6 / 50
1章 碧、前職で奮闘する
第5話 朝の憩いの時間
しおりを挟む
「お父さん、お母さん、おはよう。弓月さん、おはようございます」
碧は両親に、そして続けてご常連の弓月さんに挨拶をする。
弓月さんは本町界隈の会社にお勤めの男性である。背が高くがっちりしていて、穏やかな顔立ちの、いわゆるイケメンだ。
「碧さん、おはようございます」
今日も人好きのするにこやかな笑顔である。弓月さんとはほぼ毎朝この「とくら食堂」で顔を会わすので、すっかり顔見知りなのだ。
お仕事の出退勤時間も、一般的な企業ならフレックス制度を導入しているところも多いだろう。だがやはり朝ごはんで混み合うのは7時から8時半。9時をお仕事開始時間にしている人が多いのだと思う。
だから碧は、この8時半過ぎという時間帯に「とくら食堂」にくるのだった。今はこの、カウンタ8席に4人掛けのテーブル席がふたつの店内に、お客さまは弓月さん含め3人だった。
弓月さんはいつもカウンタの奥の方に座っている。碧は弓月さんから2席空けた席に腰を降ろした。お母さんがお冷やとおしぼりを持ってきてくれる。
「お母さん、今日は豚汁やんな?」
「せやで。卵は目玉焼きな」
「相変わらず完璧! 楽しみやわぁ」
碧はついつい頬を緩ませてしまう。豚汁はお味噌を使ったお汁物のなかでも、特別なものの様に感じてしまうのだ。
お味噌のお汁物はお味噌汁や豚汁の他に、確か各地の郷土料理でもたくさんあったと思う。北海道の石狩鍋、青森県のせんべい汁、名古屋の味噌煮込みうどん、広島県の牡蠣の土手鍋、などなど。
そして地域色はあるが、お雑煮もそうだ。大阪のお雑煮は白味噌である。
それでも豚汁の特別感は別格のところにあると、碧は思っている。不思議なものだ。
この「とくら食堂」では、朝ごはんはお野菜の小鉢と卵料理、ごはんとお味噌汁の定食を500円で提供している。お昼ごはんは卵料理を卵焼きに固定して、メインが付いて1000円だ。
そして、毎月5が付く日はお野菜の小鉢を出さず、お汁物が豚汁になる。ちなみに毎週金曜日のお昼ごはんはカレーライスになる。ソースの具はその日によって変わる。料理人であるお父さんの気分ひとつなのだ。キーマカレーのときもある。もちろん日本人に食べやすい様にアレンジされている。
やがて、碧の前にお母さんが朝ごはんを運んでくれる。つやつやほかほかの白いごはん、目玉焼きは程よい焼き色のオーバーイージー。両面焼きなのだが黄身は半熟なのだ。そして具沢山の豚汁。
「はい、おあがり」
「ありがとう」
碧は「いただきます」と手を合わせ、さっそくお箸を取る。まずは熱々の豚汁を、やけどしないように注意しながらすすり、やんわりと目を細めた。
ああ、なんて、なんて心が落ち着く味だろう。しっかりと取られた昆布とかつおのお出汁にふくよかなお味噌が混じり合い、豚肉やお野菜からの旨みが溶け出している。それらが合わさった滋味は身体をかけめぐる様だ。
そこでごはんをひとくち放り込んで。
次に、目玉焼きの黄身をつぷりと割る。外側の半分ほどが良い塩梅に固まり、内側の半分がとろりと流れ出てくる。碧は白身をお箸で切り分け、黄身をたっぷりとまとわせて口に運んだ。
味付けは塩のみである。お客さまのお好みで食べてもらえる様に、カウンタにはお醤油とソースが置かれているが、碧は卵そのものの味をふんだんに味わいたい。そのためなら、お父さんが振る絶妙な分量のお塩だけで充分なのだ。
どれもこれも、本当に美味しい。「とくら食堂」がお休みの日でも、お父さんはお家で朝ごはんを作ってくれるので、碧は毎朝この絶品朝ごはんにありつけている。本当にありがたいことだ。
