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第7話「国分町のシド・ヴィシャス」
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「僕は半力さんを、仙台に連れて帰るつもりだ。もし半力さんの事を笑う奴がいたら、それが例え赤瀬川さんであろうと、ブン殴ってやる」
「ええっ! 小説の方はいいと思うけど、それはどうかなあ……」
壁に貼られたプリンツは、浮かぬ顔をしていた。
「大丈夫だって。皮膚病なんて、そんなに長くは続かないさ」
その日を境に、半力さんの皮膚病はみるみる良くなった。まるで、ここ数日間の僕のドロドロした感情と共に、病が消えてしまったみたいだった。半力さんは、僕の体に取りついていた【評価という呪い】を、その身で受け止めていてくれたのかもしれない。
半力さんの毛は、まだ生え揃ってはいなかったが、体重が落ちたせいもあって、横顔だけは元の美猫に戻った。僕はそれを嬉しく思った。ヤサを引き払う最後の日に、僕はもう一度病院に寄って、半力さんの包帯を巻きなおしてもらった。
「これで、もう安心でしょう」といって、病院の先生は笑った。
僕は不動産屋に鍵を返し、小説を書く道具と、プリンツ・オイゲンのタペストリーだけを車に積んで仙台に帰った。勿論、半力さんも一緒だ。赤瀬川さんは、包帯まみれの半力さんを見て死ぬほど笑ったが、「醜い」とは一言も言わなかった。
「置いてけよ」
「えっ?」
「一匹も二匹も変わらねえよ。どうせ、世話するのは俺じゃないしな」
「そうですね。でも、今回は止めときます」
「手を焼いてるんじゃなかったのか?」
「僕は一度、半力さんを殺しかけたんです。その罪は、最後まで面倒を見ることでしか償えません」
「そうか。お前もようやく、腰を落ち着ける気になったんだな」
こうして僕は半力さんの正式な飼い主となり、猫のお世話も通年営業になったのである。半力さんと全力さんは大の仲良しで、ウンチの量も二倍だ。
僕は赤瀬川さんの事務所の近くに小さなワンルームを借り、家内のタペストリーを、玄関の壁に綺麗に貼りなおした。坊主頭にもすっかり慣れてしまって、二週に一度はバリカンをかけている。半力さんは今でも、僕と一緒にどんな所にも付いて回る。手足が異常に短くて、胴の長い黒トラを連れて歩くシド・ヴィシャスを国分町で見かけたら、それは間違いなく僕のはずだ。
国分町のシド・ヴィシャスのお仕事は、猫のトイレ掃除と、たった百人のファンに向けて小説を書くことである。おかげで旅には出られなくなったが、食うには困らない。他人からの評価に一喜一憂し、公募に落選する度に怒りを爆発させてたあの頃より、よっぽどマシだなと僕は思った。
一つだけ変わったことがある。半力さんは、仙台に来てからというもの、エサをあまり食わなくなった。どうやら全力さんのデブっぷりを見て、「ああはなるまい」と思ったらしい。同類にすらそう思われる全力さんを、僕は普通に凄いなと思ったが、全力さんは既に三毛猫を超えた何かなので、それくらいは当然なのかもしれない。
今日もまた、僕は赤瀬川さんの事務所で執筆を終え、殆ど寝に帰るだけのヤサのベッドに寝転んだ。壁に空いた小さな窓から、ほんの少しだけ星空が見える。
毎日毎日シドの物真似をしながら猫と遊び、小説家の真似事をして暮らしてる今の僕は、赤瀬川さんの好意と、100人のファンの支援によって生かされているタダの落ちこぼれだ。「なにか立派な賞を取って、自分を見限った奴らを見返してやるんだ」という気持ちも、今ではすっかり消えてしまった。
だけど結局、「こういう生活がしたかったんだ」という自分の気持ちを偽ることが出来ない。僕は今まで色んな肩書で仕事をしてきたけど、結局いつも、その肩書に振り回されてきただけな気がする。肩書が力になる人もいるだろうが、少なくとも僕はそうじゃない。そんなことを考えた時、シドもまた肩書《イメージ》に振り回された人間だったんじゃないかと、ふと思った。
「俺がグループの中で、一番役立たずのオマ〇コ野郎だと思うよ。俺は確かにバンドの中では最低のプレイヤーだ。でも、このバンドが当初目指していたものを体現しているのは、俺だけだと思う」
「四人のキチガイたちが、やりたいことをやって楽しい時間を過ごすっていう、元々のバンドのアイデアを、俺は実践しただけだ。それがピストルズをやる意味の全てだと、俺は最初から思ってた」
これは、自分を客観視できる人間でなければ、到底いえない言葉だ。勿論彼は、正真正銘のヤク中だったし、ベースを楽器ではなく鈍器として使うような男だったけど、最初から異常者だった訳ではない。ロットンから悪党の名を与えられたその瞬間から、【パンクの化身】として生きようとしていただけだ。
