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28章 扇木さん家の家庭の事情2
第2話 煮物屋さん開店を控えて
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そうして煮物屋さんの店舗と、佳鳴と千隼が暮らす住居を兼ねた建物が完成した。
建築中の数ヶ月の間、建築会社との折衝を繰り返しながら当時の職場でせっせと働き、ふたりは竣工予定日の1ヶ月前に、無事円満退職をした。
それからは内装の細かな部分や、調理機器や器具、食器などの調達に奔走し、時間はあっという間に過ぎて行く。
建物が完成したら、やれ引越しだ、やれ開店準備だと追われることになる。
目まぐるしく日々は過ぎ、ようやく落ち着いたのは開店3日前だった。
引っ越してきたばかりのまだまだ新しい家のリビングで、こちらも新しいソファに全身を投げ出して、佳鳴と千隼は揃って「はぁ~」と大きな息を吐いた。
「なんとか開店に間に合ったね。良かった~」
「本当にな。こういうのって本当にこだわるときりが無いよな」
「ね。でも少しでも使いやすくて気に入ったものを使いたいもんね」
「姉ちゃんは食器にこだわり過ぎなんだよ」
「だって目移りしちゃうんだもん~」
佳鳴は嘆く様に言う。
煮物屋さんで使っている食器の多くはこのタイミングで揃えられたのだが、実はひとつひとつ違うものなのだ。
道具筋には調理器具や食器の店舗がずらりと並び、佳鳴と千隼はそれらをくまなく見て回った。調理道具はもちろん食器も全てここで揃えたのだ。
1日で見て回るのは難しかったので、連日車を走らせて通いつめた。そしてふたりして両手にずっしりと買い込んだ。
食器などは煮物に適した少し深さのあるお皿なのだが、形は似通っていても色や柄が無数にあるし、小鉢もしかり。
佳鳴は大量に陳列された食器を前に「ああ~」と表情を輝かせ、棚に吸い寄せられて行った。千隼は佳鳴の食器好きを知っているので呆れただけだったが、他人から見たら完全に挙動不審者だ。
最初は食器は1種類で揃えようと思っていた。その方が収納も楽だからだ。だがこんなにたくさん素晴らしい柄の食器を見せられたら、その決め事はあっさりと飛んで行った。
調理器具にもこだわった。フライパンや鍋こそ、扱いやすい様にとテフロン加工のものにしたが、それもお店の店員さんに相談して、料理人にも人気のあるものを選んだ。
煮物を作るための大きな土鍋、小鉢を作るためのボウル、蒸し器やその他諸々。それらもものもふたりは丁寧に選んだ。
そして建物が内装に取り掛かる段階になると、イメージと相違無いか頻繁に見に行った。正直なところ住居部分はともかく、煮物屋さんの店舗部分だけはこだわりたかったのだ。
建築会社の職人さんもその思いを汲んでくれて、何度も相談に乗ってくれた。幸いにも当初からあまりずれる様なことは無く、困らせてしまう様なことにはならなかった。事前のすり合わせを綿密にした成果だろう。
職人さんが施工主である佳鳴と千隼の思いを、巧みにすくい上げてくれたのだ。
そしてとうとう明々後日、煮物屋さんはオープンする。
つい先日、佳鳴がデザインしたフライヤーを、近隣のご家庭のポストに入れさせてもらった。今は店舗の正面にはでかでかとポスターも貼ってある。フライヤーも取って行っていただけたらと置いている。
煮物屋さんがどの様なスタートを切ることができるのか、それはもう神のみぞ知る、である。
そして翌々日。煮物屋さん開店の前日である。
プレオープンは昨日で、拙いながらも無事に切り盛りすることができた。友人や元同僚や上司が駆けつけてくれて、賑やかな時間になった。
そして今日、千隼と佳鳴は大事なお客さまをご招待した。煮物屋さんの融資者である、父の寛人と母の寿美香である。
メニューをどうしようかと佳鳴と千隼は頭を悩ませた。そして決めたのは、最もベーシックとも言えると思われる肉じゃがと筑前煮だ。小鉢はしらたきの明太炒めと、にらときくらげの中華風卵とじにした。
肉じゃがの具は主役のじゃがいもを始めに、玉ねぎに人参、お肉は牛肉スライスを使い、彩りには塩茹でしたいんげん豆を添え、シンプルに整えた。
