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第五章

⑥決行前夜

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 フィズの背中から眺める王都は、質実剛健な感じのする公爵領とくらべて、とても華やかに見えた。

 鮮やかに塗られた建物や、芸術的な装飾の施された建物。

 平和が長く続く街だからこそ、こんなに栄えているんだと思う。

 それはとてもいいことだけれど。その平和を守るために、妊婦さんや赤ちゃん、子どもたちが犠牲になっているのだとしたら……。

「どうだ。美しい街だろう」 

 公爵に問われ、ぼくは「公爵領のほうが好き」と答えた。

「世辞を言っても、なにも出ぬぞ」

「お世辞じゃないもん!」

 飾り気がなくて、そっけなささえ感じる街並みだけれど。

 ぼくは公爵の治めるあの土地が、いつのまにか大好きになっていた。

「どこか行きたい場所はないか」

 ゆったりと大きく王都上空を旋回し、公爵はぼくにそう尋ねる。

「ぼく、北部の山を見てみたいな。『竜王の頂』のある山」

「北部の山? なぜ、そんなものを見たがる」

「ルーカス王子は、ぼくの腹違いの弟なんだよね? 弟がどんな山に登ることになるのか、気になるんだよ。ちゃんと登れるかなーって、心配になっちゃう」

 ぼくがそう答えると、公爵はまぶしそうに目を細めた。

「ルーカス王子は次期国王として国中からもて囃されて、お前は、自分の父親が誰なのかさえ知らされず、伯爵家で育てられた。それなのに、ルーカス王子を心配するのか?」

「んー、だって、失敗したら殺されちゃうんだよね? 心配だよ。離ればなれに育っていても、ぼくの弟なんだから」

 本当は、そんな理由じゃない。明日の下見をしたいだけだ。でも、実際にちょっとかわいそうだなって思っちゃうのだ。

 確かに、伯爵家ではあまりよい扱いをされていなかったみたいだけれど。ルディはこんなにも、公爵に愛され、大事にされている。

 叔父と甥っ子って、たぶん、そこまで濃い血でつながってるわけじゃないのに。

 それでも公爵はルディのことを、本物の息子みたいに、かわいがっているのだ。

 それに対し、ルーカス王子は、確かに『次期国王』として大切にされてはいるみたいだけれど。

 大切にされているのは、彼自身じゃない。彼が持っていると思われる、『竜と誓約を結ぶことのできる能力』だ。

 もし、その能力があることを示さなければ、彼は殺されてしまう。

 それって、ものすごく悲しいことじゃないだろうか。

 国王陛下は、自分の息子だからルーカスを大事にしているわけではなく、跡取りだから大事にしているだけってことだ。

 継ぐ能力がないならいらない、なんて。そこには欠片も愛情が存在していないみたいに思える。

「『竜王の頂』。あまり好きな場所ではないのだがな」

「もしかして、公爵さまも、ひとりで竜を迎えに行かされたの?」

「ああ、当然だ。この国の王族は誰もが、竜と誓約を結ぶために、あの山に登るんだ」

 公爵はそう言うと、フィズをゆっくりと山脈が連なる方角に旋回させる。

「ルディ、見えるか。あの山だ。あの、山頂から、かすかに煙が立ちのぼっている、岩だらけの山だよ」

 公爵が目線を向けた先。そこには、ごつごつとした岩に覆われたハゲ山があった。周囲の山は緑に覆われているのに。その山だけ一本の木も生えず、地面がむき出しになっている。

「あの岩山に、ルーカスは一人で登るの?」

「あのとおり、岩だらけで身を隠す場所がなにもないからな。ズルをすることはできない。たったひとりで、登らなくちゃいけないんだ」

 ぴんち……。

 ルーカス王子がズルできないだけじゃなく、ぼくらがルーカス王子に接近するのも、難しいってことだ。

 どうしよう。こんなハゲ山に、いったいどうやって潜伏したらいいんだろう。

 ぼくはむき出しの岩に覆われた山を見下ろしながら、絶望的な気持ちになった。

 ふと、顔を上げると、じっとハゲ山を見つめる、公爵の顔が視界に飛び込んできた。

「公爵、さま……?」

「ん、ああ。すまない。フィズのことを言えないな。私も、少し長旅の疲れが出たようだ」

 もしかしたら、竜王の頂に登ったときのことを、思い出していたのかもしれない。

 ぎこちない笑顔を作る公爵のことが、無性に愛おしくて、ぼくは、むぎゅーっと彼の身体を抱きしめた。

「じゃあ、お部屋に帰りますか」

「いや、まだダメだ。しばらく帰るわけにはいかない」

 きっぱりと、公爵は否定する。やっぱり公爵は知っているんだ。レオンとブラッツのこと。職場恋愛禁止なのに。知っていて、彼らのことを、見逃している。

「職場恋愛、禁止なんじゃないんですか?」

 ぼそっと呟いたぼくに、公爵は軽く目を見開き、片眉をあげる。

「ルディ。お前はどこまでも賢い子どもだな」

 ごめんね、公爵。中身が十八歳だからだよ。

 10歳児だと思うと賢く見えるかもしれないけど。十八歳って考えたら、たぶん、凡人だ。

「職場恋愛を禁止しているのは、職場でおおっぴらにいちゃつかれると、士気が下がる者が出るからだ。ましてやレオンは、皆にとって癒やしであり、『勝利の女神』のような存在だからな」

 レオンはすらりと背が高いし、髪も短い。外見的には少しも女性的なところはないけれど。確かに、『勝利の女神』と呼びたくなる気持ちはよく分かる。

 同性に性的に惹かれる人間でなくても、おそらくレオンの持つ色香や包み込むようなやさしさには、ふらふらと吸い寄せられてしまう魅力があるのだ。

「皆の『女神』を独り占めする輩がいては、やる気を失う者が大量発生してしまう。だから、『おおっぴらにはいちゃつくな』という決まりを守らせているのだ」

 真面目くさった顔でそんなことをいう公爵は、きっと、彼のまわりで働く家臣や兵士達、皆のことを、心から大切に想っているのだと思う。

 じっと公爵を見つめていると、照れくさいのか、ふいっと顔を背けられた。

「なんだ、その目は」

「や、公爵さま。やっぱり、とってもおやさしいんだなって思って」

 かぁっと公爵の頬が赤くなる。

「ば、馬鹿を言うな! ツァイトガイトの領主といえば、血も涙もないと恐れられる男だぞ。お前の目は節穴か!」

 そんなふうにうそぶく公爵の瞳には、やさしい色が浮かんでいて。

 ぼくはあまりにも愛しすぎて、彼の身体をぎゅーっと抱きしめずにはいられなかった。

 抱きしめる? ううん。なんか、大木にちょこんとしがみつく、コアラみたいな体勢だけど。

 それでも、抱きしめてるつもりだよ。

 公爵のことが、好き。大好き。

 さよならの前に、最後にこんなふうに、二人だけの時間を過ごせて、本当によかったって思う。

「ん、そろそろだな。ルディ。少し騒がしくなるが、怖がる必要はない。安心して私に掴まっていろ」

 夕闇に包まれ始めた空。ふだんなら、公爵は『暗くなる前に帰るぞ』と、竜舎に戻る時間なのに。今日はまだ、帰ろうとしない。

 騒がしくなるって、なにがあるのかな。不思議に思い、公爵の身体にほっぺたをくっつけて甘えっこしていると、ふいに空が明るくなった。

「ほわっ、なに!?」

 見上げると、藍色の空に、大輪の花火がぱぁっと広がっている。

「わ、きれい!」

 ドンッ、パラパラパラッ……。

 全身を震わせるような、地響きみたいな音が鳴り響く。

「生誕祭の前夜には、盛大な花火が上がるのだ。どうだ、きれいだろう?」

 公爵の精悍な横顔が、花火の明かりに照らされる。

「はい。とってもきれいです」

 赤、黄、青、紫、橙、緑……。さまざまな色の光が夜空で弾け、美しい尾を引いて、流れ星みたいに降り注ぐ。

 ドンッ、パラパラパラッ……。

 とってもきれいな光景だけれど。それ以上に、ぼくは花火を見つめる公爵の姿が、目に焼きついて離れなくなってしまいそうだった。
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