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3章 それは誰の幸せか
第10話 心の中の真実
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由祐は慌てて両手で口を抑える。しかしその声は、迂闊にもこぢんまりとした店内に響いてしまっていた。ほんまにわたしって……! 由祐は自分に失望してしまう。
「由祐、どうした~ん?」
雲田さんだ。その横では久田さんが「やれやれ」と言う様な表情。大村さんはそんな久田さんの隣なので、聞こえていても不思議では無い。そもそも、きっと久田さんにはこのことが分かっていたのだろう。もしかしたら、これから先のことも。
「何でも無いです。お騒がせしてしもてごめんなさい」
由祐は慌てて言うが、雲田さんは「ふぅ~ん?」と懐疑的な視線をじっとりと向ける。すると。
「ええんです、由祐さん。懺悔や無いですが、ぼくが阿呆なことをしてしもたからこそです。聞かれてもええです」
「でも……」
由祐が狼狽えると、大村さんは「ええんです」と辛そうに頷く。「こだわり酒場のレモンサワー」をひと口飲んで「ふぅ」と息を吐いた。
「まさか、こんなことになるなんて、思わなかったんです。ぼくはこんな地味な男やし、もてません。せやから予想外でした。その同僚には失礼にならん様に接してたつもりです。それは他の同僚へも一緒です。「いつもありがとう」って姫ゆかりはあげましたけど、それ以外、特別な何かをしたつもりはまるで無いんです。それやのに、何でって、びっくりしてもて。……理由があって、言えんけど、結婚はできひんて言いました。それでもええから付き合って欲しいって」
ああ、それは、由祐にはなぜか分かった気がする。大村さんの普通は、他の人にとっては。
「お相手さんはきっと、大村さんの誠実なところ、お気遣いができはるところに惹かれたんでしょうねぇ」
由祐が言うと、大村さんは少し怪訝な表情になる。
「そう……でしょうか。気遣いみたいなんは、できる限りしているつもりですけど、潤滑な仕事のために。でも誠実やとは思わないんです。少なくとも、結婚できひん理由が言えんのに、誠実も何も無いんやないかって」
これは、自分に対して厳しい。確かにその通りなのかも知れないが。
「せやから軽々しくお付き合いできひんて、大村さんは言わはったんですよね? わたしは不誠実やとは思いませんよ」
すると雲田さんが、はしゃいだ様な声を上げる。
「大村は難しく考えすぎなんよ。そんなん、気持ちええとこだけもろて、適当に姿消したらええやん」
言わんとしていることが分かるので、由祐は面食らってしまう。大村さんはほのかに顔を赤くしながらも憤慨した。
「そんなこと、できるわけ無いでしょ!」
そうだろう。女郎蜘蛛である雲田さんは、あやかしでも人間でも、男性の間を渡り歩いている様な人だ。貞操観念は低いのだろう。だがきっと大村さんは違う。真面目でもある人だから、女性に限らず他人を弄んだりしない。
「え~?」
雲田さんは不満そうだ。大村さんと雲田さんは、あやかしとしてのあり方がそもそも違う。だいだらぼっちの大村さんは優しいあやかしなのだ。同じあやかしでも雲田さんとは考え方が異なる。
雲田さんは一夜限りの関係でも楽しめるのだろうが、大村さんはそうでは無いのだ。お相手さんがいるなら、そのひとりを大事にする。
きっと、大村さんはお相手さんに好意を寄せられて嬉しいと感じていると思うのだ。だがお相手さんは人間で、自分はあやかし。そこには埋められない溝、越えられない壁がある。
大村さんが受け入れることは、お相手さんを不幸にする未来に繋がるのだ。だから以前、大村さんは「これ以上どうこうするつもりは無い」と言ったのだ。
なのに、由祐は心の奥底で、大村さんがお相手さんと幸せになって欲しいと願ってしまうのだ。茨木さんにも釘を刺されたというのに。
