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28章 扇木さん家の家庭の事情2
第3話 大きな大きな親の思い
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寛人と寿美香はゆっくりと食事を進め、佳鳴と千隼も自分たちの分を用意して、カウンタ席に回る。2種類の煮物はやはりふたりで取り分けるので取り皿も用意し、寛人の隣に並んで掛けた。
佳鳴と千隼は揃って「いただきます」と手を合わせ、同時に肉じゃがにお箸を伸ばす。
玉ねぎと牛肉を重ねて口に運ぶと、しなやかな玉ねぎとしっとりとした牛肉の甘みが口に広がった。みりんを使わないので牛肉はとろっと柔らかく仕上がっている。
じゃがいもも味が沁みてほっくりとしている。人参も柔らかく煮えていて、歯を入れると滑らかに潰れた。
彩りのいんげん豆は、色味が綺麗に仕上がっていて、歯ごたえも良い。うまく口の中をさっぱりとさせてくれる。
優しいお出汁がそれらをまとめ、滋味豊かに仕上がっていた。
筑前煮はどうだろうか。まずは鶏もも肉を放り込むと、弾力がありつつも柔らかくほろっと崩れた。
筍はしっかりと繊維を残しながらもさっくりと、ごぼうはほっくりと、蓮根と里芋はねっとりさを醸し出し、ぷるんとしたこんにゃく、しっとりとした干し椎茸に、ふわりと潰れる人参。
どれもが風味豊かなお出汁と干し椎茸の戻し汁を吸い込んでいて、とても良い風味だ。
佳鳴が「うんうん。凄く美味しい」と頷くと、隣で千隼も満足げに目を細めた。
さて、小鉢はどうだろうか。しらたきの明太炒めの小鉢を持ち上げる。お箸で口に運び、つるつるっと食べる。食べ易い様に適当な長さに切っているので、麺を食べる様にずるずると音を立てることは無い。
まずは明太子の辛みと旨味が舌に乗るが、じっくりと噛みしめると、しらたきの淡白さを感じる。だがまとう明太子がしっかりとしらたきの味わいを高めていた。
中華風卵とじは、ふわふわの卵がにらときくらげに絡んで、ほっこりと良い味わいだ。中華風だしの素をしっかりと効かせているので風味も良い。
「姉ちゃん、小鉢どっちも旨い」
「ありがとう」
千隼の賛辞に佳鳴は素直に礼を言う。うん、我ながら巧くできたと佳鳴も思う。
昨日のプレオープンでも緊張したが、今日は今日で違う緊張感があった。なにせ両親とは言え融資者なのだから。
もし「この味には懸けられない」と言われてしまったら、佳鳴たちには融資してもらった莫大な金額を即返済できる能力は無い。
やがてお腹も落ち着いたのか、寿美香が「ふぅ」と小さく息を吐いてお箸を置いた。そして横の椅子に置いたバッグから、ごそごそと何やら取り出す。
「佳鳴、千隼」
寿美香に呼ばれ、ふたりは首を向ける。寿美香が両手にそれぞれ持っていたのは、2枚の借用書だった。
親子間の金銭のやりとりとは言え、額も額だし、何より万が一うやむやになってしまわない様に、きちんと借用書を交わしたのだ。
と言っても行政書士などが間にいる訳では無く、寛人が作成したものだ。それでも全員が署名し、実印も押した。
この借用書を作る時、寛人と寿美香は2枚に分けて作ると言い出した。なので金額の欄には借りられた金額の半額ずつが記されている。
このトータルの金額は煮物屋さんの店舗と住居の建築費や諸経費に初期費用など。それなりの金額になっている。
それを目の当たりにすると、佳鳴はめまいを起こしそうになる。そんな金額をこれからふたりで返し切れるだろうかと。
現在の土地の名義人である寛人と寿美香が60歳を迎えたら、相続時精算課税を利用して土地の名義を譲り受ける予定だ。その時に贈与税が発生する可能性だってある。
だがやるしか無いのだ。こだわりながらもできる限り節約をして、開店準備をした。大丈夫だ。佳鳴は自分にそう言い聞かせた。
すると寿美香は1枚をカウンタに置いた。そして手にしたままのもう1枚を。
こともあろうか頭上で真っ二つに破いたのだ。
「え!?」
「は!?」
佳鳴も千隼も驚いて、目を剥いて声を上げる。千隼は思わずと言った様子で腰を浮かしし、がたっと椅子が音を立てた。ふたりが呆然としている間に、寿美香は2枚になったそれを4枚に、そして8枚に……と破いて行った。
