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#147 フジノの隠し事
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フジノは小さく息を吐く。
「マルタさんは、何と仰っていたんでしょうか」
声が小さいので、壱はサユリ越しに少し耳を寄せ、澄ます。
「ノルドと浮気しているのでは無いかと心配していたカピ」
「えっ!?」
フジノにしては大きめな声。かなり驚いた様だ。
「まさか。そんな事ある訳無いです。私は患者として、お医者さまであるノルド先生に掛かっているだけで」
フジノはそう言い、狼狽えた様子で首を振った。
「判っているカピよ。我も壱も、勿論茂造も、お前が浮気をしているだなんて、露程も思っていないカピ。しかし我らも意外だったカピよ。マルタがあんな思い込みをするカピとは」
「あ、もしかして、私、今まで隠し事とかする必要が無くて、この事が初めて言わなかった事なんです。だからそう思ってしまったのかも。でも、マルタさんにはその理由を知られたく無くて」
「と言う事は、マルタに関わる事なのだカピか?」
「はい……お恥ずかしながら……」
フジノは消え入りそうな声で言い、俯いてしまう。やや頬を赤らめているだろうか。
「マルタに知られたく無いなら、我らも言わないカピ。だが、どうにも不安で堪らない様子だったカピ。安心させてやる為にも、我らには教えて欲しいカピ。マルタには適当に誤魔化しておくカピよ」
フジノか不安げな顔を上げる。サユリを見、そのまま視線は壱に移る。壱はサユリの台詞を思い出し、ニコッと笑って小さく頷いた。勿論壱もマルタに言うつもりは無い。
夫に隠したい様な病院通い。その理由を考えてみる。
ご懐妊。いや、それはいの一番に夫に報告したい事だろう。夫婦が子どもを望んでいる場合は特に。
大病。いや、それはサユリの加護のお陰で、この村では有り得ない。
さて、どうした事か。
フジノは迷った表情を見せながら、少し考え、決心した様に大きく頷くと、口を開いた。
「サユリさんたちに相談してみようかとも思ったんです。でもお店がお忙しいのに、こんな事で煩わせる訳には行かないと思って。そうしたらお医者さまが来られたって聞いて、それならって。あの、実は私、声を大きくしたいんです……!」
威勢の良いマルタ、大人しくて声の小さいフジノ。アンバランスに思えて、ふたりとも幸せそうに見えた。
しかし、フジノはいつもマルタに気圧され気味なのだったと言う。
それが辛かった訳では無い。マルタが楽しそうにフジノに話をしてくれるのを、フジノは笑顔で聞いていた。何時だって嬉しい一時だった。
しかし、マルタと同等とまでは行かなくとも、もっと感情を表現して返したい、そして自分ももっと話をしてみたい、その方がきっとマルタももっと楽しめるのでは無いか。常々そう思っていたのだと言う。
「なので、ノルド先生に方法を教わって、腹式呼吸の練習をしているんです」
フジノは言うと、言い切った、そう言う様にまた小さく息を吐き、静かに微笑んだ。
ああ、成る程、成る程……しかしそれは。
壱は軽く右手を上げる。
「あの、良いですか?」
「はい、何でしょうか」
フジノがゆったりと聞き返す。
「それはただの惚気にしか聞こえません」
「え、ええっ!?」
壱の台詞に、フジノは顔を真っ赤にして慌てる。
「そうカピな」
サユリも半ば呆れ気味に溜め息を吐く。
「言ってやると良いカピ。マルタは確実に喜ぶカピよ。自分の為にしてくれていたのだカピ。マルタがただ大人しいだけの妻が良いのならともかく、奴はそこまで馬鹿では無いカピ」
「それは、それは勿論そうだと思います。でも、出来たら、驚かせて、喜んでくれたら良いな、って思って」
「ああ……練習の成果はどうカピか?」
「え? あ、意識をしたら、少しは大きな声を出せる様になりました。でも私対比なので、普通の人の大きさだと思うんですが」
「ふむ……」
サユリは考える様に眼を閉じる。が、少し後に眼を開く。
「練習の成果を見せてやると良いカピ。今から行くカピよ」
サユリがきっぱりと言うと、フジノは大慌て。
「え、こ、心の準備が出来てません! 待ってください!」
そう言うフジノの声は、充分に大きいと言えるものだった。もうかなり腹式呼吸をものにしているのでは無いだろうか。