「ステージ上ではパンクな格好をして、実際の自分とは違うフリをしといて、家に帰れば、襟のついたシャツとネクタイを締めるようなグループがいるけど、あんなのは信じられないな」
そう嘯く彼は、私生活でも常にパンクスであろうとした。そんな中、最愛の恋人が何者かに殺される。彼はその深い悲しみに沈みつつも、多分必死に考えていたはずだ。
「これからどうするのが、もっともシド・ヴィシャスらしい生き様か?」
彼の死は事故ではなく、オーバードーズに見せかけた意図的なものであったと僕は思う。彼は多分、自分に思いを寄せる全ての人間が納得できる死に方をしようと思ったのだ。
自分を引き上げてくれた親友のロットンに対して。
パンクの化身であることを求める、自分のファンに対して。
現代のロミオとジュリエットを求める恋愛至上主義者に対して。
そして何よりも、最愛の恋人であるナンシーに対して。
この世には、何者かに才能を見いだされたものが、引きあげた方を喰ってしまう事がよくある。ロットンとシドは、その典型だった。そしてこれは、洋の東西を問うものではない。
藤子不二雄を見出した手塚治虫は、原稿を見せに来た二人を恐れ、彼らがコンビを解消すると聞いて心底ホッとしたそうだし、『傷だらけの天使』で水谷豊を推薦した萩原健一《ショーケン》は、自分を食いかねない演技を見せる彼に対して、暴力をも辞さない迫真の演技で答え、二度と再び共演をしなかった。
だが二人が手塚やショーケンと違うのは、彼らはバンドを作る前から、仲の良い悪ガキ同士だったってことだ。シドは自らの死をもって、彼との関係を修復した。ロットンは彼の死を悼んだが、もしシドが消えてなかったら、ピストルズはきっと再結成できなかっただろう。パンクの化身である事を求めるファンに対しては、オーバードーズによる無様な死にざまを、恋愛至上主義者に対しては、後追い自殺と言う美しい物語を、彼は演出した。
そして、ナンシーに対しては、彼の最後の言葉を残すという形で、その愛に報いたのである。
「オレ達には死の取り決めがあった。一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 だから、オレは約束を守らなきゃいけない。今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。
レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして、さいなら」
(続く)
「ええっ! 小説の方はいいと思うけど、それはどうかなあ……」
壁に貼られたプリンツは、浮かぬ顔をしていた。
「大丈夫だって。皮膚病なんて、そんなに長くは続かないさ」
その日を境に、半力さんの皮膚病はみるみる良くなった。まるで、ここ数日間の僕のドロドロした感情と共に、病が消えてしまったみたいだった。半力さんは、僕の体に取りついていた【評価という呪い】を、その身で受け止めていてくれたのかもしれない。
半力さんの毛は、まだ生え揃ってはいなかったが、体重が落ちたせいもあって、横顔だけは元の美猫に戻った。僕はそれを嬉しく思った。ヤサを引き払う最後の日に、僕はもう一度病院に寄って、半力さんの包帯を巻きなおしてもらった。
「これで、もう安心でしょう」といって、病院の先生は笑った。
僕は不動産屋に鍵を返し、小説を書く道具と、プリンツ・オイゲンのタペストリーだけを車に積んで仙台に帰った。勿論、半力さんも一緒だ。赤瀬川さんは、包帯まみれの半力さんを見て死ぬほど笑ったが、「醜い」とは一言も言わなかった。
「置いてけよ」
「えっ?」
「一匹も二匹も変わらねえよ。どうせ、世話するのは俺じゃないしな」
「そうですね。でも、今回は止めときます」
「手を焼いてるんじゃなかったのか?」
「僕は一度、半力さんを殺しかけたんです。その罪は、最後まで面倒を見ることでしか償えません」
「そうか。お前もようやく、腰を落ち着ける気になったんだな」
こうして僕は半力さんの正式な飼い主となり、猫のお世話も通年営業になったのである。半力さんと全力さんは大の仲良しで、ウンチの量も二倍だ。
僕は赤瀬川さんの事務所の近くに小さなワンルームを借り、家内のタペストリーを、玄関の壁に綺麗に貼りなおした。坊主頭にもすっかり慣れてしまって、二週に一度はバリカンをかけている。半力さんは今でも、僕と一緒にどんな所にも付いて回る。手足が異常に短くて、胴の長い黒トラを連れて歩くシド・ヴィシャスを国分町で見かけたら、それは間違いなく僕のはずだ。
国分町のシド・ヴィシャスのお仕事は、猫のトイレ掃除と、たった百人のファンに向けて小説を書くことである。おかげで旅には出られなくなったが、食うには困らない。他人からの評価に一喜一憂し、公募に落選する度に怒りを爆発させてたあの頃より、よっぽどマシだなと僕は思った。
