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1章 碧、前職で奮闘する
第5話 朝の憩いの時間
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「お父さん、お母さん、おはよう。弓月さん、おはようございます」
碧は両親に、そして続けてご常連の弓月さんに挨拶をする。
弓月さんは本町界隈の会社にお勤めの男性である。背が高くがっちりしていて、穏やかな顔立ちの、いわゆるイケメンだ。
「碧さん、おはようございます」
今日も人好きのするにこやかな笑顔である。弓月さんとはほぼ毎朝この「とくら食堂」で顔を会わすので、すっかり顔見知りなのだ。
お仕事の出退勤時間も、一般的な企業ならフレックス制度を導入しているところも多いだろう。だがやはり朝ごはんで混み合うのは7時から8時半。9時をお仕事開始時間にしている人が多いのだと思う。
だから碧は、この8時半過ぎという時間帯に「とくら食堂」にくるのだった。今はこの、カウンタ8席に4人掛けのテーブル席がふたつの店内に、お客さまは弓月さん含め3人だった。
弓月さんはいつもカウンタの奥の方に座っている。碧は弓月さんから2席空けた席に腰を降ろした。お母さんがお冷やとおしぼりを持ってきてくれる。
「お母さん、今日は豚汁やんな?」
「せやで。卵は目玉焼きな」
「相変わらず完璧! 楽しみやわぁ」
碧はついつい頬を緩ませてしまう。豚汁はお味噌を使ったお汁物のなかでも、特別なものの様に感じてしまうのだ。
お味噌のお汁物はお味噌汁や豚汁の他に、確か各地の郷土料理でもたくさんあったと思う。北海道の石狩鍋、青森県のせんべい汁、名古屋の味噌煮込みうどん、広島県の牡蠣の土手鍋、などなど。
そして地域色はあるが、お雑煮もそうだ。大阪のお雑煮は白味噌である。
それでも豚汁の特別感は別格のところにあると、碧は思っている。不思議なものだ。
この「とくら食堂」では、朝ごはんはお野菜の小鉢と卵料理、ごはんとお味噌汁の定食を500円で提供している。お昼ごはんは卵料理を卵焼きに固定して、メインが付いて1000円だ。
そして、毎月5が付く日はお野菜の小鉢を出さず、お汁物が豚汁になる。ちなみに毎週金曜日のお昼ごはんはカレーライスになる。ソースの具はその日によって変わる。料理人であるお父さんの気分ひとつなのだ。キーマカレーのときもある。もちろん日本人に食べやすい様にアレンジされている。
やがて、碧の前にお母さんが朝ごはんを運んでくれる。つやつやほかほかの白いごはん、目玉焼きは程よい焼き色のオーバーイージー。両面焼きなのだが黄身は半熟なのだ。そして具沢山の豚汁。
「はい、おあがり」
「ありがとう」
碧は「いただきます」と手を合わせ、さっそくお箸を取る。まずは熱々の豚汁を、やけどしないように注意しながらすすり、やんわりと目を細めた。
ああ、なんて、なんて心が落ち着く味だろう。しっかりと取られた昆布とかつおのお出汁にふくよかなお味噌が混じり合い、豚肉やお野菜からの旨みが溶け出している。それらが合わさった滋味は身体をかけめぐる様だ。
そこでごはんをひとくち放り込んで。
次に、目玉焼きの黄身をつぷりと割る。外側の半分ほどが良い塩梅に固まり、内側の半分がとろりと流れ出てくる。碧は白身をお箸で切り分け、黄身をたっぷりとまとわせて口に運んだ。
味付けは塩のみである。お客さまのお好みで食べてもらえる様に、カウンタにはお醤油とソースが置かれているが、碧は卵そのものの味をふんだんに味わいたい。そのためなら、お父さんが振る絶妙な分量のお塩だけで充分なのだ。
