新世界に恋の花咲く〜お惣菜酒房ゆうやけは今日も賑やかに〜

山いい奈

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5章 前に進むために

第2話 きっと間違い無く

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 どうしたものかと思いつつ、由祐ゆうは恐る恐ると。

「はい、荻野おぎのです」

 と、少し固い声で応えた。

「突然申し訳ありません。今お時間よろしいですかぁ?」

「はい、大丈夫です」

 警戒は解かないものの、相手の緩さにこちらも緩みそうになってしまう。

「実は、荻野さんのお父さまの遺言書をお預かりしておりましてぇ」

「は? え?」

 言われたことがとっさに理解できず、由祐は唖然としてしまう。お父さま? お父さん? 父? 誰が?

「実はお父さまが先日亡くなられましてぇ。御愁傷さまでございます」

「え? お父さま?」

 全然話に付いていけず、由祐の頭はすっかりと混乱する。お父さんて、何や。何のこと言うてはるん?

 するとさすがに立花たちばなと名乗った相手も訝しんだか。

「あのぅ、もしかして、お母さまからお父さまのことを何も聞いておられませんかぁ?」

 少し探る様な口調になる。

「は、はい、何にも。父とは結婚せずにわたしを産んだとか、それぐらいしか」

 お母さんは、本当にお父さんのことをほとんど話さずに逝ってしまった。母方の祖父母も没交渉で、その理由は聞いていたが、今や生死すら分からない。由祐はお母さんの逝去から、正真正銘の天涯孤独だったのだ。

「そうでしたかぁ。お母さまも20年ほど前に亡くなられたということですが」

「あ、はい、そうですね」

「でしたら、1度お会いできませんかぁ。詳しいことをお話できたらと思います」

 由祐はまた緊張する。このまま、この立花さんとやらの言う通りに会っても大丈夫なのか。本当に詐欺などでは無いのか。

 幸い由祐はこれまで、そういった犯罪などに巻き込まれたことは無い。だが犯罪も日進月歩で、警察とは完全にいたちごっこになっていて、後手後手に回っているなんてことぐらいは知っている。

 なので、由祐のお母さんのことだって調べられていて不思議では無いだろうし、むしろそれぐらいしなければ、今の時代では騙せないのでは、なんて思ってしまう。

「あの、お父さまのことをご存知無かったのであれば、私のことをお疑いになるのも無理は無いと思いますのでぇ、警察にご相談いただいたり、信頼のおける方とご一緒でも大丈夫です。ぜひご一考いただけませんか~」

「……分かりました」

 そこまで言われてしまっては、了承するしか無いだろう。さすがに警察にまでは相談しないだろうが、誰かに来てもらったら安心かも知れない。

「ありがとうございます~」

 そうして由祐は、1週間後の月曜日の午後、新世界本通商店街の喫茶店で立花さんと会うことになったのだった。

 その際、立花さんはひとりでは無く、もうひとり連れてくるとのことだった。誰だろうか。



 そうして1週間が経った。「ゆうやけ」の営業中はそちらに集中していられるが、それ以外の時間はこの日のことを考えて、どうしても気がそぞろになってしまった。

 由祐にとっては、お父さん、なんて言われても今さら感がある。結婚をしなかったお父さんとお母さん。どうやって知り合って、そういった関係になったのか。由祐を身ごもるぐらいなのだから相当親しかっただろうに、どうして結婚をしなかったのか。

 ……それについては心当たりの様なものが無いわけでは無い。もしかしたらお父さんは別に家庭を持っていたのでは無いだろうか。そうで無くても本命がいたか。お母さんは浮気相手だった。

 ありきたりだし気持ちは複雑だが、そう考えると辻褄が合うのだ。

 ともあれ、きっと今日で本当のことが分かるかも知れない。

 待ち合わせ時間は14時。場所は新世界に多いレトロ喫茶店のひとつ。中に入ると手前の方の席に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がった。その横にはもうひとり、ラフなグレイのジャケット姿の男性が座ってこちらを見ていた。

「荻野さんですかぁ?」

「はい。立花さんです、ね?」

「はい、立花です。この度はありがとうございます~」

 ふっくらとした体型に、由祐とあまり変わらない160センチほどの身長。黒い髪はぴっちりと7対3に撫で付けられている。顔には柔和な笑顔。

「いえ、こちらこそ」

 するともうひとりの男性も立ち上がる。

「今日はわざわざありがとうございます」

 こちらは細身で背の高い人だった。由祐よりもいくつか年上に見える。由祐たちにぺこりと頭を下げてくれる。

「さぁさぁ、どうぞ、お掛けください」

 立花さんに促され、由祐たちは上座になる奥の席に掛ける。白い壁に黒い柱。シックなインテリアだが、赤いベロア調のソファがレトロ感を醸し出している。石の様な模様のテーブルも時代を感じさせた。

「あらためまして、立花弁護士事務所の立花です~」

 そう言いながら差し出してくれた名刺を両手で受け取る。由祐と、もうひとりにも。

「こちらこそ、あらためまして、荻野由祐です。こちらは、わたしの経営するお店を手伝ってくれている、茨木いばらきです」

 そう、由祐は人間に変化した茨木さんに同行を頼んでいた。信頼できる人物、と聞いて、当然深雪みゆきちゃんも思い浮かべた。だが今日は月曜日でお仕事だし、何より深雪ちゃんは女性だ。万が一のことになったときに、巻き込みたく無い。

 なら茨木さんが適任では無いかと思って、立花さんからお電話があった翌日、仕込み中に頼んでみたのだ。

 茨木さんは「ゆうやけ」に於いてとはいえ、由祐のボディガードである。なので時間外労働をお願いした。報酬は日本酒「獺祭だっさい」純米大吟醸磨き二割三分の4合瓶だ。

 「獺祭」は山口県の株式会社獺祭さんが醸している。すっきりとしていつつもフルーティで、まるで爽やかなりんごの様な香りを持つ。大変人気の銘柄である。

 茨木さんは無言のまま、立花さんたちに小さく頭を下げた。

「そうですかぁ、それはそれは。どうぞよろしくお願いします」

 ふたりはホットコーヒーを頼んでいた。まだあまり量は減っておらず、湯気もあがっていた。由祐はお冷を持ってきてくれた店員さんに、茨木さんと自分の分のホットコーヒーを頼んだ。

「さっそくですがぁ、荻野さんはお父さまのことをお聞きになられていないと」

「はい」

「それでは、この方をご紹介しますねぇ。桑原翔悟くわはらしょうごさん。荻野さんの腹違いのお兄さまにあたります~」

 そう言われたとき、由祐は考えていたことがあながち間違っていなかったのだな、と悟ったのだった。
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