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2章 勿忘草を咲かせるために
第12話 ヤングコーンの美しさ
日本酒とお惣菜を楽しんで、帰る相川さんと畠山さんを見送って、世都は龍平くんが洗ってくれた食器を不織布のふきんで拭き上げる。
ふたりは相川さんがまたこの「はなやぎ」で寛げる様に、新居はこの岡町に構える予定だと言ってくれた。結婚そのものはもう少し先になるだろうが、不動産は日々移り変わるから、今から探し始めても早いなんてことは無いだろう。
相川さんのお母さまとお相手にも、報告をしなければとも言っていた。お相手が奨学金を返済してくれることになったから、こうして道が開いたのだ。当然の義理だろう。
「良かったやん、相川さん。これで何とかひと段落やな」
今日も来ていた高階さんが、冩樂純米酒を傾けながら言う。その表情は穏やかだった。
冩樂は福島県の宮泉銘醸さんで作られる日本酒である。果物の様な香りとお米の旨味のバランスが良く、すっきりとした後味の一品だ。
つまんでいるお惣菜はそら豆の煮浸し。さやから外して皮を剥いたそら豆を、お出汁に薄口醤油と日本酒、お砂糖で調味をした煮汁でことことと煮るのだ。ふっくらとした身に淡い旨味が含まれ、甘みが増すのである。
「そうですね。全く不安が無いとは言えんかも知れませんけど、おふたりが幸せになってくれたら、これ以上嬉しいことは無いですよねぇ」
「ああ、畠山さんのお母さんな。癖強そうやもんなぁ」
「ふふ」
高階さんの苦笑混じりの言葉を、世都は肯定も否定もしない。だが心の中では否めないと思っている。どうも畠山さんのお母さまにはお嫁さんの理想像があり、少なくとも自分の思い通りになる風に持って行こうとする傾向がある様だ。
それも箱入り娘と言われる所以なのだろう。しかし他者と関わることにおいて、そう都合良く行くわけが無い。お父さまはそんなお母さまの性質を理解しつつ、付き合って来たのだと思う。それもお母さまが狭い世間しか見ていないことを裏付けている様な気がする。
そういうお母さまと生活を共にできるお父さまの懐はきっと広いのだろうし、畠山さんも物事をきちんと見られる人の様だから、そこは安心できるのだと思う。
ふたりがどうか幸せになれますように。世都は願わずにはいられなかった。
2週間後、今日は梅雨の間の晴れ間が見えて、だが湿度は高い不快な日になった。それでも晴れやかな空は心を爽やかにしてくれる。
お食事を終えて20時ごろに来た相川さんは、おしながきを見つめている。
「あの、今日は思い切って千利休以外のお酒を頼んでみようと思って。何かおすすめありますか?」
おや、何か心境の変化でもあったのだろうか。世都は目を丸くする。すると相川さんは苦笑いした。
「畠山くんに言われたんです。いちばん安いの頼むとか、そういう倹約なんはええことやと思うけど、いざというときとかにある程度使えんと、これから困るのは自分やからって。確かに私もそうやなって。せやからこれから少しずつですけど、ええお金の使い方を学びたいなって」
「そうですね。確かにそれも大事ですねぇ。これからは少し、ほんの少し、状況によってはお財布の紐を緩めてもええかもですね。お金の使い方って難しいなぁて思いますけど、生きた使い方ができたらええですよね」
「生きた、使い方」
相川さんの目が丸く開かれる。
「そうです。例えば美味しいもんをいただいたら、豊かな気分になったりしません? そういうのも生きたお金かなぁって。一目惚れしたお洋服とかアクセとかもね」
「そうですね、確かに。それやったら、私がこの「はなやぎ」さんで使ったお金は、生きたお金ってことですよね」
「あら、そう言うてくれはるやなんて、嬉しいです」
世都が微笑むと、相川さんは綺麗な笑顔を見せてくれた。