どれもこれも、本当に美味しい。「とくら食堂」がお休みの日でも、お父さんはお家で朝ごはんを作ってくれるので、碧は毎朝この絶品朝ごはんにありつけている。本当にありがたいことだ。
朝ごはんはその日の始まり、活力になる。これからがんばろうとする人の後押しをしてくれる。今日もがんばろう、そんな思いにさせてくれるのだ。
碧はしばし、その美味しさに酔いしれる。幸せを全身に受け止めて、小さく心地の良い息を吐いた。
「お父さん、お母さん、わたしね、今の店舗で店長になることになったんよ」
「おお、めでたいなぁ」
「あらま、おめでとう。でも大変になるんちゃうん?」
お父さんとお母さんのそれぞれの反応だ。ふたりとも嬉しそうである。言うなればこれは出世である。やはり娘が認めてもらえるのは嬉しいのだろう。
「やることは増えるし、今までみたいにお料理に掛かりきりにはできひんと思う。多分基本はホールで、助っ人的に厨房に入ると思う。でもそれも経験やと思ってるから」
「せやねぇ」
お母さんが頷き、お父さんも「うんうん」と納得している様な表情だ。
「店長さんて、確か何でもできんとあかんねんやろ? それは確かにええ経験になるね。頼もしいわぁ」
「うん。難しいと思うけど、がんばりたいねん。これからにも絶対に役立つと思うから」
チェーン店の支店とはいえ、ひとつのお店を任せてもらえることは、絶対にこれからの碧の糧になる。次の店長候補がきてくれるまで、精一杯務めたい。
「応援してんで!」
お母さんに力強く言ってもらえ、お父さんもぐっと親指を立ててくれる。それだけで碧は自信が沸いてくる。
不思議だ。今、碧がいちばん認めて欲しいのは、この仲睦まじい自分の両親だ。もちろん琴平店長に後任を任せてもらえたことも、大きな自信になっている。現状消去法であったとはいえ、早急に他店から店長候補を迎えることもできたのに、碧に任せてもらえたのだから。
「お父さん、お母さん、ありがとう!」
碧は満面の笑顔で言い、お父さんもお母さんも満足げに頷いた。
碧は両親に、そして続けてご常連の弓月さんに挨拶をする。
弓月さんは本町界隈の会社にお勤めの男性である。背が高くがっちりしていて、穏やかな顔立ちの、いわゆるイケメンだ。
「碧さん、おはようございます」
今日も人好きのするにこやかな笑顔である。弓月さんとはほぼ毎朝この「とくら食堂」で顔を会わすので、すっかり顔見知りなのだ。
お仕事の出退勤時間も、一般的な企業ならフレックス制度を導入しているところも多いだろう。だがやはり朝ごはんで混み合うのは7時から8時半。9時をお仕事開始時間にしている人が多いのだと思う。
だから碧は、この8時半過ぎという時間帯に「とくら食堂」にくるのだった。今はこの、カウンタ8席に4人掛けのテーブル席がふたつの店内に、お客さまは弓月さん含め3人だった。
弓月さんはいつもカウンタの奥の方に座っている。碧は弓月さんから2席空けた席に腰を降ろした。お母さんがお冷やとおしぼりを持ってきてくれる。
「お母さん、今日は豚汁やんな?」
「せやで。卵は目玉焼きな」
「相変わらず完璧! 楽しみやわぁ」
碧はついつい頬を緩ませてしまう。豚汁はお味噌を使ったお汁物のなかでも、特別なものの様に感じてしまうのだ。
お味噌のお汁物はお味噌汁や豚汁の他に、確か各地の郷土料理でもたくさんあったと思う。北海道の石狩鍋、青森県のせんべい汁、名古屋の味噌煮込みうどん、広島県の牡蠣の土手鍋、などなど。
そして地域色はあるが、お雑煮もそうだ。大阪のお雑煮は白味噌である。
それでも豚汁の特別感は別格のところにあると、碧は思っている。不思議なものだ。
この「とくら食堂」では、朝ごはんはお野菜の小鉢と卵料理、ごはんとお味噌汁の定食を500円で提供している。お昼ごはんは卵料理を卵焼きに固定して、メインが付いて1000円だ。
