骨壺屋 

内藤 亮

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 がん治療が大変なのは、手術して、はい、おしまいとはならないことだ。効果的だというので、今回は放射線治療と化学療法が同時進行だった。放射線治療は痛くも痒くもないが、回数を重ねると、皮膚が変色して火傷のようになる。疲労感もある。何のこれしき、と前回は根性で乗り越えたが、今回はひどく疲れて食事が進まない。 
 化学療法は今回もハードだった。一回で身体中の毛が抜けた。もちろんアソコの毛も。高熱、嘔吐、白血球や筋肉の減少。口内炎なんて、ベロに穴があくかと思うようなひどさだ。身体中がダメージを受けている。 
 抗癌剤投与から三日間は、熱&嘔吐で、布団とトイレの行き来で終わる。嵐が過ぎたら、少しずつ物が食べられるようになる。島崎が差し入れてくれる煎餅が貴重な栄養源だった。何も受け付けない胃が、あの煎餅だけは受け付けるのだ。
 治療スケジュールをこなすのが精一杯で、退院祝いに一緒に食事に行こうという島崎との約束もいまだにはたせていない。
 目は窪み頬がこけている。おまけに副作用で皮膚が黄色くなっている。ひどい顔をしているが、ずっと寝ていると、そのまま寝たきりになりそうで怖い。その恐怖に追い立てられるようにして店を開くのだ。
 そんな治療の合間に店を開いていると、佳子が来てくれた。ウィッグ(やっぱり安物)をつけているのをみると、
「あらまぁ。帽子のほうが楽よ。今度持ってきてあげる」
 そう言うと、手土産の菓子を置いて帰っていった。
「どうぞ」
 佳子が大きな紙袋を持って、店に来たのはそれから間もなくだった。
「これを被ってなさい」
 大きな袋をガサッと置くと、お礼を言う間も無く、無理しちゃダメよ、といってハナを引っ張って帰ってしまった。
 袋を開けるとコットンのキャップが5つも出てきた。コマ編みで編まれていて花のモチーフが編み込まれている。色違い、デザイン違いで、どれも可愛い。病人臭くないデザインなのが嬉しい。柔らかく編まれたキャップは丸坊主になって弱っている頭皮を優しく包んだ。
 煎餅はもちろん、滋養によさそうなものを携えて、島崎はしょっちゅう店に来てくれる。消化のいいもの、例えば参鶏湯風スープとか、具合が悪い時は湯豆腐とかを手早く支度してくれる。一緒に食事をしているとふと視線を感じる。
「どうかしましたか」
「? どうもしないよ?」
 敵もさるもの。疑問系で返してきた。料理に集中していると、やっぱり熱い(!)視線を感じる。ワオ、と最初は思ったのだが、違った。私の健康状態をくまなくチェックしているのだ。食事が進まない日は、猫の話や若い頃の武勇談で笑わせて、さり気なく食後のお茶の支度をはじめる。気にしなくていいよということらしい。残された料理を手早く片付けると、ゆっくりしなさいと言って帰っていく。副作用が渦中の時は酷い状況になっているから、島崎の心遣いは有りがたかった。
 今日は雪が降っている。冬の終わりを告げるかのようなドカ雪だ。電車はすでに間引き運転が始まっている。そんな中、島崎が来てくれた。 
「やっぱり来ちゃった」
 笑いながらそう言うと、食べる物を置いていつものように帰ろうとする。引き留めるべき? ぐるぐる考えていたら、島崎が笑いながら言った。
「気にしなくていいよ。尚子さんのこと、怪我をした野性動物と思えって、クロに言われたんだ」
「クロと話しができたんですか」
「寅吉が通訳してくれたんだ。クロはずっと尚子さんと一緒でしょう。よくみてるよね」
「あの、今夜は泊まっていきませんか」
 島崎の目が倍くらいに大きくなった。
「電車が止まったら大変です」
「いいの?」
「もちろんです」
 いつもの、友達だもの的な言い方をしたかったのに、うまくいかなかった。頬が火照るのは、熱のせい、だ。
「ありがとう、助かった。ジジイが雪道で転ぶと困るからね」
 島崎の笑顔に救われた。
 安らかな寝息を聞いているうちに、眠っていた。目を覚ますと、顔をのぞき込んでいる島崎と目があった。
「おはよう。昨日より随分元気そうだ」
「ぐっすり眠れました。ありがとう」
 一人の時とは眠りの深さが違った。
「朝ご飯、作りますね」
「僕が作るよ」
「お陰さまで、すっかり回復です。私のオムレツはちょっとしたものですよ」
「それは楽しみだ」
 島崎は背筋をきちんと伸ばし、音をほとんどたてずに咀嚼する。お箸の使い方もきれいだ。箸先は一寸以上汚さない、だっけ? そんな作法を思い出す。
 島崎が、オムレツを一口食べると、目を見張った。
「尚子さん、すばらしい!」
 もちろん、オムレツの事と分かってはいるが、やっぱり嬉しい。

 なんとか身体が回復して、白血球が増えてきたら次の治療タームが待っている。それにしても身体が鉛のように重くてひどくだるい。これ以上化学療法を続けたら、マジで死ぬ、なんて思いながら検診を受けに行った。
 とにかく気合いで乗り越えるんだ、と覚悟していたら、今回で終わりにしましょう、と真壁があっさりと言った。治療期間が半分ほど短縮されたわけだが、がん細胞が無事寛解したのだ。治療は身体へのダメージがキツかったが、がん細胞にも同じようにダメージを与えたらしい。
 これでやっと物が美味しく食べられるようになる。目の前が急に開けて薔薇色になった。いつもは威圧的にみえる病棟さえ、モダンアートのように思えてくる。真っ先に島崎に連絡した。
「治療を無事乗り越えられたのは、島崎さんのお陰です。本当にありがとうございました!」
「良かったね」
 くぐもったような声が、それきり途絶えてしまった。
「島崎さん?」
「な、何でもないよ。本当に良かった。今度こそ、一緒に美味しいものを食べに行こう」
「はい!」
 やっと日常が戻ってくる。
 治療中は、島崎や佳子はもちろんのこと、みんなに心配をかけた。和菓子屋の若夫婦は、冷凍できる和菓子の試作と言って、試作とは思えないほどの美味しい菓子折を持って来てくれた。獣医まで、猫の定期健診と称して店に来てくれたのには驚いた。
 佳子が私のために応援チームを結成してくれた、と知ったのは、すっかり髪の毛が生えそろった頃だった。
 
 
 
 

 
 


 
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