朝ごはんはその日の始まり、活力になる。これからがんばろうとする人の後押しをしてくれる。今日もがんばろう、そんな思いにさせてくれるのだ。
碧はしばし、その美味しさに酔いしれる。幸せを全身に受け止めて、小さく心地の良い息を吐いた。
「お父さん、お母さん、わたしね、今の店舗で店長になることになったんよ」
「おお、めでたいなぁ」
「あらま、おめでとう。でも大変になるんちゃうん?」
お父さんとお母さんのそれぞれの反応だ。ふたりとも嬉しそうである。言うなればこれは出世である。やはり娘が認めてもらえるのは嬉しいのだろう。
「やることは増えるし、今までみたいにお料理に掛かりきりにはできひんと思う。多分基本はホールで、助っ人的に厨房に入ると思う。でもそれも経験やと思ってるから」
「せやねぇ」
お母さんが頷き、お父さんも「うんうん」と納得している様な表情だ。
「店長さんて、確か何でもできんとあかんねんやろ? それは確かにええ経験になるね。頼もしいわぁ」
「うん。難しいと思うけど、がんばりたいねん。これからにも絶対に役立つと思うから」
チェーン店の支店とはいえ、ひとつのお店を任せてもらえることは、絶対にこれからの碧の糧になる。次の店長候補がきてくれるまで、精一杯務めたい。
「応援してんで!」
お母さんに力強く言ってもらえ、お父さんもぐっと親指を立ててくれる。それだけで碧は自信が沸いてくる。
不思議だ。今、碧がいちばん認めて欲しいのは、この仲睦まじい自分の両親だ。もちろん琴平店長に後任を任せてもらえたことも、大きな自信になっている。現状消去法であったとはいえ、早急に他店から店長候補を迎えることもできたのに、碧に任せてもらえたのだから。
「お父さん、お母さん、ありがとう!」
碧は満面の笑顔で言い、お父さんもお母さんも満足げに頷いた。
碧は両親に、そして続けてご常連の弓月さんに挨拶をする。
弓月さんは本町界隈の会社にお勤めの男性である。背が高くがっちりしていて、穏やかな顔立ちの、いわゆるイケメンだ。
「碧さん、おはようございます」
今日も人好きのするにこやかな笑顔である。弓月さんとはほぼ毎朝この「とくら食堂」で顔を会わすので、すっかり顔見知りなのだ。
お仕事の出退勤時間も、一般的な企業ならフレックス制度を導入しているところも多いだろう。だがやはり朝ごはんで混み合うのは7時から8時半。9時をお仕事開始時間にしている人が多いのだと思う。
だから碧は、この8時半過ぎという時間帯に「とくら食堂」にくるのだった。今はこの、カウンタ8席に4人掛けのテーブル席がふたつの店内に、お客さまは弓月さん含め3人だった。
弓月さんはいつもカウンタの奥の方に座っている。碧は弓月さんから2席空けた席に腰を降ろした。お母さんがお冷やとおしぼりを持ってきてくれる。
「お母さん、今日は豚汁やんな?」
「せやで。卵は目玉焼きな」
「相変わらず完璧! 楽しみやわぁ」
碧はついつい頬を緩ませてしまう。豚汁はお味噌を使ったお汁物のなかでも、特別なものの様に感じてしまうのだ。
お味噌のお汁物はお味噌汁や豚汁の他に、確か各地の郷土料理でもたくさんあったと思う。北海道の石狩鍋、青森県のせんべい汁、名古屋の味噌煮込みうどん、広島県の牡蠣の土手鍋、などなど。
そして地域色はあるが、お雑煮もそうだ。大阪のお雑煮は白味噌である。
それでも豚汁の特別感は別格のところにあると、碧は思っている。不思議なものだ。
この「とくら食堂」では、朝ごはんはお野菜の小鉢と卵料理、ごはんとお味噌汁の定食を500円で提供している。お昼ごはんは卵料理を卵焼きに固定して、メインが付いて1000円だ。
