「肝臓が痛むんじゃないんですか」
「肝臓も痛むし、下手をすると、パーになるんだよ」
「うわ、怖い」
「ボケると尚子さんに会えなくなるからさ。爺《じじい》は日々節制してるわけだ」
「島崎さんはぜんぜん、お爺さんじゃないですよ」
「そう言ってもらうと、嬉しいな」
 そのとたん、島崎が大きなくしゃみをした。島崎の顔がさらに白くなって、よく見ると小刻みに震えている。
「早く部屋に入りましょう。風邪を引いたら大変だわ」
「う、ん」
 部屋に、と言ったら島崎がのどに詰まったような声で返事をした。放蕩の人、じゃなかったっけ? そういえば、島崎を部屋に上げるのは今日が初めてだった。笑いをこらえながら、急いで玄関を開けた。
 玄関を開けると小さな三和土があって、短い廊下がのびている。右側の襖を開けると、和室で、左側には二階へのぼる急こう配の階段がある。
 和室は店に繋がっていて、商談やじっくり商品を見たいお客様のための部屋として使っている。いわば、公的な部屋だ。和室から見ると、この入り口は押し入れ風の模様が描かれていて、廊下に通じているようにはみえない。一階のトイレは店の土間の方にあるから、客はこちら側に来ない。パブリックスペースとプライベートスペースをこの襖が仕切っている、というわけだ。
 玄関から入った島崎は物珍しそうにあたりを見回した。
「懐かしいなあ。婆さんが生きていた頃を思い出すよ」
「ここはおばあ様の家だったんですか」
「うん。ここは今で言う、アンテナショップみたいな店だったんだよ。僕の父親が作った日本酒をここで売っていたんだ」
「今もお酒を作っているんですか?」
「うん。弟がね」
 説明はそれだけだった。
「やあ、この階段もそのままだ」
 酒蔵のことをもっと詳しく知りたかだたのだが、島崎が話しを逸らせてしまったので、それ以上の質問は出来なかった。
「一階はそのままにして、二階を住居にしたんです」
 仕方ないから当たり障りのない受け答えをした。
 島崎が倉庫として使っていた二階部分は居住部としてフルリフォームした。といっても、ユニットバスとトイレを作って小さな台所を作っただけなのだが。
「二階って、こんなに明るかったっけ?」
「窓の大きさはそのままです。硝子が新しくなったから、そう思うんですよ。お茶、淹れますから。炬燵にでも入っていてください」
 勧めると、突っ立ったままの島崎がようやく炬燵に入った。
「この部屋、すごく物が少ないね」
「引っ越しを機会に、断捨離してシンプルに暮らそうって思って」
「ふうん。そういうの、流行ってるみたいだけどさ。人生の棚卸は迂闊にやっちゃダメだよ」
 軽い口調だったが、射すくめるような眼をした島崎に、何もかも見透かされているような気がした。ここへ引っ越すとき、そんな覚悟をしていたのは否定できない。
「ええっと」
 慌てて湯呑を手に取って次のフレーズを探しているうちに、島崎は何事もなかったような顔をしてお茶を飲んでいる。
「尚子さんにはまだまだ先の話だろうけど。本当に一人になった時、ガラクタがけっこう慰めになるんだよ。無精者だから捨てそびれたものが沢山あってさ。イロイロ思い出すわけだ。元の持ち主はとっくにいなくなってるのにね。なんでも綺麗に片付けたらいいってもんじゃないらしい」 
 イロイロといって含み笑いをした島崎は、放蕩時代を彷彿とさせる顔になっていて、ドキリとする。
「ごちゃごちゃするのもいやだし、だからって何もかも断捨離したら味気ないし。ほどほどって難しいですね」
「一人きりだと生きているのが面倒になってね。死んだらそれでおしまい。悲しむ人なんていないんだから。せめてモノくらい愛でていないと、この世との係りが無くなっちゃうんだよ」
「島崎さんは一人じゃありません。クロもいるし、寅吉の子供たちだっているんですよ!」 
 もちろん、私もいます。とは言えなかったけれど。
「お節、頂きましょうよ。菊水庵の料理をもう一度食べられるなんて。嬉しいです」
「そうだった。メインイベントを忘れてたよ」
 島崎は取り皿を手に取った。
「あれ、これ、菊水庵の器?」 
「ええ」
「そういえば、この湯呑も見覚えがあるな」
「使わない分は倉にしまってあります。菊水庵の器、いいなあって思っていたので」
「器はこの店で売っちゃえば? 仕事用の倉庫にそんなものを入れたら勿体ないよ」
