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1章 碧、前職で奮闘する
第1話 さっそくのつまずき
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碧は「とくら食堂」に入る前、2年制の調理師学校を20歳で卒業してから、大阪に拠点を置くチェーン展開の定食屋「さつき亭」に就職した。「とくら食堂」を継ぐことを目標としていたので、同じジャンルで修行をしたかったのだ。
配属された店舗は淀屋橋にあった。大阪屈指のビジネス街で、大小様々な商業ビルがそびえ立つ。大阪メトロ御堂筋線が通り、京阪本線の始発駅でもある。
そんな近代的な街並みの中に、国指定重要文化財である大阪市中央公会堂と中之島図書館があり、その重厚さと芸術性が街を彩る。周辺には中之島公園のバラ園もあり、憩いの場になっているのだ。
今やチェーン店なら、セントラルキッチンなどで調理や下ごしらえなどを行うことが多いが、そこは店舗でいちから作っていた。だからこそそこを目指して就職活動をした。やはり料理人の卵なら、手ずからお料理をしたいと考えるのでは無いだろうか。
誰が手掛けても同じ味を安定して出すことができるセントラルキッチンは魅力的だと思う。調理経験の少ないスタッフでも美味しいものを提供することができるのだから。
だが、碧はこれでも調理学校で専門的なお料理を勉強してきた自負がある。まだまだひよっこだし、プロと名乗れるまでどれぐらい掛かるのかは分からないが、それでも手を、身体を動かして、初めてそれに近付くことができると思うのだ。
しかし、碧は初手でつまずいた。入社後、大阪市内の本社で3ヶ月の研修のち、この淀屋橋店に配属になって数日。まだ人間関係に慣れ切れず、ぎこちないながらも山原さんと世間話をしていたときだ。アイドルタイムなどならそんな余裕もあるのだ。
山原さんは碧の2歳上の男性の先輩だった。あまり背の高く無い中肉中背で、すこしつり上がっている目が特徴といえる。高校生のころからアルバイトでこの店舗に入っていて、そのまま正社員になったとのことだ。
碧は調理師学校を出ていることもあって、炒め物と焼き物メニューの調理を任されていた。レシピは決まっているものの、やりがいがあった。
ちなみに山原さんは揚げ物担当である。唐揚げやとんかつ、アジフライに天ぷら盛り合わせなどは、特にビジネスマンには大人気なのだ。お肉用とお魚用、天ぷら用のフライヤーを駆使している。
「都倉さんは、ここにおってなんか目標とか、そんなんあったりするん?」
海老と季節の野菜天ぷらを揚げる山原さんにそう聞かれたので、炒めあがったばかりの豚のしょうが焼きを、千切りきゃべつを盛った楕円形のシルバープレートに移した碧は緊張しつつも、意図せず軽く応えた。
「わたし、実家が定食屋やってるんですよ。やので、いずれは跡を継ぎたいと思ってて」
すると、碧を取り囲む空間の気温がすっと下がった気がした。フライヤーはぱちぱちと動いているし、それはもちろんただの空気感なのだが、そのとき山原先輩が碧に向けた目は、明らかに冷めていた。
碧は一瞬動きを止めてしまう。だが何とかすぐにお仕事を思い出し、豚のしょうが焼きを目の前のカウンタのトレイに置いた。ホール係のアルバイトさんが伝票を見て、手際良く運んでくれる。
「なんや、ここはただの腰掛けか」
まさか。碧は青ざめる。そんなこと、思うわけが無いではないか。碧にとって、このお店でのお仕事は修行だ。経験を積み、力を付けるための、大切なステージだ。軽く見ていたりないがしろにするつもりなんてさらさら無い。
「ちゃいます! そんなつもりは」
碧が焦って言うと、山原さんは言葉を繋ぐ。
「あ、それかあれや、踏み台や」
そんなことも思っていない。碧は呆然としてしまう。こんな穿った様な極端なことを思われるとは。
