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十.世界戦略構想部
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梅雨も明けて、派遣の女の子たちが夏休みの計画を立て始めた頃、出社した俺は朝っぱらから専務に呼び出された。専務室に入るのは新人研修の社内見学以来だな。
「失礼します。外販三課の田中。入りまーす」ドアをノックしてから、そう言って室内に入ったが、専務がめちゃくちゃ険しい顔をしていた。
「あの専務。どのようなご用件で?」
「どんな用件……じゃない!! お前一体何をやらかしたんだ!?」
「はあ? 一体何の事でしょうか? どっかからクレームでも入ったのですか。それなら課長と共にすぐにシューティングに向かいますが……」
「ええい。そんないっつもやってる様なレベルじゃない! さっきうちの社長の所に、坂出一輝から直接連絡があって、お前をインペリアルの本社に出頭させろと言ってきた!!」
インペリアルというのは、坂出一輝が持っている数多の企業の持ち株会社で、坂出一輝も事実上そこの代表者となっている。そこからの出頭命令とは……やべえ。やっぱりこの間、奥さんとラブホにしけこんだのがバレたに違いない。でも、あの時、宜しく頼むって言ったのあっちだよな? それにエッチはしてないし……グダグダとそんな事を考えながら、嫌々六本木にあるインペリアルの本社に向かった。
地上五十階にある、壁が全面窓ガラスの応接に通されたが、これ、高所恐怖症の人だと困っちゃうよな……などど考えていたら、坂上一輝が入って来た。
「やあ田中君。よく来てくれたね。まあ掛けたまえ」そう言いながらにこやかに微笑まれた。あれ? 怒ってない? でも腹の中ではどう思っているのか分からんよな。
お茶を持ってきてくれた秘書さんが下がったので、早速確認する。
「あの……今日のご用件って、先日の奥様との事をお叱りになられる件ですよね?」
「はあ? 何を言ってるんだい君は。その話は会社内でしなくていいよ。
まあ、あれもあんな感じだが、たまには付き合ってガス抜きしてやってくれ。
今日君を呼んだのは、君に私の助手としてわが社に出向してもらおうという話なのだが……上の人から説明があったろ?」
「はい? あの出頭ではなくて、出向ですか?」
「そうだよ。僕は君んところの社長さんに直接お願いしたつもりだったんだが……」
ああ、日本語ってむずかしいや。俺が奥さんの件で出頭を命じられたと思って来た事を知り、坂出一輝は爆笑していた。
「いやいや。そりゃ悪かったね。今、君の会社に連絡し直すから……」
そう言って坂井一輝は一度離席し、五分位でまた戻ってきた。
「はは、田中君。大丈夫だ。話はついたよ。
でも君んところの社長にひとつ条件出されちゃったけどね」
「はあ。うちの社長がどのような失礼な事を?」
「いや。君だけだとまだ営業経験も未熟でご迷惑をかけてしまうと大変なので、当社のエースも一緒に預かってくれないかとさ。給料はあっち持ちでいいそうなんでOKしたけどね」
「えっ? うちのエース?」なんかヤな予感しかしない。
「ああ、吉崎くんとかいうバリキャリの女の子らしい。美人なのでよろしくだとさ。
そんなお姫様を妖怪の生贄に差し出す話ではなかろうに……」
あー、やっぱり……あいつといっしょに出向とか。俺はどんな顔してればいいんだ?
「あのそれで坂出社長。俺……私はいったいここで何をすればよろしいのでしょうか。社長の助手っていったい?」
「ああ。率直に言うよ。君、マジノ・ダンケルクと恋仲なんだろう? すでに気づいていると思うが……うちの妻は、マジノ・アルデンヌだ。お互い、魔法少女を妻にする身だ。『元』だけどね。そうしたら私達が二人で並んでいるだけで幸運が向こうから転がり込んで来るとは思わないか?」
「あー。ははは。そう言う事ですか……」どうしよう。デガラシとはそんなに深い仲じゃないと言うべきだろうか。だがもしそう言ったら、すぐに会いたいとか連れて来いとか俺に寄こせとか言われるんじゃないか? 杞憂かも知れないが、この場はこのまま、俺とデガラシは恋仲だという事にしておこうと思った。
◇◇◇
アパートに帰ってから、坂出一輝の申し出の事を、ありのままデガラシに話した。
「そっか。私がこっちに帰って来ている事バレちゃってたか……でも田中。あんたが正解! もし私と何でもないって言ってたら、カズくんは絶対私に会おうとすると思う。それで男女の関係も強要されたかも知れなかったよ」
「マジかよ。いくら昔の話とは言え、共に戦った仲間だろうに」
「うん……カズくん変わっちゃったんだ……まあ私にも責任があるみたいなんだけどね」ああ、それってアルデンヌが言ってた何かの事件って奴かな。だが今、俺から聞く話じゃないよな。
「それじゃ坂出さんの会社内では、お前は俺の内縁の妻って事にするけど、いいか?」
「うん、構わない。多分あなたを手元に置いておけば私も逃げないと思っているんだよ」
「わかった。でも心配するな。形だけだよ。お前の貞操は俺が守ってやる」
「うーん。ありがと田中。そんじゃ私が三十過ぎて魔法使いになったら、あんたに私の処女あげるね」
「いや、それは遠慮しておくが……魔法使い?」
「あっ! いやいや言葉のアヤよ。よく言うじゃん。三十過ぎて童貞だったり処女だったりすると魔法使いになれるって」
「えっ!? そうなのか。そんじゃ俺、やっぱこないだアルデンヌに俺の初めて捧げた方がよかったのかな?」と半分冗談でおどけて言ってみたのだが、デガラシは変にとらえた様だ。
「はいぃ? 魔法使い嫌なの?」
「嫌と言うか……そんな得体の知れないもの。なんか怖いじゃん」と言ったらデガラシは、「ふーん。そういう考え方もあるのか。そっか……」としばらく一人で思案していた。
◇◇◇
七月二十日。何の因果か、今日から六本木に通勤だ。今までより一時間早く起きないといけない。最近デガラシは、コンビニのシフトを夜側に寄せていてまだグーグー寝ていやがる。仕方ないので、こいつの分の目玉焼きも焼いておこう。
「おはよ! 田中君」会社に着いたら、玄関先でいきなら吉崎碧に挨拶された。
こいつとは、あのイタ飯屋の夜以来顔を合わせていなかったのだが……おお、いつにもまして気合入ってんな。服も靴もメイクもヘアスタイルも……心なしか、香水も前に嗅いだものよりかなり高級な感じがする。こいつまさか、坂出一輝を喰う気じゃないだろうな。生贄の姫様が妖怪喰うとか……ギャグだろ。
「ああ、おはよう。吉崎さん久しぶり……」
「何よー。素っ気ないなー。久しぶりなんだし、ハグ位してもいいんだぞー」
「あ、いや俺、ヘタレだし……」この言い方はちょっと皮肉っぽいかな。
「そうだよねー。そう思ったんであの晩帰しちゃったんだけど……まさか、坂出一輝釣りあげてくるとはねー。私も男見る目まだまだだわ」
うん、まったく皮肉と取ってないな。
「はは。たまたまね。納品早く終わったんで手近に飛び込み営業したら、そこが坂出さんちで」
「なにそれ!? 凄い引きよね。それで気に入られるって……坂出一輝と寝たの?」
「いやいやいや。何言ってんの!? 俺そっち系じゃないから」とは言え、奥さんとは寝そうになったけど……黙っておこう。
「まあ、いいや。それじゃ良男君! 改めて、私と付き合わない? せっかくこうして二人でアウェー出向だし。いろいろ仲良くしようよ」
はは。もう名前呼び……しかもいろいろ仲良くって……肉食獣怖い。
「それじゃ、俺はみどりって呼び捨てでいいのかな?」
「あっ。それはまだダメー。ちゃんとさん付けで呼んで!」
あーくそ腹立つ。もういい。今後お前は俺の中では、捕食者の王ティラノザウルスだ!! とは言えず「はいっ」と返事をした。
受付で案内されてついていくと、五十三階のCEO室の隣に部屋が用意されており、俺と吉崎はそこで働くとの事だった。先日の応接室もそうだったがここも全面ガラス張りの絶景で、おお飛行機が飛んでる。という事は羽田があっちだな。俺んちはどの辺だ? そんな事を考えていたら、隣で風景を眺めていた吉崎がボソッと言った。
「うわー。ここでエッチしたら、すっごく興奮しそー」
俺は、ニシキヘビの水槽に入れられた餌用ネズミの気持ちがよく分かった様な気がした。
そこへ坂出一輝が現れた。
「いやーお二人さん。どうだいこの場所は? これから僕達で世界に発進するのにふさわしいだろ?」そういいながら部屋の真ん中にセットされていた応接椅子にどっかと座った。
「いや。こんな環境。あまりに凄すぎて……かえって委縮しそうで……」と言いかけた俺のすねを思い切り蹴飛ばしながら吉崎が言った。
「世界に発進……坂出社長。不肖、吉崎碧。そのお手伝いが出来て光栄です!」
「ああ吉崎君だよね。こうして話をするのは初めてだな。よろしく。僕が坂出一輝だ」
「はい! 今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。そして何でも申し付けて下さい。コピーでもお茶くみでも外回りでも営業事務でも秘書業務でも……なんでも卒なくこなす自信がございます。もちろん飲みも……その後も」
「ははは。頼もしいね。それじゃ宜しく頼むよ。この世界戦略構想部のマネージャーは、田中君だ。まあまだメンバーは二人しかいないけどね。吉崎君も、しっかり田中君をフォローしてくれたまえ!」
そして坂出一輝は、はっはっはっと大声で笑いながら、部屋を出て行った。
そんな……世界戦略構想部って、話が大きすぎて何するのかさっぱり分からん。
などと思いながら脇を見たら、吉崎がプルプル震えている。
「あれ、吉崎さん。寒かった? 冷房弱くしてもらおうか?」
「ちっ、ちが―う! なんであんたが私の上司なのよ!!
まったく……あんたが私の上になるのは布団の中だけで十分よ!!」
あー、そこか。でも坂出さんがそう決めちゃったし……
「まあまあ吉崎さん。多分、坂出社長は人見知りなんだよ。君の実力を知ったら、考えも変わるさ」とフォローしてみた。
「そ、そうよね。うん……田中はよく分かってるじゃん」あっ、また田中に戻った。
「それにしても今から何する? まだお昼前だけど……坂出社長に聞いてみようか」
だだっ広いフロアに、ちょっと高そうな事務机が二つと、真ん中に豪華な応接セットが置いてあるだけで、コピー機とかパソコンも無い。なんの仕事をすればいいのか全く分からずそう言ったら、吉崎に却下された。
「あんたね。そんな仕事出来ません風は吹かせないでよね。私まで出来ない奴と思われるじゃない。出来る奴は自分で仕事を探して自分で仕事を創るのよ!!」
「はあ。それじゃ吉崎さんのアイデアでいいんで……何をすればいいですか?」
俺の問いに吉崎がしばらく考えていたが、やがて顔をあげてこういった。
「とりあえず……エッチしようか?」
◇◇◇
その後すぐに、坂出社長の秘書さんが書類の束を持ってきてくれて、今インペリアルが株を保有している会社の業績や特徴が書いてあるので眼を通す様に指示が出た為、とりあえず俺の貞操の危機は去った。
お昼も豪華な幕の内弁当が用意され部屋で食べ、午後には管理部の人が、俺と吉崎用にとパソコンを設置してくれた。やれやれ、ようやく仕事場らしくなってきたかな。しかしこの感じだと、九時から五時までこの部屋に吉崎と二人で缶詰か? それはそれで空おそろしい。今度、エッチしようとか言いだしたら、セクハラで訴えようかな。などと考えていたら案の定。アフターファイブのお誘いだ。
「いや。前にも言ったけど、俺、うちで待ってる奴いるんで……」
「何よ。どうせフィギュアでしょ? 売る時、ブラックライトでチェックされる奴!」
「ちげーよ! 坂出社長はご存知なんだけど……俺、内縁で同棲してるんだよ!」
「うげっ!! 信じらんない。童貞のクセに……って、ああ、童貞じゃないのか。
はー。人は見かけによらないわー。あんたと同棲してくれる女がいたとは……」
「その童貞とエッチしようって今日言ってたのはどこの誰でしょうかね!?」
「くっそ、悔しい!! それにうずくぅーーーー。どうしてくれんのよこれ!