「大丈夫だカピ。マルタは充分に驚くカピよ。気付いているカピか? 今の声の大きさ、上々だカピ」
「で、でも」
フジノは煮え切らない。決心が付かない様だ。
「壱、フジノを捕まえるカピよ。逃げられない様にするカピ」
「え?」
言われて、壱は咄嗟にフジノの手首を掴んだ。
「え、ええっ!?」
フジノはそれから逃れようと身を捩る。しかし壱は力を弱めない。痛くは無い様に加減しながら。
壱も解っているのだ。ここで解決してしまった方が、話が早いと言う事を。
ここで知られてしまっても、フジノの目論みのタイミングだとしても、マルタの驚きの種類は変わるだろうが、程度は変わらない様な気がする。
やや強引の様な気もするが、壱もサユリの考えに賛成だった。
このままずるずると日を伸ばしても、マルタの疑惑が膨らむばかりだ。壱たちが適当にはぐらかして報告したとしても、あの様子だと理由が判るまでは悶々と悩むに違い無い。
そして隠し事などが出来ないマルタは、きっとフジノといても挙動不審になるだろう。それがフジノの心配や後ろめたさを引き起こす可能性が高い。
それはあまり良く無い。下手にストレスを溜めさす訳には行かない。
「大丈夫ですよ、フジノさん。マルタさんを信じてらっしゃるでしょう?」
壱が優しく言うと、フジノは我に返った様に動きを止める。そしてきっぱりと言う。
「勿論です! マルタさんは素敵な人です!」
「なら大丈夫ですよ。意識しないと大きな声を出せないんなら、それを逆手に取るんです。あ、これは言い方が悪いな。それを訴えるんですよ。フジノさんは、マルタさんを喜ばせる事と、不安を拭う事、どちらを優先しますか?」
壱の穏やかな台詞に、フジノは眼を見開いた。そして、眦を下げて俯いてしまった。
「そ、そうですよね……。これは、マルタさんを不安にさせてまで、する事では無いんですよね」
ぽつりと言うと、顔を上げた。その表情は決意を固めている様に見えた。
「解りました。行きましょう」
「はい」
壱は頷くと、フジノの腕を解放した。フジノは逃げる事もせず、気合いの入った様な表情でその場に留まる。
「さ、行くカピよ」
サユリを先頭に、壱とフジノが並んで畑に向かった。
「マルタさんは、何と仰っていたんでしょうか」
声が小さいので、壱はサユリ越しに少し耳を寄せ、澄ます。
「ノルドと浮気しているのでは無いかと心配していたカピ」
「えっ!?」
フジノにしては大きめな声。かなり驚いた様だ。
「まさか。そんな事ある訳無いです。私は患者として、お医者さまであるノルド先生に掛かっているだけで」
フジノはそう言い、狼狽えた様子で首を振った。
「判っているカピよ。我も壱も、勿論茂造も、お前が浮気をしているだなんて、露程も思っていないカピ。しかし我らも意外だったカピよ。マルタがあんな思い込みをするカピとは」
「あ、もしかして、私、今まで隠し事とかする必要が無くて、この事が初めて言わなかった事なんです。だからそう思ってしまったのかも。でも、マルタさんにはその理由を知られたく無くて」
「と言う事は、マルタに関わる事なのだカピか?」
「はい……お恥ずかしながら……」
フジノは消え入りそうな声で言い、俯いてしまう。やや頬を赤らめているだろうか。
「マルタに知られたく無いなら、我らも言わないカピ。だが、どうにも不安で堪らない様子だったカピ。安心させてやる為にも、我らには教えて欲しいカピ。マルタには適当に誤魔化しておくカピよ」
フジノか不安げな顔を上げる。サユリを見、そのまま視線は壱に移る。壱はサユリの台詞を思い出し、ニコッと笑って小さく頷いた。勿論壱もマルタに言うつもりは無い。
夫に隠したい様な病院通い。その理由を考えてみる。
ご懐妊。いや、それはいの一番に夫に報告したい事だろう。夫婦が子どもを望んでいる場合は特に。
大病。いや、それはサユリの加護のお陰で、この村では有り得ない。
さて、どうした事か。
フジノは迷った表情を見せながら、少し考え、決心した様に大きく頷くと、口を開いた。
「サユリさんたちに相談してみようかとも思ったんです。でもお店がお忙しいのに、こんな事で煩わせる訳には行かないと思って。そうしたらお医者さまが来られたって聞いて、それならって。あの、実は私、声を大きくしたいんです……!」
