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4章 再開に向かって
第5話 再開の兆し
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祐ちゃんの手は手際良く動く。牛のかたまり肉は、ぶ厚めの焼肉ぐらいの大きさにカットされ、お塩とこしょうで下味を付けられて、オリーブオイルを引いたフライパンで焼き付けられて行く。
お肉は一旦バッドに上げられ、火を止めたフライパンには赤ワインが入れられる。じゅわっと音がし、フライパンに付いた牛肉の旨味がこそげ取られた。
玉ねぎと人参、セロリは細かく切られ、お塩を振ってお鍋で炒められる。祐ちゃんの持つ耐熱性のゴムベラが絶え間無く動き、しばらくしてからトマトピューレが入る。
トマトピューレはトマトを煮詰めて作られたもので、旨味が凝縮しているが、酸味もある。それを飛ばしてあげる様に火を入れて行く。
そして、フライパンの赤ワインが加えられた。アルコールを飛ばし、くつくつと煮詰めて行く。ワインは半量程度になるまで煮詰めてやると、コクと旨味になるのである。
厨房に甘い香りが漂う。次にドミグラスソースとチキンブイヨンが入る。ブイヨンは無添加の市販品である。「テリア」が再開したらこれも鶏がらから作ることになるのだが、修行中の今は時間のこともあり市販品を使っていた。これはお父さんの進言でもあった。
祐ちゃんは「マルチニール」でブイヨンの仕込みもしている。修行としてはそれで充分だということなのだ。
ふつふつと沸いたら牛肉が戻されて、ブーケガルニも加えられる。ここから本来なら2時間ほど煮込むのだが、今日は1時間に短縮するために、お野菜も小さくしたし、牛肉も薄めなのである。丁寧にアクを取り、水分が少なくなって来たら適宜ブイヨンを足しながら煮込んだ。
そうして煮込みが終われば、牛肉とブーケガルニを取り出して、残りをレードルで濾す。お野菜の旨味を余さず出す様に、潰しながら濾して行く。レードルに残った野菜の殻は、先ほど牛肉を焼き付けたフライパンに移した。
「祐ちゃん、それどうすんの?」
あまり知識の無い守梨などは、もう捨てるしか無いと思っていたのだが。「テリア」が営業していた時、こうしたお野菜などは、飼料や肥料などを作る専門の業者に引き取ってもらっていたのだ。だが今はそれができない。
「勿体無いやろ。おやっさんが、これに合挽き肉加えて、ドライカレー作ろかって。挽き肉後で買うて来るから。トマトピューレとカレー粉はあるし」
「へぇ。それやったら私が買いに行く。レシピ教えてくれたら、私でも作れると思う」
「できるか?」
「……多分」
難しいことはできないが、カレーならどうにかなりそうである。小学生だって授業やキャンプなどで作るのだから。
あまり祐ちゃんに手間を掛けさせたく無くて守梨は言ったのだが、祐ちゃんはそんなことはお見通しと言う様に「カレー舐めんな」と笑う。
「後で俺がやるから。ほら、そろそろできるで」
なめらかなソースができあがると、そこに牛肉を戻して、少し火に掛けてあげる。その間に祐ちゃんは小さなお鍋に湯を沸かし、缶詰のグリンピースを入れて、さっと茹でた。
「缶詰やんなぁ。そのまま使われへんの?」
「缶詰臭さがあるからな。こうしてやったら抜けんねん。ほんまは緑のもんも、ブロッコリとか使うとこやけど、今日は手抜きや」
そのまま食べられる缶詰を湯通ししている時点で、守梨にとっては全然手抜きでは無いのだが。そこの考え方が、お料理のできる人できない人の違いなのだろう。
ざるに上げたグリンピースをお鍋に加え、ぐるりと混ぜた。
「守梨、できたで」
守梨はその声に弾かれる様に立ち上がる。壁際のコンロに小走りで向かうと、祐ちゃんが場所を空けてくれた。お鍋を覗き込むと、褐色の液体の中に焼き色の付いた牛肉と鮮やかなグリンピースが顔を出し、濃厚な香りが鼻を覆った。
作っている最中もその芳香は厨房を包んでいて、守梨の食欲を大いに刺激したのだが、近付くとそれはさらに強くなる。守梨はその芳しい空気を精一杯吸い込んだ。ああ、ほんまにええ匂い。
