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3章 それは誰の幸せか
第9話 心の揺れ動き
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けんちゃんさんは続けて言う。
「脈があるんだか無いんだか、飲みとか誘ったら来てはくれるんですよ。俺もあいつもひとり暮らしやのに、ふたりで家飲みもしてくれるし。でもね、告白してもなびいてくれへんのです。友だちではおりたいからまた誘うって言われる。で、誘って誘われて、俺もほいほい付いていく。外飲みは新世界限定。もうかなり安全やて言うても、女の子だけで新世界は怖いて言うて。そう思うと、俺って便利に使われてるんかなぁって思ったりもするんですよねぇ」
けんちゃんさんはそう言って、苦笑する。好きな人に相手にされていない、そんな風に感じているのだろうか。
「今日も誘ってみたんです。いつも家飲みか新世界飲みやから、クリスマスやしたまにはええビストロとかバーとか、どうやって。そしたらクリスマスイブは、彼氏おらん女友だちとパーティするんが毎年の恒例やって断られました」
アドバイスなんておこがましい。しかも由祐は恋愛経験が貧弱なのだ。だが女性の視点から見てみると、それは、もしかして。
「ひょっとしたらですけど、お相手さんは駆け引きみたいなんを、楽しんではるんかも知れませんねぇ」
「駆け引き、ですか?」
「わたしもね、そんな人生経験とか豊富や無いですし、お相手さんのことをほとんど知らんので、ほんまにひょっとして、なんですけどね。お客さまはお相手さんに無理強いしたりしはらへんのでしょ?」
「それはもちろんですよ。嫌な思いとかさしたく無いですもん。でもこのままじゃあ埒が明かんのかなぁ」
けんちゃんさんは、弱った様に頭を掻いた。
「わたしは人間としても女性としてもまだまだ未熟な自覚がありますけど、お客さまを近寄らせておいて袖にするって、お客さまを振り回して楽しんでる様にも感じたりします」
「あ~、ありえるかも」
けんちゃんさんは頭を抱えた。どうやら思い当たる節がある様だ。
「ほら、あいつ、天真爛漫ちゅうか、小悪魔的っちゅうか、そういうとこあります。そっかぁ~、それに気付けんかった俺も間抜けやわ」
恋は盲目、そういうことだろうか。ややあって上げられたけんちゃんさんの顔は、何かを決意した様な、吹っ切れた様な表情になっていた。
「俺、ちょっと接し方を考えてみます。このままやったら堂々巡りやろうし。もしそれであいつが離れてしまう様なことやったら、それまでの縁やったっちゅうことですよね」
「残念ですけど、そうですね。でも、お客さまはそうしてお相手さんを大事にできはる方なんですから、もしあかんかったとしても、これから素晴らしいお方と出会えると思いますよ。大丈夫です。すいません、差し出がましいことを言いました」
「いえいえ、そう言うてもらえて、何か安心しました。停滞してしもてるもんを動かす。ちょっと怖いですけど、このままおっても何にもならんですから。何か心の整理にもなりました。変な話聞かしてしもて、すいません」
「とんでも無いですよ。こちらこそ踏み入ってしもうて。わたしとしては、またお相手さんとおふたりで来てくださったら嬉しいです。今日はゆっくりしていってくださいね」
由祐が言ってにっこりと微笑むと。
「ありがとうございます」
けんちゃんさんも心に余裕ができたのか、ゆったりととした笑みを浮かべた。
「たくさん食べよっと。あ、今日は何か洋の惣菜っぽい?」
けんちゃんさんはおしながきを見る。前回来られたときは和のお惣菜で固めていたから、そのイメージだったのかも知れない。だから意表を突かれたのだろう。
「今日もめっちゃおいしそうですね。さっき話に出てたたんぱく質と野菜をバランス良く摂りたいわ。えっと、ローストチキンとカプレーゼ風サラダください」
「はい、お待ちくださいね」
由祐は冷蔵庫から出した漬け込んだ鶏肉を、オリーブオイルを引いたフライパンに置き、カプレーゼ風サラダを小鉢に盛り付けた。