「大村はどうしたいねん」
茨木さんの低い声が届く。怒っていたりする様なものは含まれておらず、その感情は読み取れない。表情だっていつもの様に無表情だ。由祐は不安になって喉をこくりと鳴らした。
「相手の女のことを考慮せんかったら、お前はどうしたいんや」
大村さんは真剣な顔で茨木さんを見て、しっかりとした口調で言った。
「ぼくは、できることなら、その同僚とともに過ごしたいです」
それが、大村さんの本当の意思。由祐は安心すると同時に嬉しくもなる。しかし。
「将来、別れなあかんかってもか」
「それは……」
また大村さんが揺れ動く。結婚はしないとしても、お相手さんの人生にも関わることだ。慎重にならざるを得ない。
「一生続くもんは、そうあれへん」
茨木さんの静かな声が響く。いつの間にか、ほかのあやかしのお客さまも静かになっていた。
「結婚やったら、生涯添い遂げることを誓うやろうけど、付き合うだけやったら分からんやろ。相手が結婚せんでもええて言うてるんやったら、ええや無いか。それは相手の自己責任や」
すると、大村さんはしょんぼりと肩を落としてしまう。
「ぼくには、そんな風には思えません。ぼくと一緒におることで、その同僚が将来辛い思いをすることが分かっててそうするなんて」
「何を思い上がっとるんや」
茨木さんがぴしゃりと強く言う。大村さんはびくりと顔を上げた。
「人間はそんなわやや無い。特に女はな。そら相手を思いやることは大事やし、付き合うんやったら必要なことやろ。やからこそ、相手を見くびんな。お前の心配は、相手の女に失礼や」
大村さんははっとした顔になる。もちろん無意識だっただろうが、お相手さんのことを考え過ぎて、弱い存在、守らなければならない存在だとみなしてしまっていたのだろう。
「相手を対等に見られんのやったら、それこそ相手を不幸にする。やめとけ」
「いえ!」
大村さんが珍しく声を荒げる。その目には強い意思がみなぎっていた。
「ぼくは、ぼくはその同僚と、幸せになりたいです」
そう、はっきりと言い切ったのだ。
「おう」
茨木さんは満足した様に、にぃ、と口角を上げた。
「由祐、どうした~ん?」
雲田さんだ。その横では久田さんが「やれやれ」と言う様な表情。大村さんはそんな久田さんの隣なので、聞こえていても不思議では無い。そもそも、きっと久田さんにはこのことが分かっていたのだろう。もしかしたら、これから先のことも。
「何でも無いです。お騒がせしてしもてごめんなさい」
由祐は慌てて言うが、雲田さんは「ふぅ~ん?」と懐疑的な視線をじっとりと向ける。すると。
「ええんです、由祐さん。懺悔や無いですが、ぼくが阿呆なことをしてしもたからこそです。聞かれてもええです」
「でも……」
由祐が狼狽えると、大村さんは「ええんです」と辛そうに頷く。「こだわり酒場のレモンサワー」をひと口飲んで「ふぅ」と息を吐いた。
「まさか、こんなことになるなんて、思わなかったんです。ぼくはこんな地味な男やし、もてません。せやから予想外でした。その同僚には失礼にならん様に接してたつもりです。それは他の同僚へも一緒です。「いつもありがとう」って姫ゆかりはあげましたけど、それ以外、特別な何かをしたつもりはまるで無いんです。それやのに、何でって、びっくりしてもて。……理由があって、言えんけど、結婚はできひんて言いました。それでもええから付き合って欲しいって」
ああ、それは、由祐にはなぜか分かった気がする。大村さんの普通は、他の人にとっては。
「お相手さんはきっと、大村さんの誠実なところ、お気遣いができはるところに惹かれたんでしょうねぇ」
由祐が言うと、大村さんは少し怪訝な表情になる。
「そう……でしょうか。気遣いみたいなんは、できる限りしているつもりですけど、潤滑な仕事のために。でも誠実やとは思わないんです。少なくとも、結婚できひん理由が言えんのに、誠実も何も無いんやないかって」
