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「どこに行きたいですか?」
その問いかけに答えを出す事が出来たのは、あの夕立の日から三日経過しの事だった。
僕は彼の声を聞きながら、テレビに映る南の海の生き物たちという番組を眺めていた。
「安達君と水族館に行ってみたい」
直感的にそう答えると、
「いいね、俺も行きたい」
ひっそりとした声で、安達君が微笑んだ。
「でっかい魚見よう。マッコウクジラ」
いつかを思い出させるように、彼が小さく笑って呟いた。不意に顔を近づけて分け合った、アンバーグリスの香りが蘇ってくる。
「流石にマッコウクジラはいないよ」
僕は自然に頬が緩んでしまうのを気に留めないまま、テレビ画面の青い世界を見つめる。
「じゃあ、今度クジラ見に行こう」
今度。
言葉の隙間に差し込まれる未来の栞に、胸の奥が仄かに温かく揺らぐ。僕は「うん」と答えて、彼と二日後の約束を交わした。
ふいに彼の背後から、新宿行きを知らせる電車けたたましいベルが響き渡る。電車に乗るという、彼の駆け足気味の声を名残惜しく思いながら、通話を切って息を吐くと、既に食欲は遠くへと追いやられていた。
食べかけの食事にラップをかけて、冷蔵庫へと仕舞い込むと、僕はテレビを消して、仕事場に向かう。
静かに引き戸を開けば、無数の香りが夏の熱に燻られ煙のように、ふわりと流れ出してくる。その香りの煙は足元を漂いながら、夜の縁にふわふわと落ちて行く。視線を上げれば机の前の窓が、人差し指位開いていた。僕はそれをきっちりと締めてから鍵を掛け、薬品棚からいつか一緒に鼻先を寄せ合ったアンバーグリスのレプリカを取り出す。僕はそっと手の中にある、その瓶の蓋を開いた。
緩やかに、僕と安達君の間にさ迷っていた香りが漂い出す。
彼と出会い、過ごしてきた短い時間の中で、僕は彼の色々な顔を見た気がする。その反面、それでは足りないと思っている自分もいる。
まだ、足りない。
彼と一緒に居られなかった今までの時間を埋めるには、まだまだ足りない。そんな事を考えては自分の女々しさと欲深さに、壁に頭を打ち付けたくなった。
僕は早々に蓋を戻して、棚の奥深くにその香りを仕舞い込んだ。今この香りは、ただひたすらに僕の心を搔き乱すだけだ。
僕は仕事部屋を静かに閉めて、風呂に入ろうとその場を後にした。
その問いかけに答えを出す事が出来たのは、あの夕立の日から三日経過しの事だった。
僕は彼の声を聞きながら、テレビに映る南の海の生き物たちという番組を眺めていた。
「安達君と水族館に行ってみたい」
直感的にそう答えると、
「いいね、俺も行きたい」
ひっそりとした声で、安達君が微笑んだ。
「でっかい魚見よう。マッコウクジラ」
いつかを思い出させるように、彼が小さく笑って呟いた。不意に顔を近づけて分け合った、アンバーグリスの香りが蘇ってくる。
「流石にマッコウクジラはいないよ」
僕は自然に頬が緩んでしまうのを気に留めないまま、テレビ画面の青い世界を見つめる。
「じゃあ、今度クジラ見に行こう」
今度。
言葉の隙間に差し込まれる未来の栞に、胸の奥が仄かに温かく揺らぐ。僕は「うん」と答えて、彼と二日後の約束を交わした。
ふいに彼の背後から、新宿行きを知らせる電車けたたましいベルが響き渡る。電車に乗るという、彼の駆け足気味の声を名残惜しく思いながら、通話を切って息を吐くと、既に食欲は遠くへと追いやられていた。
食べかけの食事にラップをかけて、冷蔵庫へと仕舞い込むと、僕はテレビを消して、仕事場に向かう。
静かに引き戸を開けば、無数の香りが夏の熱に燻られ煙のように、ふわりと流れ出してくる。その香りの煙は足元を漂いながら、夜の縁にふわふわと落ちて行く。視線を上げれば机の前の窓が、人差し指位開いていた。僕はそれをきっちりと締めてから鍵を掛け、薬品棚からいつか一緒に鼻先を寄せ合ったアンバーグリスのレプリカを取り出す。僕はそっと手の中にある、その瓶の蓋を開いた。
緩やかに、僕と安達君の間にさ迷っていた香りが漂い出す。
彼と出会い、過ごしてきた短い時間の中で、僕は彼の色々な顔を見た気がする。その反面、それでは足りないと思っている自分もいる。
まだ、足りない。
彼と一緒に居られなかった今までの時間を埋めるには、まだまだ足りない。そんな事を考えては自分の女々しさと欲深さに、壁に頭を打ち付けたくなった。
僕は早々に蓋を戻して、棚の奥深くにその香りを仕舞い込んだ。今この香りは、ただひたすらに僕の心を搔き乱すだけだ。
僕は仕事部屋を静かに閉めて、風呂に入ろうとその場を後にした。
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