「美味しそう。祐ちゃん、もう食べれんの?」
「食べられるで。盛り付けようか」
「お皿出すな」
守梨は食器棚から、「テリア」でビーフシチューに使っていた深さのあるお皿を出す。
「守梨、皿も。パン屋でブール買うて来たから」
「うん」
ビーフシチューが注がれ、中皿には丸いブールが載せられる。フロアのテーブルにそれらを置き、守梨と祐ちゃんは「いただきます」と手を合わせた。
守梨はスプーンでソースをすくい、口に運ぶ。どきどきする。祐ちゃんのドミグラスソースのお料理。祐ちゃんとお父さんのビーフシチュー。
お父さんが見ていてくれたはずで、祐ちゃんは時折「はい」と言いながら頷いたりしていた。そしてレシピも頭に入っているだろうから、調理もとても滑らかだった。
そんなん、美味しく無いわけないやん。
そうして心臓が高鳴ってしまうのだ。ああ、期待値が高すぎる。
「……っ!」
守梨は目を見開く。口の中にぶわぁっと広がるのはねっとりとした旨味、奥深いコク。そして不思議と鼻から抜ける清涼感。
濃厚ではあるのだが、しつこさは感じない。お野菜の爽やかなエキスがしっかりと出されているからだろう。
牛肉はと言うと、スプーンで割れてしまうほどにほろほろである。繊維全てにソースが絡み、しっとりと旨味を運んで来た。
「美味しい……! 祐ちゃん凄い! ほんまに凄い!」
守梨が興奮して言うと、祐ちゃんもひとくち食べて「うん」と頷いた。
「良かった、巧くできた。おやっさんのお陰やな」
「それもあるやろうけど、やっぱり祐ちゃんが頑張ってくれたからやと思う」
守梨が笑みを浮かべると、祐ちゃんは「そうやろか」とはにかんだ。
ああ、これで本当に「テリア」が戻って来た、そんな気がした。お父さん渾身のドミグラスソースが復活し、こうしてそれを存分に堪能できるお料理も作ってもらえるまでになったのだ。
祐ちゃんがお料理で失敗したところを、守梨は見たことが無い。だがその分きっと裏では努力をしてくれたのでは無いかと思う。おそらく祐ちゃんは万感の思いだろう。満足げな表情でビーフシチューを食べていた。
祐ちゃんが「テリア」の料理人になってくれることの感謝を、守梨はあらためて感じたのだった。
お肉は一旦バッドに上げられ、火を止めたフライパンには赤ワインが入れられる。じゅわっと音がし、フライパンに付いた牛肉の旨味がこそげ取られた。
玉ねぎと人参、セロリは細かく切られ、お塩を振ってお鍋で炒められる。祐ちゃんの持つ耐熱性のゴムベラが絶え間無く動き、しばらくしてからトマトピューレが入る。
トマトピューレはトマトを煮詰めて作られたもので、旨味が凝縮しているが、酸味もある。それを飛ばしてあげる様に火を入れて行く。
そして、フライパンの赤ワインが加えられた。アルコールを飛ばし、くつくつと煮詰めて行く。ワインは半量程度になるまで煮詰めてやると、コクと旨味になるのである。
厨房に甘い香りが漂う。次にドミグラスソースとチキンブイヨンが入る。ブイヨンは無添加の市販品である。「テリア」が再開したらこれも鶏がらから作ることになるのだが、修行中の今は時間のこともあり市販品を使っていた。これはお父さんの進言でもあった。
祐ちゃんは「マルチニール」でブイヨンの仕込みもしている。修行としてはそれで充分だということなのだ。
ふつふつと沸いたら牛肉が戻されて、ブーケガルニも加えられる。ここから本来なら2時間ほど煮込むのだが、今日は1時間に短縮するために、お野菜も小さくしたし、牛肉も薄めなのである。丁寧にアクを取り、水分が少なくなって来たら適宜ブイヨンを足しながら煮込んだ。
そうして煮込みが終われば、牛肉とブーケガルニを取り出して、残りをレードルで濾す。お野菜の旨味を余さず出す様に、潰しながら濾して行く。レードルに残った野菜の殻は、先ほど牛肉を焼き付けたフライパンに移した。
「祐ちゃん、それどうすんの?」
あまり知識の無い守梨などは、もう捨てるしか無いと思っていたのだが。「テリア」が営業していた時、こうしたお野菜などは、飼料や肥料などを作る専門の業者に引き取ってもらっていたのだ。だが今はそれができない。
