遠い海に消える。

中原涼

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「光、その路線使ってたっけ?」
 大学の友達と一緒に帰ってる時、そう問われて兄と同居を始めたと伝え、更に話の流れで現在の住所を教えると、案の定予想通りの反応が返ってきた。
「マジで? まあ、光の兄さんなら、とは思うけど三日で新居って……」
「やりすぎだよね……」
 駅の混雑した地下鉄のホームで電車を待ちながら、そう溜息を零すと、高校大学共に同じの安西征人は、何とも言い難いというような表情で俺を見ていた。
 彼もまた同じオメガで、高校二年で同じクラスになって以来、共通の悩みを持つ仲間という事から、少しずつ仲良くなった、数少ない友達の一人だ。
 不意にホームに電車が来るというアナウンスが流れ、暫くすると音もなくするすると電車が流れて来た。俺達は電車の優先席の隅に逃げる様にして居場所を確保すると、なるべく人のごみの中で体を小さくした。
「でもさあ、光は同居とか平気なの?」
 吊革に掴まりながら、征人が俺を覗き込む。女顔負けの愛らしい容貌の持ち主である彼は、大きく丸い眼差しで見つめてくると、俺の真意を確かめる様に「ん?」と首を傾げた。
 彼には高校の頃、一度のあの過ちを打ち明けた事があった。
 自分の性癖と気持ちがわからなくて、同じオメガで、一番距離が近かった彼に打ち明けたのだ。思春期特有の持て余した不安を、洗いざらい誰かにぶちまけたかった。嫌われても、気持ち悪がられても、その自分の異常さに、結果と言うものが欲しかった。
 結果、征人を困らせてしまう事になったけれど、彼は俺を受け入れてくれ、今も友情は続いている。いや、その話をきっかけに、一層お互い話すようになったかもしれない。
「それは……」
「だって、光、お兄さんの事……」
 嘘を遮る、見えない圧力と重ねられた質問に、俺は少し気圧され、迷ってから、
「大丈夫だと、思う……」
 と呟いた。
 しかし、想像したよりも自分の声音に力がなくて、俺は自分で自分が心配になってくる。
 けれど、俺はあの時――兄と同居となり、久し振りに対面をした時、できると思ったのも事実だ。兄弟に戻れる、そうは言いきれなくても、兄弟として暮らす事はできる。その想いは今も変わっていない。
 けれど、征人の眼差しは、そんな俺の気持ちを疑っている。それが痛い程分かるからこそ、自分が信じられなくなってくるのだ。口で言いながら、俺は自分自身の本音が良く分からなくなっていた。
 兄と暮らし始めて一週間ほどが過ぎた今、仕事が多忙な兄とは、なかなか顔を合わせない日々が続いている。寂しさは募る一方であるけれど、俺もよくよく考えてみたのだ。もしかしたら、この淡い恋のような感情は、思春期の勘違いで、そこにセックスなんて言う生々しいものが入ってしまったせいで、ただの親愛が誇張されているだけなのではないかと。
 所詮中学生からの淡い初恋のようなものだ。そして未だに忘れられずにいる事に対して、純愛だと勝手に美化している節だってある。
「まあ、光が大丈夫って言うならいいよ。でも、案外運命って、残酷だからさー」
 そう言って笑う征人の番は、確か五十代前半の紳士的な男だった。
 出会いは彼がまだ高校生の頃だっただろうか。顔の良さが功を得て、征人は人間関係が派手であった。保守的になりがちなオメガに比べて、明るく奔放な彼の交友関係は、俺の想像を二つも三つもの世界を飛び抜ける程のものがあった。
 そんな時に出会った相手だという。
「俺と相手ってほら、三十近く違うじゃん? 恋愛に年齢は関係ないって言うけど、もう過ごす時間が限られている気がして。恋愛に年齢は関係ないけど、重要ではあるよねー」
 声のトーンが少しだけ落ちると、電車がかたんっと揺れて、征人が俺に寄りかかってきた。軽く、けれど、彼の中では重い何かがあるのだろう。俺はそれを支えながら「そうだよね」と呟いた。
「でも、出会ったのも恋をしたのも運命だって思うから、ちょっと運命って残酷なところもあるよなーって思うんだよね」
「うん」
 俺はこつん、とこめかみを征人の頭に一度、軽くぶつけた。彼は小さく笑うと、再び自立して、真っ直ぐと両脚で踏ん張り立つ。
 運命は意外と残酷。
 その言葉を頭の中でゆっくりとなぞりながら、俺は暗い地下鉄の窓に映る自分を見つめた。
 これは運命の恋なのだろうか。
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