そして、毎月5が付く日はお野菜の小鉢を出さず、お汁物が豚汁になる。ちなみに毎週金曜日のお昼ごはんはカレーライスになる。ソースの具はその日によって変わる。料理人であるお父さんの気分ひとつなのだ。キーマカレーのときもある。もちろん日本人に食べやすい様にアレンジされている。
やがて、碧の前にお母さんが朝ごはんを運んでくれる。つやつやほかほかの白いごはん、目玉焼きは程よい焼き色のオーバーイージー。両面焼きなのだが黄身は半熟なのだ。そして具沢山の豚汁。
「はい、おあがり」
「ありがとう」
碧は「いただきます」と手を合わせ、さっそくお箸を取る。まずは熱々の豚汁を、やけどしないように注意しながらすすり、やんわりと目を細めた。
ああ、なんて、なんて心が落ち着く味だろう。しっかりと取られた昆布とかつおのお出汁にふくよかなお味噌が混じり合い、豚肉やお野菜からの旨みが溶け出している。それらが合わさった滋味は身体をかけめぐる様だ。
そこでごはんをひとくち放り込んで。
次に、目玉焼きの黄身をつぷりと割る。外側の半分ほどが良い塩梅に固まり、内側の半分がとろりと流れ出てくる。碧は白身をお箸で切り分け、黄身をたっぷりとまとわせて口に運んだ。
味付けは塩のみである。お客さまのお好みで食べてもらえる様に、カウンタにはお醤油とソースが置かれているが、碧は卵そのものの味をふんだんに味わいたい。そのためなら、お父さんが振る絶妙な分量のお塩だけで充分なのだ。
どれもこれも、本当に美味しい。「とくら食堂」がお休みの日でも、お父さんはお家で朝ごはんを作ってくれるので、碧は毎朝この絶品朝ごはんにありつけている。本当にありがたいことだ。
朝ごはんはその日の始まり、活力になる。これからがんばろうとする人の後押しをしてくれる。今日もがんばろう、そんな思いにさせてくれるのだ。
碧はしばし、その美味しさに酔いしれる。幸せを全身に受け止めて、小さく心地の良い息を吐いた。
「お父さん、お母さん、わたしね、今の店舗で店長になることになったんよ」
「おお、めでたいなぁ」
「あらま、おめでとう。でも大変になるんちゃうん?」
お父さんとお母さんのそれぞれの反応だ。ふたりとも嬉しそうである。言うなればこれは出世である。やはり娘が認めてもらえるのは嬉しいのだろう。
「やることは増えるし、今までみたいにお料理に掛かりきりにはできひんと思う。多分基本はホールで、助っ人的に厨房に入ると思う。でもそれも経験やと思ってるから」
「せやねぇ」
お母さんが頷き、お父さんも「うんうん」と納得している様な表情だ。
「店長さんて、確か何でもできんとあかんねんやろ? それは確かにええ経験になるね。頼もしいわぁ」
「うん。難しいと思うけど、がんばりたいねん。これからにも絶対に役立つと思うから」
チェーン店の支店とはいえ、ひとつのお店を任せてもらえることは、絶対にこれからの碧の糧になる。次の店長候補がきてくれるまで、精一杯務めたい。
「応援してんで!」
お母さんに力強く言ってもらえ、お父さんもぐっと親指を立ててくれる。それだけで碧は自信が沸いてくる。
不思議だ。今、碧がいちばん認めて欲しいのは、この仲睦まじい自分の両親だ。もちろん琴平店長に後任を任せてもらえたことも、大きな自信になっている。現状消去法であったとはいえ、早急に他店から店長候補を迎えることもできたのに、碧に任せてもらえたのだから。
「お父さん、お母さん、ありがとう!」
碧は満面の笑顔で言い、お父さんもお母さんも満足げに頷いた。
11
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
後宮薬師は名を持たない
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる