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2章 多種多様なお客さま
第10話 何があるはずも無く
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「ねぇ、由祐」
あやかししかいない「ゆうやけ」でそう声を掛けてきたのは、白のグラスワインを好む、美しい女性に変化しているご常連のお客さまだった。
「はい、何でしょう」
由祐は何気無く返事をするが、女性は由祐を睨み付ける様に見つめる。由祐はそのただならぬ様子に思わず尻込みしてしまう。もしかしたら、何か失礼なことをしてしまっただろうか。
「雲田さん、どうしました……?」
由祐が恐る恐る聞くと、女性、雲田さんはまた由祐をじろりと見て、形の良い口を開いた。
「あんた、茨木の何なん」
「……何でも無いですよ」
何だ、そんなことか。由祐は力を抜いた。何を誤解されているのか分からないが、由祐にとって茨木さんは恩人というだけで、他に特別な何かがあるわけでは無い。だから「何でも無い」のだ。
「嘘やん。茨木、毎日ここにおるやん。いつもは人間がおるから聞けんかったけど、やっとおらんくなったからね」
「だって、茨木さんはこのお店、というかこの場所に憑いてはるみたいなもんですもん。前のお店のときからいてはるって聞いてますし」
すると雲田さんは不機嫌そうに顔をしかめた。
「前んときはしけた爺さんやったからどうでも良かってん。でも今回は若い女やろ。どう考えても何かあるて思うやろ」
そんな極端な。茨木さんと由祐で、何があるわけ無いでは無いか。何せあやかしと人間なのだから、そもそもの話だ。
「ほんまに何もありませんて」
「いぃや、茨木はええ男やからな、あんたみたいな人生経験少なそうな女やったらいちころやで」
酷い言われようである。人生経験が少ないのは否定できないが、最近は茨木さんに言われた様にご本を読む様になって、少しはいろいろな価値観などを養っているつもりだ。
世の中には、たくさんのご本がある。それこそ掃いて捨てるほどに。由祐は自分の経済観念の許す範囲で、ご本を買っている。
「ゆうやけ」がお休みの日、由祐はてくてくと歩いて、ショッピングモールであるなんばシティにある大型書店、旭屋書店さんに通っている。何を買うかは一応前もってネットで調べているのだが、由祐に向いているのはごはんもの小説。ごはんやスイーツを絡めた人情ものである。
ネットで買おうと思えばできる。だが由祐は本屋さんでの一期一会を楽しみにしていた。事前調査しているご本はもちろんだが、ご本の表紙に食べ物のイラストなどがあるものの背表紙を見ると、あらすじが書いてある。それを見て決めるのだ。
そんなたくさんの冊数を買えるわけでは無いので、厳選に厳選を重ねる。そして時間を掛けてじっくりと読み込むのだ。
電子書籍もあるし、そっちの方が簡単に手に入るが、由祐にはどうやら紙のご本が合っている様だ。目当てのご本があったとき、または思わぬ出会いがあったとき、心が暖かくなる。宝物を見つけた様な気持ちになるのだ。
ちなみに、今の最寄りの図書館も調べていた。該当するのは大阪市立浪速図書館なのだが、やはりお家からは徒歩でかなり距離があったのだった。
「ともあれ、茨木さんとわたしは何もありませんから、安心してください」
「ふぅ~ん?」
雲田さんはまたしても疑わしげな目を向けてくる。しかし何も無いものは何も無い。面倒やなぁ、由祐がそんなことを思ってしまうと。
「雲田、由祐に変な絡み方すんな」
茨木さんの鬱陶しげな低い声が響いた。すると雲田さんは。
「だぁってぇ~」
途端に甘い声を出して、ワイングラスを手に立ち上がると、茨木さんの背後に回って、その太い首にしなやかな両腕を絡ませた。