これは、自分に対して厳しい。確かにその通りなのかも知れないが。
「せやから軽々しくお付き合いできひんて、大村さんは言わはったんですよね? わたしは不誠実やとは思いませんよ」
すると雲田さんが、はしゃいだ様な声を上げる。
「大村は難しく考えすぎなんよ。そんなん、気持ちええとこだけもろて、適当に姿消したらええやん」
言わんとしていることが分かるので、由祐は面食らってしまう。大村さんはほのかに顔を赤くしながらも憤慨した。
「そんなこと、できるわけ無いでしょ!」
そうだろう。女郎蜘蛛である雲田さんは、あやかしでも人間でも、男性の間を渡り歩いている様な人だ。貞操観念は低いのだろう。だがきっと大村さんは違う。真面目でもある人だから、女性に限らず他人を弄んだりしない。
「え~?」
雲田さんは不満そうだ。大村さんと雲田さんは、あやかしとしてのあり方がそもそも違う。だいだらぼっちの大村さんは優しいあやかしなのだ。同じあやかしでも雲田さんとは考え方が異なる。
雲田さんは一夜限りの関係でも楽しめるのだろうが、大村さんはそうでは無いのだ。お相手さんがいるなら、そのひとりを大事にする。
きっと、大村さんはお相手さんに好意を寄せられて嬉しいと感じていると思うのだ。だがお相手さんは人間で、自分はあやかし。そこには埋められない溝、越えられない壁がある。
大村さんが受け入れることは、お相手さんを不幸にする未来に繋がるのだ。だから以前、大村さんは「これ以上どうこうするつもりは無い」と言ったのだ。
なのに、由祐は心の奥底で、大村さんがお相手さんと幸せになって欲しいと願ってしまうのだ。茨木さんにも釘を刺されたというのに。
「大村はどうしたいねん」
茨木さんの低い声が届く。怒っていたりする様なものは含まれておらず、その感情は読み取れない。表情だっていつもの様に無表情だ。由祐は不安になって喉をこくりと鳴らした。
「相手の女のことを考慮せんかったら、お前はどうしたいんや」
大村さんは真剣な顔で茨木さんを見て、しっかりとした口調で言った。
「ぼくは、できることなら、その同僚とともに過ごしたいです」
それが、大村さんの本当の意思。由祐は安心すると同時に嬉しくもなる。しかし。
「将来、別れなあかんかってもか」
「それは……」
また大村さんが揺れ動く。結婚はしないとしても、お相手さんの人生にも関わることだ。慎重にならざるを得ない。
「一生続くもんは、そうあれへん」
茨木さんの静かな声が響く。いつの間にか、ほかのあやかしのお客さまも静かになっていた。
「結婚やったら、生涯添い遂げることを誓うやろうけど、付き合うだけやったら分からんやろ。相手が結婚せんでもええて言うてるんやったら、ええや無いか。それは相手の自己責任や」
すると、大村さんはしょんぼりと肩を落としてしまう。
「ぼくには、そんな風には思えません。ぼくと一緒におることで、その同僚が将来辛い思いをすることが分かっててそうするなんて」
「何を思い上がっとるんや」
茨木さんがぴしゃりと強く言う。大村さんはびくりと顔を上げた。
「人間はそんなわやや無い。特に女はな。そら相手を思いやることは大事やし、付き合うんやったら必要なことやろ。やからこそ、相手を見くびんな。お前の心配は、相手の女に失礼や」
大村さんははっとした顔になる。もちろん無意識だっただろうが、お相手さんのことを考え過ぎて、弱い存在、守らなければならない存在だとみなしてしまっていたのだろう。
「相手を対等に見られんのやったら、それこそ相手を不幸にする。やめとけ」
「いえ!」
大村さんが珍しく声を荒げる。その目には強い意思がみなぎっていた。
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「おう」
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