一日中この部屋にいて私、超欲求不満なんだけど!」
ああ、その気持は俺も同感だけど……そう思っていたら、坂出一輝が部屋に入ってきた。
「ようお二人さん。歓迎会いくぞ!」おお、天の助けか?
そのまま俺と吉崎は、坂出一輝に連れられ赤坂の焼肉屋に行った。
肉食獣に肉を食わせるのは正しい選択と言えよう。
予想通りというか、吉崎が坂出一輝に猛烈アタックをかけている。そして坂出一輝もそういうのに慣れてますと言わんばかりの貫禄で、いい様にあしらっているのが分かる。もちろん、俺はオトナなのでそんなの見て見ぬ振りをしながら、特上カルビを食いまくった。ああ、ジンロうめー。
二時間ほど飲み食いして店を出たら、おお、吉崎と坂出一輝は二次会に行くらしい。君もどうだと言われたが、お断りするのが社会人のマナーだ。吉崎やるなー。にしても、あんな旦那では……やっぱりアルデンヌが可哀そうな気がした。
「失礼します。外販三課の田中。入りまーす」ドアをノックしてから、そう言って室内に入ったが、専務がめちゃくちゃ険しい顔をしていた。
「あの専務。どのようなご用件で?」
「どんな用件……じゃない!! お前一体何をやらかしたんだ!?」
「はあ? 一体何の事でしょうか? どっかからクレームでも入ったのですか。それなら課長と共にすぐにシューティングに向かいますが……」
「ええい。そんないっつもやってる様なレベルじゃない! さっきうちの社長の所に、坂出一輝から直接連絡があって、お前をインペリアルの本社に出頭させろと言ってきた!!」
インペリアルというのは、坂出一輝が持っている数多の企業の持ち株会社で、坂出一輝も事実上そこの代表者となっている。そこからの出頭命令とは……やべえ。やっぱりこの間、奥さんとラブホにしけこんだのがバレたに違いない。でも、あの時、宜しく頼むって言ったのあっちだよな? それにエッチはしてないし……グダグダとそんな事を考えながら、嫌々六本木にあるインペリアルの本社に向かった。
地上五十階にある、壁が全面窓ガラスの応接に通されたが、これ、高所恐怖症の人だと困っちゃうよな……などど考えていたら、坂上一輝が入って来た。
「やあ田中君。よく来てくれたね。まあ掛けたまえ」そう言いながらにこやかに微笑まれた。あれ? 怒ってない? でも腹の中ではどう思っているのか分からんよな。
お茶を持ってきてくれた秘書さんが下がったので、早速確認する。
「あの……今日のご用件って、先日の奥様との事をお叱りになられる件ですよね?」
「はあ? 何を言ってるんだい君は。その話は会社内でしなくていいよ。
まあ、あれもあんな感じだが、たまには付き合ってガス抜きしてやってくれ。
今日君を呼んだのは、君に私の助手としてわが社に出向してもらおうという話なのだが……上の人から説明があったろ?」
「はい? あの出頭ではなくて、出向ですか?」
「そうだよ。僕は君んところの社長さんに直接お願いしたつもりだったんだが……」
ああ、日本語ってむずかしいや。俺が奥さんの件で出頭を命じられたと思って来た事を知り、坂出一輝は爆笑していた。
「いやいや。そりゃ悪かったね。今、君の会社に連絡し直すから……」
そう言って坂井一輝は一度離席し、五分位でまた戻ってきた。
「はは、田中君。大丈夫だ。話はついたよ。
でも君んところの社長にひとつ条件出されちゃったけどね」
「はあ。うちの社長がどのような失礼な事を?」