 島崎はあっさりと言った。 
「そんなもの、なんて……。本当に売ってもいいんですか」
「もちろん。居酒屋より脳ミソのほうが大事に決まってるからね。お、この焼き鯛、まだ温かいよ」
 島崎はお重に詰められた料理を一つずつ皿にとって、丁寧に食べている。そんな島崎を見ていると急にお腹がすいてきて、私も箸を取った。 
「ふう、食べた食べた」
「私も、お腹一杯。こんなに美味しいお節って久しぶりです。一休みしたら、器、見ていかれますか」
「うん」
 島崎は身軽に立ち上がると、皿を片付け始めた。居酒屋の店主だけあってさすがに手際がいい。
「食洗器に入れちゃいますから」
「おお、文明の利器だ!」
 スリムタイプのビルトイン型の食洗器が台所には設置されている。もちろん、最新式の最上機種だ。会社勤めは終止符をうったが、家電への愛は、やはり変わらない。
 外に出ると、凍てつくような空に星が煌めいていた。池には氷が張って、きらきらと光っている。島崎は完全武装をしているが、いかにも寒そうに首をすくめている。
 倉の閂が凍ってしまったしく、押しても引いてもびくともしない。
「貸してごらん」
 島崎がカギを差し込んでガチャガチャさせると、あっという間に扉が開いた。
「この閂、ちょっと歪んでるから。開け方にコツがいるんだよ。僕みたいでしょ」
 そういうと、島崎が唇の隅をちょっとあげてニヤリとした。
「こんなに明るかったっけ。蛍光灯を変えたの?」
「LEDにしたんです」
 点灯管が壊れてジージーと虫のような音を立てて点滅していた蛍光灯を全部LEDに取り替えたのだ。全部電気をつけると、倉庫の中が隅々まで見える。
「なるほど。やあ、ここもきれいになったなあ」
 島崎は感心してかつての酒蔵を見渡した。
「菊水庵の器はこれですね」
 器は用途と大きさ別に仕分けして、ラベルの付いた半透明のプラスチックケースに収めてある。びっしりと並んだプラスチックケースからすぐに菊水庵の器を取り出すと、島崎が感嘆した。
「すごいなあ。やっぱり尚子さんは仕事に対して心構えが違うね」
「ありがとうございます。ええと、そこにあるクッションシートをテーブルにひいてくれますか」
 このテーブルも居酒屋時代に使われていたものだ。テーブルに器を並べていくと、居酒屋に居た面々が目に浮かぶようだった。島崎も懐かしそうに器を手に取っている。
「あのう、本当に売ってもいいんですか」
「もちろん。器だって使ってもらった方が喜ぶよ」
 その時だ。遠くから船の警笛音がした。
「除夜の警笛だよ。ここは横浜港が近いからね」
「昔読んだ漫画で、大晦日に外国船が一斉に警笛を鳴らすシーンがあって。格好いいなって憧れていたんです。ここが舞台なのかしら」
 警笛の余韻にかぶさるようにして、今度は除夜の鐘が響いた。警笛と鐘が呼応しあっているかのようだ。
「案外、そうかもしれないよ。もう少しで年が明けるね。初詣、一緒に行こうか」 
「はい!」
 部屋に戻ったら、島崎はコートを脱いで炬燵に入ってしまった。
「これから行くんじゃないんですか」
「寒いし、真っ暗だし。朝になってからでしょ、初詣は」
「えええ、そんなもの?」
「そんなものだよ。その代わり、ちょっと遠征して川崎大師まで行こう。朝までここで寝ていい?」
「ちゃんと布団で寝ないと、風邪をひきますよ」
 そう言ってから布団が一つしかないことを思い出した。仕方ないから、また横向きに敷き布団を敷いた。
「おお、なるほど!」
「あとは炬燵布団を足して、オイルヒーターをつけておけば大丈夫。お風呂は?」
「家ではいってきた。レディを訪問するんだもの」
「さすが!」
「歯ブラシがないから、コンビニで買ってくるよ」
「ストックがあるからあげますよ」
「ありがとう。なんか、修学旅行みたいで楽しいね」
「ですね。電気、消しますよ」
「うん」
 彰ともこんな風に話せたら、友達でいられたのかもしれない。ふと思ったが、慌てて彰の映像を頭から追い出した。これから一大イベントがはじまるのだ。彰、どころじゃあない。
 布団に入って息を凝らしていると、部屋の隅がぼうっと光り始めた。いよいよ寅吉の登場だ。
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