そして、毎月5が付く日はお野菜の小鉢を出さず、お汁物が豚汁になる。ちなみに毎週金曜日のお昼ごはんはカレーライスになる。ソースの具はその日によって変わる。料理人であるお父さんの気分ひとつなのだ。キーマカレーのときもある。もちろん日本人に食べやすい様にアレンジされている。
やがて、碧の前にお母さんが朝ごはんを運んでくれる。つやつやほかほかの白いごはん、目玉焼きは程よい焼き色のオーバーイージー。両面焼きなのだが黄身は半熟なのだ。そして具沢山の豚汁。
「はい、おあがり」
「ありがとう」
碧は「いただきます」と手を合わせ、さっそくお箸を取る。まずは熱々の豚汁を、やけどしないように注意しながらすすり、やんわりと目を細めた。
ああ、なんて、なんて心が落ち着く味だろう。しっかりと取られた昆布とかつおのお出汁にふくよかなお味噌が混じり合い、豚肉やお野菜からの旨みが溶け出している。それらが合わさった滋味は身体をかけめぐる様だ。
そこでごはんをひとくち放り込んで。
次に、目玉焼きの黄身をつぷりと割る。外側の半分ほどが良い塩梅に固まり、内側の半分がとろりと流れ出てくる。碧は白身をお箸で切り分け、黄身をたっぷりとまとわせて口に運んだ。
味付けは塩のみである。お客さまのお好みで食べてもらえる様に、カウンタにはお醤油とソースが置かれているが、碧は卵そのものの味をふんだんに味わいたい。そのためなら、お父さんが振る絶妙な分量のお塩だけで充分なのだ。
どれもこれも、本当に美味しい。「とくら食堂」がお休みの日でも、お父さんはお家で朝ごはんを作ってくれるので、碧は毎朝この絶品朝ごはんにありつけている。本当にありがたいことだ。
朝ごはんはその日の始まり、活力になる。これからがんばろうとする人の後押しをしてくれる。今日もがんばろう、そんな思いにさせてくれるのだ。
碧はしばし、その美味しさに酔いしれる。幸せを全身に受け止めて、小さく心地の良い息を吐いた。
「お父さん、お母さん、わたしね、今の店舗で店長になることになったんよ」
「おお、めでたいなぁ」
「あらま、おめでとう。でも大変になるんちゃうん?」
お父さんとお母さんのそれぞれの反応だ。ふたりとも嬉しそうである。言うなればこれは出世である。やはり娘が認めてもらえるのは嬉しいのだろう。
「やることは増えるし、今までみたいにお料理に掛かりきりにはできひんと思う。多分基本はホールで、助っ人的に厨房に入ると思う。でもそれも経験やと思ってるから」
「せやねぇ」
お母さんが頷き、お父さんも「うんうん」と納得している様な表情だ。
「店長さんて、確か何でもできんとあかんねんやろ? それは確かにええ経験になるね。頼もしいわぁ」
「うん。難しいと思うけど、がんばりたいねん。これからにも絶対に役立つと思うから」
チェーン店の支店とはいえ、ひとつのお店を任せてもらえることは、絶対にこれからの碧の糧になる。次の店長候補がきてくれるまで、精一杯務めたい。
「応援してんで!」
お母さんに力強く言ってもらえ、お父さんもぐっと親指を立ててくれる。それだけで碧は自信が沸いてくる。
不思議だ。今、碧がいちばん認めて欲しいのは、この仲睦まじい自分の両親だ。もちろん琴平店長に後任を任せてもらえたことも、大きな自信になっている。現状消去法であったとはいえ、早急に他店から店長候補を迎えることもできたのに、碧に任せてもらえたのだから。
「お父さん、お母さん、ありがとう!」
碧は満面の笑顔で言い、お父さんもお母さんも満足げに頷いた。
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