遠い海に消える。

中原涼

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 兄はきっかり二十分で現れた。
 最初に征人が対応して、薬が若干効いてきているのを確かめてから、兄に対面すると、彼の強張っていた表情が一瞬和らぐ。心配させていたのだと痛感すると、申し訳なさに、俺は視線を落として「ごめんなさい」と、謝るしかできなかった。
「俺、ついて行く?」
 小声で征人に聞かれ、さすがにそこまで面倒掛けられないと、俺はその申し出を丁寧に断った。運良く、薬も効いていて、兄も特に変わった様子はない。このまま家に帰って閉じこもる位なら、何とかなるだろう。
「ごめん、すごく助かった」
「いいって。ゆっくり休めよ」
 征人はそう言って俺に手を振り、兄に小さくお辞儀をして、人ごみの中に紛れて行った。残された二人で、駅員に礼を告げると、兄が乗ってきた車に同乗して帰路についた。
 俺は後部席に乗り込み、フロントミラーに映る兄の表情を眺めていた。言葉はなく、空気は重かったけれど、車のエンジン音や微かな振動が心地良くて、思わず倒れ込むと、
「酔ったか? 大丈夫か?」
 と、すぐに声を掛けられた。俺はそれに首を振って、
「大丈夫、薬効いてるから。でも少し熱っぽい気がする」
 俺は身動ぎして目を閉じた。兄は「もう少しだから」と俺に告げた切り、沈黙を守った。
 車はゆったりと正しい順路で進んでいるのだと思う。俺はぼんやりとした思考の中、兄の少し見える腕や後頭部や、横顔を見つめていた。
 痛い程、この人を求めている自分が分かる。
 これがオメガとしての本能なのかと言われたら、違うと否定する事はできないかもしれない。けれど、少なくとも、俺は中学生の頃から、ずっとずっと、彼を求めていた。
 兄弟としての存在、恋人としての存在、それら全てを彼に求めていたような気がする。離れていた間も、ずっと。
「兄さん」
「ん?」
「ごめんね」
 ごめんなさい。
 好きになんてなりたくなかった、オメガにだってなりたくなかった。兄弟だってなりたくなかった。街で擦れ違うだけの人だったら、そんなに楽な事はないと、今でも思う。
 けれど、今この関係でなければ、こんな風に切なく苦しく、そして想うだけで幸せになれる事もなかった。
「お前が悪いと思う事なんて、一つもないよ」
 兄が呪いのように言う。
「兄さんも悪い事なんて一つもない」
 俺は座席のシートに顔を埋めて、それ以上は何も言えなかった。
 何か一言でも零せば、涙も一緒に零れそうで怖かったから。
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