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第三章

②ぼくは、にゃんこ?

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 公爵たちが戻ってきたのは、空がオレンジ色に染まり始めるころだった。

 ハードなトレーニングだったのだろうか。公爵はいつもどおり凛としているけれど、ブラッツとアディは、ぜぇぜぇと肩で息をしていて、足元もおぼつかない状態だ。

「おかえりなさい」

 笑顔で出迎えたレオンに、ブラッツは倒れ込むようにもたれかかる。

「あ、ブラッツさん、ずるい! 俺もレオンさんに介抱されたい!」

 ブラッツの真似をして、レオンにしなだれかかろうとして、アディはブラッツの鉄拳制裁を喰らった。

「ルディ。おとなしく留守番していたか」

 公爵に問われ、ぼくは手を上げて答える。

「ちゃんとおりこうにしてたよ! ご褒美ちょうだい!」

 悪役令息キャラになりきるのが、段々と楽しくなってきた。

 公爵は目を細めると、ぼくの髪をわしゃわしゃと撫でた。

「えらいな、ルディは。よし、おとなしく留守番できた褒美に、よいものを見せてやろう」

 公爵はそういうと、ひょいっとぼくを抱え上げた。

 抱っこしたまま、フィズの元へと連れて行く。

「ドラゴンに乗るの?」

「嫌か?」

「ううん、嬉しい!」

 ドラゴンに乗るとき、さっきはブラッツが補助してくれた。だけど、トレーニング後のブラッツは、すっかりヘロヘロで、それどころではなさそうだ。

 今も地べたに這いつくばった状態で、レオンに介抱されている。

「任せろ。我が運んでやる」

 ムートがぼくの服を咥え、むいっと引っ張った。

「うわぁ!」

 力任せに引っ張られたら、服が食い込んで痛いはずなのに。なぜか少しも痛くない。

 ふわりと身体が浮きあがって、気づけば公爵の愛竜、フィズの背中の上にいた。

「今の、なに……?」

 周りから見たら、ムートが咥えて運んだように見えたかもしれない。

 だけど、実際に運ばれた感覚は、まったく違う感じだった。まるで魔法かなにかで宙に浮かんだみたいだ。

『言っただろう。我は「竜神」だと。貴様を浮かび上がらせるくらい、造作もないことだ』

 ふん、と胸をそらし、ムートは偉そうな声で答えた。

『ムート、魔法が使えるの?』

『当然だ』

 即答して、ムートはぼくの肩に留まる。

 子犬サイズだったときならともかく、今の柴犬サイズのムートがぼくの肩に乗るのは、ちょっと異様な光景だ。こんなに大きかったら、ずっしり重いはずなのに。実際にはそんなに重くない。もしかしたら、これもムートの魔法のせいなのかもしれない。

『じゃあ、ムートの魔法で、国王陛下をやっつけることもできる?』

 もし、ムートの魔法でなんとかなるのなら、公爵が危険を冒す必要はなくなる。

 希望の光が見えた気がして、ぼくはムートに期待の眼差しを向けた。

『無理だな。我ら「神」は、「人の生き死に」に干渉してはならぬのだ』

 そっけない声で、ムートは答える。

『だけどこのままじゃ――』

 二十四人の妊婦さんと、赤ちゃん。公爵たち。五十人以上の人間の命が、危険に晒されることになる。

『だから、言っておるだろう。貴様が公爵を止めろ、と。そのために、貴様をこの世界に連れてきたのだ』

 ぼすっとムートに背中を押され、ぼくは公爵の腹に顔面から突っ込む。

「はぅ!」

「なんだ、ルディ。留守番の間、私がいなくて寂しかったのか」

 公爵の大きな手のひらが、ぼくの髪をやさしく撫でる。

 ぼくはぎゅうっと公爵にしがみついて、「うん。すっごく寂しかった。――だから、しばらくぎゅーっとさせて」と答えた。

「仕方のないやつだな」

 呆れながらも、公爵はぼくの身体を、強く抱きしめかえしてくれた。

 

