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第4話「悪魔祈祷書」
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「それは、東北大学の学生さんが、夏休みに持込んできた本だったんだけどね。ご先祖は島原の方で、先祖代々から伝わって来た聖書だと仰言っていました」
ヴァルダさんは、とうとうと僕に語りだした。
「一体どんな本だったのですか?」
「あまりに文字が美しいので、最初は活字だと思ったんだけど、よく見ると筆写本だったの。一六二六年に英国で作られたものだったわ」
「作者の肉筆ということですね?」
「ええ。使ってる紙が又、大した紙でね。羊皮紙にきっちりと書きつめたもので、黒い線に、青と赤の絵具を使った挿絵まで入っているんですから、それだけでも大層なシロモノです」
それは確かに高値が付きそうだと、僕は思った。
「でも、それだけの事なら、ヴァルダさんは驚きはしないでしょう? 何かまだ秘密があるのではないですか?」
「その通り。古いだけなら、私も格別驚きはしません。肝を潰したのは、その聖書の文句です。これがまたことごとく、半キリスト的な文言でね……」
「これは普通の聖書ではないと」
「あまりに不思議なので、よくよく調べてみると、その聖書こそが、世界中にたった一冊しかないと噂される、悪魔祈祷書だったのです。私は気が遠くなって、真夏の日中にガタガタ震えてしまいました」
「悪魔祈祷書?」
僕がそう問い返すと、ヴァルダさんは心底びっくりしたような顔で、僕にこうまくしたてた。
「貴方はその書物の事は知らない? 本当に? 我々の界隈では物凄く有名な、伝説の書物なのだけれども。もし、貴方のお爺さんの蔵に写しでも眠っていれば、それだけで一生遊んで暮らせますよ」
「少しだけ待って貰えますか、ヴァルダさん」
僕は手元のスマホで、その悪魔祈祷書とやらを調べてみようと思った。
「著者名は分かりますか?」
「英国の僧侶で、デュッコ・シュレーカーとかいったと思います。とても、むずかしい綴りでした」
解説ページがすぐに出てきた。何でも二百年ばかり前、英国のロスチャイルド家が、十万ポンドの懸賞付きで探したことのあるシロモノだそうだ。結局、実物は見つからなかったそうだが、今でも多くの好事家たちがその本を探しているという。
「検索で尋ね当たりましたか?」
「はい。ロスチャイルド家の次男坊だか三男坊だが、昔必死に探していた本だそうです。二百年前の十万ポンドって、現在だと、一体いくらになるんでしょうね?」
「そうね。小さな国の一つくらいは買えるんじゃないかしら?」
ヴァルダさんは、割合あっさりとそう答えた。興奮してるのはこの世に一冊しかない本を手にした喜びだけで、それをお金に変えることには、さして興味がないらしい。
「表紙は大型の黒い皮表紙でね。HORY BIBLEと金文字の刻印が打込んであって、頑丈な生皮の包箱ケースに突込んでありました。その包箱ケースの見返しの中央に、MICHAEL・SHIROと読める朱墨と、黒い墨の細かい組合わせ文字の紋章みたいなものが、消え消えに残っていたの」
「というと?」
「私のカンでは、その聖書は多分、天草一揆の頃に日本に渡ってきたものだと思うのね」
「それって、まさか……」
「ミカエル四郎と名乗るその日本人が、島原の乱の首謀者である天草四郎時貞だったら、イヨイヨ大変よね」
そういって、ヴァルダさんは笑った。もしその話が本当なら、その本の貴重さはシルレルの比じゃない。
「勿論、その学生さんは、何も知らずに普通の聖書と思って売りに来たに相違いないわ。聖書なんてものは、信心でもしない限り滅多に読まないものだしね」
「そうですね」
「先祖代々の人たちも、それがそんな貴重な本だって事をいい伝える事も出来ずに、土蔵の奥に仕舞い込んで来たのでしょう。中味を少しでも知ってたら、ここに持って来る訳がないものね」
「今度は、中村先生に取られないようにしなきゃいけませんね」