けんちゃんさんはたっぷりと飲み食べしてくれて、帰ったのは18時過ぎだった。そのころにはあやかしのお客さまで席はほぼ埋まっていた。
相変わらず雲田さんは白ワインを飲みながら茨木さんにちょっかいを出し、間の龍さんを押し潰しそうな勢いだし、久田さんも凄いペースで生ビールのジョッキを空けていく。他のお客さまもそれぞれ好きなお酒を重ね、お惣菜などを頼んでくれる。
大村さんが来たのは、19時ごろだった。お仕事終わりだろう。
「……こんばんは」
元気が無い様な気がしたのだが、由祐はいつもの様に「こんばんは、いらっしゃいませ」と明るく迎える。
大村さんはお客さまがあやかしばかりであることを確認すると、着ていたチャコールグレイのコートを消し、空いている席にふらりと腰を降ろす。こうして由祐と近くなると、どうしたのだろうか、顔が青ざめている様に見えた。
由祐は気になりつつも、大村さんに温かいおしぼりを渡す。大村さんはのろのろと手を拭いて、大きなため息を吐いた。
やはり気になる。だがもちろん立ち入ることはできないので、由祐は雲田さんご注文のかぼちゃとレーズンのヨーグルトサラダを小鉢に盛り付けながら、様子を見るしか無かった。
「あの、酎ハイレモンをください」
大村さんの最初の注文は、いつもの酎ハイカルピスでは無かった。甘党の大村さんは、いろいろな酎ハイを飲むが、レモンはそう多くは無かった。由祐は不思議に思いながらも「こだわり酒場のレモンサワー」を専用タンブラーに作った。
「お待たせしました、酎ハイレモンです」
「ありがとうございます。……あの、由祐さん、あの」
「はい」
もしかしたら、元気が無い理由のお話をしてくれるのだろうか。由祐は気を引き締める。大村さんは数秒、おろおろと言い淀んだあと、口を開いた。
「あの、姫ゆかりを渡した同僚の女性なんですけど」
「はい」
「今日、結婚を前提とした交際を申し込まれました」
ひっそりと紡がれた言葉。これにはさすがに由祐は驚いてしまって。
「ええっ!?」
と、思わず大きな声を上げてしまったのだった。
「脈があるんだか無いんだか、飲みとか誘ったら来てはくれるんですよ。俺もあいつもひとり暮らしやのに、ふたりで家飲みもしてくれるし。でもね、告白してもなびいてくれへんのです。友だちではおりたいからまた誘うって言われる。で、誘って誘われて、俺もほいほい付いていく。外飲みは新世界限定。もうかなり安全やて言うても、女の子だけで新世界は怖いて言うて。そう思うと、俺って便利に使われてるんかなぁって思ったりもするんですよねぇ」
けんちゃんさんはそう言って、苦笑する。好きな人に相手にされていない、そんな風に感じているのだろうか。
「今日も誘ってみたんです。いつも家飲みか新世界飲みやから、クリスマスやしたまにはええビストロとかバーとか、どうやって。そしたらクリスマスイブは、彼氏おらん女友だちとパーティするんが毎年の恒例やって断られました」
アドバイスなんておこがましい。しかも由祐は恋愛経験が貧弱なのだ。だが女性の視点から見てみると、それは、もしかして。
「ひょっとしたらですけど、お相手さんは駆け引きみたいなんを、楽しんではるんかも知れませんねぇ」
「駆け引き、ですか?」
「わたしもね、そんな人生経験とか豊富や無いですし、お相手さんのことをほとんど知らんので、ほんまにひょっとして、なんですけどね。お客さまはお相手さんに無理強いしたりしはらへんのでしょ?」
「それはもちろんですよ。嫌な思いとかさしたく無いですもん。でもこのままじゃあ埒が明かんのかなぁ」
けんちゃんさんは、弱った様に頭を掻いた。
「わたしは人間としても女性としてもまだまだ未熟な自覚がありますけど、お客さまを近寄らせておいて袖にするって、お客さまを振り回して楽しんでる様にも感じたりします」
「あ~、ありえるかも」
けんちゃんさんは頭を抱えた。どうやら思い当たる節がある様だ。
「ほら、あいつ、天真爛漫ちゅうか、小悪魔的っちゅうか、そういうとこあります。そっかぁ~、それに気付けんかった俺も間抜けやわ」
