不思議の街のヴァルダさん

伊集院アケミ

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第1話「死者の書のしもべ」

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 僕にはいきつけの古書店がある。いわゆる古本屋ではなく、希少本のみを取り扱っているガチの古書店だ。マンガは貸本レベルの古書なら数点取り扱っているが、基本的には商っていない。

 店の名前は『死者の書のしもべ』。店長は台場だいばさんという名の、二十代半ばの女性だ。見た目はまあ、美人と言っても差し支えはないだろう。台場さんはいつも真っ黒な尼僧シスターの格好をしていて、「ヴァルダ」と呼ばないと返事をしてくれない。いわゆる、中二病を拗らせたタイプだった。

 僕は正直、希少本にはそれほど興味がない。でも、この台場ヴァルダさんが面白くて、時々実家の蔵から死んだ爺ちゃんの蔵書を持ち出し、彼女の店に遊びに行くのだ。

 爺ちゃんは中々の目利きだったらしく、持ち出した本に値が付かない事は、ほとんどなかった。結構な小遣いになることもある。だから僕にとって、台場ヴァルダさんの店に本を持って行くのは、一石二鳥の良い娯楽だった。死んだ爺ちゃんに感謝である。

「いらっしゃい。こんな雨の中、ここに来るなんて貴方も物好きね。こう出し抜けに降り出されちゃ、商売あがったりだわ。ところで今日は、どんな本を持ってきたの?」
「良く分からないけど、なんだか古そうな初版本を持ってきました。こんな日の方が、僕は台場さんといっぱいお話しができるので、嬉しいんです」
「ヴァルダって呼んでって言ってるでしょ? 査定額下げるわよ」
「すみません、ヴァルダさん」

 と、ここまではお約束のやり取りだ。査定額が高いのか安いのか、僕にはさっぱり分からないけれど、本は綺麗にクリーニングされた後、買い取り額の二倍から三倍の値で店に出されてる。数日のうちには棚から消えているから、きっと買い手にとっては良心的な店なんだろう。

 勿論、ネットで売ったり、神保町の古書店に持ってったりすれば、もっと実入りが良くなるんだろうけど、僕に言わせれば原価はタダだし、もしこの店が潰れたら、台場ヴァルダさんとお話しするという僕の娯楽がなくなってしまうので、別に幾らだってかまわないのだ。

「まぁ、おかけなさいよ」
「はい」
「で、今日の本は何?」
「太宰治の『晩年』の初版本です。なんか、有名な初版本だって聞いたので……」

 ヴァルダさんは、僕の手から本を受け取り、即答でこう言った。

「これは戦後に養徳叢書から出た再販本ね。状態は良いけれど、部数も二万部ほど出てるし、あまり価値はないわ。本人の署名なんかがあれば別だけど、何かある?」
「いや、そういうのは、とくには見つからなかったですね」
「じゃあ、千五百円ってところかしら。売値も倍がいい所ね」
「なあんだ。期待したのになあ……」
「昭和十一年に、砂子屋書房から出たものだったら、相応の価値があったでしょうけどね。初版・五百部だし、戦火のせいで現存数も少ないと思うわ」
「それだと、いくらくらいになるんですか?」
「そうね。『晩年』は頁が切れてない【アンカット本】なんだけど、まったく手を付けてない美品であれば、数百万円は下らないでしょうね」
「はあ……。そんな不良品みたいな本に、そんな値段が付くんですねえ」
「昔は自分の好みに合わせて製本して、蔵書に加えるのが一般的だったのよ。太宰はプルーストの訳本まで持ってきて、わざとそうさせたらしいわ。どうする? 売る?」
「お願いします」

 まあ、無駄足になるよりいいさ。

「もうこんなに涼しくなったのに、こんな強烈な夕立なんておかしなものね。まだ五時だっていうのに、電燈をつけなくちゃ物が見えないんだもの」
「はい。店の中におばけでも出そうですね」
「まあ、古書店なんて商売は、あんまり明るくちゃ工合が悪いわ。西日が一杯に入るような店だと、背皮クロスがみんな離れてしまうし」