そうしてあらかた細かくなったそれを、無造作にカウンタに置いて、「ふん」と鼻を鳴らした。
「お母さん、それ」
呆然とした佳鳴が言うと、寿美香はやったと言う様に「ふぅ」と息を吐いた。
「ほらさ、私はあんたたちに母親というか親らしいことってまともにしなかったからさ。ま、これぐらいはね。これは私からの餞別みたいなもんだよ」
「餞別って」
千隼も呆けて言う。佳鳴も千隼もただただ目を見開いて、瞬きも忘れて寿美香の顔を見ることしかできなかった。
すると寿美香は気まずそうに視線を逸らす。
「……まぁ、さ、お金で解決って言うのも親らしく無いのかも知れないけどさ、私ができることってこれぐらいだから。あんたたちはそれぐらい私からの情ってやつ? そういうのを受けて来なかったんだから。あんたたちには苦労だって掛けたし、多分嫌な思いだってさせたし。だからそれはその分だと思ったら良いよ。あ、もちろん恩とか感じることは無いからね。その方が居心地悪いし」
確かに半額が消えるのなら、それは本当に助かる。佳鳴と千隼の気もぐっと楽になると言うものだ。だが本当に良いのだろうか。
どういう形であっても、これは寿美香の厚意だ。これ以上甘えてしまって良いのだろうか。両親からの融資と言う時点で充分だったはずなのに。
佳鳴も千隼もただただ戸惑うしか無い。どうしよう、どうしよう。ふたりの揺れる目にはそんな思いが溢れていた。
そこで口を開いたのは寛人だった。
「びっくりしたかも知れないけど、良かったら受け取ってあげてよ。母さんも今までのこと悪いと思ってるんだと思うよ。母さんだって鬼じゃ無いからね。自分が産んだ佳鳴と千隼に情だってあるよ。当たり前だよ。一応親なんだからね」
その時寿美香が「一応て」とため息混じりに小さく吐き捨てた。
「まぁね!」
だが寿美香はやけくその様に言い放つ。
「私は確かに親失格だけど、それでもあんたたちにもし親孝行とかそういうのがあるんだったら、もらってよ。私はこれからもがんがん稼ぐし、これぐらいすぐに取り戻せるからさ」
佳鳴と千隼にとってはそんな額では無いのだが、寿美香にしてみればそうなのかも知れない。実際それだけの高収入だから、佳鳴たちにこれだけの金額を融資できたのだし。
寛人と寿美香は、最初からこうするつもりで借用書を2枚作成したのだ。これはあまりにも大きすぎる親心だ。だがこれはきっと期待の表れでもあるのだ。
ふたりはそれに応えられるだろうか。いや、そうしなければならないのだ。この援助が親として行われるものならば、子どもとして努力しなければならない。
これが見当違いの期待なら、佳鳴も千隼も眉をしかめただろうが、そうでは無い。これは後押しのひとつなのだ。
それならば、佳鳴と千隼は全力で応えるだけだ。美味しい食事を作るのはもちろんのこと、煮物屋さんを繁盛させるために様々な尽力をする。
それがきっと親孝行にもなるのだ。
佳鳴と千隼は顔を見合わせて頷き合う。その表情には決意が表れていた。援助をされるからこそ掛かるプレッシャー。それを抱えてみせよう。乗り越えてみせよう。
寛人にも寿美香にもがっかりさせたくない。ふたりはあらためて奮起することになった。
佳鳴と千隼は立ち上がり、両親に深く頭を下げた。
「お父さんお母さん、ありがとう。私たち、絶対にここを良いお店にするね」
「ありがとう」
「ああ、頭を上げて。本当に良いお店になってくれたら嬉しいよ」
寛人の少し慌てる声が降って来る中、ふたりは頭を下げ続けた。
そうして煮物屋さんがオープンし、今に至る。
こんな重大なことがあったのに、千隼が寿美香にぶっきらぼうとも言える態度を取るのは、寿美香の性格を考えてのことだった。
居心地が悪くなると言っていたが、悪びれないあの性格なのだからその通りなのだろう。実際に恩に着せられる様なことも無かった。
寿美香がそういう素振りを見せたのは、佳鳴と千隼を寛人似に産んだことだけだ。
佳鳴はもともと寿美香とは友人の様なやりとりになっていたので、それも変わらず。
もちろん両親にはもの凄く感謝をしている。プレッシャーを抱えながらも肩が軽くなったのも事実で、余裕ができたと言える。だからおかしな空回りをせずに済んだ。