威勢の良いマルタ、大人しくて声の小さいフジノ。アンバランスに思えて、ふたりとも幸せそうに見えた。
しかし、フジノはいつもマルタに気圧され気味なのだったと言う。
それが辛かった訳では無い。マルタが楽しそうにフジノに話をしてくれるのを、フジノは笑顔で聞いていた。何時だって嬉しい一時だった。
しかし、マルタと同等とまでは行かなくとも、もっと感情を表現して返したい、そして自分ももっと話をしてみたい、その方がきっとマルタももっと楽しめるのでは無いか。常々そう思っていたのだと言う。
「なので、ノルド先生に方法を教わって、腹式呼吸の練習をしているんです」
フジノは言うと、言い切った、そう言う様にまた小さく息を吐き、静かに微笑んだ。
ああ、成る程、成る程……しかしそれは。
壱は軽く右手を上げる。
「あの、良いですか?」
「はい、何でしょうか」
フジノがゆったりと聞き返す。
「それはただの惚気にしか聞こえません」
「え、ええっ!?」
壱の台詞に、フジノは顔を真っ赤にして慌てる。
「そうカピな」
サユリも半ば呆れ気味に溜め息を吐く。
「言ってやると良いカピ。マルタは確実に喜ぶカピよ。自分の為にしてくれていたのだカピ。マルタがただ大人しいだけの妻が良いのならともかく、奴はそこまで馬鹿では無いカピ」
「それは、それは勿論そうだと思います。でも、出来たら、驚かせて、喜んでくれたら良いな、って思って」
「ああ……練習の成果はどうカピか?」
「え? あ、意識をしたら、少しは大きな声を出せる様になりました。でも私対比なので、普通の人の大きさだと思うんですが」
「ふむ……」
サユリは考える様に眼を閉じる。が、少し後に眼を開く。
「練習の成果を見せてやると良いカピ。今から行くカピよ」
サユリがきっぱりと言うと、フジノは大慌て。
「え、こ、心の準備が出来てません! 待ってください!」
そう言うフジノの声は、充分に大きいと言えるものだった。もうかなり腹式呼吸をものにしているのでは無いだろうか。
「大丈夫だカピ。マルタは充分に驚くカピよ。気付いているカピか? 今の声の大きさ、上々だカピ」
「で、でも」
フジノは煮え切らない。決心が付かない様だ。
「壱、フジノを捕まえるカピよ。逃げられない様にするカピ」
「え?」
言われて、壱は咄嗟にフジノの手首を掴んだ。
「え、ええっ!?」
フジノはそれから逃れようと身を捩る。しかし壱は力を弱めない。痛くは無い様に加減しながら。
壱も解っているのだ。ここで解決してしまった方が、話が早いと言う事を。
ここで知られてしまっても、フジノの目論みのタイミングだとしても、マルタの驚きの種類は変わるだろうが、程度は変わらない様な気がする。
やや強引の様な気もするが、壱もサユリの考えに賛成だった。
このままずるずると日を伸ばしても、マルタの疑惑が膨らむばかりだ。壱たちが適当にはぐらかして報告したとしても、あの様子だと理由が判るまでは悶々と悩むに違い無い。
そして隠し事などが出来ないマルタは、きっとフジノといても挙動不審になるだろう。それがフジノの心配や後ろめたさを引き起こす可能性が高い。
それはあまり良く無い。下手にストレスを溜めさす訳には行かない。
「大丈夫ですよ、フジノさん。マルタさんを信じてらっしゃるでしょう?」
壱が優しく言うと、フジノは我に返った様に動きを止める。そしてきっぱりと言う。
「勿論です! マルタさんは素敵な人です!」
「なら大丈夫ですよ。意識しないと大きな声を出せないんなら、それを逆手に取るんです。あ、これは言い方が悪いな。それを訴えるんですよ。フジノさんは、マルタさんを喜ばせる事と、不安を拭う事、どちらを優先しますか?」
壱の穏やかな台詞に、フジノは眼を見開いた。そして、眦を下げて俯いてしまった。
「そ、そうですよね……。これは、マルタさんを不安にさせてまで、する事では無いんですよね」
ぽつりと言うと、顔を上げた。その表情は決意を固めている様に見えた。
「解りました。行きましょう」
「はい」
壱は頷くと、フジノの腕を解放した。フジノは逃げる事もせず、気合いの入った様な表情でその場に留まる。
「さ、行くカピよ」
サユリを先頭に、壱とフジノが並んで畑に向かった。
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