「そんなこと、思うわけ無いや無いですか。わたしはここで真剣にお仕事をさせていただいて、力も付けたくて」
「せやから、それを踏み台て言うんや」
山原先輩にそう言われ、鼻で笑われた。
どうしよう。どうしたら分かってもらえるのだろうか。でも踏み台と言われて、碧の心は揺らいでしまった。碧にとってはスキルアップの場であると思っているのだが、それを踏み台と捉える価値観もあるのだ。
それを伝えたら分かってもらえるだろうか。碧はこの職場を大切に思っている。お店のために、そしてお客さまのために、腕を振るえたらと思っているのだ。
「しょうもな」
山原さんは天ぷらを揚げ終えると、油を切り、天紙を敷いたお皿に盛り付けて、あとはお運びのアルバイトさんに託して、不機嫌なままその場を離れた。
碧は呆然としてしまう。完全に誤解された。とはいえ、このお店はチェーン店なのだから、他の店舗も含めて骨を埋める気が無いのなら、そう思われてしまう可能性だってあったのだ。そこは碧の想像力が足りなかったのかも知れない。
困った。めっちゃ困った。注文が入らないのを良いことに、碧がその場でうなだれていると、琴平店長が「都倉さん」とやってきた。その顔には心配げな様子が浮かんでいた。ほっそりと背の高い女性である。髪は潔いショートカットで、シャープな印象だ。
「山原くんに聞いた。ここの仕事を腰掛けやて言われたんやて?」
「あの、わたし、そんなこと全然思ってなくて、あの」
さっそく告げ口の様なことをされてしまった。ああ、それはどうでも良い、万が一、琴平店長にまでそう思われてしまっては。碧が焦ると、琴平店長は「分かってるって」と、碧を安心させてくれるような柔らかな笑みを浮かべた。
「わたしは都倉さんの事情も知ってるし、独立とかのために他の店で修行するんも当たり前なんやから、他のスタッフはそんなこと思ってへんよ。それにしても山原くんなぁ~」
琴平店長は、困った様な表情になる。
「うちを大事にしてくれるんはありがたいんよ。この店舗で店長になりたいって思ってくれとってね。でもなぁ~」
琴平店長は一瞬言い淀み、苦笑混じりで言った。
「思い込みが激しくて、難しいんよねぇ~……」
なるほど、それゆえのこの一連の行動なわけか。碧は妙に納得してしまったのだった。
配属された店舗は淀屋橋にあった。大阪屈指のビジネス街で、大小様々な商業ビルがそびえ立つ。大阪メトロ御堂筋線が通り、京阪本線の始発駅でもある。
そんな近代的な街並みの中に、国指定重要文化財である大阪市中央公会堂と中之島図書館があり、その重厚さと芸術性が街を彩る。周辺には中之島公園のバラ園もあり、憩いの場になっているのだ。
今やチェーン店なら、セントラルキッチンなどで調理や下ごしらえなどを行うことが多いが、そこは店舗でいちから作っていた。だからこそそこを目指して就職活動をした。やはり料理人の卵なら、手ずからお料理をしたいと考えるのでは無いだろうか。
誰が手掛けても同じ味を安定して出すことができるセントラルキッチンは魅力的だと思う。調理経験の少ないスタッフでも美味しいものを提供することができるのだから。
だが、碧はこれでも調理学校で専門的なお料理を勉強してきた自負がある。まだまだひよっこだし、プロと名乗れるまでどれぐらい掛かるのかは分からないが、それでも手を、身体を動かして、初めてそれに近付くことができると思うのだ。
しかし、碧は初手でつまずいた。入社後、大阪市内の本社で3ヶ月の研修のち、この淀屋橋店に配属になって数日。まだ人間関係に慣れ切れず、ぎこちないながらも山原さんと世間話をしていたときだ。アイドルタイムなどならそんな余裕もあるのだ。
山原さんは碧の2歳上の男性の先輩だった。あまり背の高く無い中肉中背で、すこしつり上がっている目が特徴といえる。高校生のころからアルバイトでこの店舗に入っていて、そのまま正社員になったとのことだ。
