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3章 お家カレーで解きほぐせたら
第1話 太郎くんの食べたかったもの
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眠って次に起きた時、テーブル周りは飲み物を求める人で列ができる。その中には太郎くんもいる。俯きつつ大人しく自分の番を待っていた。
「はぁい太郎くん、オレンジジュースどうぞ~」
謙太がそう言ってオレンジジュースを渡してやると、太郎くんは「ありがとう」とぼそぼそ言う。
踵を返したところで、大人たちから「太郎くんこっちおいで!」と声が掛かり、太郎くんは戸惑いながらもそちらに向かう。大人たちは皆太郎くんに心を砕いてくれていた。なんとも頼もしい。
太郎くんは少しずつだが、感情を表に出している様に見える。
会話ができる様になるまで、そう長くは無いだろうと思うのは希望的観測だろうか。だがそうしたら太郎くんの心残りも聞くことができるだろう。
気に掛かっているのは太郎くんだけでは無い。他の人だって心残りがあるからこの空間にいるのだ。
だが今はまず太郎くんだ。乗り掛かった船では無いが、関わってしまったのだから最後まで見守りたい。
それにしても、ここにはおもちゃもまともに無いのに、大人たちはよく太郎くんと遊んでくれるものだ。
駆けっこや鬼ごっこ、はないちもんめなどできることは限られている。アリスちゃんがいた時にはアリスちゃんともそうして遊んでくれていた。
起き抜けの行列が落ち着くと、謙太と知朗も時間ができるので、知朗が時折遊びの輪に加わる。この様なアナログな遊びは幼少のころ以来で、見ているだけでもまるで童心に返る様だ。
謙太がいつもの様に大吟醸を飲むツルさんと話をしていると、知朗と太郎くんが手を繋いで戻って来た。
「謙太、太郎にオレンジジューズ入れてやってくれ」
知朗が太郎くんの空いたグラスを箱に入れながら言うので、謙太は「分かった~」と応えて新しいグラスを出す。
太郎くんは大分知朗には慣れて来た様で、大人しく手を繋がれている。
元々大人しい質の様で、相手がアリスちゃんでも他の大人でも、嫌な素振りを見せるわけでは無かったが、知朗の横にいる太郎くんは心なしか楽しそうに見えた。
「なぁ太郎、お前は何か食いたいものとかあるか?」
知朗が何気無く聞くと、太郎くんの目が期待する様に揺れた。しかしすぐに困惑に染まる。知朗を見上げるその目は遠慮がちに「いいの?」と問い掛けている様だった。
こうした感情表現は知朗はもちろん、アリスちゃんや他の大人たちが根気よく関わった結果だろう。まだほとんど喋らないが、今やそんなことは瑣末なことに思える。
「ははっ、もちろん良いぜ。謙太か俺が作れるもんで材料が揃ったらだけどな。家庭料理とかならなんとかなるかな」
「太郎くん、トモのご飯美味しいでぇ。僕はお菓子作りが好きなんやけど、トモはご飯作りやねぇ。僕、毎日トモが作ってくれるご飯食べてたんやでぇ」
「店で作るありあわせだから大したもんじゃ無ぇけどな。太郎、どうだ?」
知朗がしゃがんで太郎くんに視線を合わせると、太郎くんはぱくぱくと口を動かす。知朗はその口から声がこぼれて来るのをじっと待った。すると。
「……カレー」
まるで蚊の鳴く様な声だったが、太郎くんの口から発せられたのだ。唯一聞こえていたであろう知朗は嬉しさで目を見開く。
「カレー、カレーか! どんなカレーが好きなんだ?」
聞くと太郎くんはもじもじと両手を絡ませる。
「お隣のお家のカレー……」
「太郎が住んでた家の隣の家のカレーってことか? 隣から匂って来たとかか?」
太郎くんはこくんと頷く。
「そうか。俺はそのカレーを食ったこと無いから、全く同じもんは作れねぇかも知れねぇ。想像で作ることにはなるが、それでも良かったら食ってくれるか?」
すると太郎くんはぱあっと目を輝かせ、小さく何度も頷いた。
「よしっ、じゃあ聞いてみるから待ってろよ」
知朗が言って太郎くんの頭をくしゃりと撫でると、太郎くんは嬉しそうに微かに口角を上げた。
「お家のカレー」では無く「お隣のお家のカレー」。
お父さんやお母さんはカレーを作ってくれなかったのだろうか。
アレルギーがあるならともかく、カレーを作らない家庭はとても珍しいのでは無いだろうか。そのカレーすら作らなかったとなると、ご飯を作ってくれていたかも怪しい。
こうなると虐待の可能性がますます濃厚になって来た。虐待は何も暴力だけでは無い。育児放棄だって立派な虐待だ。
幼いころには適当な菓子パンなどを、そして物心が付いた頃には幾ばくかのお金だけ与え、自分でパンやおにぎりなどを買わせていたなんてことも、聞いたことのある話だ。
そんな時に、隣から漂って来るカレーの匂いを嗅いだのかも知れない。
家ではまともに食べられなかったのかも知れないが、小学校に行っていたのなら給食にはありつけていただろう。それでカレーや他の料理を知ることができる。
太郎くんは給食でカレーを知って好きになり、隣の家から漂って来た香りに惹かれたのだ。
本当は家で、お父さんかお母さんに作ってもらったカレーを食べたかったに違いない。
だが「カレーを作って」と言える環境にはいなかった。だから隣を羨んだ。それが心残りになってしまったのでは無いのだろうか。