「不安なんやもぉん、茨木がぁ、わたくし以外の女のところに行ったら嫌やぁん?」
「おれはそもそも、お前のとこにも行かんぞ」
「なぁんでよぉ~」
雲田さんは拗ねるが、茨木さんは素っ気ない。どうでも良いのかされるがままだ。
「世の中のええ男は、みぃ~んな、わたくしのもん。そう決まってるんやもん」
「はいはい」
茨木さんの返事には感情がこもっていない。由祐は思わず苦笑してしまう。
この雲田さん、正体は女郎蜘蛛なのである。美しい女性に化けて、人間の男性を誘惑するらしい。要は恋愛脳なのだ。この雲田さんの守備範囲はあやかしにも及んでいる様で、こうして茨木さんにも粉をかけている。
由祐にしてみれば、茨木さんと雲田さんがどうなろうが知ったことでは無いが、できれば茨木さんにはまだここにいて欲しいと思うので、もし出ていかれてしまったら残念である。
とはいえ、由祐に茨木さんの行動や行き先を制限したりする権限は無いのだし、茨木さんが今「ゆうやけ」にいてくれているのも、茨木さんの意思ひとつである。
茨木さんが出て行ってしまったら、由祐は人間だけを相手に商売をすることになるだろう。それが当たり前の姿なのかも知れないが、今やたくさんのあやかしに支えられているので、それは寂しくなりそうだな、とも思う。
由祐の勝手なのだろうが、できることなら今の状態が少しでも長く、続いてくれたら嬉しいな、と思うのだ。
「ええなぁ、茨木くんはやっぱりもてるなぁ、かっこええもんなぁ」
のんびりとそんなことを言うのは、酎ハイ大好きな男性のお客さま。大柄で朴訥とした雰囲気のあやかしだ。カルピス酎ハイがいちばん好きな様で、多く頼んでくれる。
この人は大村さん。正体はだいらだぼっち。少し気が弱いが、優しいあやかしである。この大村さんがいてくれるだけで、「ゆうやけ」はほのぼのとした雰囲気になるのだ。
「大村もイケメンやったら構ったったのにねぇ」
雲田さんは艶かしい声でそんなことを言う。大村さんは「はは……」と困った様に、顔をほのかに赤くした。
あやかししかいない「ゆうやけ」でそう声を掛けてきたのは、白のグラスワインを好む、美しい女性に変化しているご常連のお客さまだった。
「はい、何でしょう」
由祐は何気無く返事をするが、女性は由祐を睨み付ける様に見つめる。由祐はそのただならぬ様子に思わず尻込みしてしまう。もしかしたら、何か失礼なことをしてしまっただろうか。
「雲田さん、どうしました……?」
由祐が恐る恐る聞くと、女性、雲田さんはまた由祐をじろりと見て、形の良い口を開いた。
「あんた、茨木の何なん」
「……何でも無いですよ」
何だ、そんなことか。由祐は力を抜いた。何を誤解されているのか分からないが、由祐にとって茨木さんは恩人というだけで、他に特別な何かがあるわけでは無い。だから「何でも無い」のだ。
「嘘やん。茨木、毎日ここにおるやん。いつもは人間がおるから聞けんかったけど、やっとおらんくなったからね」
「だって、茨木さんはこのお店、というかこの場所に憑いてはるみたいなもんですもん。前のお店のときからいてはるって聞いてますし」
すると雲田さんは不機嫌そうに顔をしかめた。
「前んときはしけた爺さんやったからどうでも良かってん。でも今回は若い女やろ。どう考えても何かあるて思うやろ」
そんな極端な。茨木さんと由祐で、何があるわけ無いでは無いか。何せあやかしと人間なのだから、そもそもの話だ。
「ほんまに何もありませんて」
「いぃや、茨木はええ男やからな、あんたみたいな人生経験少なそうな女やったらいちころやで」
酷い言われようである。人生経験が少ないのは否定できないが、最近は茨木さんに言われた様にご本を読む様になって、少しはいろいろな価値観などを養っているつもりだ。