「私、元々そんな量を食べへんっちゅうんもあるんですけど、ひとりで外食したら、牛丼やったらいちばん安い並やし、ハンバーガーでもバリューセットやしで。それはそれでもちろん美味しいんですけど、これからは他のもんも、いろいろ食べてみたいなぁって。100円上乗せの贅沢とか、そんなところから始めてみようかなって」
「そういう小さな幸せ、ええですよね。そうですねぇ、それやったら、いつも飲んではる千利休がふんわりした甘口やから、おすすめは……」
世都は日本酒を冷やしてある業務用冷蔵庫を眺め、やがてとある1本を取り出した。
「こちら、どうでしょう。みむろ杉のディオアビータです」
奈良県の今西酒造で醸される日本酒である。
「ラムネの様な白ワインの様な、ほのかな甘みと程よい酸味のお酒です。飲みやすくてお手頃で、人気の銘柄なんですよ」
100円の上乗せで贅沢を。それも念頭に置いて選んだのだった。
「ありがとうございます。ほな、それください。それと、ヤングコーンの焼き浸しをお願いします」
「はい。お待ちくださいね」
ディオアビータはオレンジ色の切子ロックグラスに注ぎ、焼き浸しを小鉢に盛り付ける。
焼き浸しは、ヤングコーンをこんがりと焼き目が付くまでフライパンで焼き付け、お出汁と日本酒、お砂糖にみりんと薄口醤油を合わせたつけ汁にじっくりと浸した。盛り付けてから削り節をこんもりと振りかける。
旬の甘いヤングコーンのつぶつぶにつけ汁が絡み、削り節が風味を高めてくれる。しゃくっとした歯ごたえも楽しんで欲しい一品だ。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
相川さんはさっそくグラスを傾ける。そして「ほぅ……」と声にならないため息を吐いて、まなじりを下げた。
「これは、軽やかな甘さで、美味しいですねぇ」
「お気に召してくれはったんやったら良かったです」
「はい。これからもいろんなお酒に挑戦したいです。楽しみです」
相川さんは嬉しそうに、ゆったりと微笑んだ。その表情はとても輝いて、美しかった。
もう、相川さんに占いは必要無いだろう。
ふたりは相川さんがまたこの「はなやぎ」で寛げる様に、新居はこの岡町に構える予定だと言ってくれた。結婚そのものはもう少し先になるだろうが、不動産は日々移り変わるから、今から探し始めても早いなんてことは無いだろう。
相川さんのお母さまとお相手にも、報告をしなければとも言っていた。お相手が奨学金を返済してくれることになったから、こうして道が開いたのだ。当然の義理だろう。
「良かったやん、相川さん。これで何とかひと段落やな」
今日も来ていた高階さんが、冩樂純米酒を傾けながら言う。その表情は穏やかだった。
冩樂は福島県の宮泉銘醸さんで作られる日本酒である。果物の様な香りとお米の旨味のバランスが良く、すっきりとした後味の一品だ。
つまんでいるお惣菜はそら豆の煮浸し。さやから外して皮を剥いたそら豆を、お出汁に薄口醤油と日本酒、お砂糖で調味をした煮汁でことことと煮るのだ。ふっくらとした身に淡い旨味が含まれ、甘みが増すのである。
「そうですね。全く不安が無いとは言えんかも知れませんけど、おふたりが幸せになってくれたら、これ以上嬉しいことは無いですよねぇ」
「ああ、畠山さんのお母さんな。癖強そうやもんなぁ」
「ふふ」
高階さんの苦笑混じりの言葉を、世都は肯定も否定もしない。だが心の中では否めないと思っている。どうも畠山さんのお母さまにはお嫁さんの理想像があり、少なくとも自分の思い通りになる風に持って行こうとする傾向がある様だ。
それも箱入り娘と言われる所以なのだろう。しかし他者と関わることにおいて、そう都合良く行くわけが無い。お父さまはそんなお母さまの性質を理解しつつ、付き合って来たのだと思う。それもお母さまが狭い世間しか見ていないことを裏付けている様な気がする。
そういうお母さまと生活を共にできるお父さまの懐はきっと広いのだろうし、畠山さんも物事をきちんと見られる人の様だから、そこは安心できるのだと思う。
