骨壺屋 

内藤 亮

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 薬の影響がなくなって、しっかり食べられるようになると、身体がみるみるうちに回復してくるのが分かる。皮膚の色がだんだん元に戻り、髪の毛も生えてきた。生まれたての毛髪はキューティクルがつやつやだ。
 ベリーショート、と言えなくもない。鏡の前でキャップを被ったり脱いだりしていたら、クロが笑った。
「島崎さんは見た目なんて気にしないわ」
 金色の眼は何でもお見通しだ。
「キャップ、被ったほうがイタく見えないかなぁ、って」
「髪型、格好いいわよ」
「え、そう?」
「ええ」
 クロが自信たっぷりに答えた。
 
 夜。島崎がやってきた。私を見るなり、大きな笑顔が広がった。
「やぁ、とても綺麗だ」 
 ひゃっ。マジで? 嬉しすぎる。こういう事をさらりと言っちゃうのが島崎だ。
「短い髪も似合うね」
「あ、ありがとう」
 面と向かって容姿を褒められた事なんてなかったから、島崎の優しさを勘違いしそうになる。ふわふわした気持ちを慌てて引っ張り戻した。
「尚子さん、何が食べたい?」
「おせち料理を作ってくれた板前さんのお店に行きたいです」
 即答したら、島崎がゴクリ、と唾を飲み込んだのがわかった。目が宙をさまよっている。  
 割り勘が暗黙のルールなのだが、今夜は快気祝いということで、島崎のご招待なのだ。島崎の経済状況は全く知らない。貧乏ではなさそうだが、負担をかけたくはない。
「あの、ええと、めちゃくちゃ高級な店とか? 予約なしはまずいですね」
「いやいや」
 といったきり、黙っている。その店には行きたくないようだ。
 お気に入りのエスニックの店があるが、島崎の好みではなさそうだし。どんな店をリクエストするべきか考えていたら、島崎が言った。
「お店が人形町なんだ。1時間くらい電車に乗るけど、大丈夫かい?」
 穏やかな物言いは、もう、いつもの島崎だった。
「ええ、もちろん」
 島崎が店に行くのを躊躇したのは距離の問題ではなさそうだが、かくして夜のデートとなった。
 一緒に出かけるのは、初詣以来だった。治療の間に、いつの間にか夏が終わっていた。澄んだ夜空に星が見えはじめた。島崎は見るからに仕立ての良いショートコートを羽織り、帽子まで被っている。私も、ローヒールとはいえ、パンプスを履いて、いつものパンツスタイルではなくスカートにした。中の上くらいまでの店なら大丈夫なドレスコードだと思う。思いたい。
 都内へと向かう夜の地下鉄は、これから仕事に行くと思われる、プロっぽい化粧をした華やかな女性が目立つ。スーツ姿の男性も、やたらと格好よくて、サラリーマンとは違う匂いがする。
「この時間の電車は初めて? 目がまんまるだよ」
「朝の通勤時間とは違うなぁって。いつも乗る電車なのに。何だか新鮮です」
「僕はさ、朝のラッシュアワーを知らないんだ」
 おお、何だか恰好いいぞ。
「次回はラッシュアワー体験ですね。ご案内します」
「勘弁してください」 
 そう言って、島崎はクスクスと笑った。
 人形町の駅で降りるのは初めてだ。地下鉄のホームから地上に出ると、周囲は真っ暗で静まりかえっている。
「誰もいませんね」
「昼間はけっこう賑やかなんだよ。住んでいる人は少ないけど、安くて美味しい店がたくさんあるからね。さ、こっちだ」
 島崎が手を伸ばした。
 今、このまま手を握ったら友達のままでいる自信がない。島崎が献身的だったのは病気だったから、と頭では分かっているはずなのに。
「川崎大師とは違うんですから。迷子にはなりません」
 笑いながら答えていた。島崎が立ち止まった。暗くて表情は分からなかった。
 古いビルが並んでいる。派手なネオンでもついていれば目印になるが、地味なビルばかりで特徴がない。そんなビルの林の脇道に島崎は入っていく。ほっそりとした後ろ姿がみるみるうちに遠ざかっていった。慌てて後を追った。独りで歩くのは、もういやだ。
「歩くの早かった?」
 島崎がぱっとふり返った。息が切れて、すぐに返事ができない。久しぶりの外出で、体力が落ちていることを思い知らされた。はぁはぁと喘いでいたら、島崎に抱きしめられた。
「うっかりしていたよ。ごめん」
「あの、」 
「こんなに痩せて。よく戻ってきてくれた」
 島崎の腕に力がこもった。
「あの、」
「黙って」
 広くて温かい胸だった。顔を埋めると、更に強く抱き寄せられた。自分の心臓の音が耳の中で響いている。
 このままだと、戻れなくなる。おどけて、ぴょんと島崎から離れた。
「もう大丈夫です。ほらね」
 元気よく足踏みしてみせた。
「うん……」
 島崎の腕が抱擁した形のままだった。
「行こうか」
 いつもの笑顔なのだろうか。島崎の顔を見ることが出来なかった。歩調を合わせてくれる島崎に、ただ、ついて歩た。
 ほらあの店だ、という島崎の声で我にかえった。
 粋なしもた屋が目の前にあった。控え目な暖簾に気がつかなかったら、そのまま通り過ぎて行きそうな店だ。
 島崎は店の前で立ち止まり、ほんの一瞬、目をつぶると、静かに引き戸を開けた。
「いらっしゃい」
 十人も入れば満員になるような小さな店だった。L字型の飯台は既に半分ほど埋まっている。結い上げた白髪頭を見れば、結構な歳だと思うのだが、お餅のような身体つきは、お婆さんとよぶには若すぎる。まくり上げた白い割烹着からは、これまたお餅のようなむっちりとした二の腕がのぞいていた。
「空いている席にどうぞ」  
 と、私達に声をかけると、女将は再び調理場に戻った。
 酒を呑む客と食事をする客が違和感なく並んでいるのは、何だか不思議な光景だった。店はほぼ満席で、どの客も静かに飲み食いして、呑む、食事するという行為そのものを楽しんでいる。かつての菊水庵となんとなく雰囲気が似ていた。
 毛筆で書かれた手書きのお品書きを渡された。
「素敵! こんな文字が書けたら楽しいでしょうね」 
 書のことは分からないが、見ていると気持ちまで伸びやかになるような字だった。思わずそう言うと、
「ま、嬉しい」
 と、女将が微笑んだ。定食が三種類、あとは肴が何品か。品数はそれほど多くはない。
「季節の天麩羅をお願いします」
 島崎は店に入ってから、一言も口をきかない。
「あの、島崎さんは何にしますか」
 恐る恐る声をかけたら、島崎は目が覚めたような顔をした。
「あ、ええと、僕も同じものを」
「はい」
 目に笑みを残したまま、女将が返事した。 
 茄子、舞茸、カボチャ、サツマイモ。ハモと海老。プロの天ぷらは衣はカリカリなのに、中の食材はふっくらと柔らかい。せっかくだから焼き塩で食べてみる。
「美味しい」
 思わず呟いたら、女将と目が合った。
「プロの天ぷらは流石ですね!」
「茄子も舞茸も、今が旬ですからね。ハモはそろそろおしまいね。恭さん、ちゃんと食べてる?」
 島崎がぐっと喉に詰まったような声をだした。
「女将さん、おあいそ」
 その声が合図とでもなったかのように、客が帰り始めた。長居をする客は居ないようだ。
「やっと三人になったわね。暖簾をおろしてくるわ」
 店が閉まる時間までまだ大分時間がある。おせち料理の件といい、島崎はよほど特別な客なのだろう。それにしても、今夜の島崎は妙だ。
「その後、お腹の傷はいかが」
 女将が言った。
  
 

 
 
 

 


 
 


 
 

  
 
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