「いや。君だけだとまだ営業経験も未熟でご迷惑をかけてしまうと大変なので、当社のエースも一緒に預かってくれないかとさ。給料はあっち持ちでいいそうなんでOKしたけどね」
「えっ? うちのエース?」なんかヤな予感しかしない。
「ああ、吉崎くんとかいうバリキャリの女の子らしい。美人なのでよろしくだとさ。
そんなお姫様を妖怪の生贄に差し出す話ではなかろうに……」
あー、やっぱり……あいつといっしょに出向とか。俺はどんな顔してればいいんだ?
「あのそれで坂出社長。俺……私はいったいここで何をすればよろしいのでしょうか。社長の助手っていったい?」
「ああ。率直に言うよ。君、マジノ・ダンケルクと恋仲なんだろう? すでに気づいていると思うが……うちの妻は、マジノ・アルデンヌだ。お互い、魔法少女を妻にする身だ。『元』だけどね。そうしたら私達が二人で並んでいるだけで幸運が向こうから転がり込んで来るとは思わないか?」
「あー。ははは。そう言う事ですか……」どうしよう。デガラシとはそんなに深い仲じゃないと言うべきだろうか。だがもしそう言ったら、すぐに会いたいとか連れて来いとか俺に寄こせとか言われるんじゃないか? 杞憂かも知れないが、この場はこのまま、俺とデガラシは恋仲だという事にしておこうと思った。
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「そっか。私がこっちに帰って来ている事バレちゃってたか……でも田中。あんたが正解! もし私と何でもないって言ってたら、カズくんは絶対私に会おうとすると思う。それで男女の関係も強要されたかも知れなかったよ」
「マジかよ。いくら昔の話とは言え、共に戦った仲間だろうに」
「うん……カズくん変わっちゃったんだ……まあ私にも責任があるみたいなんだけどね」ああ、それってアルデンヌが言ってた何かの事件って奴かな。だが今、俺から聞く話じゃないよな。
「それじゃ坂出さんの会社内では、お前は俺の内縁の妻って事にするけど、いいか?」
「うん、構わない。多分あなたを手元に置いておけば私も逃げないと思っているんだよ」
「わかった。でも心配するな。形だけだよ。お前の貞操は俺が守ってやる」
「うーん。ありがと田中。そんじゃ私が三十過ぎて魔法使いになったら、あんたに私の処女あげるね」
「いや、それは遠慮しておくが……魔法使い?」
「あっ! いやいや言葉のアヤよ。よく言うじゃん。三十過ぎて童貞だったり処女だったりすると魔法使いになれるって」
「えっ!? そうなのか。そんじゃ俺、やっぱこないだアルデンヌに俺の初めて捧げた方がよかったのかな?」と半分冗談でおどけて言ってみたのだが、デガラシは変にとらえた様だ。
「はいぃ? 魔法使い嫌なの?」
「嫌と言うか……そんな得体の知れないもの。なんか怖いじゃん」と言ったらデガラシは、「ふーん。そういう考え方もあるのか。そっか……」としばらく一人で思案していた。
◇◇◇
七月二十日。何の因果か、今日から六本木に通勤だ。今までより一時間早く起きないといけない。最近デガラシは、コンビニのシフトを夜側に寄せていてまだグーグー寝ていやがる。仕方ないので、こいつの分の目玉焼きも焼いておこう。
「おはよ! 田中君」会社に着いたら、玄関先でいきなら吉崎碧に挨拶された。