ふたりがどうか幸せになれますように。世都は願わずにはいられなかった。
2週間後、今日は梅雨の間の晴れ間が見えて、だが湿度は高い不快な日になった。それでも晴れやかな空は心を爽やかにしてくれる。
お食事を終えて20時ごろに来た相川さんは、おしながきを見つめている。
「あの、今日は思い切って千利休以外のお酒を頼んでみようと思って。何かおすすめありますか?」
おや、何か心境の変化でもあったのだろうか。世都は目を丸くする。すると相川さんは苦笑いした。
「畠山くんに言われたんです。いちばん安いの頼むとか、そういう倹約なんはええことやと思うけど、いざというときとかにある程度使えんと、これから困るのは自分やからって。確かに私もそうやなって。せやからこれから少しずつですけど、ええお金の使い方を学びたいなって」
「そうですね。確かにそれも大事ですねぇ。これからは少し、ほんの少し、状況によってはお財布の紐を緩めてもええかもですね。お金の使い方って難しいなぁて思いますけど、生きた使い方ができたらええですよね」
「生きた、使い方」
相川さんの目が丸く開かれる。
「そうです。例えば美味しいもんをいただいたら、豊かな気分になったりしません? そういうのも生きたお金かなぁって。一目惚れしたお洋服とかアクセとかもね」
「そうですね、確かに。それやったら、私がこの「はなやぎ」さんで使ったお金は、生きたお金ってことですよね」
「あら、そう言うてくれはるやなんて、嬉しいです」
世都が微笑むと、相川さんは綺麗な笑顔を見せてくれた。
「私、元々そんな量を食べへんっちゅうんもあるんですけど、ひとりで外食したら、牛丼やったらいちばん安い並やし、ハンバーガーでもバリューセットやしで。それはそれでもちろん美味しいんですけど、これからは他のもんも、いろいろ食べてみたいなぁって。100円上乗せの贅沢とか、そんなところから始めてみようかなって」
「そういう小さな幸せ、ええですよね。そうですねぇ、それやったら、いつも飲んではる千利休がふんわりした甘口やから、おすすめは……」
世都は日本酒を冷やしてある業務用冷蔵庫を眺め、やがてとある1本を取り出した。
「こちら、どうでしょう。みむろ杉のディオアビータです」
奈良県の今西酒造で醸される日本酒である。
「ラムネの様な白ワインの様な、ほのかな甘みと程よい酸味のお酒です。飲みやすくてお手頃で、人気の銘柄なんですよ」
100円の上乗せで贅沢を。それも念頭に置いて選んだのだった。
「ありがとうございます。ほな、それください。それと、ヤングコーンの焼き浸しをお願いします」
「はい。お待ちくださいね」
ディオアビータはオレンジ色の切子ロックグラスに注ぎ、焼き浸しを小鉢に盛り付ける。
焼き浸しは、ヤングコーンをこんがりと焼き目が付くまでフライパンで焼き付け、お出汁と日本酒、お砂糖にみりんと薄口醤油を合わせたつけ汁にじっくりと浸した。盛り付けてから削り節をこんもりと振りかける。
旬の甘いヤングコーンのつぶつぶにつけ汁が絡み、削り節が風味を高めてくれる。しゃくっとした歯ごたえも楽しんで欲しい一品だ。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
相川さんはさっそくグラスを傾ける。そして「ほぅ……」と声にならないため息を吐いて、まなじりを下げた。
「これは、軽やかな甘さで、美味しいですねぇ」
「お気に召してくれはったんやったら良かったです」
「はい。これからもいろんなお酒に挑戦したいです。楽しみです」
相川さんは嬉しそうに、ゆったりと微笑んだ。その表情はとても輝いて、美しかった。
もう、相川さんに占いは必要無いだろう。
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