恋は盲目、そういうことだろうか。ややあって上げられたけんちゃんさんの顔は、何かを決意した様な、吹っ切れた様な表情になっていた。
「俺、ちょっと接し方を考えてみます。このままやったら堂々巡りやろうし。もしそれであいつが離れてしまう様なことやったら、それまでの縁やったっちゅうことですよね」
「残念ですけど、そうですね。でも、お客さまはそうしてお相手さんを大事にできはる方なんですから、もしあかんかったとしても、これから素晴らしいお方と出会えると思いますよ。大丈夫です。すいません、差し出がましいことを言いました」
「いえいえ、そう言うてもらえて、何か安心しました。停滞してしもてるもんを動かす。ちょっと怖いですけど、このままおっても何にもならんですから。何か心の整理にもなりました。変な話聞かしてしもて、すいません」
「とんでも無いですよ。こちらこそ踏み入ってしもうて。わたしとしては、またお相手さんとおふたりで来てくださったら嬉しいです。今日はゆっくりしていってくださいね」
由祐が言ってにっこりと微笑むと。
「ありがとうございます」
けんちゃんさんも心に余裕ができたのか、ゆったりととした笑みを浮かべた。
「たくさん食べよっと。あ、今日は何か洋の惣菜っぽい?」
けんちゃんさんはおしながきを見る。前回来られたときは和のお惣菜で固めていたから、そのイメージだったのかも知れない。だから意表を突かれたのだろう。
「今日もめっちゃおいしそうですね。さっき話に出てたたんぱく質と野菜をバランス良く摂りたいわ。えっと、ローストチキンとカプレーゼ風サラダください」
「はい、お待ちくださいね」
由祐は冷蔵庫から出した漬け込んだ鶏肉を、オリーブオイルを引いたフライパンに置き、カプレーゼ風サラダを小鉢に盛り付けた。
けんちゃんさんはたっぷりと飲み食べしてくれて、帰ったのは18時過ぎだった。そのころにはあやかしのお客さまで席はほぼ埋まっていた。
相変わらず雲田さんは白ワインを飲みながら茨木さんにちょっかいを出し、間の龍さんを押し潰しそうな勢いだし、久田さんも凄いペースで生ビールのジョッキを空けていく。他のお客さまもそれぞれ好きなお酒を重ね、お惣菜などを頼んでくれる。
大村さんが来たのは、19時ごろだった。お仕事終わりだろう。
「……こんばんは」
元気が無い様な気がしたのだが、由祐はいつもの様に「こんばんは、いらっしゃいませ」と明るく迎える。
大村さんはお客さまがあやかしばかりであることを確認すると、着ていたチャコールグレイのコートを消し、空いている席にふらりと腰を降ろす。こうして由祐と近くなると、どうしたのだろうか、顔が青ざめている様に見えた。
由祐は気になりつつも、大村さんに温かいおしぼりを渡す。大村さんはのろのろと手を拭いて、大きなため息を吐いた。
やはり気になる。だがもちろん立ち入ることはできないので、由祐は雲田さんご注文のかぼちゃとレーズンのヨーグルトサラダを小鉢に盛り付けながら、様子を見るしか無かった。
「あの、酎ハイレモンをください」
大村さんの最初の注文は、いつもの酎ハイカルピスでは無かった。甘党の大村さんは、いろいろな酎ハイを飲むが、レモンはそう多くは無かった。由祐は不思議に思いながらも「こだわり酒場のレモンサワー」を専用タンブラーに作った。
「お待たせしました、酎ハイレモンです」
「ありがとうございます。……あの、由祐さん、あの」
「はい」
もしかしたら、元気が無い理由のお話をしてくれるのだろうか。由祐は気を引き締める。大村さんは数秒、おろおろと言い淀んだあと、口を開いた。
「あの、姫ゆかりを渡した同僚の女性なんですけど」
「はい」
「今日、結婚を前提とした交際を申し込まれました」
ひっそりと紡がれた言葉。これにはさすがに由祐は驚いてしまって。
「ええっ!?」
と、思わず大きな声を上げてしまったのだった。
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