それを思うと本当にやるせない気持ちになる。なら謙太と知朗ができることは、太郎くんに素朴でほっこりする味のカレーを食べてもらうことだ。
メインで作るのは知朗だが、謙太だって野菜の皮を剥くことぐらいは手伝える。どうにか材料を用意してもらえると良いのだが。
「はぁい太郎くん、オレンジジュースどうぞ~」
謙太がそう言ってオレンジジュースを渡してやると、太郎くんは「ありがとう」とぼそぼそ言う。
踵を返したところで、大人たちから「太郎くんこっちおいで!」と声が掛かり、太郎くんは戸惑いながらもそちらに向かう。大人たちは皆太郎くんに心を砕いてくれていた。なんとも頼もしい。
太郎くんは少しずつだが、感情を表に出している様に見える。
会話ができる様になるまで、そう長くは無いだろうと思うのは希望的観測だろうか。だがそうしたら太郎くんの心残りも聞くことができるだろう。
気に掛かっているのは太郎くんだけでは無い。他の人だって心残りがあるからこの空間にいるのだ。
だが今はまず太郎くんだ。乗り掛かった船では無いが、関わってしまったのだから最後まで見守りたい。
それにしても、ここにはおもちゃもまともに無いのに、大人たちはよく太郎くんと遊んでくれるものだ。
駆けっこや鬼ごっこ、はないちもんめなどできることは限られている。アリスちゃんがいた時にはアリスちゃんともそうして遊んでくれていた。
起き抜けの行列が落ち着くと、謙太と知朗も時間ができるので、知朗が時折遊びの輪に加わる。この様なアナログな遊びは幼少のころ以来で、見ているだけでもまるで童心に返る様だ。
謙太がいつもの様に大吟醸を飲むツルさんと話をしていると、知朗と太郎くんが手を繋いで戻って来た。
「謙太、太郎にオレンジジューズ入れてやってくれ」
知朗が太郎くんの空いたグラスを箱に入れながら言うので、謙太は「分かった~」と応えて新しいグラスを出す。
太郎くんは大分知朗には慣れて来た様で、大人しく手を繋がれている。
元々大人しい質の様で、相手がアリスちゃんでも他の大人でも、嫌な素振りを見せるわけでは無かったが、知朗の横にいる太郎くんは心なしか楽しそうに見えた。
「なぁ太郎、お前は何か食いたいものとかあるか?」
知朗が何気無く聞くと、太郎くんの目が期待する様に揺れた。しかしすぐに困惑に染まる。知朗を見上げるその目は遠慮がちに「いいの?」と問い掛けている様だった。
こうした感情表現は知朗はもちろん、アリスちゃんや他の大人たちが根気よく関わった結果だろう。まだほとんど喋らないが、今やそんなことは瑣末なことに思える。
「ははっ、もちろん良いぜ。謙太か俺が作れるもんで材料が揃ったらだけどな。家庭料理とかならなんとかなるかな」
「太郎くん、トモのご飯美味しいでぇ。僕はお菓子作りが好きなんやけど、トモはご飯作りやねぇ。僕、毎日トモが作ってくれるご飯食べてたんやでぇ」
「店で作るありあわせだから大したもんじゃ無ぇけどな。太郎、どうだ?」
知朗がしゃがんで太郎くんに視線を合わせると、太郎くんはぱくぱくと口を動かす。知朗はその口から声がこぼれて来るのをじっと待った。すると。
「……カレー」
まるで蚊の鳴く様な声だったが、太郎くんの口から発せられたのだ。唯一聞こえていたであろう知朗は嬉しさで目を見開く。
「カレー、カレーか! どんなカレーが好きなんだ?」
聞くと太郎くんはもじもじと両手を絡ませる。
「お隣のお家のカレー……」
「太郎が住んでた家の隣の家のカレーってことか? 隣から匂って来たとかか?」
太郎くんはこくんと頷く。
「そうか。俺はそのカレーを食ったこと無いから、全く同じもんは作れねぇかも知れねぇ。想像で作ることにはなるが、それでも良かったら食ってくれるか?」
すると太郎くんはぱあっと目を輝かせ、小さく何度も頷いた。
「よしっ、じゃあ聞いてみるから待ってろよ」
知朗が言って太郎くんの頭をくしゃりと撫でると、太郎くんは嬉しそうに微かに口角を上げた。
「お家のカレー」では無く「お隣のお家のカレー」。
お父さんやお母さんはカレーを作ってくれなかったのだろうか。
アレルギーがあるならともかく、カレーを作らない家庭はとても珍しいのでは無いだろうか。そのカレーすら作らなかったとなると、ご飯を作ってくれていたかも怪しい。
こうなると虐待の可能性がますます濃厚になって来た。虐待は何も暴力だけでは無い。育児放棄だって立派な虐待だ。
幼いころには適当な菓子パンなどを、そして物心が付いた頃には幾ばくかのお金だけ与え、自分でパンやおにぎりなどを買わせていたなんてことも、聞いたことのある話だ。
そんな時に、隣から漂って来るカレーの匂いを嗅いだのかも知れない。
家ではまともに食べられなかったのかも知れないが、小学校に行っていたのなら給食にはありつけていただろう。それでカレーや他の料理を知ることができる。
太郎くんは給食でカレーを知って好きになり、隣の家から漂って来た香りに惹かれたのだ。
本当は家で、お父さんかお母さんに作ってもらったカレーを食べたかったに違いない。
だが「カレーを作って」と言える環境にはいなかった。だから隣を羨んだ。それが心残りになってしまったのでは無いのだろうか。
それを思うと本当にやるせない気持ちになる。なら謙太と知朗ができることは、太郎くんに素朴でほっこりする味のカレーを食べてもらうことだ。
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