 ぼくが落ち着くまで待ったあと、公爵は丘の上にある展望台まで、ぼくを連れて行ってくれた。

 展望台前の広場にフィズを着陸させ、てっぺんへと続く階段を上る。

「ひとりで上れるか?」

 公爵に抱っこされそうになって、ぼくは「上れるよ!」と答えた。

 抱っこしてもらえるの、公爵と密着できて嬉しいけれど、赤ちゃん扱いされているみたいで、ちょっと照れくさい。

 できることなら、ぼくは公爵と、肩を並べて歩ける人間になりたいんだ。

 ブラッツとレオンみたいに。どちらか片方が片方に助けられてばかりではなく、互いが互いを支え合い、愛し合う、恋人同士になりたい。

 レオンのアドバイスを思い出し、ぼくは、公爵に手を差し出す。

「ちゃんと自分の足で歩くから。手、繋いで」

 夕陽が眩しいのか、公爵は眩しそうに目を細める。

「ああ、階段は危ないからな。手を繋ごう」

 公爵の冷たい手のひらが、そっとぼくの手のひらを包み込む。

 やった! 恋人つなぎだ。

 指と指を絡め、公爵はしっかりぼくの手を握ってくれた。

 ぎゅっと握り合った手のひら。展望台の石段は、一段ごとの段差が大きくて、ぼくのちっちゃな身体だと、ちょっと大変だ。

「本当に、抱っこしてやらなくていいのか?」

 心配そうな顔をする公爵に、こくっとうなずいてみせる。

 よいしょ、よいしょっ。上るのに時間がかかるぼくに合わせて、公爵もゆっくり上ってくれた。

 しっかりとつなぎ合わせた手のひらが、階段を上るうちに汗ばんで、ちょっと恥ずかしくなってきた。

 べたべたして気持ち悪いって思われちゃわないかな……。

 そんなぼくの不安を吹き飛ばすみたいに、公爵はぎゅっとぼくの手を握って、「ルディの手のひらは、すべすべして触り心地がいいな」といってくれた。

 きゅううん、と胸がしめつけられて、ほっぺたが熱くなる。

 うぅ、大好き。ずっと、手を繋いでいたい。

 永遠に、この階段が続いたらいいのに。(大変だけど)

 ずっと、公爵の隣にいられたらいい。

 祈るような気持ちで、一段、一段、踏みしめてゆく。

 さすがにちょっと辛いなぁ、足、痛いなぁって思ったそのとき、ようやくてっぺんにたどり着いた。

「わぁ、きれい!」

 そこには、360度見渡せる、大パノラマの絶景が広がっていた。夕焼け色に染まる、公爵領の街並み。

 公爵の暮らす城も、街のシンボル的な存在の大聖堂も、なにもかもが、とてもちっちゃく見える。

 ミニチュアみたいな街にほんのり灯る、かすかな灯り。

 藍色に染まり始めた夕空の下。それらの光は、とても儚く、だけど心をほんのり温めてくれるように感じられた。

「城の中で暮らしていると、時折、忘れてしまいそうになるんだ。この領地には、こんなにもたくさんの民が、暮らしているのだということをな」

 慈しむような眼差しで、公爵は眼下の街を見下ろす。

「公爵さまは、いつから、ここで暮らされているのですか」

 レオンが言っていた。ツァイトガイスト公爵は、先代国王陛下の二番目の子ども、王位継承権二位の王子だったと。それなのに、なぜ王都を離れ、危険な国境の地、公爵領で暮らしているのだろう。

「十一のときだ。王位継承争いに巻き込まれるのが面倒でな。大叔父が治めるこの地に、養子に来たのだ」

 さぁっと風が吹き抜ける。かすかに、汐の香りがしたように思えた。

「寂しくなかったですか」

「ちっとも寂しくなかったな。寂しがり屋のルディと違って、私は孤独が苦にならぬ性分なのだ」

 公爵の銀色の髪が、夕日にきらめいて、いつも以上に美しく輝いているように見える。

 ぼくは、その髪に触れたい、と思った。

 無性に触れたい。

 だけど、ぼくの腕は短くて。どんなに手を伸ばしても、公爵の髪に触れることはできない。

 はるか遠く、水平線に太陽の橙色が溶けてゆくのが見える。

 ぼくはたまらない気持ちになって、ぎゅうっと公爵の身体にしがみついた。

「どうした、ルディ。寒いのか」

 心配そうに顔を覗き込まれ、ふるふると首を振る。

「風邪を引いては困る。もう戻るか」

 やさしく問いかけられ、ぼくはふたたび、ぶんぶんと首を振った。

「もう少し、このままでいさせてください」

 うっかり敬語で答えてしまい、慌てて言い直す。

「夕陽、もっと見たい。もう少し、ここにいさせて!」

 絶対に離れない。強い決意のもと、公爵の身体に、ぎゅうぎゅうにしがみつくと、呆れたようにため息を吐かれた。

「ルディは本当に甘えん坊だな」

「めいわく?」

 しばらくのあいだ、間があった。不安になったぼくの身体をむぎゅっと抱きしめ、公爵はぼくの頭に、髪の毛越しにキスを落とす。

「いや。こんなふうに懐かれるのも、悪くないな。犬猫を飼う人間の気持ちが、少しだけ理解できた気がする」

「犬猫!?」

 キスにきゅーんとした直後に、思いっきり地の底まで振り落とされた。

 うぅ、やっぱりぼくは公爵にとって、『恋人枠』じゃなくて、『ペット枠』なんだ……。

「ああ、すまぬ。犬猫と同じくらいかわいらしい、という意味だ」

 そう言って、公爵は、わしゃわしゃとぼくの髪を撫でる。

 全然フォローになってない。

 なんだかちょっと悔しくて、やけくそになったぼくは、「にゃぁーお」と猫の鳴きまねをしながら、公爵の脇腹に、自分の頬をこすりつけた。

「やめろ、ルディ。くすぐったい!」

 うっとうしそうにしながらも、公爵はぼくの好きにさせてくれた。
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