そうして煮物屋さんは暖かな常連さんに支えられる様になったのだ。
今でも両親に返済を続けつつ、心を込めて美味しい食事を作り、お客さまに憩っていただく日々だ。
佳鳴と千隼はそんな毎日を、大切に送って行こうと心に誓うのだった。
佳鳴と千隼は揃って「いただきます」と手を合わせ、同時に肉じゃがにお箸を伸ばす。
玉ねぎと牛肉を重ねて口に運ぶと、しなやかな玉ねぎとしっとりとした牛肉の甘みが口に広がった。みりんを使わないので牛肉はとろっと柔らかく仕上がっている。
じゃがいもも味が沁みてほっくりとしている。人参も柔らかく煮えていて、歯を入れると滑らかに潰れた。
彩りのいんげん豆は、色味が綺麗に仕上がっていて、歯ごたえも良い。うまく口の中をさっぱりとさせてくれる。
優しいお出汁がそれらをまとめ、滋味豊かに仕上がっていた。
筑前煮はどうだろうか。まずは鶏もも肉を放り込むと、弾力がありつつも柔らかくほろっと崩れた。
筍はしっかりと繊維を残しながらもさっくりと、ごぼうはほっくりと、蓮根と里芋はねっとりさを醸し出し、ぷるんとしたこんにゃく、しっとりとした干し椎茸に、ふわりと潰れる人参。
どれもが風味豊かなお出汁と干し椎茸の戻し汁を吸い込んでいて、とても良い風味だ。
佳鳴が「うんうん。凄く美味しい」と頷くと、隣で千隼も満足げに目を細めた。
さて、小鉢はどうだろうか。しらたきの明太炒めの小鉢を持ち上げる。お箸で口に運び、つるつるっと食べる。食べ易い様に適当な長さに切っているので、麺を食べる様にずるずると音を立てることは無い。
まずは明太子の辛みと旨味が舌に乗るが、じっくりと噛みしめると、しらたきの淡白さを感じる。だがまとう明太子がしっかりとしらたきの味わいを高めていた。
中華風卵とじは、ふわふわの卵がにらときくらげに絡んで、ほっこりと良い味わいだ。中華風だしの素をしっかりと効かせているので風味も良い。
「姉ちゃん、小鉢どっちも旨い」
「ありがとう」
千隼の賛辞に佳鳴は素直に礼を言う。うん、我ながら巧くできたと佳鳴も思う。
昨日のプレオープンでも緊張したが、今日は今日で違う緊張感があった。なにせ両親とは言え融資者なのだから。
もし「この味には懸けられない」と言われてしまったら、佳鳴たちには融資してもらった莫大な金額を即返済できる能力は無い。
やがてお腹も落ち着いたのか、寿美香が「ふぅ」と小さく息を吐いてお箸を置いた。そして横の椅子に置いたバッグから、ごそごそと何やら取り出す。
「佳鳴、千隼」
寿美香に呼ばれ、ふたりは首を向ける。寿美香が両手にそれぞれ持っていたのは、2枚の借用書だった。
親子間の金銭のやりとりとは言え、額も額だし、何より万が一うやむやになってしまわない様に、きちんと借用書を交わしたのだ。
と言っても行政書士などが間にいる訳では無く、寛人が作成したものだ。それでも全員が署名し、実印も押した。
この借用書を作る時、寛人と寿美香は2枚に分けて作ると言い出した。なので金額の欄には借りられた金額の半額ずつが記されている。
このトータルの金額は煮物屋さんの店舗と住居の建築費や諸経費に初期費用など。それなりの金額になっている。
それを目の当たりにすると、佳鳴はめまいを起こしそうになる。そんな金額をこれからふたりで返し切れるだろうかと。
現在の土地の名義人である寛人と寿美香が60歳を迎えたら、相続時精算課税を利用して土地の名義を譲り受ける予定だ。その時に贈与税が発生する可能性だってある。
だがやるしか無いのだ。こだわりながらもできる限り節約をして、開店準備をした。大丈夫だ。佳鳴は自分にそう言い聞かせた。
すると寿美香は1枚をカウンタに置いた。そして手にしたままのもう1枚を。
こともあろうか頭上で真っ二つに破いたのだ。
「え!?」
「は!?」
佳鳴も千隼も驚いて、目を剥いて声を上げる。千隼は思わずと言った様子で腰を浮かしし、がたっと椅子が音を立てた。ふたりが呆然としている間に、寿美香は2枚になったそれを4枚に、そして8枚に……と破いて行った。
そうしてあらかた細かくなったそれを、無造作にカウンタに置いて、「ふん」と鼻を鳴らした。
「お母さん、それ」
呆然とした佳鳴が言うと、寿美香はやったと言う様に「ふぅ」と息を吐いた。