じゃがいもは型崩れのしにくいメークインを使った。しっとりながらもほくほくするバランスの良い芋だ。
人参はピーラーで皮を向いて乱切りにし、玉ねぎは大振りのくし切りにして、煮込む前に米油でじっくり炒めて甘みを引き出した。
牛肉も焼き付けて香ばしさを生み出してから煮込む。
それらが優しい煮汁の中で合わさると、それぞれが持つ旨味が溶け出し、絡み合ったそれをまとった味わい深い一品になる。
続いて筑前煮。こちらは具沢山だ。お肉は鶏もも肉を使い、水煮の筍、ごぼうに蓮根、あく抜きをしたこんにゃく、里芋に干し椎茸、人参も使った。
煮汁には干し椎茸の戻し汁も加え、風味豊かな味に仕上がっている。
肉じゃがと筑前煮の煮汁は、同じ調味料を使う。昆布とかつおのお出汁、お砂糖に日本酒、お醤油。割り合いもそう変わらない。
だが使う素材が違うと、その風合いはがらりと変わる。食材にはそれぞれ旨味がぎゅっと詰まっていて、火を通してあげることでその力を解放する。
根菜はほっくりさっくりとした歯応えになり、そんな面白みも生み出すのだ。
小鉢のふた品も味わい深いものになった。
しらたきを明太子で炒めるのは定番の小鉢だ。佳鳴は市場で買える、太くてしっかりとしたしらたきを使い、明太子も味見をさせてもらって吟味した。
太白ごま油を使ってほのかな香ばしさを生み出し、日本酒で程よい甘みを足し、風味づけに薄口醤油。
しらたきのぷちぷちとした歯応えに、ぴりっとした明太子がふんだんに絡み、良いアクセントのある一品だ。
中華風卵とじは、市販の中華だしの素を使った。無添加のものにしたのはこだわりだ。
水で戻したきくらげとざく切りにしたにらをさっと煮込み、味付けは日本酒とお醤油で軽く。ごま油の香ばしさも加わっている。
油を使うので、回し入れた溶き卵はふわふわになる。卵が中華だしをふんだんに吸い、きくらげとにらに絡んで旨味を生み出すのだ。
佳鳴と千隼はそれらを、カウンタに掛ける両親の前に置く。煮物ふた品は取り分けて食べてもらえばと、取り皿も用意した。
お箸はシンプルな竹製のものだ。それを一膳ずつクラフト紙の箸袋に入れる。
割り箸にしたら洗う手間が減るのだが、お客さまには少しでも良い雰囲気でお食事を楽しんでいただきたい。お箸ひとつでも空間づくりに繋がるのだ。
もちろん場合によっては使い捨てのものを使うこともあるだろう。そこは頭を固くするところでは無い。
寛人は料理を前にして「わぁ」と相貌を綻ばせ、寿美香は「へぇ」とわずかに目を見開く。
「母さん、さっそくいただこうか」
「そうだね」
ドリンクも全て仕入れてあって、ふたりは瓶ビールを分け合って飲んでいた。寿美香はビールで唇を湿らせ、まずはしらたきの明太炒めの小鉢を持ち上げた。
お箸で持ち上げてつるんと口に運ぶ。味わう様にじっくりと噛み、飲み込んで「うん」と頷いた。
「良いんじゃ無い?」
そう言って納得した様な表情。佳鳴も千隼もほっと息を吐いた。
寿美香は「美味しい」という言葉を口にしない。少なくともふたりは聞いたことが無かった。寛人が作ったご飯も、星付き高級フランス料理も、寿美香にしてみたら「良いんじゃ無い?」「悪くないんじゃ無い?」なのだ。
なのでこれは寿美香なりの賛辞なのだった。
「じゃあ僕もいただこう。楽しみだなぁ」
寛人はお箸と取り皿を持ち、筑前煮を取り分ける。筍を口に放り込み、続けて干し椎茸。もぐもぐと噛んで「うんうん」と頷いて口角を上げる。
「凄く美味しくできてるね。これなら充分にお客さんを満足させられるね。凄いねぇ。佳鳴も千隼もがんばったねぇ」
大学で勉強し、調理師免許も取得した千隼はともかく、佳鳴は素人に毛が生えた程度だった。寛人の料理の手伝いもしたし、自分でいちから作ることもあったから、そこそこ料理はできたが、人さまからお金をいただくには不充分だった。
なので千隼に教えてもらい、千隼が使っていたテキストやレシピ本なども借りて、いちから勉強をした。それまで目分量で作っていたが、計量カップやスプーンを使う練習をしたのだ。
目分量でも美味しいものは作れる。だが安定して美味しいものを作るには、レシピを確立させるのが大事なのだ。
両親に褒めてもらえて、佳鳴も千隼も嬉しくなって微笑む。
「ありがとう」
