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3章 それは誰の幸せか
第8話 甘酸っぱい気配
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茨木さんと龍さん、由祐だけの静かな店内にあらたなお客さまが来たのは、開店から30分ほどが経ってからだった。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
「こんにちは」
若い男性の、人間のお客さまだ。確か2回目の来店だったはずだ。人間のお客さまはあやかしより多く無いので、覚えている人もいる。特にこの男性のことは。
男性は迷彩柄のダウンコートを脱いで、壁際のハンガーに掛けて椅子に腰を降ろした。由祐は温かいおしぼりを渡しながら。
「以前来られたとき、寝てしもうたお連れさん、大丈夫でした?」
そう尋ねると、男性は驚いた様に目を丸くした。
「覚えててくれはったんですか?」
「はい。心配やったもんで」
由祐が微笑むと、男性も頬を緩める。そう、この男性は以前カップルで来てくれたお客さまなのだ。
「ほんま、あんときはすいませんでした。ご迷惑を掛けてしもたから、また来るんどうしたもんかなって思ってたんですけど、どて焼きが美味しかったから、また食べたくて」
「それはありがとうございます。迷惑なんて何も無いですよ。ほな、今日もどて焼きご用意しましょうか?」
「お願いします。それと生ビールをください」
「はい、お待ちくださいね」
由祐はまず生ビールを出し、続けて小鉢にどて焼きを盛り付けた。
「はい、こちらどて焼きです。どうぞ」
「ありがとうございます」
確か前回来られたとき、この男性はお連れの女性に「けんちゃん」と呼ばれていた。けんちゃんさんは生ビールをぐいぐいと飲み、気持ち良さそうに息を吐いて、どて焼きを口に放り込んで「やっぱ旨いわ」と顔をほころばせた。
「良かったです」
「ここのどて焼き、ごぼうも入ってますよね。これが地味に嬉しくて」
「はい。牛すじとこんにゃくだけのところが多いですもんね。せやので、うちのは邪道かも知れませんけど、少しでもお野菜食べてほしくて。外食ってお野菜が不足しがちになったりするので。ほら、ここ一応お惣菜酒房ですし、何より牛すじに合いますし」
「ほんまや。俺も何も考えてへんかったらついつい肉食べてまうわ。気ぃつけんと。あれ、でもそれやったら、お肉とかってあんま食べへん方がええとかってあるんですか?」
「いえ、お肉とかお魚とかのたんぱく質は大事ですよ。筋肉とか血管とかを作ってくれますからね。卵とか牛乳とかもですね」
「ああ、そっか。あれ? それやったらベジタリアンとか、えっと、ヴィーガンやっけ、そういう人ってどうしてるんですかね?」
「植物性を食べはれへん方は、主に大豆製品から摂ってはると思いますよ。お豆腐、お揚げさん、厚揚げ、納豆、おから、豆乳、枝豆、ですかね?」
「あ、なーるほどね! そっかそっか!」
けんちゃんさんは納得した様に手を打った。他には豆類などだろうか。確かひよこ豆にもたんぱく質が豊富に含まれているはずだ。
ひよこ豆はスペイン語でガルバンゾ。栗の様にほくほくしている食感なので、日本では「栗豆」とも呼ばれているそうだ。
お野菜や穀類などにも、そう含有量は多く無いが、たんぱく質を含む食材はある。それこそヴィーガンなどの方々が詳しいだろう。
「ん? 枝豆?」
けんちゃんさんが首をかしげる。もしかして。
「枝豆は大豆の若いのんですよね。青くて身がぱんぱんなときに収穫するんが枝豆。それを収穫せんと置いておいて、熟して乾燥までしたのが大豆ですよね」
「え、枝豆と大豆って同じもんなんですか? マジか!」
けんちゃんさんは知らなかった様で、大いに驚いてくれる。由祐は生意気ながら何だか良い気分になってしまった。食を扱う由祐にとっては当たり前の知識なのだが。
「今日はお豆腐で冷や奴か湯豆腐がありますよ。他にたんぱく質やったらチーズとか、それこそどて焼きかて牛すじがたんぱく質ですし、南蛮漬けの子持ちししゃもは魚ですしね」
「なるほどなぁ。これまであんま気にせんと、食べたいもんを食べてました。でも、ダイエットしてる連れが野菜ばっかり食べてましたねぇ」
「お野菜も大事ですけどね、お野菜ばっかりやとたんぱく質が不足して、脂肪と一緒に大事な筋肉まで落ちてしもたりしますから。せやからバランスなんですよね。いうてもわたしも、焼肉屋さんとか焼き鳥屋さんとかやったら、お肉ばっかり食べてますけど」
「あはは、それはね、俺もそうですわ」
けんちゃんさんはおかしそうに笑う。由祐も「ふふ」と笑みをこぼした。
「ダイエットの連れって、この前一緒やった、最後寝てしもた女の子なんですけどね」
「あら、お友だちやったんですね。とても仲が良さそうやったから」
てっきりカップルだと思い込んでいた。だがそうすると、確かに今日の様なクリスマスイブに、おひとりというのはあり得ないかも知れない。クリスマス、クリスマスイブを一緒に過ごすカップルは多いだろうから。
だが、友人同士だというのなら納得だ。するとけんちゃんさんが、少し照れた様な表情になって。