こいつとは、あのイタ飯屋の夜以来顔を合わせていなかったのだが……おお、いつにもまして気合入ってんな。服も靴もメイクもヘアスタイルも……心なしか、香水も前に嗅いだものよりかなり高級な感じがする。こいつまさか、坂出一輝を喰う気じゃないだろうな。生贄の姫様が妖怪喰うとか……ギャグだろ。
「ああ、おはよう。吉崎さん久しぶり……」
「何よー。素っ気ないなー。久しぶりなんだし、ハグ位してもいいんだぞー」
「あ、いや俺、ヘタレだし……」この言い方はちょっと皮肉っぽいかな。
「そうだよねー。そう思ったんであの晩帰しちゃったんだけど……まさか、坂出一輝釣りあげてくるとはねー。私も男見る目まだまだだわ」
うん、まったく皮肉と取ってないな。
「はは。たまたまね。納品早く終わったんで手近に飛び込み営業したら、そこが坂出さんちで」
「なにそれ!? 凄い引きよね。それで気に入られるって……坂出一輝と寝たの?」
「いやいやいや。何言ってんの!? 俺そっち系じゃないから」とは言え、奥さんとは寝そうになったけど……黙っておこう。
「まあ、いいや。それじゃ良男君! 改めて、私と付き合わない? せっかくこうして二人でアウェー出向だし。いろいろ仲良くしようよ」
はは。もう名前呼び……しかもいろいろ仲良くって……肉食獣怖い。
「それじゃ、俺はみどりって呼び捨てでいいのかな?」
「あっ。それはまだダメー。ちゃんとさん付けで呼んで!」
あーくそ腹立つ。もういい。今後お前は俺の中では、捕食者の王ティラノザウルスだ!! とは言えず「はいっ」と返事をした。
受付で案内されてついていくと、五十三階のCEO室の隣に部屋が用意されており、俺と吉崎はそこで働くとの事だった。先日の応接室もそうだったがここも全面ガラス張りの絶景で、おお飛行機が飛んでる。という事は羽田があっちだな。俺んちはどの辺だ? そんな事を考えていたら、隣で風景を眺めていた吉崎がボソッと言った。
「うわー。ここでエッチしたら、すっごく興奮しそー」
俺は、ニシキヘビの水槽に入れられた餌用ネズミの気持ちがよく分かった様な気がした。
そこへ坂出一輝が現れた。
「いやーお二人さん。どうだいこの場所は? これから僕達で世界に発進するのにふさわしいだろ?」そういいながら部屋の真ん中にセットされていた応接椅子にどっかと座った。
「いや。こんな環境。あまりに凄すぎて……かえって委縮しそうで……」と言いかけた俺のすねを思い切り蹴飛ばしながら吉崎が言った。
「世界に発進……坂出社長。不肖、吉崎碧。そのお手伝いが出来て光栄です!」
「ああ吉崎君だよね。こうして話をするのは初めてだな。よろしく。僕が坂出一輝だ」
「はい! 今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。そして何でも申し付けて下さい。コピーでもお茶くみでも外回りでも営業事務でも秘書業務でも……なんでも卒なくこなす自信がございます。もちろん飲みも……その後も」
「ははは。頼もしいね。それじゃ宜しく頼むよ。この世界戦略構想部のマネージャーは、田中君だ。まあまだメンバーは二人しかいないけどね。吉崎君も、しっかり田中君をフォローしてくれたまえ!」
そして坂出一輝は、はっはっはっと大声で笑いながら、部屋を出て行った。
そんな……世界戦略構想部って、話が大きすぎて何するのかさっぱり分からん。
などと思いながら脇を見たら、吉崎がプルプル震えている。
「あれ、吉崎さん。寒かった? 冷房弱くしてもらおうか?」
「ちっ、ちが―う! なんであんたが私の上司なのよ!!