「ありがとうな」
寛人は「うんうん」と頷き、寿美香は我関せずと言った風で、それでももりもりと煮物にお箸を伸ばしていた。
建築中の数ヶ月の間、建築会社との折衝を繰り返しながら当時の職場でせっせと働き、ふたりは竣工予定日の1ヶ月前に、無事円満退職をした。
それからは内装の細かな部分や、調理機器や器具、食器などの調達に奔走し、時間はあっという間に過ぎて行く。
建物が完成したら、やれ引越しだ、やれ開店準備だと追われることになる。
目まぐるしく日々は過ぎ、ようやく落ち着いたのは開店3日前だった。
引っ越してきたばかりのまだまだ新しい家のリビングで、こちらも新しいソファに全身を投げ出して、佳鳴と千隼は揃って「はぁ~」と大きな息を吐いた。
「なんとか開店に間に合ったね。良かった~」
「本当にな。こういうのって本当にこだわるときりが無いよな」
「ね。でも少しでも使いやすくて気に入ったものを使いたいもんね」
「姉ちゃんは食器にこだわり過ぎなんだよ」
「だって目移りしちゃうんだもん~」
佳鳴は嘆く様に言う。
煮物屋さんで使っている食器の多くはこのタイミングで揃えられたのだが、実はひとつひとつ違うものなのだ。
道具筋には調理器具や食器の店舗がずらりと並び、佳鳴と千隼はそれらをくまなく見て回った。調理道具はもちろん食器も全てここで揃えたのだ。
1日で見て回るのは難しかったので、連日車を走らせて通いつめた。そしてふたりして両手にずっしりと買い込んだ。
食器などは煮物に適した少し深さのあるお皿なのだが、形は似通っていても色や柄が無数にあるし、小鉢もしかり。
佳鳴は大量に陳列された食器を前に「ああ~」と表情を輝かせ、棚に吸い寄せられて行った。千隼は佳鳴の食器好きを知っているので呆れただけだったが、他人から見たら完全に挙動不審者だ。
最初は食器は1種類で揃えようと思っていた。その方が収納も楽だからだ。だがこんなにたくさん素晴らしい柄の食器を見せられたら、その決め事はあっさりと飛んで行った。
調理器具にもこだわった。フライパンや鍋こそ、扱いやすい様にとテフロン加工のものにしたが、それもお店の店員さんに相談して、料理人にも人気のあるものを選んだ。
煮物を作るための大きな土鍋、小鉢を作るためのボウル、蒸し器やその他諸々。それらもものもふたりは丁寧に選んだ。
そして建物が内装に取り掛かる段階になると、イメージと相違無いか頻繁に見に行った。正直なところ住居部分はともかく、煮物屋さんの店舗部分だけはこだわりたかったのだ。
建築会社の職人さんもその思いを汲んでくれて、何度も相談に乗ってくれた。幸いにも当初からあまりずれる様なことは無く、困らせてしまう様なことにはならなかった。事前のすり合わせを綿密にした成果だろう。
職人さんが施工主である佳鳴と千隼の思いを、巧みにすくい上げてくれたのだ。
そしてとうとう明々後日、煮物屋さんはオープンする。
つい先日、佳鳴がデザインしたフライヤーを、近隣のご家庭のポストに入れさせてもらった。今は店舗の正面にはでかでかとポスターも貼ってある。フライヤーも取って行っていただけたらと置いている。
煮物屋さんがどの様なスタートを切ることができるのか、それはもう神のみぞ知る、である。
そして翌々日。煮物屋さん開店の前日である。
プレオープンは昨日で、拙いながらも無事に切り盛りすることができた。友人や元同僚や上司が駆けつけてくれて、賑やかな時間になった。
そして今日、千隼と佳鳴は大事なお客さまをご招待した。煮物屋さんの融資者である、父の寛人と母の寿美香である。
メニューをどうしようかと佳鳴と千隼は頭を悩ませた。そして決めたのは、最もベーシックとも言えると思われる肉じゃがと筑前煮だ。小鉢はしらたきの明太炒めと、にらときくらげの中華風卵とじにした。
肉じゃがの具は主役のじゃがいもを始めに、玉ねぎに人参、お肉は牛肉スライスを使い、彩りには塩茹でしたいんげん豆を添え、シンプルに整えた。
じゃがいもは型崩れのしにくいメークインを使った。しっとりながらもほくほくするバランスの良い芋だ。
人参はピーラーで皮を向いて乱切りにし、玉ねぎは大振りのくし切りにして、煮込む前に米油でじっくり炒めて甘みを引き出した。