世の中には、たくさんのご本がある。それこそ掃いて捨てるほどに。由祐は自分の経済観念の許す範囲で、ご本を買っている。
「ゆうやけ」がお休みの日、由祐はてくてくと歩いて、ショッピングモールであるなんばシティにある大型書店、旭屋書店さんに通っている。何を買うかは一応前もってネットで調べているのだが、由祐に向いているのはごはんもの小説。ごはんやスイーツを絡めた人情ものである。
ネットで買おうと思えばできる。だが由祐は本屋さんでの一期一会を楽しみにしていた。事前調査しているご本はもちろんだが、ご本の表紙に食べ物のイラストなどがあるものの背表紙を見ると、あらすじが書いてある。それを見て決めるのだ。
そんなたくさんの冊数を買えるわけでは無いので、厳選に厳選を重ねる。そして時間を掛けてじっくりと読み込むのだ。
電子書籍もあるし、そっちの方が簡単に手に入るが、由祐にはどうやら紙のご本が合っている様だ。目当てのご本があったとき、または思わぬ出会いがあったとき、心が暖かくなる。宝物を見つけた様な気持ちになるのだ。
ちなみに、今の最寄りの図書館も調べていた。該当するのは大阪市立浪速図書館なのだが、やはりお家からは徒歩でかなり距離があったのだった。
「ともあれ、茨木さんとわたしは何もありませんから、安心してください」
「ふぅ~ん?」
雲田さんはまたしても疑わしげな目を向けてくる。しかし何も無いものは何も無い。面倒やなぁ、由祐がそんなことを思ってしまうと。
「雲田、由祐に変な絡み方すんな」
茨木さんの鬱陶しげな低い声が響いた。すると雲田さんは。
「だぁってぇ~」
途端に甘い声を出して、ワイングラスを手に立ち上がると、茨木さんの背後に回って、その太い首にしなやかな両腕を絡ませた。
「不安なんやもぉん、茨木がぁ、わたくし以外の女のところに行ったら嫌やぁん?」
「おれはそもそも、お前のとこにも行かんぞ」
「なぁんでよぉ~」
雲田さんは拗ねるが、茨木さんは素っ気ない。どうでも良いのかされるがままだ。
「世の中のええ男は、みぃ~んな、わたくしのもん。そう決まってるんやもん」
「はいはい」
茨木さんの返事には感情がこもっていない。由祐は思わず苦笑してしまう。
この雲田さん、正体は女郎蜘蛛なのである。美しい女性に化けて、人間の男性を誘惑するらしい。要は恋愛脳なのだ。この雲田さんの守備範囲はあやかしにも及んでいる様で、こうして茨木さんにも粉をかけている。
由祐にしてみれば、茨木さんと雲田さんがどうなろうが知ったことでは無いが、できれば茨木さんにはまだここにいて欲しいと思うので、もし出ていかれてしまったら残念である。
とはいえ、由祐に茨木さんの行動や行き先を制限したりする権限は無いのだし、茨木さんが今「ゆうやけ」にいてくれているのも、茨木さんの意思ひとつである。
茨木さんが出て行ってしまったら、由祐は人間だけを相手に商売をすることになるだろう。それが当たり前の姿なのかも知れないが、今やたくさんのあやかしに支えられているので、それは寂しくなりそうだな、とも思う。
由祐の勝手なのだろうが、できることなら今の状態が少しでも長く、続いてくれたら嬉しいな、と思うのだ。
「ええなぁ、茨木くんはやっぱりもてるなぁ、かっこええもんなぁ」
のんびりとそんなことを言うのは、酎ハイ大好きな男性のお客さま。大柄で朴訥とした雰囲気のあやかしだ。カルピス酎ハイがいちばん好きな様で、多く頼んでくれる。
この人は大村さん。正体はだいらだぼっち。少し気が弱いが、優しいあやかしである。この大村さんがいてくれるだけで、「ゆうやけ」はほのぼのとした雰囲気になるのだ。
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