「ほらさ、私はあんたたちに母親というか親らしいことってまともにしなかったからさ。ま、これぐらいはね。これは私からの餞別みたいなもんだよ」
「餞別って」
千隼も呆けて言う。佳鳴も千隼もただただ目を見開いて、瞬きも忘れて寿美香の顔を見ることしかできなかった。
すると寿美香は気まずそうに視線を逸らす。
「……まぁ、さ、お金で解決って言うのも親らしく無いのかも知れないけどさ、私ができることってこれぐらいだから。あんたたちはそれぐらい私からの情ってやつ? そういうのを受けて来なかったんだから。あんたたちには苦労だって掛けたし、多分嫌な思いだってさせたし。だからそれはその分だと思ったら良いよ。あ、もちろん恩とか感じることは無いからね。その方が居心地悪いし」
確かに半額が消えるのなら、それは本当に助かる。佳鳴と千隼の気もぐっと楽になると言うものだ。だが本当に良いのだろうか。
どういう形であっても、これは寿美香の厚意だ。これ以上甘えてしまって良いのだろうか。両親からの融資と言う時点で充分だったはずなのに。
佳鳴も千隼もただただ戸惑うしか無い。どうしよう、どうしよう。ふたりの揺れる目にはそんな思いが溢れていた。
そこで口を開いたのは寛人だった。
「びっくりしたかも知れないけど、良かったら受け取ってあげてよ。母さんも今までのこと悪いと思ってるんだと思うよ。母さんだって鬼じゃ無いからね。自分が産んだ佳鳴と千隼に情だってあるよ。当たり前だよ。一応親なんだからね」
その時寿美香が「一応て」とため息混じりに小さく吐き捨てた。
「まぁね!」
だが寿美香はやけくその様に言い放つ。
「私は確かに親失格だけど、それでもあんたたちにもし親孝行とかそういうのがあるんだったら、もらってよ。私はこれからもがんがん稼ぐし、これぐらいすぐに取り戻せるからさ」
佳鳴と千隼にとってはそんな額では無いのだが、寿美香にしてみればそうなのかも知れない。実際それだけの高収入だから、佳鳴たちにこれだけの金額を融資できたのだし。
寛人と寿美香は、最初からこうするつもりで借用書を2枚作成したのだ。これはあまりにも大きすぎる親心だ。だがこれはきっと期待の表れでもあるのだ。
ふたりはそれに応えられるだろうか。いや、そうしなければならないのだ。この援助が親として行われるものならば、子どもとして努力しなければならない。
これが見当違いの期待なら、佳鳴も千隼も眉をしかめただろうが、そうでは無い。これは後押しのひとつなのだ。
それならば、佳鳴と千隼は全力で応えるだけだ。美味しい食事を作るのはもちろんのこと、煮物屋さんを繁盛させるために様々な尽力をする。
それがきっと親孝行にもなるのだ。
佳鳴と千隼は顔を見合わせて頷き合う。その表情には決意が表れていた。援助をされるからこそ掛かるプレッシャー。それを抱えてみせよう。乗り越えてみせよう。
寛人にも寿美香にもがっかりさせたくない。ふたりはあらためて奮起することになった。
佳鳴と千隼は立ち上がり、両親に深く頭を下げた。
「お父さんお母さん、ありがとう。私たち、絶対にここを良いお店にするね」
「ありがとう」
「ああ、頭を上げて。本当に良いお店になってくれたら嬉しいよ」
寛人の少し慌てる声が降って来る中、ふたりは頭を下げ続けた。
そうして煮物屋さんがオープンし、今に至る。
こんな重大なことがあったのに、千隼が寿美香にぶっきらぼうとも言える態度を取るのは、寿美香の性格を考えてのことだった。
居心地が悪くなると言っていたが、悪びれないあの性格なのだからその通りなのだろう。実際に恩に着せられる様なことも無かった。
寿美香がそういう素振りを見せたのは、佳鳴と千隼を寛人似に産んだことだけだ。
佳鳴はもともと寿美香とは友人の様なやりとりになっていたので、それも変わらず。
もちろん両親にはもの凄く感謝をしている。プレッシャーを抱えながらも肩が軽くなったのも事実で、余裕ができたと言える。だからおかしな空回りをせずに済んだ。
そうして煮物屋さんは暖かな常連さんに支えられる様になったのだ。
今でも両親に返済を続けつつ、心を込めて美味しい食事を作り、お客さまに憩っていただく日々だ。
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