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4章 碧、転機を迎える
第10話 予想外のお客さま
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日曜日も過ぎ、月曜日になった。「とくら食堂」の営業が始まる。朝の5時から仕込みが始まり、お父さんと碧は手際よく作り上げていく。
今日の卵料理はスクランブルエッグ。小鉢はパプリカとおくらのマリネ。お味噌汁はお揚げさんとお豆腐で、お昼のメインは太刀魚のムニエルである。
赤と黄色のパプリカはへたと種を取って乱切りにし、おくらは額を切り落とす。それを蒸し器で蒸したら、熱いうちにマリネ液に漬ける。マリネ液は少しばかり酸味を効かせてある。熱で少し飛ぶことからと、暑いのでさっぱりと食べて欲しいからだ。
和と洋っぽいお料理がまぜこぜだが、バランスは良いと思う。今日もお客さまに満足してもらえたら嬉しいのだが。
8時半になると弓月さんが訪れ、その30分後には佐竹さんもやってきた。ふたりはやはりカウンタ席の隣同士で、和やかにお話をしている、様に見える。佐竹さんは楽しそうなのだが、弓月さんの表情はほんのわずかに引きつっていた。
それでも以前よりはかなり軟化している様に思える。下心があるなんてはっきり言っていた佐竹さんだが、そもそも無理強いしたりするつもりは無いのだと思う。そこはきちんと空気を読んで、弁えることができる人なのだ。弓月さんもきっとそれに気付いている。
佐竹さんは相変わらず早食いではあるものの、食べ終わってすぐに帰ることはせず、弓月さんとのおしゃべりを楽しんでいた。
9時半にもなれば、他にお客さまはおらず、「とくら食堂」は穏やかな雰囲気に包まれていた。
お父さんはお昼に使う太刀魚を下ごしらえしていた。筒切りにするので、まずは出刃包丁で頭と内臓とひれを外していく。そうしてひとり分の大きさにしたら、塩水を張ったボウルに入れていく。臭み取りと、身を柔らかくするための一工夫だ。
碧は洗い物をし、お母さんはレジの途中確認をしている。
佐竹さんと弓月さんの賑やかなお話声、お父さんが太刀魚を切り分けるごりごりとした音、それらがゆったりと響いている店内に、派手な音を鳴らしたのは開き戸だった。
さすがに店内にいた全員が驚いて、出入り口に目を向けると、立っていたのはひとりの女性だった。
ピンク色の、ロリータファッションというのだろうか、ビジネス街である本町ではあまり見掛けない格好だった。緩やかに波打つ髪は肩のあたりで切り揃えられていて、ヘッドドレスがふわりとたなびいている。
その表情は心なしか興奮している様に見える。碧はびっくりしつつも「いらっしゃいませ、おはようございます」とお迎えした。
「あの、都倉碧さんて、えっと、あなたですか?」
女性はそろりと店内に入ってきながら、碧に聞いた。
「はい、そうですが」
碧は一瞬知っている人か? と記憶を辿る。だが思い出せない。確かに初対面だったはずだ。少なくとも、碧の知り合いに、ロリータファッションを好む人はいない。
「あの、わたしに何か」
碧が問うと、女性は「あ、あの」とつっかえながらも。
「あの! 楓お兄ちゃんを返してください!」
そう言い放った。
かえで? 楓? 返してとは。何が何やら分からず頭が混乱すると、女性はさらに口を開いた。
「あなたが一昨日会った楓お兄ちゃんです。お兄ちゃんはあたしの婚約者なんです!」
どういうことだ。碧は驚愕で目を見開いてしまう。
一昨日会ったということは、渡辺さんのことだろう。そうだ、確かフルネームは渡辺楓さんだった。
ということは、渡辺さんは婚約者がいる身分で、結婚相談所に登録しているということか? そういったことは登録時の面談で確認されるが、確かに既婚者の様に戸籍などで分かることでも無いので、見逃されていても不思議では無い。
「碧ちゃん、この女性、とりあえず座ってもろてええ?」
佐竹さんが冷静に言って立ち上がる。碧は「あ、はい」と我に返る。佐竹さんは女性を促して、カウンタ席の出入り口の近いところに座らせた。
「碧ちゃん、その楓って人、呼んだ方がええんとちゃうか? 連絡先は分かるんやろ?」
すると女性が声を荒げる。
「やめてください! お兄ちゃんは呼ばんといてください!」
「そういうわけにはいかんやろ。碧ちゃん」
「は、はい」
碧は泡だらけの手を洗って水分を拭い、バックヤードに向かう。畳の上に置いたバッグに入れてあるスマートフォンを取り出して、SNSで渡辺さんにメッセージを送った。
おはようございます。
至急です。
今、渡辺さんの婚約者を名乗る女性が、「とくら食堂」に来られています。
平日のお仕事中に大変申し訳無いのですが、来ていただくことはできませんか?
