日本酒バー「はなやぎ」のおみちびき

山いい奈

文字の大きさ
20 / 46
2章 勿忘草を咲かせるために

第6話 春きゃべつの驚き

 今日のお惣菜は何にしようか。春もたけなわ、山菜なども出回っている。たけのこはこの前使ったことだし。ああ、でも生で買える間に何度でも使いたい。若竹煮以外のお料理だって美味しい。わさび醤油で食べても美味しいのが生の筍の特典なのだ。

 今日は相川あいかわさんが、数年ぶりにお母さまに会うはずである。つい世都せとまでどきどきと緊張してしまう。どうか相川さんにとって、良い再会であります様にと、心の底から願った。



 世都は驚いた。紅潮した顔の相川さんが来店したからだ。口開けのお客さまだった高階たかしなさんもびっくりした様で、目を丸くしている。

 相川さんは昨日も来てくれたし、まさか今日もとは思いもよらず。

「いらっしゃいませ」

 相川さんは普段から節約していて、外食と言えば恋人とのデートと2週間に1度の「はなやぎ」だ。それ以外はよほど疲れていない限り、自炊をしているはずである。だからまさか、の思いが大きく、世都は取り繕うことができなかった。

「こんばんは。連日ですいません」

「とんでもありません。どうぞお掛けくださいね。変な顔してしもて申し訳無いです」

「いえ、こちらこそ驚かせてしもてすいません。女将おかみさんに絶対に聞いて欲しくて」

 そう言う相川さんは、少なからず興奮している様に見えた。もしかしたらお母さまと何かあったのだろうか。

 相川さんがカウンタ席に掛けたので、世都は温かいおしぼりを渡す。「ありがとうございます」と受け取って手を拭いた相川さんは、続けておしながきを手にする。そして、悩み始めた。これも珍しいことだ。肴のお惣菜はともかく、お酒に関してはいつも千利休せんのりきゅう即決だったからだ。

 相川さんのつぶやきが世都の耳にかすかに入ってくる。

「どうしよ……今日は贅沢ぜいたくしても……でも……ううんやっぱり……」

 そんなことをぶつぶつと言いながら、真剣な表情でおしながきを睨んでいる。そして。

「やっぱり千利休ください。それと春きゃべつのコールスローを」

「はい。お待ちくださいね」

 春にだけ出回る春きゃべつはふわふわで柔らかく、甘みも強くて瑞々しい。それを太めの千切りにし、短冊切りにしたハムと合わせた。

 調味料はマヨネーズをメインに、シンプルにお酢と白こしょう。あっさりと食べられる様にしてある。春きゃべつがまろやかな酸味をまとって、持つ旨味を引き上げるのだ。

 世都はコールスローを小鉢に盛り付け、濃紺の切子ロックグラスに千利休を注いだ。

「お待たせしました」

「ありがとうございます」

 相川さんはちびりとグラスを傾け、ほぅ、と心地よさげな息を吐いた。

「あの、実は、奨学金、全額返済できそうなんです」

「え?」

 世都は目を見開く。本当に宝くじに当たったのだろうか。

「今日母と久々に会うたんですけど、同席しはった人がいまして」

 待ち合わせをした大阪梅田うめだのカフェでお母さまの隣にいたのは、チャコールグレイのスーツで、身なりの良い壮年そうねんの男性。お母さまの結婚相手だったそうだ。

「あら、まぁ」

「ばれてもたそうです。母、結婚してから毎年人間ドッグを受けとって、そん中には婦人科検診もあるんですけど、それで経産婦かもって疑惑が出て。担当のお医者さんはお相手に言うかどうか数年も悩みはったみたいなんですけど、さすがにもう黙ってられへん言うて」

 お相手の知るところになったのだそうだ。お相手はお母さまに問いただす前に、興信所に依頼して真実を突き止め、相川さんを捜索した。

 相川さんは今でこそワンルームマンションでひとり暮らしなのだが、お母さまが出て行くまではご祖父母と一緒に暮らしていた一戸建て、お母さまにとっての実家にいた。

 お母さま出奔しゅっぽんのタイミングで一戸建てを処分し、アパートに移り住んだのだ。もう帰っては来ないだろうと思ったから。中学生ひとりだと一戸建ては持て余してしまう。

 興信所職員はその痕跡を辿り、相川さんにたどり着いた。そこで初めてお母さまに問うたそうだ。

「お相手は母に怒ったりはせんかったそうです。ただ母と結婚したことで、私に苦労さしたんが申し訳無いって。母がお相手を騙したことになんのに、お相手はただただ私に悪いて思ってるみたいで」

 婚姻歴は無かったものの、子どもがいることを隠し、その子を捨てる様な形で自分と結婚した相手なら、離婚などを選んでもおかしくは無い。だがそのお相手はそうしないと言ったそうだ。

「正直、少しは腹立たしさもあります。ですがこんなことをする様な人を解放してしまうと、あなたにさらに迷惑を掛ける可能性がある。そして僕の様な人がまた出る可能性がある。それはあかんでしょう」

 そのお相手の穏やかなせりふを、お母さまは横でバツの悪そうな顔で聞いていたそうだ。お母さまはお相手からの信用を失ったかも知れないが、ひとまず生活の心配はしなくて良いのだから、御の字だろう。

 お相手は相川さんや他の人の迷惑にならない様に、結婚を継続してくれると言うのだ。それは相川さんにとってもありがたいことなのだろう。

 今でこそ奨学金の返済でいっぱいいっぱいなのだ。そこにお母さまに寄り掛かられたりしてしまえば、まともな生活すら送れなくなってしまうかも知れない。

「お相手に、まぁ母にもなんですけど、今の私の状況を話しました。奨学金を返してること、結婚を考えてること、でも奨学金のことで親御さんに反対されてること。そしたらお相手さん、奨学金全額負担してくれるて言わはったんですよ。他の援助もしてくれるって」

「凄いですね……!」

 世都は驚くと同時に、まるで自分のことの様に嬉しくなってしまう。報われた、そう思った。相川さんは日々を真摯しんしに送り、吉事きちじを信じ、この局面をたぐり寄せたのだ。

 そして、このチャンスを掴み取ったのだ。本当に何ということだ。世都は緩む頬を止められなかった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

触れられないはずの私が、ただ一人の彼にだけ心も体も許してしまいました

由香
恋愛
男性に触れられると体調を崩す令嬢リリア。 そんな彼女にとって唯一“触れられる”存在は――幼なじみの公爵令息レオンだけだった。 手を取られ、抱き寄せられ、当たり前のように触れられる日々。 それがどれほど特別なことなのか、彼女はまだ知らない。 やがて政略結婚の話が持ち上がり、“触れられない相手との結婚”か、“彼に触れられる人生”かを選ぶことに。 「お前に触れていいのは俺だけだ」 逃げ場のない独占と、甘すぎる溺愛。 これは、触れられないはずの少女が、ただ一人にだけすべてを許していく物語。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント120万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています