江津レイクタウン

真田宗治

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第8話 月の花

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 少年の名前は、津藤鋼つとうはがねといった。年齢は真子さんと同じ一三歳で、住まいは西葛西だった。
 少年に手を引かれている間、真子さんは夢心地だった。妄想の中の美少年が、本当に自分を助け出してくれたのだ。そんな気がしていた。
 そして、真子さんは警察に保護された。
 犯人は、その後も捕まらなかったそうだ。それはもう、どうでも良かった。真子さんは、津藤つとうはがねに夢中になったのだ。出会ったその日から、真子さんとはがねは恋人になった。それからの真子さんの優先順位の最上位は、いつも津藤鋼だった。何をおいても、鋼、鋼、鋼。常軌を逸した恋だった。
 たった一三歳の少女は、全身全霊で、一人の少年に愛を捧げた。真子さんは、鋼を構成する何もかもを愛していた。
 かつて、鋼が恋をした人ですらも。
 津藤つとうはがねには、真子さんと出会う以前、恋人がいたらしい。それは鋼の隣人であり、悪友に似た恋人だった。
 名前は弓月ゆづき桃子ももこという。
 桃子は一学期の中頃に、鋼の中学校へと転校してきたらしい。鋼と桃子ももこは同じ団地の隣の部屋に住んでいたそうだ。よく顔を合わせることもあり、津藤と弓月桃子は、いつも行動を共にするようになった。
 桃子の趣味はゲームだった。ビデオゲームにカードゲーム、オセロや、将棋も得意だった。鋼と桃子は、度々お小遣いを賭けてゲームに興じた。負けるのは、いつも鋼の方だった。弓月ゆづき桃子ももこという少女は、とても優しくて、すっきりとした性格をしていたようだ。
 鋼は、文章を書く事が得意だった。夢は、推理作家になることだ。桃子は、そんな鋼をいつも応援してくれた。執筆に行き詰っている時は元気づけて、意見を聞かせてくれた。
 それは、とても繊細で純粋な恋だった。
 鋼は、初めて書き上げた短編小説を、桃子に読ませる約束をしたらしい。桃子は桃子で、目を輝かせて津藤の短編小説を受け取った。その時、その短編にはまだ、タイトルがなかったそうだ。桃子は、作品を読み終わったら、短編のタイトルを名付けてくれると、津藤に約束してくれた。
 だが、弓月ゆづき桃子ももこの口から、直接感想を聞くことはできなかった。鋼が短編小説を書き上げてから数日後、弓月桃子が団地の敷地内で遺体で発見されたからだ。鋼と真子さんが出会う、二か月前のことである。
 桃子の死因について、鋼は何も語らなかった。しかし、その事件はテレビや新聞、その他のメディアで取り上げられ、様々に報道されている。真子さんも目にしたことがあった。事件は後に〝首都連続少女誘拐殺人事件〟と呼ばれることになる。
 真子さんがそのニュースを目にした時、世間も、警察も、それが連続殺人事件であることには気付いていなかった。恋人を殺された鋼の心情を思う時、真子さんは、胸を引き裂かれるような不安があった。同時に、少し怖くもあった。
 鋼の心の中には、弓月ゆづき桃子ももこが住み着いている。彼女は、一生、鋼の記憶の中で微笑み続けるだろう。鋼は決して弓月桃子を忘れることはない。それでも、鋼を愛し続けられるだろうか? 真子さんは一三歳にして、その問題と真剣に向き合った。でも、選択肢なんてなかった。
 弓月桃子という少女を受け入れ、桃子ごと鋼を愛す。
 真子さんが出した結論だった。
 津藤鋼は、桃子の死後、古流剣術と柔術を習い始めたらしい。真子さんと出会ってからも、彼の修練は続いていた。
 鋼の努力は痛々しい程の物だった。
 真子さんは、津藤が影で一人稽古に打ち込んでいることを知っていた。こっそり、津藤が通う道場に見学に行ったこともある。
 津藤は、竹刀や木刀で打ち据えられても音を上げず、兄弟子たちに立ち向かっていった。どんなにきつい鍛錬でも進んで取り組み、他人の何倍もの試行錯誤しこうさくごをした。また、柔術の師匠の術理解説に聞き入る横顔は、悲しいまでに真剣だった。彼の全てが痛々しくて、切実で、純粋──。真子さんは、鋼の努力を全て見ていたいと願った。研ぎ澄まされてゆく鋼の在り方は、真子さんの胸に深く突き刺さった。鋼を構成する要素に、弓月桃子という少女の存在があるのならば、それすらも愛したいと心から感じていた。
 真子さんは、鋼が望むであろうことはなんでもやった。まず、鋼に気に入られたくて服の趣味を変えた。美味しい料理を作れるように沢山練習したし、お小遣いを貯めて鋼の誕生日プレゼントを買ったこともある。難しい本を読むようにもなった。
 鋼が学校で虐めを受けていると知った時には、包丁を鞄に潜ませて、不良達に殴り込みをかけようとしたこともあるそうだ。流石に、その時は鋼から叱られた。包丁を持ち出すのはやり過ぎだ、と。鋼は、怒り狂う真子さんを必死で宥めたらしい。
 幸い、津藤鋼は良心的な男の子だったので、真子さんをとても大切にしてくれた。真子さんが無理をし過ぎる時は叱ってもくれた。真子さんの父親が病気で他界した時も、鋼はずっと寄り添い、真子さんを気遣ってくれた。
 二人は、心から互いを思い合う、良い恋人同士だった。