一つだけ変わったことがある。半力さんは、仙台に来てからというもの、エサをあまり食わなくなった。どうやら全力さんのデブっぷりを見て、「ああはなるまい」と思ったらしい。同類にすらそう思われる全力さんを、僕は普通に凄いなと思ったが、全力さんは既に三毛猫を超えた何かなので、それくらいは当然なのかもしれない。
今日もまた、僕は赤瀬川さんの事務所で執筆を終え、殆ど寝に帰るだけのヤサのベッドに寝転んだ。壁に空いた小さな窓から、ほんの少しだけ星空が見える。
毎日毎日シドの物真似をしながら猫と遊び、小説家の真似事をして暮らしてる今の僕は、赤瀬川さんの好意と、100人のファンの支援によって生かされているタダの落ちこぼれだ。「なにか立派な賞を取って、自分を見限った奴らを見返してやるんだ」という気持ちも、今ではすっかり消えてしまった。
だけど結局、「こういう生活がしたかったんだ」という自分の気持ちを偽ることが出来ない。僕は今まで色んな肩書で仕事をしてきたけど、結局いつも、その肩書に振り回されてきただけな気がする。肩書が力になる人もいるだろうが、少なくとも僕はそうじゃない。そんなことを考えた時、シドもまた肩書《イメージ》に振り回された人間だったんじゃないかと、ふと思った。
「俺がグループの中で、一番役立たずのオマ〇コ野郎だと思うよ。俺は確かにバンドの中では最低のプレイヤーだ。でも、このバンドが当初目指していたものを体現しているのは、俺だけだと思う」
「四人のキチガイたちが、やりたいことをやって楽しい時間を過ごすっていう、元々のバンドのアイデアを、俺は実践しただけだ。それがピストルズをやる意味の全てだと、俺は最初から思ってた」
これは、自分を客観視できる人間でなければ、到底いえない言葉だ。勿論彼は、正真正銘のヤク中だったし、ベースを楽器ではなく鈍器として使うような男だったけど、最初から異常者だった訳ではない。ロットンから悪党の名を与えられたその瞬間から、【パンクの化身】として生きようとしていただけだ。
「ステージ上ではパンクな格好をして、実際の自分とは違うフリをしといて、家に帰れば、襟のついたシャツとネクタイを締めるようなグループがいるけど、あんなのは信じられないな」
そう嘯く彼は、私生活でも常にパンクスであろうとした。そんな中、最愛の恋人が何者かに殺される。彼はその深い悲しみに沈みつつも、多分必死に考えていたはずだ。
「これからどうするのが、もっともシド・ヴィシャスらしい生き様か?」
彼の死は事故ではなく、オーバードーズに見せかけた意図的なものであったと僕は思う。彼は多分、自分に思いを寄せる全ての人間が納得できる死に方をしようと思ったのだ。
自分を引き上げてくれた親友のロットンに対して。
パンクの化身であることを求める、自分のファンに対して。
現代のロミオとジュリエットを求める恋愛至上主義者に対して。
そして何よりも、最愛の恋人であるナンシーに対して。
この世には、何者かに才能を見いだされたものが、引きあげた方を喰ってしまう事がよくある。ロットンとシドは、その典型だった。そしてこれは、洋の東西を問うものではない。
藤子不二雄を見出した手塚治虫は、原稿を見せに来た二人を恐れ、彼らがコンビを解消すると聞いて心底ホッとしたそうだし、『傷だらけの天使』で水谷豊を推薦した萩原健一《ショーケン》は、自分を食いかねない演技を見せる彼に対して、暴力をも辞さない迫真の演技で答え、二度と再び共演をしなかった。
だが二人が手塚やショーケンと違うのは、彼らはバンドを作る前から、仲の良い悪ガキ同士だったってことだ。シドは自らの死をもって、彼との関係を修復した。ロットンは彼の死を悼んだが、もしシドが消えてなかったら、ピストルズはきっと再結成できなかっただろう。パンクの化身である事を求めるファンに対しては、オーバードーズによる無様な死にざまを、恋愛至上主義者に対しては、後追い自殺と言う美しい物語を、彼は演出した。
そして、ナンシーに対しては、彼の最後の言葉を残すという形で、その愛に報いたのである。
「オレ達には死の取り決めがあった。一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 だから、オレは約束を守らなきゃいけない。今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。
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(続く)
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