碧は調理師学校を出ていることもあって、炒め物と焼き物メニューの調理を任されていた。レシピは決まっているものの、やりがいがあった。
ちなみに山原さんは揚げ物担当である。唐揚げやとんかつ、アジフライに天ぷら盛り合わせなどは、特にビジネスマンには大人気なのだ。お肉用とお魚用、天ぷら用のフライヤーを駆使している。
「都倉さんは、ここにおってなんか目標とか、そんなんあったりするん?」
海老と季節の野菜天ぷらを揚げる山原さんにそう聞かれたので、炒めあがったばかりの豚のしょうが焼きを、千切りきゃべつを盛った楕円形のシルバープレートに移した碧は緊張しつつも、意図せず軽く応えた。
「わたし、実家が定食屋やってるんですよ。やので、いずれは跡を継ぎたいと思ってて」
すると、碧を取り囲む空間の気温がすっと下がった気がした。フライヤーはぱちぱちと動いているし、それはもちろんただの空気感なのだが、そのとき山原先輩が碧に向けた目は、明らかに冷めていた。
碧は一瞬動きを止めてしまう。だが何とかすぐにお仕事を思い出し、豚のしょうが焼きを目の前のカウンタのトレイに置いた。ホール係のアルバイトさんが伝票を見て、手際良く運んでくれる。
「なんや、ここはただの腰掛けか」
まさか。碧は青ざめる。そんなこと、思うわけが無いではないか。碧にとって、このお店でのお仕事は修行だ。経験を積み、力を付けるための、大切なステージだ。軽く見ていたりないがしろにするつもりなんてさらさら無い。
「ちゃいます! そんなつもりは」
碧が焦って言うと、山原さんは言葉を繋ぐ。
「あ、それかあれや、踏み台や」
そんなことも思っていない。碧は呆然としてしまう。こんな穿った様な極端なことを思われるとは。
「そんなこと、思うわけ無いや無いですか。わたしはここで真剣にお仕事をさせていただいて、力も付けたくて」
「せやから、それを踏み台て言うんや」
山原先輩にそう言われ、鼻で笑われた。
どうしよう。どうしたら分かってもらえるのだろうか。でも踏み台と言われて、碧の心は揺らいでしまった。碧にとってはスキルアップの場であると思っているのだが、それを踏み台と捉える価値観もあるのだ。
それを伝えたら分かってもらえるだろうか。碧はこの職場を大切に思っている。お店のために、そしてお客さまのために、腕を振るえたらと思っているのだ。
「しょうもな」
山原さんは天ぷらを揚げ終えると、油を切り、天紙を敷いたお皿に盛り付けて、あとはお運びのアルバイトさんに託して、不機嫌なままその場を離れた。
碧は呆然としてしまう。完全に誤解された。とはいえ、このお店はチェーン店なのだから、他の店舗も含めて骨を埋める気が無いのなら、そう思われてしまう可能性だってあったのだ。そこは碧の想像力が足りなかったのかも知れない。
困った。めっちゃ困った。注文が入らないのを良いことに、碧がその場でうなだれていると、琴平店長が「都倉さん」とやってきた。その顔には心配げな様子が浮かんでいた。ほっそりと背の高い女性である。髪は潔いショートカットで、シャープな印象だ。
「山原くんに聞いた。ここの仕事を腰掛けやて言われたんやて?」
「あの、わたし、そんなこと全然思ってなくて、あの」
さっそく告げ口の様なことをされてしまった。ああ、それはどうでも良い、万が一、琴平店長にまでそう思われてしまっては。碧が焦ると、琴平店長は「分かってるって」と、碧を安心させてくれるような柔らかな笑みを浮かべた。
「わたしは都倉さんの事情も知ってるし、独立とかのために他の店で修行するんも当たり前なんやから、他のスタッフはそんなこと思ってへんよ。それにしても山原くんなぁ~」
琴平店長は、困った様な表情になる。
「うちを大事にしてくれるんはありがたいんよ。この店舗で店長になりたいって思ってくれとってね。でもなぁ~」
琴平店長は一瞬言い淀み、苦笑混じりで言った。
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