「そうね。私、その学生さんの名前とお処は、チャント控えてあるの。ご自宅へお伺いしたら、キットまだまだ面白い掘出し物があるに違いないと思って、この二、三日ウズウズしているんだけどね」
「今回は、随分抜かりないですね」
「ええ。シルレルでは、ずいぶん稼ぎそこなっちゃったから……」
やっぱり少しは、お金にも拘りがあるのかもしれない。
「まあ、もし中身を見ていたとしても、やはりあの学生さんには無理だったかもしれないわね。チャプターの切り方や、なか見出しなんかは、スッカリ本物の聖書の通りだし」
「そうなんですか?」
「ええ。創世記の最初の四、五行ぐらいは、聖書の文句通りなんです。だから、素人さんは一杯喰わされるのね。おそらくは、異端狩り対策だったのでしょう。ところが、その有り難い文句が、いきなり何の前触れもなく、とても恐ろしい文句に変って来るのです」
そういうヴァルダさんの表情は、まるで怪談を語る稲川淳二のようだった。
「天草四郎は、伝奇小説やゲームの中では、しばしば悪魔として描かれてますからね。なんだか僕も、本当に彼の聖書のような気がしてきましたよ」
「でしょう? 実際、その悪魔祈祷書は、デュッコが信仰する悪魔の道を世界中に宣伝する文句になっているのです。古風な英語でチョット読みづらいのですが、良かったら少し中身を紹介してあげましょうか?」
「ぜひお願いします」
ヴァルダさんはおもむろに靴を脱ぐと、それまで座っていた椅子の上に乗って、まるで演説でもするように高らかに右手を上げて、こう語りだした。
「われ聖徒となりて父の業を継ぎ、神学を学ぶうちに、聖書の内容に疑いを抱く者なり。医薬、化学の研究に転向してより、宇宙万有は物質の集団浮動に過ぎず、人間の精神なるものもまた、諸原素の化学作用に外ならざるを知る。
従って宗教、もしくは信仰なるものも、その出発点より甚だしく卑怯なる智者の、愚者に対する欺瞞なるを認む。地上において最も真実なるものは唯一つ。血も涙も、良心も信仰もなき科学の精神とする、所謂、悪魔精神なる事を信じて疑わざるに到れり!」
ヴァルダさんの勢いに飲まれ、僕はなんとなく、小さな拍手を送ってしまった。先ほど入ってきた中年の男が、訝し気な眼差しでこちらを見ている。彼女は、その視線を全く気にする事もない様子で、さらに声を張り上げてこう続けた。
「わが生まれいでし心は、親兄弟、もしくはローマ法皇が自分のために都合よく作り出した、所謂『神の心』にはあらず。生前の神罰、死後の地獄、また在ることなし。何をか恐れ、何をかはばからんや?
歴代のローマ法皇、その他の覇者は、須らくこの悪魔道の礼讃者なり。万人の翹望する上流階級の特権なるものは皆、この悪魔道の特権に他ならず、人類の祈るところの核心も皆、この外道精神の満足なり。
全世界の人類よ。皆、虚偽の聖書を棄て、この真実の悪魔祈祷書を抱け! われは悪魔道のキリストなり。弱き者、貧しき者、悲しむ者は皆、吾に従え!」
やっぱり、ヴァルダさんは最高だ。扇動者としても、間違いなく一流の人物である。でなければ、これだけの煽り文句を何も見ずに高らかに謳い上げられるはずがない。
僕が拍手喝采で称えると、彼女はいったん椅子から降り、いつもの調子に戻って、僕にこう告げた。
「……といったような熱烈な調子で、人類全般に、あらゆる悪事をすすめる文句が、この本の中には沢山書いてございます。私はそれを読んで行くうちに、自分の首を絞められるような気持になってしまいましたよ」
「何故ですか?」
「生胆取りだの、死人使いだの、殺人請負い人だのが、いくらでも出てくるからです。西洋には、血も涙もない悪党が多いと聞いてはいましたが、これはやはり、日本人には出てこない発想だと思いましたね」
「日本人は、HENTAIに対しては一日の長がありますが、残忍さではやはり負けますかね」
「シュレーカーは多分、精神異常者だったのでしょう。だけど、その熱意だけは本当に本物です。彼は世界中を悪党だらけにするつもりで、一生懸命に書いたのね」
「気の狂った天才だったのですね」
この世は所詮、「悪」で固まっている世界だ。神様なんてものは皆、悪魔と同等の、いやそれ以上にひどい存在なのだという事を、デュッコはその聖書の中で、微に入り細に入り、丁寧に解説しているのだと、ヴァルダさんは僕にいった。
(続く)
ヴァルダさんは、とうとうと僕に語りだした。
「一体どんな本だったのですか?」
「あまりに文字が美しいので、最初は活字だと思ったんだけど、よく見ると筆写本だったの。一六二六年に英国で作られたものだったわ」
「作者の肉筆ということですね?」
「ええ。使ってる紙が又、大した紙でね。羊皮紙にきっちりと書きつめたもので、黒い線に、青と赤の絵具を使った挿絵まで入っているんですから、それだけでも大層なシロモノです」
それは確かに高値が付きそうだと、僕は思った。
「でも、それだけの事なら、ヴァルダさんは驚きはしないでしょう? 何かまだ秘密があるのではないですか?」
「その通り。古いだけなら、私も格別驚きはしません。肝を潰したのは、その聖書の文句です。これがまたことごとく、半キリスト的な文言でね……」
「これは普通の聖書ではないと」
「あまりに不思議なので、よくよく調べてみると、その聖書こそが、世界中にたった一冊しかないと噂される、悪魔祈祷書だったのです。私は気が遠くなって、真夏の日中にガタガタ震えてしまいました」
「悪魔祈祷書?」
僕がそう問い返すと、ヴァルダさんは心底びっくりしたような顔で、僕にこうまくしたてた。
「貴方はその書物の事は知らない? 本当に? 我々の界隈では物凄く有名な、伝説の書物なのだけれども。もし、貴方のお爺さんの蔵に写しでも眠っていれば、それだけで一生遊んで暮らせますよ」
「少しだけ待って貰えますか、ヴァルダさん」
僕は手元のスマホで、その悪魔祈祷書とやらを調べてみようと思った。
「著者名は分かりますか?」
「英国の僧侶で、デュッコ・シュレーカーとかいったと思います。とても、むずかしい綴りでした」
解説ページがすぐに出てきた。何でも二百年ばかり前、英国のロスチャイルド家が、十万ポンドの懸賞付きで探したことのあるシロモノだそうだ。結局、実物は見つからなかったそうだが、今でも多くの好事家たちがその本を探しているという。
「検索で尋ね当たりましたか?」
「はい。ロスチャイルド家の次男坊だか三男坊だが、昔必死に探していた本だそうです。二百年前の十万ポンドって、現在だと、一体いくらになるんでしょうね?」
「そうね。小さな国の一つくらいは買えるんじゃないかしら?」
ヴァルダさんは、割合あっさりとそう答えた。興奮してるのはこの世に一冊しかない本を手にした喜びだけで、それをお金に変えることには、さして興味がないらしい。
「表紙は大型の黒い皮表紙でね。HORY BIBLEと金文字の刻印が打込んであって、頑丈な生皮の包箱ケースに突込んでありました。その包箱ケースの見返しの中央に、MICHAEL・SHIROと読める朱墨と、黒い墨の細かい組合わせ文字の紋章みたいなものが、消え消えに残っていたの」
「というと?」
「私のカンでは、その聖書は多分、天草一揆の頃に日本に渡ってきたものだと思うのね」
「それって、まさか……」
「ミカエル四郎と名乗るその日本人が、島原の乱の首謀者である天草四郎時貞だったら、イヨイヨ大変よね」
そういって、ヴァルダさんは笑った。もしその話が本当なら、その本の貴重さはシルレルの比じゃない。
「勿論、その学生さんは、何も知らずに普通の聖書と思って売りに来たに相違いないわ。聖書なんてものは、信心でもしない限り滅多に読まないものだしね」
「そうですね」
「先祖代々の人たちも、それがそんな貴重な本だって事をいい伝える事も出来ずに、土蔵の奥に仕舞い込んで来たのでしょう。中味を少しでも知ってたら、ここに持って来る訳がないものね」
「今度は、中村先生に取られないようにしなきゃいけませんね」
「そうね。私、その学生さんの名前とお処は、チャント控えてあるの。ご自宅へお伺いしたら、キットまだまだ面白い掘出し物があるに違いないと思って、この二、三日ウズウズしているんだけどね」
「今回は、随分抜かりないですね」
「ええ。シルレルでは、ずいぶん稼ぎそこなっちゃったから……」