まったく……あんたが私の上になるのは布団の中だけで十分よ!!」
あー、そこか。でも坂出さんがそう決めちゃったし……
「まあまあ吉崎さん。多分、坂出社長は人見知りなんだよ。君の実力を知ったら、考えも変わるさ」とフォローしてみた。
「そ、そうよね。うん……田中はよく分かってるじゃん」あっ、また田中に戻った。
「それにしても今から何する? まだお昼前だけど……坂出社長に聞いてみようか」
だだっ広いフロアに、ちょっと高そうな事務机が二つと、真ん中に豪華な応接セットが置いてあるだけで、コピー機とかパソコンも無い。なんの仕事をすればいいのか全く分からずそう言ったら、吉崎に却下された。
「あんたね。そんな仕事出来ません風は吹かせないでよね。私まで出来ない奴と思われるじゃない。出来る奴は自分で仕事を探して自分で仕事を創るのよ!!」
「はあ。それじゃ吉崎さんのアイデアでいいんで……何をすればいいですか?」
俺の問いに吉崎がしばらく考えていたが、やがて顔をあげてこういった。
「とりあえず……エッチしようか?」
◇◇◇
その後すぐに、坂出社長の秘書さんが書類の束を持ってきてくれて、今インペリアルが株を保有している会社の業績や特徴が書いてあるので眼を通す様に指示が出た為、とりあえず俺の貞操の危機は去った。
お昼も豪華な幕の内弁当が用意され部屋で食べ、午後には管理部の人が、俺と吉崎用にとパソコンを設置してくれた。やれやれ、ようやく仕事場らしくなってきたかな。しかしこの感じだと、九時から五時までこの部屋に吉崎と二人で缶詰か? それはそれで空おそろしい。今度、エッチしようとか言いだしたら、セクハラで訴えようかな。などと考えていたら案の定。アフターファイブのお誘いだ。
「いや。前にも言ったけど、俺、うちで待ってる奴いるんで……」
「何よ。どうせフィギュアでしょ? 売る時、ブラックライトでチェックされる奴!」
「ちげーよ! 坂出社長はご存知なんだけど……俺、内縁で同棲してるんだよ!」
「うげっ!! 信じらんない。童貞のクセに……って、ああ、童貞じゃないのか。
はー。人は見かけによらないわー。あんたと同棲してくれる女がいたとは……」
「その童貞とエッチしようって今日言ってたのはどこの誰でしょうかね!?」
「くっそ、悔しい!! それにうずくぅーーーー。どうしてくれんのよこれ!
一日中この部屋にいて私、超欲求不満なんだけど!」
ああ、その気持は俺も同感だけど……そう思っていたら、坂出一輝が部屋に入ってきた。
「ようお二人さん。歓迎会いくぞ!」おお、天の助けか?
そのまま俺と吉崎は、坂出一輝に連れられ赤坂の焼肉屋に行った。
肉食獣に肉を食わせるのは正しい選択と言えよう。
予想通りというか、吉崎が坂出一輝に猛烈アタックをかけている。そして坂出一輝もそういうのに慣れてますと言わんばかりの貫禄で、いい様にあしらっているのが分かる。もちろん、俺はオトナなのでそんなの見て見ぬ振りをしながら、特上カルビを食いまくった。ああ、ジンロうめー。
二時間ほど飲み食いして店を出たら、おお、吉崎と坂出一輝は二次会に行くらしい。君もどうだと言われたが、お断りするのが社会人のマナーだ。吉崎やるなー。にしても、あんな旦那では……やっぱりアルデンヌが可哀そうな気がした。
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