 店内は空調はちゃんと効いているが、採光については完璧ではないらしい。本当は、外から店内が見えないようにしたいらしいんだけど、ただでさえ怪しげな店名だから、それじゃ一見さんが入ってこれないだろう。このお店は殆どヴァルダさん一人でやっているから、盗難対策もあって、自然と価値の高い本が、店の奥の方に並ぶようになっていた。

「貴方の生まれは東京?」
「はい。虎ノ門病院で産湯に浸かりました」
「港区のど真ん中じゃない」
「母の実家がそっちにあったんです。お上相手の堅い商売をやってたそうですが、時代が変わりましてね。どんどん借金が増えて、結局森ビルに取られました。今じゃ、地下鉄の出入り口になってますよ」
「そういえば、少し前に、あの辺りに新駅が出来たとか聞いたわね」
「虎ノ門ヒルズ駅――せめて何か商業施設でも出来てれば、『ここに昔、実家があったんだ』って懐かしむことも出来ますけど、駅の出入り口じゃサマになりません」
「虎ノ門生まれのボンボンって、思ってもらえるだけいいじゃない」

 年に似合わぬ古い本を持ってくるだけに、僕は彼女から、どこかのボンボンだと思われてるらしい。ちなみに僕は法学部の学生だが、弁護士になる気はさらさらない。生前から僕を可愛がってくれた、爺ちゃんの真似事をしているだけである。

「台場……いや、ヴァルダさんはどこで生まれたんですか?」
「私は伝承者お客様を導く心の妖精だから、生まれとかそういうのはよく分からないわ。強いて言えば、この店かしらね?」
「知ってます。ヴァルダさんは、『死者の書のしもべ』なんですよね」
「その通りよ。今のこの姿は、真の伝承者の登場までの仮初の姿なの。その時が、私の本当の戦いの始まりだわ――」

「ヴァルダさん、今日も飛ばしてるなあ……」と思いながら、僕は彼女のセリフにゾクゾクしていた。完全に設定を作りこんでいるヴァルダさんは、臆面もなく、こういう中二テイストのセリフを吐きまくるのである。

「では、お爺様も東京?」

 ヴァルダさんは、僕に質問を続ける。顧客に色々問いかけるのは、真の伝承者探しのための、必要な作業らしい。

「いえ、爺さんはこっち仙台の生まれです。何でも若い時分は弁護士になろうとして、早稲田の法科へ通って六法全書なんかをヒネクリまわしていたそうですが、生れ付きのボンボンでね。小説を読んでゴロゴロしたり、女の尻ばかり追いまわしたりして、さっぱりダラシがなかったそうですよ」
「貴方はその隔世遺伝って言う訳ね」
「まあ、そんなもんです。僕はヴァルダさんひと筋ですけど」
「お爺さんはその後どうなったの?」

 ヴァルダさんは、僕の言葉など特に気にも留めない様子でそう尋ねてきた。妖精を自称するだけあって、この人にはあまり人間らしい感情がない。まあ、好奇心だけは旺盛だけど。

「まあ、そんな性格なので、両親が亡くなると親類には一気に見離されましてね。苦学する程の根性もないし、実家に帰ろうと、道楽半分に買集めていた探偵小説だの、教科書だのを道端に並べたのが運のツキで、とうとう古本屋ほんものになっちゃったそうです。ヴァルダさんの大先輩という訳ですね」
「それで貴方のお家には、お爺様の遺品が沢山あるという訳ね。そのうち一度、お邪魔しようかしら?」
「嫌ですよ。僕はヴァルダさんとお話ししたくて、わざわざ少しずつ本を持ってきているんです。質問ならなんでも答えますが、うちの場所だけは教えてあげません」
「こちらとしては、もっと一気に持ってきてくれた方が助かるのだけど……」

 そういって、ヴァルダさんは微かに笑った。

「まあ、暇な時を見計らってきてくれているようだから、退屈しのぎにはなるかしらね」

 ヴァルダさんは僕に千五百円を渡すと、書棚の掃除を始めてしまった。

(続く)
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