「でもね、俺はあいつと付き合いたいなぁって思ってるんですよ」
「あら」
由祐は甘酸っぱい気配に、目を丸くした。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
「こんにちは」
若い男性の、人間のお客さまだ。確か2回目の来店だったはずだ。人間のお客さまはあやかしより多く無いので、覚えている人もいる。特にこの男性のことは。
男性は迷彩柄のダウンコートを脱いで、壁際のハンガーに掛けて椅子に腰を降ろした。由祐は温かいおしぼりを渡しながら。
「以前来られたとき、寝てしもうたお連れさん、大丈夫でした?」
そう尋ねると、男性は驚いた様に目を丸くした。
「覚えててくれはったんですか?」
「はい。心配やったもんで」
由祐が微笑むと、男性も頬を緩める。そう、この男性は以前カップルで来てくれたお客さまなのだ。
「ほんま、あんときはすいませんでした。ご迷惑を掛けてしもたから、また来るんどうしたもんかなって思ってたんですけど、どて焼きが美味しかったから、また食べたくて」
「それはありがとうございます。迷惑なんて何も無いですよ。ほな、今日もどて焼きご用意しましょうか?」
「お願いします。それと生ビールをください」
「はい、お待ちくださいね」
由祐はまず生ビールを出し、続けて小鉢にどて焼きを盛り付けた。
「はい、こちらどて焼きです。どうぞ」
「ありがとうございます」
確か前回来られたとき、この男性はお連れの女性に「けんちゃん」と呼ばれていた。けんちゃんさんは生ビールをぐいぐいと飲み、気持ち良さそうに息を吐いて、どて焼きを口に放り込んで「やっぱ旨いわ」と顔をほころばせた。
「良かったです」
「ここのどて焼き、ごぼうも入ってますよね。これが地味に嬉しくて」
「はい。牛すじとこんにゃくだけのところが多いですもんね。せやので、うちのは邪道かも知れませんけど、少しでもお野菜食べてほしくて。外食ってお野菜が不足しがちになったりするので。ほら、ここ一応お惣菜酒房ですし、何より牛すじに合いますし」
「ほんまや。俺も何も考えてへんかったらついつい肉食べてまうわ。気ぃつけんと。あれ、でもそれやったら、お肉とかってあんま食べへん方がええとかってあるんですか?」
「いえ、お肉とかお魚とかのたんぱく質は大事ですよ。筋肉とか血管とかを作ってくれますからね。卵とか牛乳とかもですね」
「ああ、そっか。あれ? それやったらベジタリアンとか、えっと、ヴィーガンやっけ、そういう人ってどうしてるんですかね?」
「植物性を食べはれへん方は、主に大豆製品から摂ってはると思いますよ。お豆腐、お揚げさん、厚揚げ、納豆、おから、豆乳、枝豆、ですかね?」
「あ、なーるほどね! そっかそっか!」
けんちゃんさんは納得した様に手を打った。他には豆類などだろうか。確かひよこ豆にもたんぱく質が豊富に含まれているはずだ。
ひよこ豆はスペイン語でガルバンゾ。栗の様にほくほくしている食感なので、日本では「栗豆」とも呼ばれているそうだ。
お野菜や穀類などにも、そう含有量は多く無いが、たんぱく質を含む食材はある。それこそヴィーガンなどの方々が詳しいだろう。
「ん? 枝豆?」
けんちゃんさんが首をかしげる。もしかして。
「枝豆は大豆の若いのんですよね。青くて身がぱんぱんなときに収穫するんが枝豆。それを収穫せんと置いておいて、熟して乾燥までしたのが大豆ですよね」
「え、枝豆と大豆って同じもんなんですか? マジか!」
けんちゃんさんは知らなかった様で、大いに驚いてくれる。由祐は生意気ながら何だか良い気分になってしまった。食を扱う由祐にとっては当たり前の知識なのだが。
「今日はお豆腐で冷や奴か湯豆腐がありますよ。他にたんぱく質やったらチーズとか、それこそどて焼きかて牛すじがたんぱく質ですし、南蛮漬けの子持ちししゃもは魚ですしね」
「なるほどなぁ。これまであんま気にせんと、食べたいもんを食べてました。でも、ダイエットしてる連れが野菜ばっかり食べてましたねぇ」
「お野菜も大事ですけどね、お野菜ばっかりやとたんぱく質が不足して、脂肪と一緒に大事な筋肉まで落ちてしもたりしますから。せやからバランスなんですよね。いうてもわたしも、焼肉屋さんとか焼き鳥屋さんとかやったら、お肉ばっかり食べてますけど」
「あはは、それはね、俺もそうですわ」
けんちゃんさんはおかしそうに笑う。由祐も「ふふ」と笑みをこぼした。
「ダイエットの連れって、この前一緒やった、最後寝てしもた女の子なんですけどね」
「あら、お友だちやったんですね。とても仲が良さそうやったから」
てっきりカップルだと思い込んでいた。だがそうすると、確かに今日の様なクリスマスイブに、おひとりというのはあり得ないかも知れない。クリスマス、クリスマスイブを一緒に過ごすカップルは多いだろうから。
だが、友人同士だというのなら納得だ。するとけんちゃんさんが、少し照れた様な表情になって。
「でもね、俺はあいつと付き合いたいなぁって思ってるんですよ」
「あら」
由祐は甘酸っぱい気配に、目を丸くした。
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