やっぱり少しは、お金にも拘りがあるのかもしれない。
「まあ、もし中身を見ていたとしても、やはりあの学生さんには無理だったかもしれないわね。チャプターの切り方や、なか見出しなんかは、スッカリ本物の聖書の通りだし」
「そうなんですか?」
「ええ。創世記の最初の四、五行ぐらいは、聖書の文句通りなんです。だから、素人さんは一杯喰わされるのね。おそらくは、異端狩り対策だったのでしょう。ところが、その有り難い文句が、いきなり何の前触れもなく、とても恐ろしい文句に変って来るのです」
そういうヴァルダさんの表情は、まるで怪談を語る稲川淳二のようだった。
「天草四郎は、伝奇小説やゲームの中では、しばしば悪魔として描かれてますからね。なんだか僕も、本当に彼の聖書のような気がしてきましたよ」
「でしょう? 実際、その悪魔祈祷書は、デュッコが信仰する悪魔の道を世界中に宣伝する文句になっているのです。古風な英語でチョット読みづらいのですが、良かったら少し中身を紹介してあげましょうか?」
「ぜひお願いします」
ヴァルダさんはおもむろに靴を脱ぐと、それまで座っていた椅子の上に乗って、まるで演説でもするように高らかに右手を上げて、こう語りだした。
「われ聖徒となりて父の業を継ぎ、神学を学ぶうちに、聖書の内容に疑いを抱く者なり。医薬、化学の研究に転向してより、宇宙万有は物質の集団浮動に過ぎず、人間の精神なるものもまた、諸原素の化学作用に外ならざるを知る。
従って宗教、もしくは信仰なるものも、その出発点より甚だしく卑怯なる智者の、愚者に対する欺瞞なるを認む。地上において最も真実なるものは唯一つ。血も涙も、良心も信仰もなき科学の精神とする、所謂、悪魔精神なる事を信じて疑わざるに到れり!」
ヴァルダさんの勢いに飲まれ、僕はなんとなく、小さな拍手を送ってしまった。先ほど入ってきた中年の男が、訝し気な眼差しでこちらを見ている。彼女は、その視線を全く気にする事もない様子で、さらに声を張り上げてこう続けた。
「わが生まれいでし心は、親兄弟、もしくはローマ法皇が自分のために都合よく作り出した、所謂『神の心』にはあらず。生前の神罰、死後の地獄、また在ることなし。何をか恐れ、何をかはばからんや?
歴代のローマ法皇、その他の覇者は、須らくこの悪魔道の礼讃者なり。万人の翹望する上流階級の特権なるものは皆、この悪魔道の特権に他ならず、人類の祈るところの核心も皆、この外道精神の満足なり。
全世界の人類よ。皆、虚偽の聖書を棄て、この真実の悪魔祈祷書を抱け! われは悪魔道のキリストなり。弱き者、貧しき者、悲しむ者は皆、吾に従え!」
やっぱり、ヴァルダさんは最高だ。扇動者としても、間違いなく一流の人物である。でなければ、これだけの煽り文句を何も見ずに高らかに謳い上げられるはずがない。
僕が拍手喝采で称えると、彼女はいったん椅子から降り、いつもの調子に戻って、僕にこう告げた。
「……といったような熱烈な調子で、人類全般に、あらゆる悪事をすすめる文句が、この本の中には沢山書いてございます。私はそれを読んで行くうちに、自分の首を絞められるような気持になってしまいましたよ」
「何故ですか?」
「生胆取りだの、死人使いだの、殺人請負い人だのが、いくらでも出てくるからです。西洋には、血も涙もない悪党が多いと聞いてはいましたが、これはやはり、日本人には出てこない発想だと思いましたね」
「日本人は、HENTAIに対しては一日の長がありますが、残忍さではやはり負けますかね」
「シュレーカーは多分、精神異常者だったのでしょう。だけど、その熱意だけは本当に本物です。彼は世界中を悪党だらけにするつもりで、一生懸命に書いたのね」
「気の狂った天才だったのですね」
この世は所詮、「悪」で固まっている世界だ。神様なんてものは皆、悪魔と同等の、いやそれ以上にひどい存在なのだという事を、デュッコはその聖書の中で、微に入り細に入り、丁寧に解説しているのだと、ヴァルダさんは僕にいった。
(続く)
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