牛肉も焼き付けて香ばしさを生み出してから煮込む。
それらが優しい煮汁の中で合わさると、それぞれが持つ旨味が溶け出し、絡み合ったそれをまとった味わい深い一品になる。
続いて筑前煮。こちらは具沢山だ。お肉は鶏もも肉を使い、水煮の筍、ごぼうに蓮根、あく抜きをしたこんにゃく、里芋に干し椎茸、人参も使った。
煮汁には干し椎茸の戻し汁も加え、風味豊かな味に仕上がっている。
肉じゃがと筑前煮の煮汁は、同じ調味料を使う。昆布とかつおのお出汁、お砂糖に日本酒、お醤油。割り合いもそう変わらない。
だが使う素材が違うと、その風合いはがらりと変わる。食材にはそれぞれ旨味がぎゅっと詰まっていて、火を通してあげることでその力を解放する。
根菜はほっくりさっくりとした歯応えになり、そんな面白みも生み出すのだ。
小鉢のふた品も味わい深いものになった。
しらたきを明太子で炒めるのは定番の小鉢だ。佳鳴は市場で買える、太くてしっかりとしたしらたきを使い、明太子も味見をさせてもらって吟味した。
太白ごま油を使ってほのかな香ばしさを生み出し、日本酒で程よい甘みを足し、風味づけに薄口醤油。
しらたきのぷちぷちとした歯応えに、ぴりっとした明太子がふんだんに絡み、良いアクセントのある一品だ。
中華風卵とじは、市販の中華だしの素を使った。無添加のものにしたのはこだわりだ。
水で戻したきくらげとざく切りにしたにらをさっと煮込み、味付けは日本酒とお醤油で軽く。ごま油の香ばしさも加わっている。
油を使うので、回し入れた溶き卵はふわふわになる。卵が中華だしをふんだんに吸い、きくらげとにらに絡んで旨味を生み出すのだ。
佳鳴と千隼はそれらを、カウンタに掛ける両親の前に置く。煮物ふた品は取り分けて食べてもらえばと、取り皿も用意した。
お箸はシンプルな竹製のものだ。それを一膳ずつクラフト紙の箸袋に入れる。
割り箸にしたら洗う手間が減るのだが、お客さまには少しでも良い雰囲気でお食事を楽しんでいただきたい。お箸ひとつでも空間づくりに繋がるのだ。
もちろん場合によっては使い捨てのものを使うこともあるだろう。そこは頭を固くするところでは無い。
寛人は料理を前にして「わぁ」と相貌を綻ばせ、寿美香は「へぇ」とわずかに目を見開く。
「母さん、さっそくいただこうか」
「そうだね」
ドリンクも全て仕入れてあって、ふたりは瓶ビールを分け合って飲んでいた。寿美香はビールで唇を湿らせ、まずはしらたきの明太炒めの小鉢を持ち上げた。
お箸で持ち上げてつるんと口に運ぶ。味わう様にじっくりと噛み、飲み込んで「うん」と頷いた。
「良いんじゃ無い?」
そう言って納得した様な表情。佳鳴も千隼もほっと息を吐いた。
寿美香は「美味しい」という言葉を口にしない。少なくともふたりは聞いたことが無かった。寛人が作ったご飯も、星付き高級フランス料理も、寿美香にしてみたら「良いんじゃ無い?」「悪くないんじゃ無い?」なのだ。
なのでこれは寿美香なりの賛辞なのだった。
「じゃあ僕もいただこう。楽しみだなぁ」
寛人はお箸と取り皿を持ち、筑前煮を取り分ける。筍を口に放り込み、続けて干し椎茸。もぐもぐと噛んで「うんうん」と頷いて口角を上げる。
「凄く美味しくできてるね。これなら充分にお客さんを満足させられるね。凄いねぇ。佳鳴も千隼もがんばったねぇ」
大学で勉強し、調理師免許も取得した千隼はともかく、佳鳴は素人に毛が生えた程度だった。寛人の料理の手伝いもしたし、自分でいちから作ることもあったから、そこそこ料理はできたが、人さまからお金をいただくには不充分だった。
なので千隼に教えてもらい、千隼が使っていたテキストやレシピ本なども借りて、いちから勉強をした。それまで目分量で作っていたが、計量カップやスプーンを使う練習をしたのだ。
目分量でも美味しいものは作れる。だが安定して美味しいものを作るには、レシピを確立させるのが大事なのだ。
両親に褒めてもらえて、佳鳴も千隼も嬉しくなって微笑む。
「ありがとう」
「ありがとうな」
寛人は「うんうん」と頷き、寿美香は我関せずと言った風で、それでももりもりと煮物にお箸を伸ばしていた。
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