「勿体無いやろ。おやっさんが、これに合挽き肉加えて、ドライカレー作ろかって。挽き肉後で買うて来るから。トマトピューレとカレー粉はあるし」
「へぇ。それやったら私が買いに行く。レシピ教えてくれたら、私でも作れると思う」
「できるか?」
「……多分」
難しいことはできないが、カレーならどうにかなりそうである。小学生だって授業やキャンプなどで作るのだから。
あまり祐ちゃんに手間を掛けさせたく無くて守梨は言ったのだが、祐ちゃんはそんなことはお見通しと言う様に「カレー舐めんな」と笑う。
「後で俺がやるから。ほら、そろそろできるで」
なめらかなソースができあがると、そこに牛肉を戻して、少し火に掛けてあげる。その間に祐ちゃんは小さなお鍋に湯を沸かし、缶詰のグリンピースを入れて、さっと茹でた。
「缶詰やんなぁ。そのまま使われへんの?」
「缶詰臭さがあるからな。こうしてやったら抜けんねん。ほんまは緑のもんも、ブロッコリとか使うとこやけど、今日は手抜きや」
そのまま食べられる缶詰を湯通ししている時点で、守梨にとっては全然手抜きでは無いのだが。そこの考え方が、お料理のできる人できない人の違いなのだろう。
ざるに上げたグリンピースをお鍋に加え、ぐるりと混ぜた。
「守梨、できたで」
守梨はその声に弾かれる様に立ち上がる。壁際のコンロに小走りで向かうと、祐ちゃんが場所を空けてくれた。お鍋を覗き込むと、褐色の液体の中に焼き色の付いた牛肉と鮮やかなグリンピースが顔を出し、濃厚な香りが鼻を覆った。
作っている最中もその芳香は厨房を包んでいて、守梨の食欲を大いに刺激したのだが、近付くとそれはさらに強くなる。守梨はその芳しい空気を精一杯吸い込んだ。ああ、ほんまにええ匂い。
「美味しそう。祐ちゃん、もう食べれんの?」
「食べられるで。盛り付けようか」
「お皿出すな」
守梨は食器棚から、「テリア」でビーフシチューに使っていた深さのあるお皿を出す。
「守梨、皿も。パン屋でブール買うて来たから」
「うん」
ビーフシチューが注がれ、中皿には丸いブールが載せられる。フロアのテーブルにそれらを置き、守梨と祐ちゃんは「いただきます」と手を合わせた。
守梨はスプーンでソースをすくい、口に運ぶ。どきどきする。祐ちゃんのドミグラスソースのお料理。祐ちゃんとお父さんのビーフシチュー。
お父さんが見ていてくれたはずで、祐ちゃんは時折「はい」と言いながら頷いたりしていた。そしてレシピも頭に入っているだろうから、調理もとても滑らかだった。
そんなん、美味しく無いわけないやん。
そうして心臓が高鳴ってしまうのだ。ああ、期待値が高すぎる。
「……っ!」
守梨は目を見開く。口の中にぶわぁっと広がるのはねっとりとした旨味、奥深いコク。そして不思議と鼻から抜ける清涼感。
濃厚ではあるのだが、しつこさは感じない。お野菜の爽やかなエキスがしっかりと出されているからだろう。
牛肉はと言うと、スプーンで割れてしまうほどにほろほろである。繊維全てにソースが絡み、しっとりと旨味を運んで来た。
「美味しい……! 祐ちゃん凄い! ほんまに凄い!」
守梨が興奮して言うと、祐ちゃんもひとくち食べて「うん」と頷いた。
「良かった、巧くできた。おやっさんのお陰やな」
「それもあるやろうけど、やっぱり祐ちゃんが頑張ってくれたからやと思う」
守梨が笑みを浮かべると、祐ちゃんは「そうやろか」とはにかんだ。
ああ、これで本当に「テリア」が戻って来た、そんな気がした。お父さん渾身のドミグラスソースが復活し、こうしてそれを存分に堪能できるお料理も作ってもらえるまでになったのだ。
祐ちゃんがお料理で失敗したところを、守梨は見たことが無い。だがその分きっと裏では努力をしてくれたのでは無いかと思う。おそらく祐ちゃんは万感の思いだろう。満足げな表情でビーフシチューを食べていた。
祐ちゃんが「テリア」の料理人になってくれることの感謝を、守梨はあらためて感じたのだった。
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