Dinner

中原涼

文字の大きさ
15 / 21

15

しおりを挟む

 銀座線を使い表参道まで辿り着くと、俺は青山通りから渋谷駅へと歩きながら、途中一本隠れるように脇道に入った。大きな通りにある車の往来も、煌びやかなネオンや着飾った人達から隠れるように。
 その店は随分とひっそりとしたものだった。小さな戸口に掛かる、緑色の廂には「BISTRO FAVR」と小さく書かれていた。戸口の隣にある擦り硝子越しに漏れる、温かな光に誘われるように、俺は木製の扉を開いた。カウンター越しに白い作業服を着た、大柄の男が顔を上げる。一瞬無愛想とも取れる表情が解れ、こんばんは、と声を掛けられたので、会釈をしながら「こんばんは」と返す。
 するとすぐに、奥へと広い店内の奥から、片手を振るさなぎを見つけた。
「お待ち合わせですね。どうぞ、奥へ」
 促されるままに、こつこつと良い音の響く板張りの床を歩くと、二人用の丸いテーブル席に、向かい合うようにして腰を下ろした。
「なんだか、すごく久し振りな気がする」
 さなぎはほっと息を吐くように言った。手元には既に赤いワインが丸く揺れ、俺はすぐそばにいた従業員に同じものを、と頼む。
「そうだね、毎週会ってたから」
 どうかこの言葉が、嫌味のように聞こえませんように。そう願いながら、努めて軽く答えてから、
「仕事はどう?」
 と話を逸らした。彼はワインを緩く揺らしながら、うーん、と微かに唸り、
「順調過ぎてちょっと怖いけど、すごく楽しいよ」
 そう少しだけ照れたように笑う彼に、思わず無意識に笑みを零す。
「本当はしのぶの飯食いたかったんだけど、長い時間いれそうにないから」
 前置きのように告げられると、思わず表情が硬く強張ってしまうのが、自分でも分かった。ひどく残念そうな顔をしていないか、胸の内側を不安が過る。
「そっか、忙しそうで何よりだよ」
 そう告げながら運ばれてきたワインを受け取ると、俺たちは軽くグラスを合わせた。
 さなぎが選んでくれた料理はどれも美味しかった。サーモンのマリネも鱈のフリットも、柔らかなラムの煮込みも。全てが白い皿に丁寧に横たえられ、見た目もどうやって手をつけようかと迷うほど、綺麗だったし、勿体なかった。
 ――料理が勿体なかったのか、過ぎる時間を惜しんでいるのか、もう俺にも分からなくなっていた。
「しのぶは最近どう?」
 ふいに聞かれたので、ここ数日の代わり映えのない生活を振り返る。仕事をして、患者の子供たちと他愛のない話をしたこと。俺の仕事は、変わり映えがない方が平和で良い。皆が元気に過ごせている証拠だ。
 さなぎはそんな俺の話を、興味深いという眼差しで、じっと耳を傾けて聞いてくれる。人を真っ直ぐ見つめる眼差しに、微かに緊張していると、ふいに彼の手元にあるスマホが震えた。
 俺は出なよ、と促すように、視線を滑らせると、さなぎは「ごめん」と呟き、スマホを操作した。それからそれを耳に押し当てて、身体を背ける。何かを隠すようなその仕草に、はっきりとした疎外感を感じてしまう。さなぎの仕事の少しでも理解していたら、まだこんな気持ちを味わう事はなかったのかもしれない。しかしそれはないものねだりというやつだ。
 いま確かに、俺は少しだけ拗ねている。
 大の大人の男が。
 自身に言い聞かせるように、心の内側でそう呟くと、俺はワインを一口、喉に流した。軽やかな渋みに、舌が微かに絞られるような感覚がする。
「ごめん、しのぶ」
 通話を終えたさなぎが眉を下げ、俺はいいや、と明るく首を振った。
「もう出た方が良い?」
「いや、まだもう少し……」
 そう言ったさなぎの言葉の続きを、俺は微かに期待していた。
何だろう、この気持ちは。
俺は自分の態度に、自分で苛立っていた。自分の言葉が、彼を気遣っているように見せかけて、彼を責めているように感じる。さなぎの望む世界で、さなぎが生きる事を、ちゃんと喜べない自分と向き合っていた。
本当は時間がなくても、家に来て料理を食べて欲しかったし、短い時間でも構わないから、二人で過ごしたかった。そういう風に期待していた。
そんな自分が、情けなく、恥ずかしい。
人の成功や、幸せを願えない自分が、はっきりと胸の内に存在している事に、申し訳なさが募っていく。
それと同時に、俺はこの気持ちを認めなくてはならないのだと、突きつけられていた。
「きっと今は頑張り時なんだから、さなぎは音楽に集中しなきゃ」
「うん、わかってる。分かってるけどさ」
 そう頷くさなぎは、自分に言い聞かせるようだった。俺もまた、自分の言葉に納得を強いていた。
 俺たちは向かい合いながら、温かな料理を挟んで、お互いではない自身とばかり会話をしているようだった。
 人を好きになる事は、こんなにも切ないものだっただろうか。俺はそんな事をぼんやりと考えながら、彼が初めて聞かせてくれた音楽を思い出していた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...