よろしくお願いいたします。
すると、助かることにすぐに既読がついた。少し経つと。
おはようございます。
婚約者に心当たりはないんですけど、できるかぎりすぐに行きます。
ご迷惑をおかけしてすいません。
少々お待ちください。
お返事がきた。渡辺さんのお仕事先は有給が取りやすいと聞いているので、こういうときも融通がきくのだろう。ぜひそうであって欲しい。会社は梅田だったはずなので、すぐに行動してもらえたらそう時間は掛からないはずだ。
碧がスマートフォンをバッグに入れて厨房に戻ると、女性は握り拳を震わせて俯いており、佐竹さんもさすがに弓月さんと話す気にはなれない様で、お父さんが太刀魚を捌く音だけが響いていた。
今日の卵料理はスクランブルエッグ。小鉢はパプリカとおくらのマリネ。お味噌汁はお揚げさんとお豆腐で、お昼のメインは太刀魚のムニエルである。
赤と黄色のパプリカはへたと種を取って乱切りにし、おくらは額を切り落とす。それを蒸し器で蒸したら、熱いうちにマリネ液に漬ける。マリネ液は少しばかり酸味を効かせてある。熱で少し飛ぶことからと、暑いのでさっぱりと食べて欲しいからだ。
和と洋っぽいお料理がまぜこぜだが、バランスは良いと思う。今日もお客さまに満足してもらえたら嬉しいのだが。
8時半になると弓月さんが訪れ、その30分後には佐竹さんもやってきた。ふたりはやはりカウンタ席の隣同士で、和やかにお話をしている、様に見える。佐竹さんは楽しそうなのだが、弓月さんの表情はほんのわずかに引きつっていた。
それでも以前よりはかなり軟化している様に思える。下心があるなんてはっきり言っていた佐竹さんだが、そもそも無理強いしたりするつもりは無いのだと思う。そこはきちんと空気を読んで、弁えることができる人なのだ。弓月さんもきっとそれに気付いている。
佐竹さんは相変わらず早食いではあるものの、食べ終わってすぐに帰ることはせず、弓月さんとのおしゃべりを楽しんでいた。
9時半にもなれば、他にお客さまはおらず、「とくら食堂」は穏やかな雰囲気に包まれていた。
お父さんはお昼に使う太刀魚を下ごしらえしていた。筒切りにするので、まずは出刃包丁で頭と内臓とひれを外していく。そうしてひとり分の大きさにしたら、塩水を張ったボウルに入れていく。臭み取りと、身を柔らかくするための一工夫だ。
碧は洗い物をし、お母さんはレジの途中確認をしている。
佐竹さんと弓月さんの賑やかなお話声、お父さんが太刀魚を切り分けるごりごりとした音、それらがゆったりと響いている店内に、派手な音を鳴らしたのは開き戸だった。
さすがに店内にいた全員が驚いて、出入り口に目を向けると、立っていたのはひとりの女性だった。
ピンク色の、ロリータファッションというのだろうか、ビジネス街である本町ではあまり見掛けない格好だった。緩やかに波打つ髪は肩のあたりで切り揃えられていて、ヘッドドレスがふわりとたなびいている。
その表情は心なしか興奮している様に見える。碧はびっくりしつつも「いらっしゃいませ、おはようございます」とお迎えした。
「あの、都倉碧さんて、えっと、あなたですか?」
女性はそろりと店内に入ってきながら、碧に聞いた。
「はい、そうですが」
碧は一瞬知っている人か? と記憶を辿る。だが思い出せない。確かに初対面だったはずだ。少なくとも、碧の知り合いに、ロリータファッションを好む人はいない。
「あの、わたしに何か」
碧が問うと、女性は「あ、あの」とつっかえながらも。
「あの! 楓お兄ちゃんを返してください!」
そう言い放った。
かえで? 楓? 返してとは。何が何やら分からず頭が混乱すると、女性はさらに口を開いた。
「あなたが一昨日会った楓お兄ちゃんです。お兄ちゃんはあたしの婚約者なんです!」
どういうことだ。碧は驚愕で目を見開いてしまう。
一昨日会ったということは、渡辺さんのことだろう。そうだ、確かフルネームは渡辺楓さんだった。
ということは、渡辺さんは婚約者がいる身分で、結婚相談所に登録しているということか? そういったことは登録時の面談で確認されるが、確かに既婚者の様に戸籍などで分かることでも無いので、見逃されていても不思議では無い。
「碧ちゃん、この女性、とりあえず座ってもろてええ?」
佐竹さんが冷静に言って立ち上がる。碧は「あ、はい」と我に返る。佐竹さんは女性を促して、カウンタ席の出入り口の近いところに座らせた。
「碧ちゃん、その楓って人、呼んだ方がええんとちゃうか? 連絡先は分かるんやろ?」
すると女性が声を荒げる。
「やめてください! お兄ちゃんは呼ばんといてください!」
「そういうわけにはいかんやろ。碧ちゃん」
「は、はい」
碧は泡だらけの手を洗って水分を拭い、バックヤードに向かう。畳の上に置いたバッグに入れてあるスマートフォンを取り出して、SNSで渡辺さんにメッセージを送った。
おはようございます。
至急です。
今、渡辺さんの婚約者を名乗る女性が、「とくら食堂」に来られています。
平日のお仕事中に大変申し訳無いのですが、来ていただくことはできませんか?
よろしくお願いいたします。
すると、助かることにすぐに既読がついた。少し経つと。
おはようございます。
婚約者に心当たりはないんですけど、できるかぎりすぐに行きます。
ご迷惑をおかけしてすいません。
少々お待ちください。
お返事がきた。渡辺さんのお仕事先は有給が取りやすいと聞いているので、こういうときも融通がきくのだろう。ぜひそうであって欲しい。会社は梅田だったはずなので、すぐに行動してもらえたらそう時間は掛からないはずだ。
碧がスマートフォンをバッグに入れて厨房に戻ると、女性は握り拳を震わせて俯いており、佐竹さんもさすがに弓月さんと話す気にはなれない様で、お父さんが太刀魚を捌く音だけが響いていた。
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