 🌙

 二人の関係がおかしくなったのは、出会ってから数か月が経った、冬のことだった。
 その冬、鋼を虐めていた不良グループの、松村まつむらという少年の妹が、何者かに殺されたのだ。
 当然、鋼はその事件について考えただろう。松村の妹を殺した者は誰か。その動機は何か? 
 松村は、鋼を虐めていたグループのリーダー格だった。いつも鋼に暴力や、酷い嫌がらせを繰り返していたし、わざと人前で恥をかかせることもしばしばあった。
 誰かがその仕返しの為に、松村の妹を殺したのだとしたら……。もしかしたら、鋼は真子さんが犯人だと疑ったのかもしれない。真子さんは、以前、松村に復讐しようと家を飛び出したことがある。鋼を守ろうとしてのことだ。だが、包丁を持ち出すのは、やはり少しやり過ぎだ。
 鋼の、真子さんに対する態度は、そこはかとなくよそよそしくなった。それでも鋼と真子さんは恋人関係を続けた。真子さんの、鋼に対する愛は少しも揺るがなかったし、高校に進学する時も、津藤鋼の志望校を選び、入学した。
 高校時代、津藤鋼と真子さんとは、誰もが羨むような理想的な恋人同士だった。しかし、二人の間には、恋人としてあるべきが欠落していた。
 やがて大学受験が近づくにつれ、二人が連絡を取り合う頻度は少しずつ減っていった。会う回数も減り、あまりデートもしなくなった。
 二人が最後に会ったのは、津藤鋼が大学に受かった日のことだった。
 その日、二人は新宿のレストランで食事をし、軽くデートをして、別れた。

「じゃあ、また、連絡するから」

 別れ際に鋼は言った。だが、二度と彼からの連絡はなかった。真子さんは、朧げに、その別れを直感していた。
 真子さんは、離れて行く鋼の心を繋ぎ止めることが出来なかった。そして、真子さんの手元には一冊の小説が残った。津藤鋼が一三歳の時に書き上げた処女作で、所謂、推理小説だった。弓月ゆづき桃子ももこと津藤の絆が作り上げた、掛け替えのない一冊である。
 本のタイトルは『月の花』と、いう。


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