琥珀色の秘密〜ウィスキーとお惣菜の癒し時間〜

山いい奈

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2章 それは、あなたなんです

第5話 本当の気持ち

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 オーダーストップの22時半になると、お客さまはぼちぼちと帰り支度を始める。45分にもなると空席ができはじめ、閉店の23時には全員帰られた。

 だが、すっかりと落ちてしまった出口でぐちさんは、カウンタに突っ伏して気持ちよさそうに寝入ってしまっている。ウーロン茶はすっかりと氷が溶けて薄くなっていた。かわいそうだが起こさなければ。

 お兄ちゃんが出口さんの肩を軽く揺すった。

「出口、そろそろ起きて帰らんと」

 すると出口さんは「ん……」と小さく呻いて、のろのろと頭を上げた。

「大丈夫か?」

 お兄ちゃんが出口さんを覗き込むようにすると、出口さんはよほどびっくりしたのか、息を飲んで大きく仰け反った。椅子ががたんとぐらつき、前足が浮いてしまったのか、後ろに倒れそうになってしまう。

「あっ……!」

 那津なつが思わず声を上げると、お兄ちゃんが素早く手を伸ばし、出口さんの腕を掴んだ。そのまま元の位置に引き戻される。お兄ちゃんは「はー……」と大きく息を吐いた。出口さんはみるみると顔を赤くする。

「いくらおれが煙たいからって、そこまで嫌がらんでもええやろ。大丈夫か? とりあえず水飲め。なっちゃん、味噌汁作ったってや」

 出口さんは真っ赤な顔のまま縮こまって、小さくこくこくと頷く。お兄ちゃんがウーロン茶のタンブラーを下げ、新しいグラスに氷とお水を入れた。

「ほら」

 出口さんの前のコースターに置く。

「あ、ありがとう……」

 出口さんは蚊の鳴くような声で言うと、震える両手でグラスを持ち、こくりと飲んだ。

 那津は冷凍庫から出した味噌玉をお椀に入れ、熱湯を少量ずつ注いで小さな泡立て器で溶かしていく。それを出口さんに出した。

「どうぞ。お味噌汁はお酒で失ったミネラルとかを補給してくれますから。それに、単純にお酒のあとのお味噌汁、美味しいですよ」

 那津が微笑むと、出口さんはほっとするような顔を見せた。

「……ありがとうございます」

 出口さんは両手でお椀を包み込んで、ふぅふぅと冷ましながら、ずずっと小さく吸い込んだ。

「……美味しい」

 そう、顔を綻ばす。いつの間にか手の震えは止まっているようだった。

「ごめんなさい、わたし、お酒あんま強くなくて」

 そうぽつりと言うと、お兄ちゃんは「気にすんな」とこともなげに言う。

「出口も大変やわな、たもつのことでここまでして。ま、好きでやっとるんやろうけど」

 すると出口さんは真っ赤なまま俯いてしまう。すると保さんが軽く身を乗り出して、出口さんを覗き込んだ。

「なぁ出口さん、もしかしたら、ちゃうんとちゃう?」

 保さんが優しく問うと、出口さんは恐々といった様子でゆっくりと顔を上げ。

「……うん」

 そう、泣きそうな声で言った。

「自分で言える? 言わんとく? ぼくが言おか?」

「がんばって、自分で言う」

 出口さんは小さな、だがはっきりと言った。そして、それでももごもごと言い淀んで数分後、「あの」と口を開いた。

「あたしが好きなんは、松比良まつひらくんやないねん」

「そうなん?」

 お兄ちゃんが意外そうに目を丸くする。しかし那津は聞いて、なんとなく腑に落ちたのだ。出口さんは他のファンクラブの人のようにお兄ちゃんを睨まない、むしろ恥ずかしそうな顔で見ていた。その目線は決して嫌な人に向けるものとは思えなかったのだ。

「……あたし、高校んときから、友永ともながくん……なんよ……」

 語尾はほとんど聞き取れなかった。それでも内気そうな出口さんが精一杯紡いだ言葉だ。那津の耳にははっきり届いた。きっと、お兄ちゃんの耳にも。那津の心がちくりと小さく痛んだ。相手がお兄ちゃんであったとしても、やはりその思いは届かないのだろうから。

「嘘やん」

 お兄ちゃんは本当に思いもよらなかったようで、ぽかんとしている。保さんが優しげに出口さんの背中をぽんぽんと叩いた。

「がんばったな」

 出口さんは恥ずかしそうに俯いて、こくりと頷いた。

 保さんは近くで出口さんの眼差しを見ていて、気付いたのかも知れない。自分に向けられるもの、そしてお兄ちゃんに注がれるもの、その違いを。

 お兄ちゃんは切ないとも悲しいとも言えない複雑な表情になって。

「……ごめん、出口。おれは「これ」やから、それには応えられへん」

「うん、分かってる。知ってて欲しいだけやねん」

 出口さんは弱々しく微笑んだ。分かっていた、そう言うように。お兄ちゃんは痛そうな顔になる。

「月並みかも知れんけど、出口の気持ちは嬉しいんや。おれの自信になるから。こんなおれでも、そう言うてくれる人がおるんやって。せやから、ありがとう」

 すると出口さんの目が見開かれ、ほろりと透明なものが溢れた。那津は慌てておしぼりを渡す。

「ありがとうございます」

 出口さんは受け取って、そっと目元を拭った。そして、今度は柔らかな笑みを浮かべて。

「そう言ってもらえて、嬉しい。聞いてくれてありがとう」

 お兄ちゃんはぎこちないながらも笑顔になって「おう」と応えたのだった。



 週が変わり、翌週の火曜日。この日、「ウィスキーバー TOMOトモ」に来る保さんファンクラブメンバーは、会長である深川ふかがわさんだった。

 開店直後から押しかけ、やはり保さんから1席離れて座る。保さん同様に、1杯目は瓶ビールを頼んだ。これもいつものことだった。

 それを飲み干したら、次にはやはり保さんのボトルと同じ「ジャックダニエル」のショットをハイボールで頼む。それからはソフトドリンクも挟みながらハイボールを頼むのだ。正直、いつまでこうするのかも分からないこともあって、ボトルを入れてもらったほうが、よほどお財布に優しいはずだった。

 だが今日は、深川さんがまだ瓶ビールを傾けている最中に。

「深川さん」

 保さんが深川さんに話しかけた。深川さんは大げさなほどに肩を震わせ、「な、なぁに?」と嬉しそうな顔を保さんに向けた。保さんは那津でさえも惚れ惚れするような優しい笑顔を浮かべて。

「いつでもええからさ、ファンクラブの人たち、全員揃って来てくれへんかなぁ」

 それに、深川さんはなにを思ったのか、わずかに顔をしかめた。それでも立て直して。

「な、なんでやろか」

「それは来てくれたときにな。来てくれる?」

 そう言って、極上の笑顔になる。深川さんは顔を赤くし、照れたように目を細めた。保さん、罪深い。

「松比良くんが、そう言うんやったら……」

 深川さんがごにょごにょと言うと、保さんは「ありがとう!」と満面の笑顔になった。深川さんはそれにも撃ち抜かれたように、もじもじしたのだった。
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